1作目(『ファイアボール』)より前の時代が舞台になっていますが、この設定の狙いや、今作『ファイアボール チャーミング』の制作コンセプトなどを教えてください。
前作のラストは思いのほかご好評いただいておりましたので、1作目を支持してくださった皆様が、仮に『ファイアボール チャーミング』をお気に召さなかったとしても、その存在を簡単に忘れる事が出来るようにするためです。
『ファイアボール』シリーズで視聴者に伝えたいメッセージまたはコンセプトは、どういったものでしょうか?
また、それが象徴されるシーンがあればあわせて教えてください。
1作目のテーマは「面倒でも外に出よう」であり、2作目のテーマは「それでも面倒ならば寝よう」であり、ともにラストシーンで力強く提示されています。ネタバレです。これは真実ではないですが、嘘でもありません。このように、物事は多面的な意味を持ちうるということ、そして、我々はそこに気付くべきであるということが作品のメッセージと呼ぶことができますが、そういったメッセージというものは、概ねの状況において、大きなお世話と呼ばれています。
『ファイアボール チャーミング』で、お気に入りのシーン(または見どころ)と、その理由を教えてください。
すべてが見どころですが、しいて申し上げるならば第6話「恐怖の頭脳会議」が気に入っております。なにより台本がよく書けています。よく書けているというのは、何故そこにそのような映像がゴロリと存在しているのか理由も分からず、かつ誰の記憶にも残らない映像という意味において、です。
1作目の第3話「イルカが飛んだ日」など、シリーズを通じて、“イルカ”が印象的に使われていますが、
これにはどういった意味があるのでしょうか。
もちろん、つややかな流線型という意味では、「イルカ」ではなく、「スキンヘッドの頭頂部から流れるように腰の曲がった老人」でも構わなかったのですが、第3話「スキンヘッドの頭頂部から流れるように腰の曲がった老人が飛んだ日」では、エピソードタイトルとして、いささか冗長に感じたのです。いくぶん不謹慎にも思えますし。
しめサバとらっきょう、特にしめサバに対して並々ならぬ思い入れを感じますが、これはなぜですか。
あと、「しめサバとらっきょうは最高の取り合わせだと思う」というのは監督の言葉でもあるのでしょうか。
1作目における「しめさば」であり、2作目における「ちくわぶ」ですが、私の人生において、これらが愛情をもって食卓に迎え入れられた回数は、それほど多くはありません。ですが、例えば、会議の前には名刺代わりに「しめさば」が交換され、会議室のドアノブが「ちくわぶ」であるならば、そこは非常に痛快な企業と言えるでしょう。なお、ドアノブとちくわぶはダジャレです。
◆ちくわぶボックスについて◆
ブックレットの中身と魅力について教えてください。
まず、「ちくわぶボックス」という名前がとてもいい。ですが、ボックスに入れるべきものが何もないという当たり前の事実に気付き、番組スタッフを再招聘し、ブックレットの制作を開始しました。ところが同様に、ブックレットに掲載したい内容もとりたててなかったため、公開すべきではない大量の設定画や、言い訳じみたストーリー解説、はたまた、映像がある以上そもそも載せる意味が分からない採録台本などを掻き集め、なにやら大変心苦しく思っていたものですが、のちにそれはむしろ一般的なBDボックスの特典であると知り、現在ではスタッフ一同、何かを成し遂げた気持ちになっております。このブックレットは、申し上げるまでもなく現在予定されている唯一の『ファイアボール チャーミング』関連書籍であり、厚さも手頃ですので、ぐらつく家具の補正などに大変有効かと思われます。
ブルーレイ、ちくわぶボックスの発売を楽しみにしているファンにメッセージをお願いします。
皆様だけが味方です。