2008年10月28日(火)
日本テレビ系(一部地域を除く)でオンエア中のTVアニメ「魍魎の匣」。原作者・京極夏彦氏をはじめとする関係者らにインタビューを行った。
「魍魎の匣」は、京極氏のベストセラー「百鬼夜行シリーズ」(講談社刊)の、2作目にあたる本格推理小説を映像化した作品。2007年の原田眞人監督による実写映画化に続き、今回TVアニメ化が決定した。制作は「BECK」や「NANA」など、数多くのアニメ作品を手掛けるマッドハウス。キャラクターデザイン原案は、人気漫画家集団・CLAMPが担当する。
インタビューに答えてもらったのは、京極氏と、“京極堂”役の平田広明氏、監督の中村亮介氏ら3名。以下に、インタビューの内容を掲載する。
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▲左から、平田氏、京極氏、中村監督。役者、原作者、監督、それぞれの立場から本作について語ってもらった。 |
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――まず、平田さんに質問します。“京極堂”を演じた感想や、作品の印象などを教えてください。
平田氏:あちこちで言ってるんですけど、僕はあまり活字を読まないんです。だから「魍魎の匣」は、字も多くて敬遠していたんですが、この機会に読ませていただきました。読んでみると、ものすごくひきつけられましたね。ただ僕は一読者ではないので、どうしたものかなと思いました。“京極堂”はすごく頭のいい人なので、まず僕が(“京極堂の”)言ってることを理解できるかどうかが心配でしたね。彼の知能に近づこうと必死にあがいている最中です。
――演じられる上で、ここに注目といったポイントはどこになりますか?
平田氏:今日の5話目で初めての登場なので、まだ何もしていないにひとしいのですが、トリックを使って“鳥口”君をハメたりしています。そういったサスペンスが皆さんに伝わるといいですね。
――続いて、京極先生にうかがいます。本作がアニメ化されるにあたって、今のお気持ちを聞かせてください。
京極氏:僕は、アニメ化の場合も映画化の場合も、コミック化にしても、原作者は口を出すべきではないと考えています。小説家は原作を提供したというだけで、それらの作品に関しては1読者であり1視聴者でしかないわけですから、アニメファン、映画ファン、コミックファンとして、毎度ひたすら完成を楽しみにするだけです。今回のアニメについてもまったく何も言わなかったわけですが、「おもしろい作品にしてください。できれば当ててくださいね」とだけ申し上げました。一切注文をつけないというのは作りやすい反面、これはただのプレッシャーだという(笑)。ただ、制作にかかわりはしませんが、制作側のスタッフではあるわけで、今日のように作品の制作過程に立ち合うことも多いんですね。するとスタッフの方の熱意や努力がわかってしまうんですね。ウケるかどうかといった送り手側の心配も伝わってきます。そうするとより期待は高まるわけですが、まず作り手の方が納得できる作品になっていればそれでいいとも思えちゃう(笑)。視聴者の方が、それを見て喜んでくださるのなら本当に何も言うことはありません。今日はアフレコの現場を見学させていただいたのですが、声優さんがちょっとかわいそうですね。平田さん、“京極堂”役をお引き受けになった不幸。この先アフレコルームにただ1人、脚本の半分が平田さんのセリフといった収録がやってくるかも。これは差し入れでも持っていかないといかんと思いました(笑)。ごめんなさい。
――中村監督にうかがいます。原作本を読まれた際の感想を教えてください。
中村監督:文体に品があるといった印象を受けました。内容的には残酷だったり、時にえげつなかったりするところもあるんですが、品があるので気持ちよく最後まで読めましたね。その時に、僕が最初に考えたのは、小説の文体を、映像で表現できないかといったことです。作品へのアプローチの仕方が、原作を読んだ時点で決まったので映像化にあたってはある意味やりやすかったです。小説に触発される部分が大きかったですね。
――原作の世界観を表現するのは難しいと思うのですが、工夫をされた点はありますか?
中村監督:「魍魎の匣」は、昭和27年といった舞台ありきで成立している作品なので、まず時代にリアリティが必要だと思ったんですね。ただ、そのリアリティを表現するのが曲者(くせもの)なんです。今の僕らの目線から、たとえば昭和27年の写真を見ると、汚いなとか貧乏くさいなとか思うじゃないですか。でも、“京極堂”とかその時代の人の目線から見たら、決してそうではないと思うんです。その人たちの目線から建物がどう見えたのか、風景がどう見えたのか、その心情に寄りそう気持ちといいますか、ぶっちゃけて言えば美しめに描きつつ、その時代の香りを出せたらいいなと考えています。
――京極先生にうかがいます。キャラクターデザインをCLAMPさんが担当していますが、ご覧になっていかがでしたか?
京極氏:いや、美麗なキャラクターにしていただきました。これぞアニメ化の醍醐味ですね。「おいおいこれがあのダメな“関口”か!」という感じで(笑)。他のキャラクターもきれいに底上げされています。きちんとCLAMPワールドになっていて。うれしいですね。セッションというかコラボレーションというか、こういう仕事でないと生まれてこない世界ではあるわけで。動いて声がつくのが楽しみです。
――京極先生から、“京極堂”を演じるにあたって平田さんにアドバイスがありましたらお願いします。
京極氏:原作の“中禅寺秋彦”は、もっとイヤな人ですね(笑)。でも、イヤな人であることを相手に悟らせないというキャラクターなんですね。悪くない詐欺師みたいなものですから、二層式で演じることになる。笑っているシーンだけど、腹の底では笑っていない。監督は、耳で聞いただけでそこまでわからせろという厳しい演出をされるでしょうから、大変だなと思いますね。監督に何を言われても、本当は違うんだと思って演じられるといいかもしれません(笑)。
――平田さんは、今の京極先生のアドバイスについて、どう思われますか?
平田氏:僕も原作を読んだ時には同じようなことを感じました。人間くささというのは、欠点のようなものを出すことで生きてくる思うんですが、原作でもあまりそういった部分が出ないので、どうしようかと思っています。監督から優しくて温厚なといった指示があったので、それを踏まえた上で何かやろうとは考えているんですが……。カッコいいだけの人にならないようにしたいんですけど、難しいかもしれません(笑)。
――監督は、ここまでの話をきいて、どう思いましたか?
中村監督:“京極堂”についてのお話、興味深く聞かせていただいていました。今日平田さんの声を聞かせていただいて、これはうまくいくと確信できましたね。
平田氏:プレッシャーのキャッチボールですね(笑)。
中村監督:“京極堂”については、彼の周りに登場人物たちが自然と集まってくる、そういった引力のようなものを出していくのが大事だなと思っています。今日が“京極堂”の初めての登場回だったんですけど、声を聞いて安心しました。
――小説を映像化されることについて、どう思われますか?
京極氏:原作は材料にすぎないわけです。どれだけ変えてしまっても、できあがった作品がおもしろければそれでいいんですね。僕の小説が別の優れた作品を作るキッカケになったのであれば、これはうれしいことです。そうしてできた作品から、また違う作品が生まれていくと思うんです。そういう連鎖がオモシロイわけで。
中村監督:僕もおっしゃる通りだと思っています。僕は、誠意を持ってやるといった言い方が好きなんですけど、原作を忠実にやればいいだろうみたいなことにはしたくないんです。原作に誠意を持って向きあって、お話の中にあるエッセンスみたいなものをなんとか表現したいなと考えているんです。とてもやりがいがある作品ですね。原作ファンの方はそれこそさまざまなイメージを持っていると思うので、これが僕のイメージだというものを見せなくてはいけないんですけど、それが受け入れられたらいいですね。
京極氏:よく「原作に忠実」というんですが、その忠実って、一体何に対して忠実なのかと。100人いたら100人の、1,000人いたら1,000人の作品のイメージがあるんです。他の99人、999人は絶対に「違う」と言うんだから、忠実に作るなんて無理です。なので、監督が言っているように忠実にというよりは「誠実」にといった方が正直だし、そのほうが原作のエッセンスを導き出すには有効なのかも。全然変わってるのに、「原作に忠実だよねー」って言われたりしますし(笑)。今回、監督の言葉を聞いてとても安心しました。むしろ知らない人に見ていただいて、新たに原作を買ってもらった方が、僕としてもうれしいことですし(笑)。