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◇ インタビュー◇

独占企画! 『グランディアII』スペシャル対談!!

※長文注意!※

 『グランディアII』の監督・斎藤勝紀氏から、It's a ソミーに届いた突然の対談依頼。そのきっかけは、電撃オンラインに掲載されたレビューだった。ここでは、電撃オンライン編集部員が立ち会いのもと実現した夢の対談を、1文字も余すことなく全文掲載! はっきり言って長い。だが、全文を読み終わった後には必ずや『グランディアII』のすべてを理解できるということも、はっきり言えることである。

●2つの対談理由
電撃オンライン編集部員(以下、DOL):今回、斎藤さんの方から『グランディアII』の長文レビューを書いたソミーへの対談の誘いをいただいたわけですが、そもそもその理由というのは?
斎藤勝紀氏(以下、斎藤):だって、なかなかここまで熱を入れてレビューを書く人って少ないでしょう。それは、趣味が半分入ってるからできたんだと思うんですよ。この対談が重要だと思ったのはですね、ひとつは『グランディアII』に対して情熱だだ漏れ状態でものを書く人と会って話すと、熱い話ができるかもという期待です。一方では、ネットでの公開を前提とした対談ということに対する期待も大きいんですよ。
DOL:雑誌に載る記事とは違う期待ですか?
斎藤:ええ。雑誌は雑誌で基本的な情報を出すとか、いいところがたくさんあるわけですけど……どうしても、情熱をだだ漏れにできないじゃないですか。それは、ページ数の問題だったり、他の記事との兼ね合いだったり、体裁の問題だったりと。そういう問題からボリュームが圧縮されていきますから、説明不足になったり、こちらが大事だと思っていることが削除されてしまったりすることもあるわけです。
DOL:3時間の話でも1ページだったり、30分の話でも4ページだったり。
斎藤:もちろん、仕方がないとは思うんですけどね。ゲーム作りにだって容量の問題がありますし。自分じゃ削れなくなって、誰かもう、目をつぶって削ってくれ~とか、あるわけですから(笑)。ただ、今回はネット公開の取材ということで、それならお互いに情熱だだ漏れ状態でぶつかっても、容量などの制約が少ない分、細かい部分の想いまで十分に届けてもらうことができるのかな、という期待があるんですよ。
DOL:たしかに、ネット上なら、文字データくらいはいくらでも載せられますからね。ソミーのレビューも文字数で言えば1万文字以上でしたけど、使ったデータ容量自体は微々たるものでしたから(笑)。
斎藤:後はユーザーさんの疑問に答えられる部分は少しでも答えてあげたいなぁ、とか……。そういう意味では、応じてもらえてホントうれしいですよ。ありがたいと思っています。ライブのセッションみたいな感覚だからどこに行っちゃうのか楽しみです(笑)。

●斎藤氏にとっての『グランディアII』とは?
DOL:それでは、そろそろ本題の方に入っていこうと思いますが……。
斎藤:あ、最初にお断りしておきますけど、今日は堅苦しくなく、おしゃべり状態で話を進めていこうと思うんですけど。
DOL:? というのは?
斎藤:僕は『グランディアII』とは2年以上付き合ってきたわけですし、その間にスタッフと共に自分もいろいろな考えや想いをパッケージングしてきました。さらに、この作品自体が重層的な作りになっているものですから。整理して、考えて話そうとしすぎると、結論だけは伝えられても、逆に大事なところに触れ忘れてしまう危険性が高いんですよ。それよりも、夢中におしゃべりして、何かきっかけとなる言葉に対して純粋な想いを吐き出していく方が、きっと深いところまでお話できると思いましたので。
DOL:たしかに、情熱をだだ漏れ状態にした方がおもしろい話になりそうな気がしますね。
斎藤:今日はもう、なんでも答えます。ただ、2つだけ答えられない要素があります。まず、『グランディアII』を遊んでくださったユーザーのみなさんは、既にいろいろな想いを持ってくれているはずです。特にこのゲームは相対的な価値基準に徹している分……詳しくは後で話しますが、みなさんに解釈や結論を委ねているんです。もう僕らだけのものじゃないんですよ、『グランディアII』は。だから、ある一定の層に対しての答えが別の層を裏切るものになる場合は、ヒント止まりにするかもしれません。
DOL:その境界線は何になるんでしょうか?
斎藤:それは、僕自身もなんとなくしか分かりません。だから注意しても、この対談の中で踏み外してしまう可能性はありますね。ただ、作り手側の結論だけを正解として提示してしまうと、確実に誤解やトラブルを引き起こしますから、そうならないように考えつつということで。僕個人への迷惑ならともかく、それで会社や他の人に迷惑をかけてしまうのはちょっと……というのが、ふたつめの答えられない要素です。僕個人以外の人に迷惑がかかるような質問には答えられません。それ以外なら何でも聞いてください。今日は、かなり深いところまで潜るつもりでいますよ。もう、ゲームも発売された後ですから。
It's a ソミー(以下、ソミー):そうですね。発売前だったら、ネタバレに関することがまったく聞けませんし。
斎藤:発売前は大変でしたよ。このゲームのおもしろさを、ネタバレをしないようにどうやって伝えようかと……。それに、「作っていったら、こんなんできました~」という部分もあるわけじゃないですか(笑)。もちろん、『グランディア』というシリーズ作のラインは外してないつもりですけど、作品というものは模索した結果としてたどりつく部分が多いものですから。
DOL:では、「これぞ『グランディア』の続編!」という手応えはあったわけですね。
斎藤:でも、冒険活劇を求めている人からは、「これは『グランディア』じゃない」という意見があってもいいと思います。かつて『ルナ』シリーズから『グランディア』に変わった時なんかは、もっと騒がれましたし……。
ソミー:『ルナ』シリーズのファンとしては、『ルナ』の方がおもしろいという先入観や、『ルナ』以外はいらないという意識が働いたのかもしれませんね。
斎藤:それは人それぞれの中のNO.1RPGを変えるのは大変ですし、ルナがNO.1と考える方がいてもそれはそれで自社のタイトルをNO.1にあげてくれてるわけですからうれしいですし。否定する権利はないでしょう? ……話を戻すと、あの時よりも叩かれることは、僕自身は覚悟してたんですよ。前作に対する評価は、まずバッシングから入ってきて、それが落ち着いたころ、何にチャレンジしたのか理解してくれた人たちがすごくプッシュしてくれました。冷静な目で作品を見てもらえる状況ができるまでは、時間が必要だということですね。そして今度は、同じシリーズの中での『II』ですから。だけど、『グランディアII』はやっぱり『グランディア』シリーズになったと思ってますよ、僕は。
DOL:前作の監督はゲームアーツ部長の宮路さんでしたが、今回は宮路さんに代わって斎藤さんが指揮を取ることになったわけですよね。その際、斎藤さんが意識した『グランディア』らしさというのは何だったのでしょうか? それは、宮路さんと同じものだったのでしょうか?
斎藤:担当が宮路だったら、また微妙に違う作風のものになったと思いますよ。今回のテーマは冒険活劇から外れる分、もしかしたら宮路には作りにくかったものかもしれませんし。ともあれ、僕自身の『グランディア』の受け止め方は、"時代が忘れかけたものをよみがえらせてくれる作品"でした。実際に前作の時も、発売前から「冒険なんて古いよ」なんてハガキが届くわけですよ。これぞまさに、『グランディア』の世界!!とか思ったりして(笑)。だから、「RPGはこうあるべきだ」というような閉塞感がピークだった時代に"冒険心を忘れずに行こう"という指針を打ち出した『グランディア』は、まさに出なければいけなかった時期に発表できた作品だと、僕自身は思っています。それとこれも僕自身の意志でですけど、前作より現実社会に対するメッセージ性を強めたつもりです。現実とファンタジーは、それほどみんなが考えるほど距離が離れていないと思うんですよね。そういうことを含めて、忘れかけている何かを思い出させてくれるもの……それは多分、その何かを言葉にすると、どんどんチープになっていくものでしょうけど、そういうものを一生懸命詰め込みました。それが、僕にとっての『グランディア』らしさです。
DOL:『グランディア』シリーズとは、私たちが忘れかけている"何か"を思い出させてくれる作品ということですか。
斎藤:少なくとも"今回"は、僕はそういう捕らえ方をしました。ただ、将来的に渡ってそう言いきるわけではありませんよ。次はいつ『グランディア』を作るかも分かりませんし、僕が指揮を取るとも限りませんし(笑)。お約束するべきことはゲームを制作するプロの集団として毎回テーマに合せてコンコンと掘り下げて愛情を込めることでしょう。もちろん、自分に来た時の備えはしますけど。……例えば、今回の作品だって、自分が『グランディアII』の監督をやることになるなんて、これっぽっちも思ってなかったわけじゃないですか(笑)。正直な話、宮路がやるものとばかり思ってたわけですから。備えていたとはいっても具体的な準備をしていたわけではありませんし、制作期間の問題もあったわけです。もちろん自分一人じゃ無理なので、優秀なスタッフのみんなといっしょにやれて、初めて生み出せたものですからね。
DOL:いきなり監督をまかされて、まずはどんなイメージで制作に臨んだのでしょうか?
斎藤:いろいろとありますけど……今の時代――つまり、世紀末という時代が見えにくかったので、そこを表現する作品を作らんとイカンだろうとか、相対的価値感への挑戦を含めて、今までのRPGの枠を越えんとイカンだろうとか、……次世代機で作るんだから、技術的にこれぐらいやっとかんとイカンだろうとか、「やっとかんとイカンだろう」がたくさんありすぎて(笑)。それを、日々実現するためにやっていきましたという部分は、本音としてあります。
DOL:それでは、『グランディアII』を実際に作っていく中で大事にしたテーマや気持ちは何でしょうか?
斎藤:まずはもっとも大きなところ、底辺のところから話をしていきましょうか。『グランディアII』は、大人向けとか、雰囲気が重たいとか、さまざまなキーワードで語られています。でも、その根幹を追っていくと何に行き着くかというと、勧善懲悪からの脱皮……つまり、すべてを相対的価値基準に戻していくという技法に準拠してるんですよ。
ソミー:絶対的な価値観を押し付けるのではなく、ユーザー1人1人が自分なりの価値観であらゆるものの見方を変えられる、考えられるような作りということですか?
斎藤:ええ、自由度を上げていくとも、想像力を上げていくとも、どういう言い方でもいいんですが、本質的なところで言うと、"すべてを相対的価値基準に帰す"という言い方になると思いますね。
DOL:難しいテーマですね。あまり、RPGでは例を見ないテーマだと思います。
斎藤:部分的に採用している作品はあるでしょうね。例えばボスキャラとか、キャラ1人だけをその手法で描いた作品はあると思います。ただ、この技法をメインストリームに組み込むと、たいがい真面目に宗教を描かないといけなくなる。だから、ものすごい労力がかかるんです。だって、考えてみてくださいよ。新しく宗教ひとつ起こすのと同じ労力がいる上に、そこに生きている人とその歴史をすべて生み出さないといけないんですから。そしてそれが明後日のものじゃ理解してもらえないわけでしょう。できるわけない!とか言いながら、なんとか作り上げていったんですけどね(笑)。
DOL:街キャラ1人のセリフ量だけでもすごい作品ですからね。大変な作業だったと思います。相対的価値基準というテーマがもっとも大きいということですが、その他には?
斎藤:時代とのシンクロというのもテーマのひとつです。1997年、プロジェクト始動の段階で、"大人向け"、そして"世紀末"というテーマがありました。そこで僕はまず、世紀末の時代読みから入っていっていったんです。もちろん、シナリオ上では剣と魔法の世界での大冒険が展開しているわけですが、裏側では現実の世紀末を踏まえて、人間社会がどういう価値基準に陥るかということを全部計算してやったんですよ。開発しながら、さまざまな事象を読みながら考えましたから。例えば経済だったら、橋本内閣が打ち出したビッグバン政策で会計基準制度全般が根底から変わって、リストラが起こって……と、空気としてはアメリカの1993~95年の感じですよね。実際の社会をさまざまな角度から考えて、世紀末というものを想定しました。現に、発売時期にはちょうど、"17歳の心の闇"とか騒がれてますよね。開発中でも、現実で何か事象が起こるたびに「ああ、追いつかれた」みたいに思ってきたんですよ。
DOL:例えば、どのような形で?
斎藤:アイラのお話を例に取ると、娘の受験で悩んでいた母親が、知り合いの娘を殺してしまった事件と同じ構造だと思うんです。まずはゲーム的な要素から説明すると、ヴァルマーとは悪いもの。その悪の部分は、あらかじめガダンのところで描かれます。でも、アイラは悪いことを考えたわけじゃなかった。「悪魔って何?」という投げかけなんですね。ここまでが表の顔です。シナリオの裏側で考えているリアリズムでいうと、確実に弱い者が、その人が悪いわけではないのに、直接的/間接的に加害者であり被害者になってしまう。色々な意味で被害者と加害者が入り交じるという言い方の方がいいかな……それとも根っこが一緒という言い方の方がいいのかな? 最終的に弱者が一番辛い形になると言う方がいいのか……ゲームで描かれた言い方をすれば、こうです。みんなが大事なものを持っている。それは家族だったり、村の存在だったり、人それぞれ大事なものが違います。みんながみんな、大事なものを持って生きているだけなのに悲劇が起こってしまう……。こういう構造を踏まえた上でお受験殺人が起こってしまった時、僕はあの子がアイラだと思いました。時代を読みながら作っているとはいうものの、現実には起きてほしくない事象でしたね。……開発を始めた時点では、神戸の少年による殺人事件が起こったばかりでしたので、そういう"心の闇"が具体的にどういう事象として現われるかまでは分かりませんでしたが、世紀末という時代にそういう要素が入ってくることは予想していましたから……。
DOL:とはいえ、現実でシビアな事件が起こってしまうと悲しいですよね……。
斎藤:だから、エンディング中のあるイベントは、それに対する痛みから作ったものでもあるんです。現実では悲しい事件が起きたけど、せめてゲームの中では幸せになってほしいと願ってた部分がありまして……。まあ、作品直接とは関係がない、制作者の勝手な願望の部分かもしれませんけど。
ソミー:ある程度の救いは入れたかった?
斎藤:うん。そうでなきゃイヤだ!が正解かな、僕の中の感覚では。それが子供だましと言われようがなんだろうが、そうでなきゃイヤだ、が僕の心境ですね。
DOL:別の角度から読み解くと、世紀末を予言した作品のような作りになっている一面もあるんですね。
斎藤:『グランディアII』のイベントを並べていくと、「現実から都合のいいネタを持ってきただろ」と思われそうな作りになっていたりするんですよ。まったく関係ないんですけどね。サイラム王国が自立を宣言する時に国旗をシンボルに使うわけですが、そういうイベントを作った後に国旗国歌法案が浮上して、しかも成立まで!ビックリしました(笑)。世紀末の中での自立というキーワードから入っていたんですけど……(笑)。他には、マ○クロソフトの社長さんが交代して名前がねぇ…とか(笑)、そんなのわかるわけないじゃないですか。まだまだあるんですけどね(笑)。
DOL:ちなみに斎藤さんは、『グランディアII』のどこが一番おもしろいと自負していますか?
斎藤:う~ん、一番ですか? 難問ですね。RPGの楽しさには、いろいろな要素があるじゃないですか。そして、その中からどの楽しさを得るかは、ユーザーさんによって違うわけですから。例えば今回は、想像力の楽しみという要素を付加したわけですが、これも人によっては苦痛になる場合があると思います。正解が欲しいと。……そういえば、どこかで『グランディアII』とは何ですかと聞かれた時、「豪華な重箱です」と答えたんです。この言葉の意図が一般的にどう思われているかは別として、僕の言った意味はこうです。まず、多種多彩なおいしいものを集めた重箱を用意しました。そしてその中に、一番おいしい部分だけが凝縮された極上の一品を……まあ、「将太の寿司」風に言いますと(笑)、マグロの身が締まった一番おいしい部分を、舞台の裏側で丹念に調理するわけです。そして重箱の中に一品だけ、そっと入れておく。これは非常においしいんですけど、一口ですぐ終わっちゃいますから、もっと欲しいとなるわけですね(笑)。他にも同じように工夫して調理したものを色々取りそろえているわけですが、その重箱を食べた人によっては、「オレはマグロ尽くしが食べたい」と言うわけです(笑)。もっとキャラを掘り下げてほしいとか、戦闘の難易度を上げてほしいとか……。そういう声は、今回の"重箱"とは違う別の料理を要求されるようなものなんですよ。そうすると、別の臭みが出ちゃうんだよ~とか、今回いろんな要素を詰め込んだ重箱を作ったのに、そっちは食べてもらえないのかなぁ~、という気分ですね(笑)。もしここで、そういった多くの要求にそれぞれ答えていったら、今回のテーマに合わせたおいしい味がなくなってしまうんですよ。別に、「オレはマグロ尽くしが食いたい」という人を否定する気はないんです。ただ、「でもゴメン、今回はそう作ってないんだ」と返すしかないわけで……。繰り返しになりますが、今回はテーマに合わせて作りました。いや、今作も、ですね。 人間賛歌という大きなテーマ、時代の流れやリアリズム、大人向け……そういったいくつものテーマを圧縮して、その結果に合わせた形での一番おいしい重箱として作り上げたんです。
ソミー:別の作り方もできるけれど、そうすると別の料理=作品になってしまうということなんですね。
斎藤:ゲームってそう考えると、ホント生モノですよね(笑)。

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斎藤勝紀 氏
 特技は”時代の流れを読むこと”&”麻雀”という、『グランディアII』の制作監督。代表作は、『ぎゅわんぶらあ自己中心派』『グランディア デジタルミュージアム』など。
It's a ソミー
 ペンネームとは裏腹に大のセガ系ファンである、電撃DCライター。現在大学○年生。今年こそは卒業したい! と毎年言っている。来年も編集部にいる方に、1,000点。
●好きなソフト 『グランディア』シリーズ、 『悠久幻想曲』シリーズ
I電撃オンライン編集部員
 まさかこんなに重い対談になるとは思わずに、ホエホエしてソミーに付いていった人。難しい話が苦手な人。


用語解説
 ここでは、斎藤氏が使用する特殊な言葉についての解説をしていく。対談記事を読む前に、これらの言葉の意味をあらかじめ把握しておこう。


【ロスト】
"脱落"や"喪失"の意味。文中では、"途中でゲームを止めてしまう"や、"シナリオの意味が分からなくなる、忘れてしまう"などの意味で使われることが多い。


相対的価値基準】
"相対的"という言葉の辞書的な意味は"他のものと比べる・関連させることで、初めてそのものの存在を考えることができること"。これだけでは分かりにくいので、少し意訳してみよう。
 担当ライターの考える"相対的"とは、物事を多角的な視点=さまざまな見方や判断材料から考えていくこと。大雑把に言えば、単純に考えずに、いろいろと考えてみようということ……だと思う。ちょっと練習をしてみよう。例えば、缶ジュースが120円なのは高いか安いかを考えてみてほしい。なんとなくで答えるのは簡単だが、それでは単純すぎるのではなかろうか? いろんな状況を考えて、もう一度考えてみてほしい。例えば、所持金が1万円か1000円か110円かによって、高いか安いかの感覚は変わってくるはず。また、のどが渇いているかどうかでも変わってくるだろう。このように、そのもの&人間が置かれている状況や周囲の環境によって、物事の捕らえ方とは大きく変わってくる。そういう考え方……さまざまな思考過程を経て結論に至ることを、私自身は相対的(な考え方)だと思っている。
 よって、"相対的価値基準"を一言で言うと、何がいい、何が悪いという価値の基準をあいまいに描き(もしくは、決まっていない状態を描き)、遊んだ人自身がそれを決めていくようにする作りである。つまり、価値基準の決め方は人それぞれということ。


広報的】
 ここで使われる意味は、雑誌などでの展開のこと。また、誌面に載ることを前提とした"誇張表現"としても使われる。


【メインストリーム】
主流のこと。つまり、物語やゲームの本筋。


パッケージング】
形にしてまとめること。


落ちる】
 一般的な意味とはやや異なり、ここでは"最終的にそうなる"という意味で使われている。また、"~と思われる・理解される"という意味で使われることもある。


【マスター】
 製品版と同じ、完成バージョンのサンプル版……だが実際は、マスター版ができた後も、バージョンが上がっていくことは多い。