2017年9月3日(日)
“CEDEC 2017”で講演された“『ソードアート・オンライン』仮想から現実へ”。『SAO』の原作者・川原礫氏、バンダイナムコエンターテインメントの原田勝弘氏、二見鷹介氏による基調講演の内容を、電撃PlayStation編集部がレポートする。
▲『SAO』原作者の川原礫氏。 |
▲『鉄拳』シリーズや『サマーレッスン』を手掛けるBNEの原田勝弘氏。 |
▲ゲーム『SAO』シリーズの総合プロデューサー・二見鷹介氏。BNE所属。 |
二見鷹介氏(以下、敬称略):今日は『ソードアート・オンライン』にまつわる話をしていこうと思います。『SAO』はメディアミックス作品という形で、川原先生がお書きになっている原作小説がシリーズ累計世界で2000万部。
アニメも興行収入25億円、ワールドワイドで33.5億円。海外でも公開されています。ゲームも販売させていただいていて、『ホロウ・フラグメント』という作品が100万本を超えています。この作品を一手に原作として手がけているのが川原先生です。
原田勝弘氏(以下、敬称略):まさに世界中で親しまれているコンテンツなわけですが、1つそのすごさがわかるエピソードがあります。私のほうがVRの公演などを海外で実施させていただいているのですが、そういったときの話のなかで、映画の『マトリックス』をよく例に挙げるんです。
これが若い世代の大学などで講演すると、聞いている人たちが「ポカーン」としているんですよね。「『マトリックス』ってわかります?」って聞いたら、知っているけど見たことある人がほとんどいない。
それで僕は大学教授とかに「このとき例えで何を挙げるのがいいんですか?」と聞いたら、『SAO』と言われました。
仮想空間を使ったフィクションの代表的な作品として、『SAO』と言った方が若い人たちが理解しやすい。これは相当浸透しているなと思いましたね。
二見:さて、ここから川原先生と原田さん含めて話していこうかなと思いますが、まず川原先生にお聞きしたかったのが、小説で『SAO』のVR部分を描くときにどういう表現の仕方をイメージされているのでしょうか?
川原礫氏(以下、敬称略):アバターの表現には気を使っています。アバターはポリゴンでできていますが、じゃあ触るとツルツルしているのかなとか、硬いのかなとかを考えていますね。
たとえば、ゲームのキャラクターの髪の毛は1本1本を線分で作っているわけじゃないじゃないですか。それがVRになった場合、髪の毛ってどんな表現になるのかなとか。
原田:今のVRだとどうしても描画負荷が高いので、同じスペック内で通常のゲームとVRを比べると、どうしてもVRのほうが表現として見劣りしてしまいます。なので、髪の毛などは多層のペラペラした紙をシェーダーなどいろいろものを使って見えないようにしていますね。
川原:将来的には髪の毛がリアルになっていくのですか?
原田:VRの課題の1つが情報密度を上げることなのですが、たぶん技術的により情報密度というのが上がっていくと思います。情報密度の上げ方も単なる解像度だけの話だけでなく、プレイヤーが髪の毛に触れた時のみ、すごくミクロな処理をするという形になってくるかもしれませんね。
川原:僕もそうなると思っていて、ゲーム内でも“ディティールフォーカシングシステム”と名づけて、物を近くで見たときだけ解像度が増すという設定にしたんです。
二見:僕、『SAO』の小説で女の子がお風呂に入るときに髪形を変える描写が好きなんです。入るときはアップにして出るときは下ろすのですが、彼女たちはゲームから出られなくなっていても、デジタル世界で人間らしい生活をしたがるわけですね。
こういうリアルだけどもリアルじゃないみたいな描き方が好きな描写の1つです。
川原:じつは小説のなかでVR環境3大難しいものというのがありまして、それが髪の毛、液体、食べ物なんですよね。
ゲーム内の水はある種、水っぽく見えてる液体じゃないものじゃないですか。あれがVRゲーム中で触れて、すくってみたら指と指の間からちょろちょろこぼれるみたいな体験は、将来的には可能なのでしょうか?
原田:結局、どれだけ処理に使えるかですね。すべてテクノロジーの進化で解決されるとこの業界の人は信じているので、将来的には何でもできてしまうだろうなとは思っています。
ただ、“『SAO』が実現される日”として考えるとちょっと違いますよね。例えば『SAO』の世界の主人公たちは、実質ゲームという感覚でプレイしてはいないわけです。
川原:そうですね。もう1つの現実です。
原田:人間の現実社会では人はいつかは必ず死にますが、仮想現実のなかの1つの結末としてこれが用意されちゃっているわけじゃないですか。
痛覚とか含めてすべて脳をジャックされている状態ではありますが、これはエンターテインメントになりえないと思います。
映像表現がどんどん進化するのはいいんですけども、VRの世界として完全なもの、我々が現実世界と区別つかないぐらいのものになったとき、それはもはやエンターテインメントじゃないんじゃないかと思うんですよね。
例えば、ゲーム内でお風呂に入らなければいけないという感覚は、ゲーム中の彼らにとってエンターテインメントにはなっていないんだろうなと。
片足を現実に入れておかないとつまらなくなると思うんですよね。ジェットコースターとかフリーフォールはとてつもない恐怖体験なんですけども、やる前にこういった体験が待っているんだろうなという、予測と安全が確保されているというのがすべてあって成り立っているのがエンターテインメントなんですよね。
フリーフォールとわからずに、友達と乗っている車で逆さに宙釣りにされていて50メートル落とされたら、多分気絶するぐらい恐怖を覚えてこれ死ぬと思うかと。
川原:それはエンターテインメントじゃなくてドッキリですよね。
原田:要はそこの境目ってなんなんだろうと考えたら、他人から見たら全部仕組まれていて安全なんだけども、本人の思い方で体験が変わってしまうということじゃないですか。
これはVRの1つのテーマとしてあると思っていて、結局これがエンターテイメントとして成り立っているのは、映像がどんどんリアルになっていく、音もリアルになっていく、最後にどっかに現実と自分は安全なとこにいるという立ち位置を残さないと、たぶんエンターテインメントじゃなくなっちゃうんだろうなと思って。
二見:ここで少し話題が変わりますが、川原先生にお聞きしたいことがあります。川原先生が『SAO』を執筆していた当時、VRMMOといった言葉がそもそもそんなにない時代だったのですが、今はVRのゲームが家庭で遊べる時代になりました。
小説で書いたものが今の時代に顕現されるようになってきたということを川原先生はどのように感じられているのでしょうか?
川原:当時VRMMOという用語はなかったですけども、例えば仮想世界や電脳世界をテーマにした作品は1970年代ぐらいからありました。
ジェイムズ・P・ホーガンというアメリカのSF作家さんが書いた『仮想空間計画』という小説があります。主人公がライバル会社の社員に騙されて、自分が開発したVRの世界に閉じ込められてしまうのですが、最初は気づかないんですよね。
仮想世界かどうか確かめるために、バーに入っていきなりグラスを叩き割るんですよ。そうするとシステムが追い付けなくなって、多少解像度が下がり仮想世界であることがわかるんです。
そういうジャンルの多彩な小説における先人たちのいろいろイメージもありましたし、僕が実際にプレイしていた『ウルティマオンライン』や『ラグナロクオンライン』の存在もありました。
だから、僕がああいうオーバーテクノロジーの設定を考えたというよりも、2001年の時代でVRMMO小説を誰かが書くというのは必然だったんだと思っているんですよ。偶然僕が先に書いてしまっただけで。
原田:ナーヴギアのようなヘッドセットは当時からするとオーバーテクノロジーで、今でもオーバーテクノロジーですよね。
僕も今ヘッドセットのVRを体験して何とか普及させたいという気持ちはありつつも、壁にぶち当たっていると感じていて。
川原:“壁にぶち当たる”ですか?
原田:はい。これは別にネガティブな話をするわけじゃなくて、ちょっとテクノロジー待ちだなと思っているんです。そもそもプレイするうえで、センサーを置いたり、ヘッドマウントを装着するというハードルの高さがあるわけです。
今のテクノロジーが進んで、サングラス並みかはわかないですけど、もっと手軽になっていかないと。ああいうヘッドマウントの形じゃ無くならない限り次のステップには行けないなと思い始めています。
川原:原田さんが想像されるブレイクスルーはどんな形になるんでしょうか?
原田:最初は網膜照射と言っていたのですが、それもなかなか難しそうだなと思っています。どっちかというと装着の手軽さですよね。まずそこからどうにかしないと、頭にガチっとはめて圧迫感があるというのは、物理限界がくるのも早いじゃないですか。
夏場なんかはみなさん感じると思うのですが、20~30分しちゃうと汗をかいてきちゃって、5分間の素晴らしい体験はできるんですけども、それ以上のところにいかないなと。
コンテンツを作る側も、MMOみたいに2~3時間楽しめるものができるかというと、たぶんソフトウェア的なおもしろさ以前に物理的な抵抗が先に来ちゃうし想像もできます。逆に川原先生はどういうふうに想像されていますか?
川原:1つ考えられるのは、スクリーンがコンタクトレンズまでいけば装着のわずらわしさはだいぶ減るんではないかなと。
原田:僕は眼鏡ぐらいならいいかなと思っていました。
川原:今のVRヘッドギアもなんですけど、上下の見れる範囲が狭すぎてカバーしきれていないのが辛いと思うんですよね。
原田:そこはジレンマですね。人間の視野角っていうのは180度よりちょっと後ろまで見えているので、それを再現しようとすると今度は脳内の歪みの問題が出てきます。そして、それに違和感を覚えるために酔いに繋がってくるんです。
距離感とか歪みとかを解決する方法として、網膜に直接投影する形があります。これが安全かつピッタリフィットする形になれば、ビジュアルはすばらしい体験になるのではと思っています。
川原:網膜照射型は、あるにはありますよね。
原田:実験はされています。ただ、あれもまだまだ本当にリアルの世界になっているかと言われると全然なっていないので。
川原:逆に目から離れてプレイヤーを球体に閉じ込めて、その内面を継ぎ目のない空間にしちゃうのはどうでしょうか?
原田:まさに弊社のアーケードにあるドーム筐体ですよね。ただあれも突き詰めなければならない問題がいっぱいあるんですね。
川原:脳に直接電波を送ってドットを見せることは成功しているんですよね。なので、それがもし突き詰められてどんどん発展していくのならば、将来的にはインプット方向はなんとかなるとは僕は思っているんですけどね。
アウトプットとして、人間の脳から出てくる運動するシグナルを感知するにはどうしたらいいのかなと。もう1つは身体が動いちゃう問題があって、MMOでフィールド走ろうとしたときにリアルでは壁にぶつかるということになるんで、身体をなんとかしないといけない。最終的には脊髄のどっかしらに外科手術が必要になるんじゃないかなと。
原田:そうなると結局『マトリックス』ですよね(笑)。
川原:結局、『攻殻機動隊』みたいな世界になってくるとは思うのですが、もしかすると将来的には手術しいる人としてない人で新たなデジタルディバイドが生まれるかもしれません。
二見:じゃあ次のお話にいきましょうか。『劇場版SAO オーディナルスケール』ではVRとARを融合した世界観になっていますね。
川原:この世界ではイベントバトルがおこるときには公道を封鎖されます。ゲームをがんばってプレイしてポイントを貯めていくと、現実世界でクーポンなどの特典がつくんですよね。
ゲームシステムもARバトルということで、ものすごくカジュアルです。ステータスとか一切なしで、自分よりランキングの高い人は自分より強いですし、攻撃力とかも目に見えない補正が働くだけです。
原田:ARということは、本当に外に出てやらないといけないんですよね?
川原:そうですね。相当走れないといけないですよ。
原田:現実でこのゲームを実現させると、ものすごく屈強な人たちがガンガン競う形になりますよね。
川原:ただ一概にそうではないかもしれません。とある企業さんで自分の身体を動かして戦うVRゲームをやらせていただいたのですが、仮想の剣でモンスターと戦うゲームだったんです。
剣を振り回したり、大きなアクションはしないで、そこにモンスターが来たら手を小刻みに揺らすだけでした。最小の動きで、最小のカロリー消費で勝てるんですよ。たぶん、『オーディナルスケール』も最小限の動きで勝てる戦法みたいなのを編み出すと思うんですよね。
二見:ほかにも、『劇場版SAO オーディナルスケール』にはユナというキャラクターが出てきて、ARで動き回ったり踊ったり人の顔を認識したりするんです。
川原:ナーヴギアもオーバーテクノロジーですけども、AIの水準もオーバーテクノロジーで、いわゆるAGI(汎用人工知能)に入りかけている存在なんですよね。
二見:初期のプロットだと、亡くなった人間をどうAIとして生き返らせるのかというちょっと暗いテーマが根本にありましたよね。
川原:実際に完成した映像でもそういうテーマになっていますからね。亡くなった人間がデジタルメディアに残している情報から個人を再生するという取り組みは実際行われているみたいですね。
原田:VRとAIというのは今後いろいろな分野でミックスされいくと思うんですよね。とくにAIの分野はゲームとも相性がいいですし、エンターテインメントや我々の世の中も変えると思います。
個人の人格をAIとしてシミュレートするのも、セラピーにも使えるし、個人の持っていた知識やノウハウ、もっと言うと、お父さんなら何て言うんだろうという人生相談を亡くなってからもできるようになるといいですよね。
あと、ユナというAIはオーバーテクノロジーかもしれませんが、AIの部分だけで言うとそこまでオーバーテクノロジーではないですよね。問い合わせのオペレーターもAIだったりするじゃないですか。
そうするとMMOのなかでも周りに出てくる登場人物とか悪役とか、ドラマを作ってくれる人物は全部AIのほうがよほど楽しいという世界がくるかもしれないと思うんですよ。
格闘ゲームだって人間相手だとおもしろいんだと言いますけど、自分よりもうまい人とやってもおもしろくないんですよね。競っているからおもしろいんですよ。
ということは、人間かAIか区別がつかなくても、それが人間としか思えなければライバルを演出してくれるAIと戦う方がよっぽど楽しいかもしれません。
二見:それでは、最後に一言づついただいてもよろしいですか?
原田:VRと仮想現実はおもしろいテーマで、仮想現実を研究すればするほど現実社会の再定義をしなければならない気がしています。今スタート地点に僕らはいるんだなと思うので、今後もこの研究には足を踏み入れていたいなとか、今日はより思いましたね。
川原:小説を書いていて現実のテクノロジーに状況によっては追い抜かれている部分があるんです。例えば小説に出てくるガジェットのスペックを決めてくれと言われて書いたら、週刊アスキーさんの記者の方から今はもうちょっと上に行ってますねと言われて、「あれー!?」と思ったこともあります。
これからこういうジャンルを書く作家は現実と想像力の競争というかせめぎ合いになっていくのかと思います。そこで現実に追い抜かれないように、先の未来を見据えて創作できる作家でいられたらなと思います。
二見:みなさんありがとうございました。