定年になったざんす!!【O村の漫画野郎#53】

奥村勝彦
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 秋田書店の漫画編集者を経て、元『コミックビーム』編集総長もつとめた“O村”こと奥村勝彦さんが漫画界の歴史&激動の編集者人生を独自の視点で振り返る!

定年になったざんす!!

 あー。次回でこのコーナーも終わっちまうので、今回はテメエの現状を語ろう。……んなたいしたモンでもねえけどな。


 俺は2013年に編集長を退いた。合計16年もやったのは、やっぱり長い。編集長なんてのは10年以上やっちゃいかんなあ。部員を最小限の人数でやってたんで仕方が無かった面もあるがな。

 んでまあ、最後の方はなるべく新連載を始めたりしないようにしてたの。俺、放っといたら調子に乗って新連載バカバカ起こしちゃうから。新人や持ち込みも見ないようにした。結局、面倒を見切れねえから。自分の存在をなるべく消しとかねえと、少人数だと辞めた時のインパクトがでかすぎるんでな。


 そんで、なんか途中で俺の知らねえうちに、編集総長なんつー肩書にされてたけど、そんなもんねえからな。暴走族じゃあるめえし。

 ……結局、何人かのベテラン連中はビームを離れた後も内緒で担当してたりした。誰とはいわないが一番困った漫画家は、担当者が自動車を持ってねえとやれねえヤツでな。

 ソイツは伊豆の山奥に住んでいて、原稿を1本上げさせるためには、だいたい2回はその山奥の家に行って、玄関先で「テメエ、いい加減描きやがれ!!」と叫ばねえと描かねえ。なので、誰にも頼めなかったの。

 ところが、鎌倉に自宅があって自家用車も持っている高橋という人物が突然配属され、俺は狂喜した!! 高速使わねえで片道2時間で行けるじゃん!! 俺なんて4時間かかったぞ!! 今、彼はエライ目に遭っているようだが、これも修行である。編集者の道のりは長く険しいんよ。


 俺の次は副編だった岩井が継いで、一昨年から清水が編集長となった。歴史は続いているのだ。前にも書いたが俺は現在、海外の漫画を日本語に翻訳して電子で公開する仕事をやっとります。世界のどこかにイカレたセクシーな漫画家はおらんかのう!! と探す日々であります。


 そうそう、4月に俺は60歳になった!! 見事に定年である。定年にはなったが、なぜか世の中的には、65歳まで雇用せにゃならんらしいので、あと5年は働くことになる。でも定年は定年なのだ。

 これは、なるべく年金を払わなくてすむのを目的とした政府のきたねえ陰謀なのだが、なんかハッキリしねえよなあ。おまけに、今の部署に転属したと同時に、コロナ禍で強制的にテレワークに突入したもんで、なんだかワケがわからねえ。


 俺としては、60歳の誕生日に花束&涙で見送られて、しまいにゃあ若い女子社員に「実はアナタのことが好きでした」なんて告られて、あわよくば一発やれんじゃねーかな……などと素敵な妄想をしてたのに、なんだかグダグダもいーとこである。つまらんのう。


 だけど、まさかこんな風に世の中が、鬼のようにちっぽけなウイルスでグチャグチャになるとは思わんかったなあ。なんかこんだけ先の見えねえ状況が世界同時に起きるとはね。

 まあ、そんな時に編集者人生に一区切りついちゃったってえのも、運命だよなあ。そこで、最後は俺なりにこの状況を踏まえて色々語ってみようと思う。……待て!! 最終回!!

(次回は6月28日掲載予定です)



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イラスト/桜玉吉

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