怒涛の初担当!!【O村の漫画野郎#5】

奥村勝彦
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 秋田書店の漫画編集者を経て、元『コミックビーム』編集総長もつとめた“O村”こと奥村勝彦さんが漫画界の歴史&激動の編集者人生を独自の視点で振り返る!

怒涛の初担当!!

 あー。これはもう皆、そうだと思うが新入社員のギャラは非常に安い。んで、新人のうちは基本的な技術を教わって他の人の仕事をちょこっと手伝って定時になったら帰らされる。

 最初のうちはそれでも目新しいもんだからいいけど、すぐに飽きちゃう。入って2か月ぐらいで、あー漫画家の担当やりてえなあ……なんて思っちゃった。んで、編集長の壁村さんに直訴。

 「そろそろ担当つけてくださいよお。残業代が出ないんじゃ、女も買えませんよお。」……周囲が凍り付くのがわかった。

 でも、俺は直感的に壁村さん相手だと、こういう無茶苦茶なアプローチの方が正解なんだと思っていたからね。壁村さんは何にも言わねえでニヤッと笑っただけだった。


 翌日、めでたく俺に初担当の指令が!? いつも校了のドン尻を争っていた4本のうちの1本、『Let’sダチ公』というウルトラ硬派漫画だった。

 その内容は勉強だの授業だのといった学生的な行為は一切描かれず(教師の存在、ほぼ無視)、「タイマンはったらダチじゃあ!」と叫びながら、ひたすら殴り合い、ダチが増殖していく非常にすがすがしいものであった。


 そっから毎週、漫画家さんの仕事場に2泊3日、金曜日から日曜深夜まで泊まり込んだ。巻頭カラーなんぞ付けられた日にゃあ、3泊4日になる。

 なぜそんなコトするのかってえと、編集者が監視してねえと、原稿がダダ遅れになったり、ひどい場合には漫画家さんに逃げられたりするからだ。実際、2階から逃げ出した漫画家さんを追いかけ、待ち伏せしていた編集者が、屋根の上でつかみ合いになったような実例もある(手塚さんだったり赤塚さんだったり)。


 まあ、そんなドタバタなんざ日常茶飯事で、さらにヤバイことに当時の印刷所は年中無休24時間営業だったもんで、締め切りなんて滅茶苦茶だった。

 日曜(正確には月曜)の午前2時に原稿渡して、月曜の昼には本が出来たりしてたからなあ。んで、月曜日の夕方には次回の打ち合わせ。

 振替休日なんぞ取れるわけがない。平日も仕事は山積みで、泊まり込み以外の日は毎晩深夜まで壁村さん&先輩編集者と呑みまくってたからな。

 まあ、コッチから担当させてくれって直訴した手前、休ませてくれなんぞ口が裂けても言えねえわな。結局、初担当就任から3か月間、休みは一日も無かった!!

 労働基準法? 何それ? である。んで俺はどうなったか!? 待て、次回!!

(次回は7月6日掲載予定です)

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イラスト/桜玉吉