2013年11月28日(木)
二人はスラムから五分ほど歩いたところにある大手ハンバーガーチェーンの店に入った。治安の悪い区画に近いせいか人気はほとんどない。数人の若者が談笑しているだけだった。
沙夜は入店してからずっと不安げに周囲を見渡していた。注文する段階になっても「む」とか「ぬ」とか声を漏らすだけで、結局、五分もかけた上で仁と同じアイスコーヒーを頼んだ。
そうして席に着くと、沙夜はミイラくん人形を胸に抱えてホッと息を吐き出す。
「現代人の営みというものには本当に疎くてのう。これほど緊張したのはひさしぶりじゃ」
「いやファーストフードの店はかなり昔からあるぞ。平成……いや、昭和のころには、すでに普及していたんじゃなかったか」
「む……あまりいじめるな。京極院の家を見たじゃろう」
「ああ。いまどき珍しいくらいの日本家屋だったな」
現代は急激な人口増加の影響から建造物は縦方向に大きく造られることが多い。広い敷地を占有し、横に大きな平屋であることの多い伝統的な日本の建築物は、新たに建造されることは少なく、すでに建てられていたもののほとんどが国に買い取られて解体されていた。
「あの家は時間が止まっているのじゃ。科学が発展し情報の伝達速度が上がれば上がるほど、わしらの一族のような〝容易には理解できない存在〟は否定されやすい。父上も母上も、存在価値を失うまいと文明の波に抗い続けてきた」
沙夜はうつむきながらぽつりぽつりと語った。コーヒーには手をつけていない。仁はふだんは使わないミルクとガムシロップの容器をあけて、自分のコーヒーに入れてみせた。すると沙夜も、それにならうように同じことをする。
しかしやはり手つきは怪しく、はねたミルクが着物の袖をよごした。沙夜は切なげに眉をよせる。
「栄枯盛衰は世の常なれど……それは京極院にも言えること。行き過ぎた保守主義ゆえに俗世と交わることを制限された。話し相手は旧き幽霊のみぞ」
感情の読み取れない妖しい笑みを浮かべて、優雅に肩を揺らす。本気か冗談かわからないその言葉に仁は曖昧なあいづちをうった。
「もっとも、わしはその生活に不満はないのじゃ」
「そうなのか? 話しぶりからして、京極院に愛想を尽かしてるのかと思ったぜ」
「まさか。両親のことは尊敬しておる。ただ」
いったん区切って、言葉を選ぶような間を空ける。
「ただ――ASTのエージェントとしてスカウトされてから、気づいてしまったのじゃ。綾花やまりねと接するうちに現代の人の常識というものが、わしが見ていたものと大きくずれてしまっているのだと……な。羨望も失望もない。ただ困惑した。正直に申せば俗世とどう交わっていくべきか、わからずにいるのじゃ。これはあやつらには内緒だぞ?」
沙夜は唇の前で人さし指を立てる。あどけない少女にしか見えないその仕草に、仁は苦笑いしながら首を振る。
「守秘義務の順守は探偵の基本だよ」
そう言って仁はおもむろに手をのばし沙夜の小さな頭においた。
「ただまあ他人と自分の差を気にするってのは、あんたに限らずよくある話だ。まだ若いんだし、これからすこしずつその溝を埋めていけばいい」
仁はやわらかい声音でそう言った。
すると沙夜は仁の顔を不思議そうに見上げる。
「おぬしはまだ二十代であろう? ――ずいぶんと年寄りくさいことを言いおる」
「あんたに言われたくねえよ」
真顔で告げられた沙夜の言葉に仁は容赦なくつっこんだ。しばしの無言の後、どちらからともなくぷっと吹き出し、二人は控えめに笑い合った。
それから沙夜は静かに立ち上がり、含むような視線を仁に向ける。
「おぬしとは良き友になれそうじゃ。言っておくがわしの予感はだいたい的中するぞ?」
「それはいい。あんたに嫌われたら変な幽霊につきまとわれそうだ」
「ふふっ。枕元に立たれんように気をつけることじゃな」
冗談めいた口調でそう言って、沙夜はくるりとその場で回った。着物の裾がひらりと舞う。表情を真面目なものに戻し、はっきりした声で言った。
「動き出したようじゃ。さあ、悪しき者を電子の冥府へ追い落とそうぞ」
Illustration:Production I.G
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