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石津は従順についてきた。
ただし、何故かブータを抱きかかえたまま、原の部屋の隅にちんまりと座っている。
毛が散るから猫は遠慮して、と原は言おうとしたが、ブータの視線に押されて黙り込んでしまった。しかたなく、舞とともに黙々と『シジフォスの神話』に取り組んだ。
不毛な時間が流れた。舞は地雷を踏んだような気分だった。目の前のノートには、自分でも見当違いだなと思われる数式が数行書き込まれているだけだ。『ジェリコの壁』のがまだましだ。あれなら世界で五人は解いている。なれど、原に土俵を変えようと提案するのはプライドが許さなかった。
「芝村さん、そろそろ降参かしら?」と原。
「そなたこそ。わたしは非常に心地よい時間を過ごしている……」
ヒュウと風の音が鳴った。舞は、はっと身をこわばらせた。いつのまにか原は、石津の傍らにすり寄っていた。
「来ている……わ」石津の声に、舞は歯を食いしばった。
しかし――カーテンは揺れたまま、長岡友子は姿を現さなかった。
石津は立ち上がると、何かに操られるようにガラステーブルの前に正座した。鉛筆を持ち、舞のノートに何やら書きはじめた。石津の目は眠っているように閉ざされている。
舞は震えながら、目をつぶってついついブータに触れていた。
時間が流れた。
「もう……こないって」
石津の声に舞は我に返ると、おそるおそる室内を見渡した。原はひと足早く立ち直っていた。視線が舞のノートに釘付けになっている。
「……石津さん、あなた数学得意だったかしら?」
石津は、ふるふると首を振る。
「自動書記……」原のつぶやきに、舞も身を起こすとノートに目を凝らした。
「こ、これは……っ!」
わずか五、六行ほどの数式の列が記されていた。
「驚いた。こんなアプローチのしかたがあったなんて……」原も絶句した。
証明は途中で終わっていた。しかし舞と原には、その数行の数式は闇夜に光を見たような、あるいは砂浜でダイヤモンドを発見したような価値があった。
ふたりは夢中で、証明の続きをノートに書き込んだ。
「クリア……しちゃった……のね」
興奮のあまり、原の口調は石津そっくりになっている。
「信じられぬ。原よ、その手で自分の頬をつねってみるがよい」
「嫌よ。代わりにキッチンのおたまであなたの頭をはたいてあげる」
ふたりの目にはノート一枚分の数式の列が、燦然と輝いて見えた。これは人類の宝。数学マニアのふたりにはとてつもなく貴重なものだった。
「偶然……解法を……見つ……けたんだって。時間……をかけて……解こう……と思ったら……事故に遭ったの」
石津はそれだけ言うと、ブータを抱えて、原の部屋を後にした。
舞と原は長岡友子への恐怖も忘れて、「人類の宝」を飽かず見つめていた。
翌日、教室でやきそばパンを頬張っている舞の前に原が立った。
「この世であなたほどまずそうに食事をする人間はいないわねえ」
「よけいなお世話である。この軍用やきそばパンは栄養のバランスがよいのだ」
舞は不機嫌に原を見上げて言った。
「例の回答。科学雑誌に送ることにするわ。もちろん、長岡友子の署名入りでね。彼女の遺品から偶然発見されたということにする」
「それがよかろう」舞の不機嫌な表情が少しだけ和らいだ。
原の目がイタズラっぽく笑った。
「ところで『シジフォスの神話』には賞金がかけられていてね。隊費にしたいんだけど……」
「ふむ。件の科学雑誌は芝村資本だな。了解した」
舞は澄ました顔でうなずいた。
原はそんな舞の様子を見つめていたが、やがて冗談めいた口調で言った。
「ねえ、わたしの幽霊話って幸運を呼ぶと思わない? 今度は『ピアノ部屋の怪』の話をしてあげよっか? これはね、長岡友子の話なんかよりずっとずっとこわいわよォ♪」
舞は思わずやきそばパンを噴き出した。
直撃を受けた原は憤然として、「なにをするのよ!」と叫んだ。
「たわけ! なーにがピアノ教室の怪、だ。あまり悪趣味なイタズラを仕掛けると、告発するぞ! 今度は三日どころではない。茶坊主一ヶ月の刑だっ!」
……何事かと厚志と森、それぞれの世話役が駆けつけるまで、ふたりは言葉の限りを尽くし延々と罵り合っていた。
(C)Ryosuke Sakaki(C)2005 Sony Computer Entertainment Inc.
『ガンパレード・マーチ』は株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントの登録商標です。