2015年11月9日(月)
※本記事は、Webノベル『ロスト・レゾナンス ~LORD of VERMILION ARENA~ 前篇・その3』です。前篇・その1を読まれていない方は、下記の記事を先にお読みください。
⇒『ロスト・レゾナンス ~LORD of VERMILION ARENA~ 前篇・その1』を読む
5
「う、あ、ぁああぁああああああッ!」
リズィールが悲鳴のごとき絶叫を上げ、カードを抜き放った。
白銀の鎧の兵士が三体出現し、異形の三者へ無言で向かう。
一体の兵士が、魔人に流線型の銃を向けた。トリガーを引いた様子もないのに、蒼白く輝く小さな光弾が無数に放たれ、魔人の肉体へと殺到する。
着弾と同時に光が弾けて華開く。繚乱と咲き誇る光華の嵐は、敵を徹底的に殺傷するために開発されたはずのものでありながら、どこか芸術的な彩りと化して躍った。
が。
「悪いなぁ」
無造作に光華を突き破り、ダイキことデュバヌティウロクゥ(その名は“いと偉大なる光輝に満つる”を表す)は悠然と歩みを進めた。
「ビームかレーザーかプラズマか知らんが――」深淵の瞳が、鏡のようにくっきりと兵士の姿を映し出す。「ただの兵器じゃ、俺の“聖域”は破れんのだ」
“不可侵の聖域”――自らより霊格の劣るものすべてを退ける領域。
本来、人間の霊格などたかが知れている。しかし、神と悪魔が神代からの永遠の闘争を続ける世界に生まれたダイキは、神魔双方と契約し相応の霊格を得るに至った身だ。神秘の霊智を捨て科学に耽溺したクロームの機械兵では、その“聖域”を打ち破りようもない。
魔人は、ゆったりとした手つきで機械の首を捻じ切った。
二体目の白銀兵は乱射と言っていい勢いで発砲を続けていたが、成果は芳しくなかった。
着弾はする。だが、それだけだ。光の華が爆ぜはしない――弾丸はすべて波打つ銀に呑み込まれ、その後の音沙汰を失っていた。
ヒサこと“久御霊”(これはあくまで彼女の認識をこの世界の象形文字に無理やりあてはめた結果であって、そもそも本来固有の言語を持たない彼女には、明確に発音できる個体名称は存在しない)は、乱射される光弾を片っ端から喰らいながら前進を続ける。
『歯ごたえがあって実に美味かな』
不定形の銀の塊が時折リズミカルな弾み具合を見せるのは、上機嫌の証である。
『でもなー。あんまり食べると、胃もたれしちゃうからなー』
どれほど弾倉に余裕があるのか(あるいはそもそも弾倉という概念が存在しないのか)延々と銃を撃ち続ける白銀兵に、銀塊はのそのそと近づいていく。
そして、
『あらよっと』
一瞬にして、巨大な筒状の機械へと姿を変えた。
白銀兵は知らない。それが、機械のように見えるだけで、実際は外見を整えただけのハリボテであることも。そのデザインは最近ヒサがお気に入りのSFアニメに登場する巨大固定ビーム砲台のそっくり模倣であることも。そんな姿に変わる意味が特にないことも。
ただ、白銀兵の人工知能は優秀だった。敵の変貌形状からなんらかの射撃攻撃を行うものと推測し、すばやく横転して射線からの逃亡を試みた。
同時に、
『ヒサ砲どっかーん!』
巨大固定ビーム砲台が背面から光の粒子を撒き散らして高速で前進、バイクレーサーのごときドリフトを決めて横っ腹から機械兵にぶち当たった。
すさまじい衝撃が機械兵の全身を襲った。真横からの激突に見えたが、その実、地面に向かって斜めに叩きつける打ち下ろしの挙動に近く、機械兵はろくに衝撃を逃すこともできずに床ごと粉砕された。
イメージに応じて自在に変化する肉体と、様々な効能を発揮するフェロモン粒子――科学技術の結晶たる機械兵も、常識外れの異生物が持つ特性の前には無力だった。
『ふふん』砲台が胸を張った。『ゾムンドン砲台は、固定ビーム砲台のように見えて、実は自身を高速で射出する移動兵器なのである』
白銀兵に、この世界のサブカルチャー方面の(ただし、そのなかでもきわめてマニアックな部類の)知識があったなら、かわせたかもしれない一撃だった。
三体目の白銀兵の射撃は、明確に功を奏していた。着弾し、炸裂し、ダメージを与え、追い込んでいた。
自分自身を。
「けっこう頑丈」
ユキナこと“朱き裁断者”は、その場を微動だにせぬままつぶやく。
弾丸は彼女の身体に触れてすらいない。銃口から射出されるや、消えるでもなくUターンを決めるでもなく、なぜか白銀兵に直撃している。白銀兵にとっては、何が起こったのか理解の予測すらできないだろう。
そういう呪いなのだから、仕方がない。
素質ある子供の霊性を改造し、杖や魔導書に代わる生体魔術端末とする技術が当たり前となった世界――その地において、内的世界に仮想術者を構築することで自立的な魔術行使さえ可能とした“朱き裁断者”は、至高の逸品の名をほしいままにしていた。ろくな魔術防護もかかっていない機械を手玉に取るなど、児戯に等しい。
攻撃がただの自傷行為になると悟ってすら、止めることができない。魔性の呪縛に囚われた今、白銀兵はもはや、自分を破壊し尽くすまで銃弾を撃ち続けることしかできないのだ。
白銀兵の装甲は自身の攻撃ですら容易に破壊しえないほどの頑強さを誇っている。動きが止まるのは、いつになるやらわかったものではない。
あるいは、ユキナが手を下せば、すぐにでもこの地獄が終わるのかもしれないが――
「悪いけど」肩をすくめて、ユキナは歩き出す。「破壊の術はレパートリーにない」
そのまま、あっさりと白銀兵の脇を通り過ぎていく。
真の標的を視界から失ってなお、白銀兵の――自分への――射撃は止むことはなかった。
「これはどういうことだ、姉妹」
ドゥクス・イリスの声がして、イザは我に返った。
いつの間にか現れていたイリスが、やはりいつの間にか現れていたドゥクス・アマリアに怪訝げな顔を向けていた。
「彼らはスズリの友人ではなかったのか?」
「もちろん、みんなスズリの友達よ。ね?」
「うん……」
アマリアがにっこりと笑うと、かたわらのスズリが困ったような顔でうなずく。
「だが、あれは――」白銀の兵士たちを圧倒する異形の三者を見て、イリスは眉をひそめる。「この世界の存在ではない。使い魔ではないのか?」
「使い魔が友達じゃいけないってこと、ないでしょ?」
「まさか」
イザは、思わず声を上げた。
「あいつら……召喚済みの状態で、姿を変えて、学校に通ってたのか?」
「うん」
スズリは申し訳なさそうに首肯した。獣の耳が、しんなりと垂れ下がる。
「ごめんね、黙ってて。でも、みんな、言わない方がいいって言うから……」
「共闘関係であっても“刻印の者”同士の前提が敵対関係であることに違いはない。その点について、君を責められる道理はない」
言いながら、イリスはイザを見やる。
「ただ、今後も共闘関係を続ける意志があるなら、少なくとも我が主が納得しうる程度の事情説明を設けてもらいたいところだな」
「こうなった以上、しょうがないわね。言ってしまっていいんじゃない、スズリ」
悪びれもせずに言って、スズリの肩を叩くアマリア。
イザはスズリを見た。
スズリもイザを見た。
すべてが理解を超えすぎていて未だ茫然としたままのイザに、スズリは、親にいたずらを叱られる直前の幼子のような瞳を向けていた。
「実はね……」
おずおずと口を開き――告げる。意を決して。
「私――実は――ふつうの人間じゃなくて、獣人なの!」
「いや」
イザはうめいた。
「見りゃわかるから。それは。知りたいのそこじゃないから」
「あれ?」
どうやら。
これまで見てきたスズリの性格が演技の類でなかったことは、まちがいないらしい。
(どういうことだ……なんなのだ、これは!)
リズィールの脳裏は、イザと同じ疑問に満たされていた。
理屈はわかる。“刻印の者”ミキシマ・スズリの友人と思っていた三人が、実は彼女の召喚していた使い魔であり――冗談ではないレベルの力を秘めた存在であり――そして今、リズィールの攻撃に対し、真の姿をあらわにしたのだと。
理屈はわかる。が、意味がわからない。リズィールの調べたところ、彼らは本当に普通に学校に通っていた。怪しいそぶりはひとつとしてなかった。なじんでいた。きちんと授業を受け、宿題をこなし、部活動もやればアルバイトもしていた。ただ召喚済みの使い魔を一般人に偽装するだけなら、そこまでする必要はない。本気で学校に通っていたとしか思えない。そんなことをする意味がわからない!
しかし、意味がわかろうがわかるまいが、現状の窮地に変わりはない。
召喚した機械兵はいずれも下され、異形の三者がゆっくりと歩み寄ってくる。恐怖と戦慄がリズィールの脳を焦がした。この世界の常識の範疇をはるかに超えた技術を使いこなすリズィールから見てすら、この三者は異様であり異質であり異常であり異形だった。身体が震える――心が凍える。とにかく怖くて仕方がなかった。
とにかくわけがわからないがとにかくとんでもなく強い存在を前にして、怖くならないはずがない。我知らず、がたがたと奥歯が鳴っていた。
性差を超越し、生の呪縛のほとんどを克服したハイエルフにとって、生の感情というのは忘れて久しい。誇らしいことではあったが、同時に物寂しさを覚えぬでもない。だからリズィールは、あえて大仰な振る舞いをすることで、失いかけた感情の味わいを楽しむのを好んでいたが――奥歯を鳴らす恐怖は、そんな貴族的趣向を根本から打ち砕く生々しさに満ちていた。それが超越種たるハイエルフの誇りを穢しているようで、耐えがたいまでの怒りと屈辱が押し寄せては胸を焼き焦がした。だが、屈辱を覚えたという事実すらが、ハイエルフの尊厳を踏みにじるのだ。精神に糞便を塗りたくられるに等しい汚辱が永遠に連鎖するという苦痛は、リズィールの理性を一瞬で瓦解に追い込んでいた。
「く、くそっ!」
必死の手つきで新たなカードを取り出す。禁忌。禁断。そんな言葉が脳裏をかすめたが、もはやその概念について考えることさえハイエルフには不可能だった。
「来いッ!!」
呼び声に応え、それは姿を現した。
ずしん――あまりの重さに、大地が揺れる。
いや、本当にそうだろうか。
揺れたのではなく、震えたのではないか。
重さゆえではなく、恐怖ゆえではないか。
イザから見ると、それはまるで山だった。本当の山のように大きいわけではない――今のダイキより、やや上背があるくらいでしかない。だが、山だった。ずんぐりとした人型の体躯を覆う、黒みがかった銀の装甲。その各所に走る、おぼろめいた蒼の輝き。リズィールが召喚したクロームの兵たちに似ているようで、根本的に違う。もっと未知で――(機械でありながら獣めいてもいる)――もっとおぞましく――(見ているだけで肺が縮んで潰れそうになる)――もっと異質で――(脳が理解を妨げている……心を守るために)――そして何より、もっと魔的にして虚無的だった――(なぜ平伏したくなるのだろう!)
山だ。立ちはだかる山。乗り越えられぬ山。ただそこにいるというだけで人の心をくじく――そういう存在なのだと、直感を強いられた。
「とんでもないのを呼びやがったな」神妙な顔つきでダイキが言った。「神とか悪魔とか、そういう概念とまったく関係ない方向にやばいぞ、ありゃ」
「よくわかっているじゃないか――」
リズィールが笑った。引きつった笑顔だった。
「これなるはバルログ。我らハイエルフにさえなにがなんだかわからない、次元の彼方からの来訪者! “耄碌した猿が見て死ぬ悪夢”の具現化じみた代物だ! しかもここにいるのは、そのなかですら特異種だ! こんなものを――ええい、くそッ――こんなわけのわからんものを呼ばせおって! もはや死ねるとさえ思うなッ!!」
狂乱するリズィールの意思に応えて、バルログが低く唸った。両手に、蒼白く輝く巨大な光の刃が燈る。イザは命を刈り取る死神を連想したが、死神の方がよほど慈悲深い存在だと言えるのかもしれない。死なせてくれるという意味では。
「まずい……!」
イザは心でイリスを呼んだ。心得たドゥクスが異界から魔剣を運んでくる。使い慣れた得物を手にした瞬間、果たしてなんの意味があるだろう、という冷静な疑問が脳裏をよぎった。あんな代物を相手に、こんなちっぽけな魔剣が通じるはずもない――
「大丈夫」
包み込むような温もりに襲われ、びくりとなる。
振り向くと、スズリが、小さな両手でイザの右手を優しく挟んでいた。
それだけで、内心の動揺がぴたりと止んだ。まるで右手を通して鎮静剤を流し込まれたかのようだった。
唖然となるイザに、スズリはしっかりとうなずいてみせた。
「勝てるから」
6
重い金属音を立てながら、バルログがゆっくりと歩を進めてくる。
ただそれだけで、世界が軋む。悲鳴を上げる。原子のすべてが恐慌に駆られていた。“存在する”という原理にもとづく以上、決して逃れられない根源的畏怖――それはありとあらゆるものを脅かす。意志のあるなしに関わらず。
並び立つ三人の使い魔とて、例外ではない。彼らはそれぞれの世界に由来する力でもって、湧き上がる畏怖をどうにか抑え、その場から逃げ出さずにすんでいた。
「三人で、ってのは久々だな」
『じゃないと勝てそうにない相手だしねぇ』
「あんまり無茶しないようにしないとね。スズリの体力が持たないから」
うなずき合う使い魔たちに、バルログがこの世のものとは思われないほど激烈に歪みきった咆哮を上げた。
「私ね……もともと、ライズ世界によく似た、獣人の世界にいたの」
「ただ、ライズと違って、戦乱とかそういうのはなくって……すごく平和なとこだった」
「だから、戦える人なんてあんまりいなくって……“刻印戦争”が始まっても、みんなおたおたしちゃって。すぐに他の世界の“刻印の者”に目をつけられて、集中攻撃を受けるようになったの」
「それでもみんな、がんばって戦った。私もアマリアに刻印をもらって、ダイキたちに出会って……世界を守ろうとして、戦ってた」
「でも、だめだった」
「たくさんの“刻印の者”がやられて……アルカナを奪い尽くされて――」
「私の世界――滅んじゃったの」
ダイキはおそれを噛み殺し、バルログ特異種へと吶喊していった。
「ぉぉおおおぉおおおおッ!」
迎え撃って振り下ろされる、双の光刃。バルログの両手首を下から押さえ、どうにか刃の餌食となる運命から逃れる。構わず、バルログが両手を押し込んできた。凄まじい剛力が圧しかかり、ダイキの顔が強烈に歪む。少しでも気を抜けば、その瞬間に押し潰される。限界以上の力を維持するという過酷きわまる試練に耐えながら“不可侵の聖域”を展開したが、なんの変化も生じなかった。
(俺の世界が潰されたときと……同じかっ……!)
ダイキが神魔と契約したのは、“刻印戦争”の存在を知ったからだった。異世界から数多の“刻印の者”が現れて、ダイキの世界の“刻印の者”を殺していった。その果てに待つのは世界自体の滅亡であると知ったダイキは、争う神魔に調停を持ちかけ、彼らの力を借り受けて、異世界からの来訪者に挑んだのだ。
結果は惨敗だった。神だ魔だと言っても、しょせんは一世界の存在にすぎない。召喚された敵には、ダイキ以上の霊格を持つ異世界の神も魔もいれば、霊的素養をいっさい持たぬのに、未知の力でこちらの“聖域”を無効化するような者さえいた。
手も足も出せぬまま――世界は、ダイキの目の前で滅び去った。
“刻印の者”のような異世界移動能力を持たぬダイキもまた、諸共に滅びるしかなかった。己の世界のすべての力を結集してなお、どうにもできないという絶望にまみれながら――
『とおりゃあーっ!』
底抜けに元気な雄叫びとともに、横合いからぶっ跳んできた銀色の塊がバルログを直撃、その巨体をわずかに揺らがせた。瞬間、ダイキはカッと眼を見開いて、「――ぉおおぉおおおおおッ!」渾身の力と培った技術とを駆使し、体勢の崩れたバルログを横に投げ飛ばした。
『厄介な相手だねー』ひょこん、と隣に寄ってきた銀塊が言う。『ただの機械だったら、ダイキの“聖域”で一発なのにさ』
「あいつにゃ、霊的な力はなさそうだ。ただ、それ以外の何かがあって、どうもそいつは俺の霊格なんざメじゃない力を持ってるらしい」
ダイキは、苦笑しながら腕を回した。
あのときと同じだ。自分の力の通じぬ相手。
しかし、今の彼に絶望はない。仕方がない――そういうこともあるだろう。その程度の感慨しかなかった。
(今の俺は、スズリの手札だからな)
死したダイキの力と記憶が刻まれたカード――“刻印の者”の命令に逆らえず、戦い続けることを強制される駒。それが自分だ。世界の命運を一身に背負っていたあの頃とは違う。平たく言えば気楽な立場だ。そう思えるようになるまでに、多くの葛藤を乗り越えねばならなかったが――
思えば、似た境遇の仲間がいたからこそ、今の心境に達することができたのだろう。
ヒサと、ユキナと――そして何より、スズリが自分を呼び出してくれたからこそ。
「みんな、いっしょに戦ってくれたの。ダイキも、ヒサも、ユキナも……」
「最初はね。いろいろあったけど。でも、いっぱい敵が来てて、とにかく戦うしかなくって……そのうちだんだん、お互いのこともわかってきて」
「でも、負けちゃった。みんながんばってくれたんだけど、私の力が追いつかなくて……世界が滅ぼされるのを、止められなかった」
「私だけなの。生き延びたのは。世界が滅びる前に、アマリアがトワイライトに送ってくれたから――でも、私の世界に生きてた人は、みんないっしょに消えちゃった……」
「なにもかも、なくなっちゃったの。故郷も。家族も。友達も。私が救えなかったから。私だけ、取り残されて……私だけ生き延びたって、なんの意味もなかったのに」
「生きる目的とか、生きる理由とか……そういうの、ぜんぶ、なくなって――」
「だから……私、ここで生きることにしたの。ダイキや、ヒサや、ユキナといっしょに」
「なにもないから……もう一度、がんばろうって、思ったの」
『とりあえずー、これとか!』
ヒサは身体の一部を針状に変形させ、バルログめがけて高速連射を開始した。
ただの針ではない。鋼鉄の装甲など容易に貫通する威力に加え、魔法障壁の類を無効化する“粒子”をまとっている。対抗手段は、“とにかくかわす”ことだけだ。
バルログの図体では避けることもかなわず、全身を串刺しにされる――はずだったが。
バルログが異形の咆哮を放つと、眼前に蒼白く光る幕が発生――その幕に突き刺さるや否や、無数の針は音も立てずに消滅していった。
『げっ』うめくヒサ。『次元そのものを切り離したぁ!?』
無茶苦茶だ。空間のつながりそのものを断ち切る次元障壁。それに呑み込まれたものは、なんであろうと、どこでもないところへ行くしかない。
「遠隔攻撃が通じないのか」ダイキが太い眉をひそめた。「厳しいな」
『んーっと』ヒサは、そっと後ずさる。『せんせー、お願いしまーす!』
「はいはい」嘆息しながら、ユキナが前に出た。「うまく行くかは、わからないからね」
彼女の全身に刻まれた魔術紋章が、一際強い光を放つ。あらたな術を放つべく、周囲の魔力を吸収しているのだ。そのさまを、ヒサはわくわくして見守った。
“刻印戦争”――そのあらゆる並行世界を巻き込む戦いにおいて、最強の切り札など存在しない。なにせ、文化も特性も技術も異なる者同士のぶつかり合いだ。己の世界では最強を誇っていた力が、他の世界の住人にはまるで通用しないことさえざらにある。正直言って、ヒサはそれが楽しくてたまらない。正確には、力を合わせてそれを乗り越えるのが。
生前は違った。争いにも文明にもまるで興味を持たず、人間たちから謎の生命体と恐れられながら、自由気ままに生きていた。適当に獲物を喰って、適当に寝て、適当に日向ぼっこでもしていられれば満足だった。
なんて思っていたら、世界が滅びた。
ヒサがぼーっとしている間に“刻印戦争”が始まり、“刻印の者”がことごとく打ち倒され、アルカナが枯渇して世界が滅亡――当然ヒサも死んでしまった。さくっと。
その後ヒサはカードに刻まれ、スズリに召喚された。“刻印の者”の命令には逆らえない。ぶーぶー不満を口にしながら、不承不承、力を合わせて戦った。自由に生きてきた彼女にとって、誰かと共にがんばるというのは初めてのことであり、そのうち、あれ、なんかこれ、けっこういいかも――などと思うようになった。
たぶん、召喚主がスズリだったからだろう。そして、仲間がダイキで、ユキナだったからだ。そうでなかったら、こんなに楽しくはなかったに違いない。何もかも違いすぎる自分たちが、何もかも違う相手と戦うために力を合わせるのでなかったら。
ヒサは自堕落の汚名を返上し、がんばって戦った。そして、負けた。スズリをやられはしなかったが、彼女の世界を救えなかった。
トワイライトに流れ着いたスズリは、新しい生活を始めよう、と提案した。すべてを失った彼女が絶望するんじゃないかと思っていたヒサは、正直驚いて――すぐに気づいた。スズリがそう言い出したのは、自分たちがいたからだ。彼女ひとりではなく、世界滅亡の寸前までいっしょに戦ってきたヒサたちがそばにいるから――だからスズリは、みんなで新しい生活を始めようと言ってくれたのだ。
もちろん、まったく異存はない。時折現れる“刻印の者”と戦いながら送る新たな生活を、ヒサは思いのほか気に入っていた。
この新天地に漫画やアニメやゲームという何やらとてつもなく面白そうなコンテンツが転がっていたことも、今の生活を気に入る理由のひとつだった。
「ここ、ウチの世界とぜんぜん違うから……慣れるのに時間かかったけど。ヒサの粒子のおかげで戸籍とかはごまかせたし、使ってる言葉もかなり似てたから、教科書もなんとか読めたし……」
「ダイキたちもね、けっこう楽しんでるみたいなの。ダイキは、ヒサの粒子に頼りっぱなしは良くない、ってバイトを始めたし……ヒサは、漫画が好きになったみたいだし……ユキナは、部活が思ったより面白いって。そう言ってる」
「だから……学校に行ってるのは、ほんとに本気なの。偽装とか作戦とか、そういうのじゃないの。みんなで新しい生活をしたいねって……ほんと、それだけ。それだけでいいの」
バルログの猛攻をダイキとヒサが半ば体当たりで食い止めている間に、ユキナは魔術の準備を進めていた。
(普通の術じゃ、効果はない……)
内的世界に形成する仮想術者を六体まで拡張。六芒星を作って魔力を制御し、さらに仮想星陣を配置して星辰を固定。自分の内側だけで星術儀式を開始する。
ユキナの世界の特徴たる生体魔術端末は、この世界のコンピュータに相当する代物だ。生きた人間を改造し、道具とすることで、より効率的に魔術を行使する。そして、“朱き裁断者”は、例えるならスーパーコンピュータに等しい性能の持ち主だった。
とはいえ、道具は道具――使われる存在に過ぎなかった。“刻印戦争”に巻き込まれ、アルカナの枯渇が問題となってなお、保身のため互いに争い合っていた愚かな魔術師たちの道具。愚にもつかない連中に酷使されるのは、ユキナにとってこれ以上ないほどの屈辱だった。結局どうにもならずに世界が滅び、ざまあみろ、と思いながら彼女も死んだ。
(あの頃に比べれば、今は天国みたいなものだからね)
カードと化したことで、また道具として扱われることになるとげんなりしていたが――
まさか、普通の人間のように学校へ通ったり、部活に精を出したり、くだらない世間話で友達と盛り上がったりできるようになるなんて、思ってもみなかった。
スズリが“刻印の者”である以上戦いは避けられないが、それすらかつてに比べればはるかにマシだった。なにせ、仲間を捨て駒にして術を使わなくてもいいのだ。
(この充実を手放したくなんてない)
心からの願いとともに、ユキナは完成した術を解き放つ。
倒れたダイキを踏みつけ、光の刃を振り下ろそうとしていたバルログ――その内部に干渉。ありったけの魔力で高速熟成させた儀式魔術を、どろりと流し込んでいく。
バルログが、びくりと震えた。全身の装甲が小刻みな蠕動を始めたかと思うと、空間そのものを握り潰したような歪んだうめきがほとばしる。黒ずんだ銀の装甲に走る蒼い輝きが戸惑うような明滅を繰り返し、装甲の内側からどぼどぼとこぼれ落ちていく。まるで、沸騰しきった湯が鍋から噴きこぼれていくかのようだった。呼応して、バルログに感じていた畏怖の念が薄れゆくのに気づき、ユキナは叫んだ。
「今よ!」『アイサー!』
ヒサが応えた。例の意味不明な大砲姿となって、粒子を振りまきながら自分の身体を横薙ぎに走らせる。空を裂いて唸る砲塔にぶん殴られたバルログが痙攣とともによろけた。
「ぬぅあああぁああああぁぁああぁあッ!」
その隙をついて、ダイキが吼えた。身体の前面が“不可侵の聖域”をまとう。すると、彼を踏みつけていたバルログの足が、地雷でも踏んだかのように弾き上げられた。バルログの何かが乱れたことで、ダイキの“聖域”が効果を発揮し始めたのだ。
装甲に覆われた身体が傾ぐ。体勢を立て直すこともできず、そのまま仰向けにひっくり返りそうになるバルログの懐へ、起き上がったダイキが電光石火の勢いで飛び込んだ。
「――っはァッ!!」
咆哮。踏み込み。一閃。直撃。
神魔の力を宿した貫手が胸部装甲を突き破り、ぞぶりとバルログの体内に叩き込まれる。
ダイキはそのまま、手に“不可侵の聖域”を形成した。
“不可侵の聖域”が体内に生じるということは、元から存在するものが退かねばならぬ道理であり、つまりそれは絶対的な“侵略”にほかならず――
結果。
銀の巨体は、内側から弾け飛ぶようにして爆ぜ散った。
微塵に爆裂四散した機械装甲が、重い雨となって降り注ぐ。無数の破片が倉庫の床をでたらめに跳ね回るかまびすしい騒音は、地獄の亡者の悲鳴を思わせた。
装甲の内側には何もなかった。恐るべき重量に反して、完全なるがらんどうの肉体――あるいは詰まっていたのは、噴きこぼれきっていつの間にか消えたあの蒼い光だったのかもしれない。
「ま、三対一ならこんなもんか」
手首を回しながら、魔人が言う。
『ふはー、なんとかなりましたなー。けど、実際、何をどうやったわけ?』
不思議げに身体を傾けるヒサに、ユキナは肩をすくめて応えた。
「知ってる禁呪を片っ端から流し込んでみたんだけど。どれかが効いてくれたみたい」
そして、最後の敵に視線を向ける。
群青の鎧のハイエルフは、完全に茫然自失していた。バルログ特異種――その切り札を破られるとは思ってもいなかったのか。クロームの技術を誇るハイエルフにとって、そのクロームですら解析不能だった存在を撃破されたという事実は、認めがたいことなのかもしれない。
(気持ちはわからないでもないけどね)
ユキナとて、共に召喚されたヒサが魔法無効化粒子などというきわめて大雑把かつとんでもなく凶悪無比な代物を生成してみせたときは、正直、心が折れかけたものだ。
昔の自分の青さに苦笑しながら、ユキナは次の魔術を解き放つ。
立ち尽くすリズィールのスーツに干渉。クロームのプロテクトコードを魔術で突破し、命令者を誤認させる。袖口に仕込まれた虹色の鞭を引きずり出したところでリズィールがハッとなったが、もう遅い。鞭がしっかり絡みつく。胴に。首に。
「や――やめ」
引きちぎる。
首、胴、腕、腹――虹色の鞭に巻きつかれた部位が一瞬で切断され、リズィールはバラバラに解体されて床に転がった。
悲鳴を上げることさえできず――リズィールの肉体は、ゆっくりと消滅を迎えていった。身体のどこかにあった刻印を断たれたのだろう。
「そのプロテクト、魔術防護も付与しておくべきだったね」
手向けの言葉を投げはした。が。
クロームの人間にとっては酷な要求だろうと、我ながら思いもした。
ハイエルフのあらゆる手札が打ち砕かれるさまを、イザは息を呑んで見つめていた。
(なんて力だ……しかも、あんなの見たことも聞いたこともない)
まったく――本当に、なんてことなのだ。“広い世界”が“無数にある”というのは。“上には上がある”というより、“横には横がある”という感じだった。
「……あの、ナナセくん」
遠慮がちにスズリが呼んでくる。振り向くと、まだ耳がしおれていた。
「みんなのこと言ってなくって、ほんとにごめんね。やっぱり言った方がいいかな、って、すっごく悩んだんだけど……」
「あ、いや……」
戦いが終わった安堵のあまり、イザは思わず頬を撫でていた。
「いいって。“刻印の者”なら当たり前だし。俺だって、持ってる手札の全部をそっちに見せたわけじゃないからさ。驚きはしたけど――」
言いかけたところで、
「あう」
突如、スズリがよろけた。後ろに倒れ込みそうになったところを、控えていたドゥクス・アマリアがやんわりと支える。
「ど――どうした? 大丈夫か?」ぎょっとなって問いかけると、
「ごめん……」地獄から響くような、どろりとよどんだ声音が返った。「つかれた」
「あー、悪いなぁ、姫」
苦笑の響きが降りかかる。
ダイキたちが揃ってこちらに歩み寄ってきていた。いずれも平常の姿に戻っている。いや――彼らにとってはあれこそが本来の姿で、この“ただの高校生”の姿は、なんらかの手段で偽装したものなのだが。
「俺たちの力が異質すぎるもんだから」困ったように、ダイキ。「がんばりすぎると、姫の体力じゃ耐えられなくてさ」
「だから、なるべく本性出したくなかったんだけどねー」やれやれとばかり、ヒサ。「めんどいし」
「そんなわけで」さらりとユキナ。「私たちがついてるからって、楽勝ってわけにはいかないの」
イザは得心した。これほどの力を持つ使い魔がいるなら、自分と共闘する理由などないのでは――と思っていたが、戦うたびに強い負担を強いられる彼女にとっては、援護してくれる味方の存在はありがたいものなのだろう。
「スズリは、ただこの世界で平穏に生きていきたいだけなの」
受け止めた少女の頭を優しく撫でながら、アマリアが微笑む。
「“降りかかる火の粉を払うために戦う”――あなたのスタンスと違いはないわ、イザくん。だから、これからも、スズリといっしょに戦ってくれないかしら」
イザの隣で、イリスが怪訝げに眉をひそめた。姉妹――“刻印の者”を導くドゥクスとして、今の言葉に何か引っかかるところがあったのか。
(まあ、それは後で訊けばいい)
今は――相変わらずすまなそうな顔で見上げてきているスズリに答えを返すのが先だ。
軽く頬を撫でてから、イザは告げた。
「わかったよ。こっちとしても、これだけ強い連中といっしょに戦えるなら、安心ってもんだ。とりあえず――高校を卒業するまでは共闘、ってことでどう?」
「……うん」スズリが、じんわりと顔を輝かせてはにかんだ。「ありがとう」
「そうと決まれば!」くるりと回転しながら、ヒサが間に割り込んでくる。「打ち上げ兼これからもよろしく的な意味でパーティしよう! パーティ!」
「じゃ、カラオケかな」ダイキが慣れた手つきでスマートフォンを操作する。「いちおう予約入れとくわ。俺、会員入ってるから。えーっと、人数は五人でいいか?」
「そうね。ドゥクスには姿を隠してもらえばいいし」ユキナが、ちらりと視線を送ってくる。「ナナセくんも、来るでしょ?」
「ちょっと遅れていくよ」イザはうなずいた。「大丈夫だと思うけど、念のため、この倉庫を調べてから行く。ヤバい罠とか残ってたら、あとあと問題だしな」
「そっか。んじゃ、お願い!」「悪いな、頼む」「じゃ、またあとで」
あれだけの異様な戦いを演じた後とは思えない、高校生そのものの気軽なあいさつを残して、彼らは倉庫を出ていった。
平然とした風ではあるが、へとへとになったスズリを早く休ませてやろうという気遣いが如実ににじみ出ていた。
(ただの使い魔……ただの手札じゃない、ってことか)
不思議な感慨を覚えながら、イザは結局抜くことのなかった魔剣に視線を落とした。
刹那。
「――かぁッ!!」
消滅したはずのリズィールの生首が、突如イザの頭上から降り落ちて牙を剥き――
緋色の一閃に迎え撃たれた。
驚愕に見開かれたリズィールの瞳が、見上げるイザの炯々たる瞳を映し出す。
なぜ、とリズィールの瞳は問うていた。
なぜ――頭上からの不意打ちを受けながら、即座に魔剣を真上に抜き撃つことができたのか、と。
問うたまま、自ら剣閃に飛び込む形となった。
「――が」
緋色の刃は、ハイエルフの頭部を鮮やかに両断した。愕然としたまま分かたれた相貌が、少年の左右に落ちてゆく。すれ違う瞬間、顎下から斬り裂かれた衝撃でめくれあがった舌裏に、断たれた刻印の明滅がちらりとのぞいた。
ごしゃり。頭部が床に激突。直後、なめらかな断面から黄金色の炎が発し、目を見開いたまま絶命したリズィールの肉を焼き尽くしていく。
「あの三人がいなくなるのを待っての最後っ屁か――舐められたもんだ」
つぶやいて、イザは虚空を薙ぎ払う。剣にこぼれた血脂がボッと燃え、見る間に痕跡もなく焼失した。
そのまま、鋭く無造作に背後へ剣を繰り出す。ぢぃんッ、という高らかな響きが起こった。イリスが差し出していた鞘に刀身が納まった音だった。
「刻印は断たれた」淡然と、イリス。「今度こそ完全に消滅したはずだ。ドゥクス諸共な」
「結局、出てこなかったな。あいつのドゥクスは」
「出るに出られなかったのだろう。ドゥクスが生きているということは、刻印の健在を意味する。ならば“刻印の者”も滅びてはいない、とわかってしまう」
「刻印の力で蘇生したっていうより、首だけになっても生きてたって感じだったけどな。ったく、どうなってんだよ、あの世界は……」
「今度はさすがに警戒していたか?」
「常識で物を考えて、失敗したばかりだからな。消滅したように見せかけたのも、クロームの機械の“演出”なんじゃないのか……くらいにゃ、疑ってたさ」
「失敗から学んだのなら、良い経験になったと言えるだろう。それより――」
背中を向けたままのイザに、イリスは神妙な表情で告げる。
「あの娘……スズリ。あれほど強力な使い魔を三体も従えているとは、尋常ではない」
「だな。ひょっとすると――」
軽く指先で頬を撫で――イザは、ゆっくりと振り返る。
「何か、関係があるのかもな。俺がこの街に来た理由と――」
つぶやく少年の両頬には、黄金色に輝く光の筋が浮かび上がっていた。
幾条も。
――後篇に続く
※後篇は、今冬公開予定です。お楽しみに!
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