2013年12月18日(水)
――ω-Force(オメガフォース)が立ち上がり、一番最初に『三國無双』を作られたというイメージですが、それは正しい認識でしょうか?
そうですね。1997年2月にリリースしています。
――入社してプログラムを勉強して作ったのが、『三國無双』だったと。
確か3年目くらいだったと思います。部長がプロデューサーだったんですけど、ディレクターに中途採用で光栄に入ってきた友池(友池隆純さん)がいて、彼は『真・三國無双』で初期シリーズのプロデューサーになりました。彼と私と小笠原(小笠原賢一さん)の3人がコアメンバーで、そこに鯉沼(鯉沼久史さん)がプログラマーとして私の下に入って、『真・三國無双』シリーズでずっとメインプランナーをやっていた庄(庄知彦さん)が小笠原の下でプランナーをやっていましたね。だいたいそのぐらいの小さなチームで始めた感じです。
――そもそも、なぜω-Forceを立ち上げることになったのでしょうか?
もともとSLGで有名な会社なんですが、社長が「新しい分野にも挑戦したいからACTを作れ」と言って作られた開発チームだったんです。なので、最初は何でもいいから作るように言われていました。
――ACTというジャンルであれば選択の幅があると思うのですが、なぜ格闘ゲームを選ばれたのでしょうか?
いろいろ検討したんですよね。二転三転どころか何転もしたところで格闘ゲームの『三國無双』になったんですけど……最初はアーケードのゲームを作るかっていう話もありました(苦笑)。
――光栄さんでアーケードゲームというのは、想像できませんね。
今だから言えますが、当時は上層部のツテで基盤を作っていたタイトーさんと何か作ろうかっていう話も持ちあがっていたんですよ。まあ、それはなくなり、アクションゲームの企画をたくさん出すことになるんですが。
――どんな企画がありましたか?
それこそ、オーソドックスな横スクロール系アクションや、「これ実現するの?」というような全然違う斬新な企画もありましたね。ただ、いろいろと考えた結果、光栄という名前でアクションゲームを出す時にどうやったら売れるかという観点で考えたんです。当社は歴史に強いイメージがあるので、歴史に片足を置いといたほうがいいんじゃないかというプロモーション的な考えが出ました。そこから『三國志』か『信長の野望』というイメージができました。
その当時、格闘ゲームは隆盛していたので、アクションゲームの中でも格闘がいいだろうと。格闘ゲームで武将が1対1で戦うのであれば、戦国時代よりも『三國志』だろうという論理的な展開で、ゲームの方向性が決まりました。
――当時は衝撃的な作品でした。隠し武将で信長やとーきち(木下藤吉郎)が入っているのは、企画当初の名残なのでしょうか?
私は『三國志』にハマったのですが、小笠原は『信長の野望』にハマってうちの会社に入ったんですね。そこで、誰か隠しキャラを入れたいという話が出た時に信長や秀吉が候補に挙がりました。“とーきち”は『太閤立志伝II』に登場した2等身キャラクターなんですけど、当時は大河ドラマで『秀吉』を放送していまして、主演の竹中直人さんがやっていた秀吉の決めゼリフであった「心配ご無用」を拝借して勝利ポーズの時にしゃべらせたという経緯があります。
――後でお聞きしようと思っていたんですが、『真・三國無双7 猛将伝』の法正のセリフに「倍返しだ!」が入っていたんですが、アレは偶然なんでしょうか?
アハハハハ。あれは本当に偶然です! ちょうど『半沢直樹』の放送直前に音声収録の台本作成に着手していて……『半沢直樹』が放送され話題になってきた時に「これは、セリフがかぶっているな」と担当者とは話していたんですが、しょうがないのでそのままにしています。
――決して後からパクったわけではないと。
そうなんですが、でも絶対に「ドラマから持ってきてるよね!」と言われるだろうという話はしていました(笑)。
『真・三國無双』はどうやって作られた!? 詳細は3ページ目で!
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