2015年11月9日(月)
※本記事は、Webノベル『ロスト・レゾナンス ~LORD of VERMILION ARENA~ 前篇・その2』です。前篇・その1を読まれていない方は、下記の記事を先にお読みください。
⇒『ロスト・レゾナンス ~LORD of VERMILION ARENA~ 前篇・その1』を読む
3
「あ、うん。“刻印の者”だよ」
スズリは、あっけらかんと述べた。
繁華街の一画にあるカラオケチェーン店の一室だ。状況整理と情報交換のために入ったので、機器の音量はゼロにしてある。なぜかスズリはマイクを手にしていたが。
小さなテーブルを挟んでスズリと向かい合い、イザは困惑しながらも話を続ける。
「じゃあ、あそこにいたのは――」
「変な事件が起きてたから、調査しようと思って」
「ふん。そっちの調査能力もニャかニャからしいニャ」
イザのかたわらで、ケットシーがソファにふんぞり返った。
「異世界から来る“刻印の者”との戦いには、慣れていますから」
おっとりと告げるのは、スズリの隣に座るドゥクス――ドゥクス・アマリアだ。妙に表情豊かで、今もにこにこと人好きのする笑顔を浮かべている。謎めいた衣装を含め、風姿こそ部屋の隅に佇むイリスと似ているが、彼女が無表情を保っているのとは対照的だ。
「自分から異世界に攻め込んだりはしないのか?」
「学業優先。高校生だし」
「あ、そう」
「ナナセくんは? “出稼ぎ”してるの?」
「出稼ぎって」頬を撫でる。「まあ、俺も、いきなり他の“刻印の者”をぶっ倒してナンバーワンになれって言われて、即座に学校辞められるわけでもないっていうか……今のところ、降りかかる火の粉は払う、くらいのスタンスだな」
「じゃ、同じだね」
うれしそうに微笑むスズリ。イザは目線を逸らして、コーラのグラスに口をつけた。
「ともあれ……そういうことなら、ひとまず共闘ってことでどうだ? 協力してあのハイエルフを倒す。ふたりがかりの方が、何かと楽だろうし」
「いいよー」
ちょっと消しゴムを貸してくれ、とでも言われたような気軽さでスズリはうなずく。自分から共闘を持ちかけておきながら、イザは若干、不安になった。
(“刻印の者”を倒す、ってことは――つまり、人と同じ知性を持った相手を殺す、ってことなんだが……わかってるのか?)
アマリアの言うとおり“慣れている”のなら、手を汚した経験がないはずはない。そこで躊躇するタイプではない、ということなのだろう。とてもそうは見えないが……
「じゃ、明日から放課後は探索に出よう。相手もこっちを警戒するはずだから、必ずふたりで動く。いい?」
「うん」こくこく。
「よし」
共闘成立。さて、明日からはどんな動き方をするべきか――次の戦いに思いを馳せながら、ソファに置いたバッグを拾って立ち上がる。
同時に、スズリが座ったまま「んしょっ」とカラオケ機器に手を伸ばし、ゼロになっていたボリュームを一気に戻した。
「えっ」
顔を見合わせるふたり。
目をぱちくりとさせるイザに、スズリはきょとんと首をかしげる。
『あれ?』すでにスイッチの入っているマイクが、不思議そうな声を部屋中に響かせた。『歌っていかないの?』
†
「奴は異世界に逃げたけど、すぐ戻ってくるはずだ。あんな拠点を用意してたってことは腰を据えてこの世界の“刻印の者”を狩るつもりだったわけで……そこで、この街にふたりもいるってわかったんだからな。それに、あの手の顔はリベンジに前向きなタイプだ」
ふたりは放課後、繁華街で待ち合わせた。イザはケットシー頼りだが、スズリがどうやって探索を行うつもりなのかは聞けなかった。「言っちゃだめ、ってアマリアに言われてるの」
仕方がない。今は共闘しているとはいえ、“刻印の者”は基本的にライバル関係――手の内を見せれば、それだけ不利になる。
ふたりはリズィールの“残り香”を求めてさすらったが、芳しい反応はなかった。
「“残り香”がニャい」
繁華街を並んで歩いていると、スズリに抱かれてただのぬいぐるみのふりをしているケットシーが、ぼそっと言った。
「こっちも、ぜんぜん反応なし」
ケットシーの頭に顎を置くようにして、スズリもうなずく。
「まだこの辺には戻ってきてないってことか?」
「あるいは――」
いつになく真剣な表情で、ケットシーが推測を述べる。
「もともと奴ニャ、痕跡も残さず潜伏できる技術があったか、ニャ」
「前回の遭遇自体が、罠だった――誘い出された、っていうのか?」
右も左もわからぬ世界で闇雲に“刻印の者”を探すのではなく、あえて痕跡を残し、近づいてきたところをパクリとやる――イザは何かのカマキリを思い出した。花に擬態し、蜂が好むフェロモンを放出して誘き寄せるやつだ。
「でも、失敗したよね?」ごりごりとケットシーの頭に顎をこすりつけるスズリ。
「ふたりいっぺんに引っかかるのは想定外ニャったんニャろ」うっとうしそうに少女を見上げつつ、ケットシーは続ける。「ニャからいったん退いた。けど、イザの言うとおり、諦める類ニャア見えニャかった。ニャら、今度は――」
「“残り香”を出さずに潜伏し、罠ではなく奇襲を試みる……」
イザは、すっと目を細めた。
「そういう狙いなら、警戒してれば大丈夫だとは思うけど……それじゃ埒が明かないな。今度はこちらからおびきだす必要がある」
「おびきだす……?」
「相手はこの世界の情報インフラを把握したはずだ。繁華街で奇襲なんてかけようもんなら大騒ぎになって、他の“刻印の者”たちに情報が回る――」
実際、ヴァーミリオン世界から渡ってきた“刻印の者”が白昼堂々大立ち回りを行い、“RPGのコスプレをした男が暴れた”という話がインターネットに出回って、すぐさま駆けつけたトワイライトの“刻印の者”たちから集中攻撃を受けた――という逸話もある。
「だから相手は、こっちが人の多い場所から移動したところを狙うつもりのはずだ」
「ふんふん」
「警戒していれば、奇襲を逆手に取ることだってできる。人気のない場所に行って、奴をおびきだすぞ!」
†
「ナナセくんさぁ、スズリと人気のない場所に行ったんだって? ダイキがバイトの途中で見かけたらしいんだけどぉ~」
「…………」
こういう奇襲への警戒はしていなかった。
昼休み。イザは学生食堂の隅のテーブルで、スズリの友人たちの尋問を受けていた。
ヒサ、ユキナ、ダイキ――スズリと特に親しい“仲良しグループ”の三人だ。スズリ本人は、日直として昼休みの間に日誌を書かねばならず、教室でうんうん唸っている。
「いや、いいんだよ。いいんですよ」
腕を組み、訳知り顔でうなずきながら、ヒサ。
「スズリも年頃ですし? 男子とデートってのも、まあアリですよ。アリと思います。でもな~。人気のない場所に連れ込むのはな~。どうかな~。まだ早いんじゃないかな~」
「……」
口調うぜえ。
「スズリの選ぶことだから、口出しするつもりはないけど」
ユキナが、切れ長の瞳で、じっと見つめてくる。
「でも、あの子、ちょっとふわっとしてるから。私たちとしては、心配なんだよね」
「そういうこった」“モシクマさん”ことダイキが、重々しくうなずく。「ナナセが本気なら応援する。だけど、そうじゃないなら、ちょっと困る」
「いや」うめくイザ。「そういうんじゃなくて」
「んなら、なんじゃい」ヒサ、ぎらり。
「そういうのじゃないのに、人気のない場所に行ったの?」ユキナ、じろり。
「どういう理由があったんだ?」ダイキ、ゆらり。
「……」
なんだこの試練。
「ええっとだな……」いちおう理由は考えてあった。「違うんだよ。あの、前に生徒手帳、落としてただろ? 実は、あれ以外にも落とし物をしてたらしくて。それで、生徒手帳のあった場所にあるかもしれないってんで、こう、俺が案内をして――」
「なんか嘘くさい」ヒサ、ばっさり。
「それなら私たちに相談に来ると思う」ユキナ、じっとり。
「そもそもスズリが人気のない場所で生徒手帳を落としたってこと自体、変だよな」ダイキ、あっさり。
「……」
くそ。
どうしろってんだよ。
†
結局、昼休みの間中、延々と問い詰められた。
「はぁ……」
放課後、学校を出たイザは、例の“人気のない場所”にほど近い繁華街の片隅で、通りゆく人々を眺めながら陰鬱に嘆息していた。
「この作戦に、こんな弊害があろうとは……」
「いやはや、おまえもわりと抜けてんのニャー」
肩に担いだバッグから顔だけ出したケットシーが、にやにやとほくそ笑む。
「……おまえ、さてはこうなるって予想できてたな」
「遠からず噂になるかニャー、くらいにはニャ」
「言えよ……!」
「はーん?」とてつもなくいやらしい顔をしてくる。「あいにくニャー、人生サポートは契約の対象外になっておりますでニャー。そういうのはドゥクスに頼むといいニャー」
「すまないが、こちらもそれは契約外だ。的確な助言をできる気がしない」
一瞬だけ背後に現れたドゥクス・イリスが、きまじめに言った。
がっくり落ちるイザの肩を、ケットシーがつついてくる。
「実際、おまえさん的ニャ、あの子はどうなんニャ。悪い子じゃニャいと思うけどニャ」
「悪い子じゃない」憮然としてイザはうなずく。「けど、そういうのにうつつを抜かしてる場合じゃないだろ」
「堅いニャ~。モテニャいニャー、それはニャー」
「だから、そういうの気にしてられないんだって……」
イザは、五本の指で右頬を撫でた。
「……ああいう心配ができるってのはさ。いいことなんだよ。たぶん。平和の証っていうか……そういう余裕があるってことだろ?」
「おまえさんニャ、その余裕がニャいって?」
「ねーよ。あるわけないだろ。殺し合いやってんだぞ」
「古の戦士たちは、いつ死ぬともわからぬ身ニャからこそ愛を求めたけどニャ――ニャ?」ケットシーが、あらぬ方を見やった。「噂をすればニャんとやら」
申し訳なさそうな表情をしたスズリが、ぱたぱたと駆け寄ってくるところだった。
「ごめんね、遅れて。日誌、結局、放課後までずれこんじゃって……」
「苦手なの? ああいうの」
「うん……」スズリは、げんなりとした顔を見せた。「書くこと、思いつかなくて……昔、“今日のまとめ”を“よかったと思います”ってだけ書いたら指導室に呼び出された」
「芸能人に向かないタイプだな」イザは軽く笑った。「食レポとか言えなさそうで」
「む。そういうのはイケるよ。食べるの好きだし」
「へえ。じゃ、試してみる?」イザはバッグから大判焼きを取り出した。「はい、これ。さっきそこで買ったやつ」
「がってん!」
真剣な表情で大判焼きを受け取るスズリ。
桜色の唇を寄せ、小さくかじって、もぐもぐ咀嚼。
じっくり吟味し、考え込んでから――ふと首をかしげた。
「……あのね」
「うん」
「今の。皮だけだった」
「うん……やっぱ向いてないわ」
いやいや今度こそ、とばかり、スズリが再び口を開いたとき。
『オオォオオオオォオオオオ――』
尽きせぬ恨みと怒りに満ちた死者の怨嗟――としか思えぬ不気味な声が響いた。
「奇襲……!?」バッと周囲を見回すイザ。「まさか死霊系の召喚……!」
「あ、ごめん」スズリがわたわたと制服のポケットを漁る。「今の、私。メールの着信」
「…………」
にやつくケットシーが、うつむいて赤面を隠すイザの頭をぽんぽんと叩く。
「なんでそんな着信音にしてんだよ……」
吐息し、顔を上げると――
スズリが凍っていた。
スマートフォンの画面を見つめ、わずかに目を見開いて、微動だにせず固まっていた。
イザは、ぎくりとした。一瞬、誰かに魔法をかけられてスズリの時間が止まってしまったのではないかと本気で思った。それほどの凝固だった。
「お……おい? ミキシマさん?」
あわてて声をかけるが、スズリは茫然としたまま返事をしない。イザのなかで、嫌な予感が急速に膨れ上がった。ここで、こうくる。となると、これは――まさか。
ややあって、
「これ……」
彼女は、スマートフォンをこちらに向けた。
受け取ったときには、おおよそ予測はついていた。そうきたか――という胸の詰まるような衝撃に耐えながら、画面をのぞく。
予想どおりの文面が、そこにあった。
“ナガノ・ヒサ、カミシタ・ユキナ、コガ・ダイキを捕縛している。三十分以内に添付画像の地点まで来られたし。さもなくば三者の生命の保証はしない。 ――リズィール”
情緒のかけらもない端的な文章が、己の見通しの甘さを嘲笑っているかのように感じた。
4
「待っていたよ」
群青の者は、大仰に一礼した。
街の片隅にある、打ち捨てられた廃倉庫だ。
使われなくなって久しく、今は人目につきたくない何がしかを行う者たちの溜まり場となっている。かつては様々な物資が所狭しと置かれていたのだろうが、今や何もかも撤去されて倉庫という形骸だけが残り、物寂しさで内部を埋め尽くしている。
その奥に、リズィールはいた。芝居がかった鷹揚な笑みを浮かべて。
「よく来てくれた。この世界の礼儀にはうとくてね。せっかく送った招待状に粗相があったらどうしようかと、不安で不安で仕方がなかった」
「完璧だったよ」スズリとともに倉庫に足を踏み入れ、イザは苦々しく告げる。「行きたくて行きたくてしょうがなくなる、くそったれの招待状をどうも。で――人質はどこだ」
「ここに」
リズィールがニヤリと笑うや、その背後の空間が歪曲し、みっつの影を現した。
ヒサ、ユキナ、ダイキ――獲物に巻きついて全身の骨を砕き尽くす蛇を思わせる細長い白銀の機械に絡め取られ、ぐったりと気を失っている。
「ミキシマ・スズリ、ナナセ・イザともに十六歳。“高校”とやらの一年生」
朗々と、リズィール。
「どちらも孤児で親戚もない――この世界では変わった経歴だね。家族は刻印戦争に巻き込まれたのかな? まあ、なんでもいいがね。私が注目したのは、どうやら君たちにとって、この三人以上に親密な存在はこの世界にいないらしいということだ」
イザは己を呪った。クロームの技術力を甘く見すぎていた。相手は奇襲をもくろんでいるわけではなかった――この世界の情報インフラを解析し、こちらの素性を割り出して弱点を突くのが目的だった。
(俺の甘さが、あの三人を巻き込んだ……)
スズリが大事にしている三人。スズリを大事にしている三人。
(失わせちゃいけない)
迷いと惑いを顔に浮かべたまま唇を噛み締めているスズリの姿を横目に、イザは思う。
(そのためには……)
リズィールを見据えると、ハイエルフはいやらしい笑みを返した。
「念のため言っておくがね――無駄な抵抗はおすすめしない。あの拘束具、ああ見えて、一瞬で対象を細切れにすることが可能な代物でね。君たちが怪しい動きを見せれば、ひとりずつ人の形を失ってもらうことになる」
にこりと笑う。
「だが、安心してくれたまえ。私は彼らの生命を奪うことにためらいはないが、無駄な殺生をしたいわけではない。それは低俗な文化圏に属する者の行いだからね」
「人質を取るのが、高尚な文化人のやり方だってか?」
「君たちの文化レベルに合わせて、最も穏便な交渉方法を選んだまでさ。そして、これが重要なのだが――私は君たちの生命を奪うことにも積極的ではない」
「月面流のジョークってのは、ふわっとしててオチがないのが主流なのかね」
「本当さ。こちらとしては、アルカナさえ頂戴できればいい。そのために刻印を差し出してくれるなら、ご友人方ともども、お帰り願うつもりでいる」
「刻印を失えば、俺たちは消滅するとドゥクスに聞いてる」
理屈は不明だが、そういうことらしい。刻印を破壊されると、“刻印の者”もドゥクスも諸共に消滅する――逆に刻印を破壊されさえしなければ、何度でも再生が可能であると、イリスは語っていた。それゆえ、“刻印の者”同士の戦いは、必ずどちらかの刻印の破壊をもって決着となる。
「安心したまえ。我がクロームの技術は、刻印と人体を切り離すことに成功している。君たちは“刻印の者”でこそなくなるが、これまでどおりの生活を続けられるわけだ――悪くない話ではないかな?」
大嘘だ。ドゥクスのもたらす力は人知を超えている。いかにクロームの技術であろうと、どうにかできるとは思えない。
それに――そもそも刻印を失えば、“刻印戦争”において無力な存在となる。己の世界が滅びてゆくのを、ただ眺めることしかできないのだ。
かといって、ヒサたちを見捨てるつもりもイザにはない。最悪、最後にはそうするしかないとしても、できる限りの努力はするつもりだった。
戦うこと、殺すことが“刻印の者”のさだめだとしても――
誰かの命を大切に思う心までは、なくしたくない。
(やってみせる――)
リズィールを一撃で仕留める。方法はそれしかない。
刻印を破壊できなくとも、即死に至らしめれば、再生までの時間を稼げるはずだ。その間に、死体から刻印を探し出して破壊すれば、なんとかなる。
「……わかった」圧し殺した声を上げる。「刻印を渡せばいいんだな……」
「そうだ。どこにある?」
「ここだ」
イザは左手を挙げ、てのひらを見せた。そこに彼の刻印がある。
「ふん――トワイライトの刻印は変わった形状をしているのだな」
「で、俺はどうすればいい」
「少しこちらに寄りたまえ」
うなずいて、イザは、ざくざくと足を進めた。異様なまでの思いきりの良さに、リズィールの眉が寄る。
怪訝が疑惑に変わるまで、おそらく一瞬。
だから。
(――今だ!!)
予定地点に踏み入った瞬間、イザは心のなかで叫びを上げた。
びょうびょうと風が吹き抜けるビルの屋上で、リエルタは主の号令を受信した。
「あいよ」
膝立ちの態勢で構えていた右手の銃に、瞬時に光が収束する。
それはいつもの銃身ではなかった。より長く、より大きい。さらに太いケーブルが伸びており、リエルタの背後に位置するふたりの使い魔――ケットシーとレネゲイドの手に握られている。
充分なエネルギーが供給されたことを認識し、リエルタはトリガーを引いた。
イザが横っ飛びに転がると同時に、彼の立っていた空間を一条の光が貫いた。
光の向かう先は、無防備なリズィール。
声を上げる間もなく、糸のように細い光条がリズィールの胸元を貫通し――
爆砕した。
(どうだ……!?)
起き上がるイザ。
これが彼の狙いだった。索敵されないよう離れたところにリエルタを配置し、ケットシーとレネゲイドの魔力を注ぎ込んだ上で放つ、最大威力の狙撃――急所を撃てれば高位の使い魔であっても一撃で仕留めうる、イザにとっては最強最後の切り札だ。
ただ、遠距離で、かつ屋内のターゲットを正確に射抜く能力はリエルタにはない。
だから、自分を狙わせた。
リエルタから見て、自分とリズィールを同時に狙える位置まで移動してから、召喚者と使い魔の霊的なつながりを利用して自分の位置座標を狙撃させ――命令を下した直後、その場から逃れることで、リズィールを超遠距離から仕留める算段だ。付け焼刃の綱渡り。時間的猶予がない状態で必死に考えを巡らせ、辛うじて思いついたぎりぎりの案だった。
“刻印の者”では、この威力には耐えられまい。クロームの技術力がどれほどであろうと、この威力を防げるような装備は――
「ふ――ふはははははははは!」
大仰な高笑いが、少年の期待を戦慄へと変えた。
立っている。
笑っている。
確かに胸を撃ち抜かれたはずのリズィールが――胸に大穴を開けながら!――その場に立って、笑い声を上げている。肺もないのに!
「なに――」
「浅はかだな――性あり! だが、意外ではあった!」高らかに告げて――リズィールは、ふと驚いたような顔になった。「いや……そうか。そういうことか。この世界の医療技術では、生き物はこの程度で死ぬのか?」
イザは悟った。文化差異。心臓を破壊すれば人は死ぬだろうという、イザにとっては当然の認識が、目の前のハイエルフには通用しない。なんてことだ。“世界は広い”とよく言うが――くそっ、その“世界”がいくつもあるのでは!
「まあいい。約束だ。まずはひとりを引きちぎろう」
あっさりとした宣言に、スズリが息を呑む気配がした。イザは歯を食い縛った――どうする。どうする。使い魔たちを呼び戻して強引に戦いを始めるか。だめだ、人質が全員殺される。だが、もう手はない。やるしかない。ここで自分が死ぬわけにはいかない。
「やれ」
機械は――当たり前だが――躊躇なく命令に従った。
一瞬だった。
たった一瞬で、引きちぎられていた。
拘束具が。
すべて。
「――!? なに……!?」
がらん、がらん、がらん――ばらばらに分解された拘束具が床に落ち、虚しい悲鳴を響かせる。
茫然となるリズィールへ、
「やれやれ――」
ダイキが言った。
ただし――その姿は、すでにダイキのものではなかった。
「何が“まずはひとり”だ。全員まとめてやる気だったじゃねーか」
全身の筋肉が峻険な岩肌のごとく盛り上がり、ただでさえ大柄な体躯が一回りは大きくなっている。制服は影も形もなく消え去っており、代わりに肉体を覆うのは、深い紫紺の色合いを帯びて鱗状に硬質化した皮膚だった。
あまつさえ、山羊のそれを何倍にもねじ曲げたような禍々しい角が頭部に、白鳥のそれを厚く大きくしたような純白の翼が背中に生え、眼は深淵の闇そのものと化している。
邪悪な荘厳さ――あるいは神聖な忌まわしさとでもいうべき異形の風情を醸し出す魔人の姿がそこにあった。
『そういう作戦だったんでしょー』
ヒサが言った。
ただし、こちらもヒサの形をしていなかった。
『ひとりずつって言っておいて、みんなまとめてバッサーやって、びっくりしたところをサクッと片づけちゃおうとか、そんなアレ。要するにぜんぶ茶番なわけっしょ』
そこにいるのは、鮮やかな質感を持った、波打つ銀の塊だった。
大きさは小型のバイクほどだろうか。見た目は水銀に近いが、妙にリズミカルに揺れ動いていて、まるで、じっとしていることのできない幼子のようだ。生き物には見えないが、その動きからは明確な意志を感じざるをえない。
「けっこう悪趣味」
ユキナが言った。
ただし、やはりそれがユキナであるはずがなかった。
「そんな性格だろうってことは、見たときからわかってたけど」
他のふたりに比べれば元の姿を保っている方だったが、それでもやはり異形だった。あるいは魔性と呼ぶべきか。
全身の肌に得体の知れない紋様が浮かび上がって、淡い燐光を放つ。髪の先端から伸びた無数の光の糸が布状に織り合わさり、朱色の外套となって彼女の身を覆っていた。
「き、貴様ら……」
リズィールがよろめく。傲岸な自信に満ちていた相貌が、驚愕というよりも恐怖に近い色を帯びていた。
「何者――いや、なんなんだ!? どうやって拘束具から逃れた!?」
問いに、
「引きちぎった」魔人は悠然と答え、
『テキトーにぶった斬った!』謎の生物はふふんと答え、
「破滅の呪いで自壊させた」魔性の女はさらりと答えた。
「…………!!」
リズィールが目を見開いて絶句した。わけがわからない、という顔だった。
わけがわからないのは、イザも同じだ。
衝撃で考えがまとまらない。彼らは彼らなのか? スズリの友人だったはずの三人なのか、それともいつの間にか入れ替わっていたのか? だがなぜ? 何が――どうして?
「さて――」
魔人が一歩を踏み出した。それだけで濃密な魔力の風が吹き荒び、轟々と哭いた。
「こういう流れになっちまったが――どうする、姫」
「うん」
はちみつのとろりとこぼれるような声音が、背後で応える。
振り返り――イザは、さらなる混乱と衝撃に襲われた。
スズリがいた。それはまちがいなかった。
が、わずかな変貌を見せていた。
小さな頭に、ふさふさの毛に覆われた獣の耳が生えていたのだ。
しかし、いつもと変わらぬ風情のまま――スズリは命じた。
「やっちゃえ、皆の衆」
⇒『ロスト・レゾナンス ~LORD of VERMILION ARENA~ 前篇・その3』を読む
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