News

2012年11月12日(月)

日本人にもよくわかる“インディペンデンス・デイ”の始まり──『アサシン クリードIII』の舞台となるアメリカ独立戦争の開幕と戦いの推移

文:イトヤン

■声高に宣言したもののイギリス軍の猛反撃で窮地に! ~アメリカ独立宣言~

 ボストン包囲が続いていた1775年の夏に、大陸軍は状況を打破するべく、カナダ地方のイギリス植民地に向けて遠征部隊を送ります。遠征部隊はモントリオールを占領し、ケベックを包囲しましたが、そこから反撃を受けて結局、遠征の出発地点まで押し戻されました。アメリカの侵攻を退けたカナダは、独立戦争の後もイギリス領であり続け、独立国家となった現在でも、イギリス王室を国家元首とするイギリス連邦王国に属しています。

 大陸軍が結成され、イギリスと本格的な戦闘が開始された後も、13植民地全体では必ずしも独立派が多数を占めていたわけではありませんでした。しかし、1776年1月にトマス・ペインがアメリカ独立の意義を説いた『コモン・センス』を刊行すると、たちまちのうちにベストセラーとなり、独立の気運が一気に高まりました。そしてイギリス軍がボストンから撤退した後の1776年7月4日、大陸会議は“アメリカ独立宣言”を採択します。この日付が現在のアメリカ合衆国独立記念日、いわゆる“インディペンデンス・デイ”となっています。

『アサシン クリードIII』

 独立宣言といっても、アメリカ側が一方的に宣言しただけで、イギリス側が認めたわけではありません。バンカーヒルの戦いが戦略的には失敗となったために失脚したトマス・ゲイジに代わって、イギリス軍の総司令官となったウィリアム・ハウ将軍は、今度はニューヨークの占領を計画します。

 独立宣言から約1カ月半後の1776年8月27日、ロングアイランドに上陸したイギリス軍はブルックリンでワシントンの軍勢を破り、ニューヨークの占領に成功しました。後退するワシントンの大陸軍を追いかけて、イギリス軍はニューヨークの南西部にあるニュージャージー州まで進撃していきます。これに対してワシントンは、12月にトレントンで奇襲攻撃に成功。翌1777年1月にはプリンストンでも勝利したことから、イギリス軍はニューヨークへ引き返していきました。この後もニューヨークは終戦までイギリス軍に占領され続けますが、ワシントンは決定的な敗戦をなんとか逃れたことで、貴重な兵力をかろうじて維持することができました。

『アサシン クリードIII』
▲イギリス軍が占領したニューヨークの街に潜入するコナー。占領下のニューヨークでは、街のいたるところをイギリス兵が巡回しており、住人に弾圧を加える様子を見ることができます。

→風向きを大きく変えた“サラトガの戦い”(6ページ目)

(C)2012 Ubisoft Entertainment. All Rights Reserved. Assassin’s Creed, Ubisoft, and the Ubisoft logo are trademarks of Ubisoft Entertainment in the US and/or other countries.

データ

関連サイト