【ウマ娘が1.8倍楽しくなるお話 4】日本ダービーに刻まれたドラマを2つ思い返してみます

柿ヶ瀬
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 最初に見た記憶があるダービーはウィナーズサークルが勝利したダービー、柿ヶ瀬です。どちらかというと2着馬のリアルバースデーという馬の名前に惹かれた記憶があります。

 さて、この記事が出る頃には、現実世界では競馬の祭典とも言える“日本ダービー(東京優駿)”が直前のはずです。

ダービーってなんだろう

 競馬のことを知らなくても、“ダービー”というレース名、あるいは言葉だけでも聞いたことがあるでしょう。『ウマ娘』においても、サブタイトルにプリティダービーとついているように、ダービーというのは競馬を代表するレースです。

 『ウマ娘』のメインストーリー第3章において、ウイニングチケットが憧れのダービーを目指すストーリーが描かれました。以前のコラムでも触れたように、ウイニングチケットのダービー勝利は念願のダービージョッキーとなった柴田政人さんのドラマでもありました。

 日本ダービーを勝った時のインタビューで「世界のホースマンに第60回のダービーを取った柴田ですと報告したい」と言ったように、世界の競馬界に通じる名誉なのです。

 しかしダービー勝利の名誉は、競走馬や騎手だけに輝くものではありません。当然馬主、調教師もですし、厩務員や生産牧場などに至るまで、ダービーはすべての競馬関係者、ホースマンにとって特別な栄誉であるのです。

 とは言え、我々外側の人間にとってはどうでしょうか? もちろん日本ダービーが特別で、栄誉あるレースであることはわかっています。元々はイギリスのレースであるダービーをモデルにして作られ、歴史も長く、3歳時に1度しか出られず、もちろん賞金も高い。

 頭では理解できていますし、新聞や中継、または競馬場現地でのお祭りのような空気もあります。しかし、本当に特別な実感というのはなかなか持てていないのでは……と筆者も思うことがあります。

 まして『ウマ娘』の育成ストーリーにおいて、ダービーはあくまでゲーム序盤から中盤にかけての1レースです。目標レースになることもあればそうでない場合もある、もちろん一生に1度しか走れないレースですが、それは皐月賞を始めとした他のレースでも一緒。なので『ウマ娘』から競馬の世界に触れた人はダービーの特別感にはあまりピンと来ていない人が多いかもしれません。

 もうちょっと広く知られているであろうモノに置き換えるとすると、ダービーは高校野球の“夏の甲子園”に例えられることがよくあります。もちろん高校野球の場合、3年間チャンスはあるわけですが、イメージとしては近いものがあるのではないでしょうか。

 高校球児が夏の甲子園の頂点を目指して必死にプレーする姿や、夢破れ涙する姿に感動を覚える人は多いでしょう。

 近年よく議論される投げすぎ問題など、色々と言われることはあります。その是非はともかく、卒業後にプロでの活躍を有望視されるような選手にさえ「ここで野球人生が終わってもいい」と思ってしまうほどに、夏の甲子園というものには選手たちはもちろん、監督コーチを含めた関係者にとって、外から観客として見ている我々には理解しえない“何か”があるということはわかるかと思います。

 

 実は、上で少し触れた甲子園での逸話のように、実際にダービーで燃え尽きてしまったような馬もいます。というよりも、近年ではダービー後にもしっかり活躍したダービー馬のほうが少ないくらいだったりしますが……。

 そこで今回は『ウマ娘』に登場する、ダービー勝利が頂点であったダービー馬を紹介したいと思います。

アイネスフウジンのダービー

 アイネスフウジンが勝利した1990年のダービーは、競馬の入場者数世界レコードとして現在も破られていない、19万人を超える観客が東京競馬場に詰めかけていました。これはスーパースター・オグリキャップ、そして武豊が生み出した第二次競馬ブームの真っ只中のダービーゆえの大観衆だったと考えられています。

 アイネスフウジンのダービーで語られるのは、そのレース内容だけでなく、“レース後に起こった出来事”についてのことが多いダービーでした。ゴール後、自然と沸き起こり、東京競馬場全体を包んだ中野栄治ジョッキーへの“ナカノコール”。そのあとオグリキャップの引退レースの有馬記念で起こったオグリコールや、ウイニングチケットのダービーでのマサトコールなど『ウマ娘』のメインストーリーでも再現されたコールが最初に生まれたのがこのレースでした。

 1990年のダービーは、コールによって純粋に勝者を称えたことで、それまでのギャンブルとしての競馬だけではなく、スポーツとしての競馬の一面を大きく前面に押し出すことになりました。それゆえに、競馬の歴史においてとても大きな転換点ともされているダービーです。

 そこで改めて『ウマ娘』でのアイネスフウジンのキャラクターデザインを見てみると……おわかりになるでしょうか? 勝負服や帽子などのデザインを含め、スポーティなイメージのウマ娘になっています。

 あくまでも筆者の想像でしかありませんが、こういった出来事さえもキャラクターデザインに活かされているのでは? と思わずにはいられません。

 アイネスフウジンはレース後に疲労困憊となったと言われるほどすべてを出し切りました。そのせいであったかどうかはわかりませんが、ダービー後に脚部不安から休養するも、そのまま復帰すること叶わず、引退してしまいます。

 それでもアイネスフウジンがダービーで得たもの、そしてアイネスフウジンがダービーで遺したものはとてつもなく大きかったと言えるでしょう。

サクラチヨノオーのダービー

 サクラチヨノオーが制した1988年のダービーは、漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』でも描かれている通り、オグリキャップと同じ世代のダービーです。ゲーム実装はつい先日のサポートカードのみとは言え、そのレース内容自体は知っている方もいらっしゃるかもしれません。最後の直線で抜け出し先頭に立つも、内から追ってきたメジロアルダンに一度は差されます。しかしそこから驚異的な勝負根性で差し返してのゴール。手に汗握る凄まじいダービーでした。

 そんなサクラチヨノオーは『ウマ娘』において描写することが難しいドラマを持っています。

 まずは、先日実装されたサポートカードのサクラチヨノオーにそのドラマのヒントが描かれています。そう、勝負服の帯を直すマルゼンスキーです。

 以前のコラムでも書きましたが、マルゼンスキーは持込馬ゆえにダービーに出ることが叶いませんでした。そのマルゼンスキーの仔であるサクラチヨノオーが念願のダービーを勝つのです。『ウマ娘』においてはもちろん父子の関係はありませんが、サポートイベントにも当然マルゼンスキーは登場します。

 しかしサクラチヨノオーの持つダービーのドラマはこれだけではありません。

 サクラチヨノオーがダービーを走る1年前――1987年のクラシックを走った馬にサクラスターオーという馬がいました。チヨノオーとは血縁はありませんが、名前を見れば分かる通り、同じ馬主さんの馬です。

 サクラスターオーは皐月賞を勝ったあと故障をし、ダービーは無念の回避をすることになりました。しかし復帰戦となった菊花賞で見事な復帰勝利を果たして二冠馬となります。菊花賞勝利の時の関西テレビ、杉本清アナウンサーの「菊の季節に桜が満開!」というフレーズを聞いたことがある人もいらっしゃるのではないでしょうか。

 しかしそのサクラスターオーは、有馬記念で競走中に故障してしまいます。普通ならそのまま安楽死処分でしたが、なんとか種牡馬として血を残せないかと必死に治療する道を選びます。ですが、治療の甲斐もなく、翌年5月、ダービーの半月前に亡くなりました。

 そしてその半月後、サクラスターオーが唯一勝てなかったダービーを、同じサクラ一門のサクラチヨノオーが勝ちました。レースは前述の通り、歴史に残る叩き合い(最後の直線で激しく争うこと)を制しての勝利。それを見たオーナーは「スターオーが後押ししてくれたのかな」と言ったそうです。

 サクラチヨノオーは、ダービーのあと屈腱炎を発症し長期休養。復帰するもかつての姿はなく2戦凡走して引退しました。結果としてはダービーで燃え尽きた馬でしたが、ある意味では燃え尽きるに値するだけの想いを背負った馬だったとも言えるかもしれません。

 もっとも、歴史的な意義を残した馬、だとか。燃え尽きるに値するドラマを持った馬。だというのは、我々が結果から後付けで考えたものにすぎません。

 本来であれば、ダービー後も活躍して欲しかった。させてあげたかった。それが本音でしょう。まだこの2頭は育成ウマ娘としては実装されていませんが、そんな特別なダービーの勝利を、ウマ娘ではどう描いていくのか。そして、ダービーのあとどのような道を駆けて行くのか。『ウマ娘』運営の手腕に期待したいと思います。

やっぱりダービーって特別なレースなんです

 ダービーはホースマンにとって、もっとも特別なレースと言われています。

 『ウマ娘』の育成においては、クラシック級で一度しか出られない、目標レースになる時もあればならない時もあるGⅠレース、くらいかもしれません。

 しかし、そこにはすべての競馬に関わる人が手にしたい栄誉があり、勝った馬にも、負けた馬にもそれぞれに物語があるのです。このコラムでは『ウマ娘』の楽しさを書くように心掛けていますが、競馬の祭典・ダービーでは、ぜひ現実の競馬にも少し触れてみてはいかがでしょうか。

 最後に余談ですが、今回紹介したアイネスフウジンとサクラチヨノオーのぬいぐるみが筆者の家にありましたので紹介します。30年くらい前になりますでしょうか、ゲームセンターのクレーンゲームでゲットしたものです。


 ウマ娘たちとお出かけすると時々出てくるクレーンゲームイベントは、この時代に実際に起こった第二次競馬ブームにより様々なスターホースぬいぐるみが景品として置かれ、必死にゲーセンでゲットしようとしていた筆者たちの姿をイベントにしたかのようで、とても懐かしい気持ちになります。

 というわけで今回は“ダービー”についてのお話をしていきました。

 また次回もこういった“楽しみ方”を提示していければと思いますのでお時間ありましたらぜひご一読いただきたければと思っています!

 それではまた!


【コラム】ウマ娘が1.8倍楽しくなるお話

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