2017年3月4日(土)
電撃PSで連載している高橋慶太氏のコラム『電撃ゲームとか通信。』。ゲームデザイナーとしての日常や、ゲーム開発にまつわるエピソードを毎号掲載しています。
高橋慶太氏PROFILE
バンダイナムコゲームス(現BNE)時代に『塊魂』、『のびのびBOY』を制作。その後『Tenya Wanya Teens』を発表。現在は新作『Wattam』と、GoogleのARプロジェクト“Tango”向けに『WOORLD』を開発中。
この記事では、電撃PS Vol.633(2017年2月23日発売号)のコラムを全文掲載!
どうも。ここアメリカではイスラム圏7カ国出身者や難民の入国を90日間禁止という大統領令の波紋が広がりまくってます。前回のコラムでは就任翌日にアメリカ全土で行われた女性によるデモ行進のことに触れたけど、今回はアメリカ各地の国際空港でこの大統領令に抗議するためのデモが行われました。これの目的は入国管理制度を強化するためらしいんだけど、どういう形で強化されるのか心配ですね。手続きがより面倒になるのは必須かと。
と、ここで自分の知見の狭さを披露。2009年からテロ対策の一環として、アメリカに入国する前に“ESTA”という電子渡航認証システムに登録申請する必要がありました。パスポートの情報を入力するくらいだけだったと思うけど、『塊魂』をリリースした2004年にGDCのために来た時はそんな仕組みなかったと思うので「こんな面倒な事をしないといけなくなったんだー」と思ったのを覚えてます。しかも有料なんですよね。
で、このESTAの話をインド出身の友人に話したところ、全然知らないと。え?あれ?なんで?インドからアメリカに入国するのにはああいう手続き要らないの?いやいや、そもそもインドからアメリカに行くには期間はどうあれビザが必要なんだよ、と言うのです。だからESTAみたいなのは無いと。これを聞いた時は、日本人の平和ボケというか世間知らず感を露呈してしまったーという思いでいっぱいでしたね。
確かにESTAのページには渡航ビザを持たない人向けの渡航認証システムとあるのです。日米の関係性のおかげなのか知らないけど、日本人が他の国に比べてアメリカに行きやすくなってるのは事実のようです。今回の大統領令後の入管制度強化以降も、その関係性が継続されるかどうかはわかりませんが、今回の90日間の入国禁止令は少なからずゲーム業界にも影響を与えている模様。
それは何かと言うとGDC。毎年春にサンフランシスコで開催されるGame Developers Conferenceです。海外未経験者である自分も10年以上前にわざわざやってきたくらいのイベントなので、当然日本以外の国から多くの人がやってきます。今年のGDCは2月末に始まる訳で、完全にその90日間の禁止期間内に入るのです。
と、ここまで書いたところでどうやら連邦地裁で今回の大統領令が違憲であると判断されたようで、現在全米では司法判断として禁止令が一時的に停止された模様。しかし実際の現場は相当混乱しているようで、以前コラムで登場したAliceの旦那の同僚の奥さんが、母国であるイギリスに帰国中に切れたアメリカビザを更新することが出来ず、アメリカに戻れなくて困ってるという話を今日聞きました。しかもその方は、イスラム教徒でもなく、白人であるとのこと。なんだかめちゃくちゃですよ。
話題は戻ってGDC。そのめちゃくちゃな禁止令のおかげで、イスラム圏7カ国からGDCに来てゲームを披露しようとしていたけど断念せざるを得ない人たちも当然いると思われます。そういう人たちのゲームを、他のパブリッシャーやデベロッパーが自分たちのGDCブースで彼らの展示する、という協力的な動きもあるのです。正直GDCにはあまり興味はないけど、開発者同士が国の垣根を超えて協力し合えるのって素敵、、、
なんてこの問題を他人事のように書いてるけど、自分もアメリカ国籍じゃなくアメリカに住んでいます。日本国籍とはいえ、全くもって油断できません。去年秋に申請したアメリカ永住権が無事に発行されるかどうか、ヒヤヒヤものです。通常申請から1年くらい時間がかかるらしく『Wattam』の追い込み時期と重なって色々トラブルが起きたら相当面倒臭いことになるかも。その時期に日本に帰らないといけないことになったら最悪です。
話は若干逸れるけど、日本に帰りたくはない事もないです。だけど、こっちの日本町にある紀伊国屋とかニジヤという日本スーパーに行くたびに、まー帰らなくてもいっか、と思っちゃう。払ってきた年金(今は未払い)とかどうなるんだろうとか思うけど、今日本に帰っても仕事ないですし。中村雅哉会長がいないバンダイナムコに戻ることはあり得ないし、それはあっち側も同じく思ってることでしょう。
中村さんとは個人的におつきあいがあったわけではなく、こっちは単なる平社員だったので当然雲の上の存在。1年に1回どこかで見ることができたらラッキーくらいの存在でした。11年間ナムコに勤めてたけど、1番接近できたのはデジタルハリウッドのナムコ校で『塊魂』のプロトタイプをつくってた時にたまたま授業の様子を見に来てた時だと思います。
中村の“子”でナム子なんですか? と新人時代に人事の先輩に聞いたこともよく覚えてます。実際は中村製作所の英語表記である Nakamura Amusement Machine Manufacturing Companyの頭文字 。ここで正式表記をネットで調べた時に発覚した豆知識。あのnamcoロゴの縦横比がおよそ1:7.65なんです。こういうの良いですよね、本当に。
中村会長とは直接話すことはなかったけど、念願叶って『みんな大好き塊魂』のパッケージ写真(namco本社前で撮影したもの)にて参加してもらうことができました。王子の隣にいるのが中村会長。namcoにしか出来ないパッケージデザイン、というコンセプトをもとにああいうものになったんだけど、途中めげずにやり遂げられて本当に良かったと思います。社内の調整など、当時のプロデューサーの原さん無しには実現できなかったアイディアです。ゲーム業界にはほとんど友達いないけど、多くの人に支えられていることを思い出させるエピソードの1つ。
今のアメリカ大統領も彼の人生が彼1人だけでつくられたものではないことを思い出せれば、少しは謙虚になれるのではないかと思うんだけど。
(C) Keita Takahashi
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