魔法が銃に殺される。『ガンパレ』時代からの芝村裕吏ファンが新作『大軍師』にハマった理由

そみん
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 MF文庫J(KADOKAWA)から発売されている芝村裕吏先生の小説『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』

 『ガンパレ』時代からの芝村裕吏さんのファンである筆者が、ちょっとまわりくどく『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』にハマった理由を語っていきます!

僕にとって芝村裕吏さんは“現実世界寄りの軍事作品”作家でした

 2000年9月28日にPS用ゲームとして発売された『高機動幻想ガンパレード・マーチ(ガンパレ)』。

 幻獣の襲来によって人間社会が脅かされ、日本の熊本での防衛線を張るため、学生たちが本土防衛のために立ち向かう……そんな本作は、そのゲームシステムの自由度の高さから傑作と評されることが多いと思いますが、システムだけでなく、世界観・シナリオもまた秀逸でした。

 その中核を担ったのが、『ガンパレ』をはじめ、多くのゲーム・小説・コミック原作に携わった芝村裕吏さんです。

 芝村さんの作るゲームはエッジがきいたものが多く(新世紀ワールドシミュレーターと銘打たれたPS2『新世紀エヴァンゲリオン2』とかもシビれましたね~)、さすがはアナログゲームも好きで、テレビゲーム黎明期からゲームを遊んできたゲーム好きといったところ。

 それにくわえて、個人的には小説やゲームで“軍事・戦争”を描かせたときの鋭さも特筆すべきものがあるとベタぼれしています。

 コミックにもなった小説『マージナル・オペレーション』(星海社)を初めて読んだ時の昏(くら)い愉悦感は忘れられません。

 凄腕オンラインゲーマーの青年であるアラタがゲーム感覚で民間軍事会社に入り、戦場で無双する部分にニヤリ……と思いきや、ゲームではなく現実の戦場に身を置く精神状態がリアルに描かれ、少年兵を率いて世界を渡り歩く展開でも架空の世界情勢がしっかりと描かれることに。

 そのあまりの“生々しさ”に吐き気を覚えるとともに、だからこそ感じる平和の尊さや儚さのようなものに胸を打たれたものです。
(ソフィア関連とかもう……ねえ)

 すごいよなあ、芝村裕吏さんは。現実の世界をベースにしながら、ちょっとしたウソ(幻獣とか統合情報処理端末のIイルミネーターとか)を上乗せして、現実よりも生々しい戦争を描き出すなんて。

芝村裕吏さんの中世ファンタジーに違和感……だったけど!?

 と、自分なりの解釈で「芝村裕吏さんの本質は現実世界寄りの戦争作品だ!」なんて思いこんでいた僕ですが、昨年発売された小説『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』(MF文庫J)を読んでビックリ!

 この作品は人間だけでなくエルフや魔法などが存在する、いわゆる“中世ファンタジー世界”を舞台にした作品です。主人公のガーディはエルフに育てられた少年で、タイトルでネタバレしているように“やがて大軍師と呼ばれる”存在です。

 正直なところ、現実・軍事属性での芝村裕吏ファンの僕は頭を抱えました。いや、ファンタジー世界って! 天才的な大軍師って! リアルさのカケラも感じられません。これはもう、ある意味ギャグとして楽しめばよいのでしょうか?

 なんて、初見最悪の印象から、おっかなびっくりで読み進めたところ……あ、これ、面白い。

魔法が銃に蹂躙される時代……! ファンタジーだけど、戦記モノとしてはしっかりリアル

 1巻の冒頭で主人公が所属する部隊は、敵軍の銃によって敗退します。この時の表現がこちら。

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 ――矢弾(やだま)を防ぐ神聖魔法があったはずなのに。

 対魔法魔法(アンチマジック)でも使っているのかと思えば、そういう風でもない。息を呑(の)んで戦場を観察するうちに、からくりが分かった。

 呪文を使う暇を与えていないのだ。

 体勢を立て直し、隊列を整え、呪文を使えばまだチャンスはあったろう。しかし、グランドラ王の軍勢はそんな暇を与えなかった。

 一列目が銃を撃つと同時に二列目が追い抜いて銃を構えて撃つ、二列目が撃つと三列目が二列目を追い抜いて撃つ。各列は銃を撃ったらそのまま再度弾込めに移る、という算段である。合図には銅鑼(どら)を使っていた。銅鑼が打ち鳴らされるたびに、兵が前進する、という戦術で、これによってどんどんと前に出て、後退を許さぬのだった。

 通常銃は一発撃ったら終わりだから、騎士団はきっと、損害を無視して突撃を敢行したのだろう。人数が多いということも、その決断を後押ししたはずだ。

 ところが青銅騎士団の思うとおりにはならなかった。

 戦術、戦の術(すべ)が銃の価値を根本から変えてしまった。

 銅鑼が鳴る。手信号が各所で繰り出される。しゃがんで銃の筒先に火薬である銅薬を入れ、弾丸を入れ、槊杖(かるか)
で突いて定着させ、銃を構えて火皿に口薬を入れ、火蓋をする。

 二回目の銅鑼で銃が撃たれた。三度目の銅鑼で後列が追い抜いて前進する。銃を構え、火皿の覆いである火蓋を切れば、即ち外せば、銃は撃つだけになる。

 三度の銅鑼で射撃、一度に進む距離は三常(約11m)であった。

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 ……どうですか!(大興奮) 銃の強さと弱さを示しつつ、戦術の意味をしっかりとうんちくとして語るという描写の細かさとリアルさ。この説得力……これぞ“芝村裕吏節”である、と僕は声を大にして言いたい!(再度興奮)
(もちろん、槊杖(かるか)かなんだかわからなくて、辞書で調べましたさ)

 僕は安直に、ファンタジー=ウソ前提での見栄え重視の世界が描かれると思い込んでいましたが、それは違いました。“幻獣がいる”、“今の現実世界にはない特殊な軍事装置がある”というのと同じ感覚で、芝村裕吏さんは“魔法がある”ことを厳密に設定し、その世界でのウソがないようにしっかりと戦いを描いていたわけです。

 この“リアリティのさじ加減の絶妙さ”……さすがは芝村裕吏先生ですッ!

 そして、“魔法VS銃”という構図が、またよい。素晴らしい。魔法が旧文化で、新たな文化である銃によって滅ぼされようとしている設定もまた、胸を打つのであります。

 銃を持つ人間がエルフらファンタジー世界の種族を支配していくという構図も、いろいろと考えさせられる部分がありますよね。

現実にはない素晴らしいウソ“権能(オーソリティ)”

 さて、あまりリアルリアルと言いすぎると、「じゃあ、歴史小説を読んどけ」と勘違いされてしまいそうなので、『大軍師』ならではの現実にはない素晴らしいウソ設定を1つ。

 それが“権能(オーソリティ)”です。

 これは個人に備わった特殊スキル(いい意味でゲーム的!)で、例えば常識外の怪力を振るえる“怪力無双(ヘラクレス)”や、遠くの音も聞き取れる煉獄耳(シャープイヤー)など、戦いに大きくかかわるものもあります。

 そう聞くと、「どうせ主人公のガーディはチートな権能持ちなんでしょ?」と思っちゃうでしょうが、そこはまあ、実際に小説を読んでいただくのがよろしいかと。

 リアルさに寄った世界観を持ちながら、こういうゲーム的な異能が適度に戦線に影響する感覚(影響が大きすぎないところがまた絶妙でして)。それこそ僕は、『ガンパレ』でどんなスキルを習得させて育成しようかとワクワクしていた日を思い出しちゃいました。

なんだかんだ言って、キャラの個性が強いところも魅力です

 ちょっとまわりくどい紹介になってしまいましたが、そんなわけで僕は芝村裕吏さんが描くファンタジー戦記ラノベ『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』をイチオシします。

 設定として、底本は明治時代に翻訳された海外のファンタジー作品をさらに現代日本語でリライトしたという形がとられているので、やや仰々しい文体の部分もありますが、キャラクターの口調や会話は親しみやすいもの。

 ガーディの育ての親である母エルフのタウリエル(60歳)は人間の見た目で言えば12歳というかわいさですし、ガーディの上司となるクォーターオークの少女・ナロルヴァさんもまた、脳筋気味のおバカかわいさがあって素敵です。

 1巻だけでも小説としての起承転結がしっかりしていておすすめですが、2巻ではより戦記作品としての大合戦が描かれることになり、派手なシーンが多くて面白くなっています。

 今のところ、『マージナル・オペレーション』ほど世界や軍事社会の闇や汚さは描かれていないので、幅広い層にも安心してプッシュできる流れかなと。『大軍師』シリーズが長く続いて、コミック化やアニメ化して、まだ挿絵に登場していないタウリエル母さんがかわいく描かれる日を夢見つつ、今後も布教活動を続けていく所存です!

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『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい2』

  • 発行:MF文庫J(KADOKAWA)
  • 発売日:2020年2月25日
  • ページ数:260ページ
  • 定価:620円+税