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2014年3月20日(木)

【GDC 2014】2014年の今、鈴木裕さんが伝説のタイトル『シェンムー』を語る。そのルーツとなった『バーチャファイター RPG』とは

文:megane

 現地時間3月17日~3月21日の期間に、サンフランシスコで開催されている“Game Developers Conference 2014”。3日目にあたる3月19日に、鈴木裕さんを招いたセッション“Classic Game Postmortem Shenmue”が行われた。

『シェンムー』

 講演内容は、1999年にドリームキャスト用ソフトとして発売された『シェンムー ~第1章 横須賀~』について。鈴木さんによる、当時を振り返りながらの『シェンムー』の生い立ちなどについて語られた。

 なお、本講演のサポートとして、PS4の設計に深く関わったマーク・サーニー氏が間に入っていた。マーク氏は1980年代中頃、日本でセガに在籍していたこともあり、鈴木さんとの親交も深いようだ。

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▲1980年代から90年代にかけて、『スペースハリアー』や『バーチャファイター』など数々のアーケードタイトルをヒットに導いた鈴木裕さん。▲PS4 リードシステムアーキテクチャとしてPS4の根幹となるシステムの開発にも関わったマーク・サーニーさん。
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▲懐かしい映像とともに『シェンムー』を振り返るオープニング。
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▲1994年までに鈴木さんが手がけた作品の数々。『アウトラン』や『アフターバーナー』『スペースハリアー』などは今でも記憶に新しい。▲80年代はアーケードタイトルのみを開発していたため、自分のRPGの経験は80年代前半のPC向けRPGのみだった。しかし90年代初旬に日本製のRPGも研究をし始めた。

 90年代のRPGを研究しているうちに、壁にぶつかっても歩くモーションをし続けたり、NPCに対して正面から向かないと話かけられないといった仕様が気になりはじめてきたという。

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 そこで基礎研究としてセガサターンにて作り始めたRPGが『桃のじいさん(The old man and the peach tree)』。舞台は1950年代の中国で、「龍」と呼ばれるカンフーの達人を探し求める。

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 この桃のじいさんについて、鈴木さんは販売することを考えない基礎研究用のゲームなので、制作は楽しかったと振り返る。この桃のじいさんはシェンムーの大元になったタイトルである。

 その後、『バーチャファイター』のエンジンを利用したセガサターン用タイトル『バーチャファイターRPG』の制作にとりかかる。

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 主人公をアキラとするRPGで、フル3D、フルサイズ、フルボイスを予定。多人数バトルや映画的な表現を採用していた。もちろんアキラだけでなくラウやパイ、ジャッキー、サラなども登場する。

 次に紹介されたのは『バーチャファイター』の原点とも言える1993年の中国旅行について。ここで鈴木さんは八極拳の門を叩き、実際にデモンストレーションとして見せてもらいつつ、自身も体験した。しかし、その際に現地で対応してくれた老師が歓迎会で酔っ払ってしまい、八極拳どころか酔拳になってしまったことや、寸止めが効かずに石床に頭をぶつけてしまったなどのエピソードが語られた。

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 『VF RPG』のプロットは“父の死による悲しみ”、“中国への旅立ち”、“戦い”、そして目的を失ったことによる“新たな旅立ち”の4つで構成されている。この時点では『VF RPG 晶の章』というタイトルになっているが、この構成、どこかで聞き覚えがないだろうか。

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 本作の脚本の作り方は少々特殊となっていて、プロットと前述の4つのアクションからまずオーケストラでの組曲を作成し、それを聞いて脚本家や演出家などがゲームとしてのシナリオを作っていく。ゲームメインのライターだけでは、ゲームとしての常識や壁といったものを乗り越えられないので、こういったゲーム外からの人材を入れていったという。

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 しかしメインストーリーにサブシナリオやゲームイベントなどを追加していった結果、メインストーリーの見通しが悪化。11章にわたるノベライズ形式のストーリーへと変更して、メインストーリーにて世界観とドラマの強調を行うことにしたという、

 スタッフ間で世界観を共有するためのコンセプトアートを制作。今回、そのコンセプトアートが初めて公開された。

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 開発を進めていくと、次に訪れたのはハードの世代交代だった。セガサターンで開発されていた本作は、セガサターンの次世代機に開発が移行された。この時のコードネームは“Guppy(グッピー)”。ゲームのプレイ時間は45時間ほどを想定していた大作だった。

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▲これは鈴木さんが想定していた新ハードのスペック。まだこの頃はドリームキャストの形もなかったという。

 そしてハードが変わることで、本作が持つ役割も変わってきた。ドリームキャストのキラータイトルとして立たせるには、オリジナルタイトルにしたほうがいいということで、『VF RPG 晶の章』から『シェンムー 一章横須賀』へと変更された。つまり、『シェンムー』の元は『VF RPG』だったということである。

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▲本作に存在する4つの要素。オープンワールドと映画的表現。
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▲QTEによる誰でも遊びやすいバトルシーンと広大な世界で行われる多人数でのフリーバトル。

 しかし、オープンワールドでデータ容量が膨大になり、CD50枚分が必要であることがわかった。そこで内部データについてさまざまな圧縮の方法が取られた。これについて当時は非常に苦労したが、現在ではさまざまなツールがあるので、もっと楽にできるだろうとのこと。

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▲森のデータを自動生成。▲九龍城の1つ1つの部屋に入りたいという思いがあった。
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▲部屋内の家具などはAIが自動で生成する。▲天候の変化を取り入れたのも本作の特徴だ。気象台からわざわざ1986年から3年分の横須賀の天候データを入手し、当てはめていったという。

 なお、『シェンムー』ではNPCがそれぞれ1日のアルゴリズムを自分で持っており、自分の生活をゲーム内で営む。そうした中で、ある日倉庫街にいるはずのNPCがまったくいなくなってしまったことがあったという。その原因はなんとコンビニにあった。

 朝、NPCたちはコンビニに立ち寄るアルゴリズムが組まれていたが、あまりにも人が多すぎて処理しきれず、完全に止まってしまっていたという。これを解決するために自動ドアを大きくしたり、コンビニに入場制限をかけたりといった、よく考えるとおもしろい解決策が取られていた。

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 また、本作はさまざまな企業とのタイアップも行われていたが、コカコーラ社とのタイアップでチェックを送った際に、コーラそのものではなく自動販売機の位置で修正が入ったこともあったという。自動販売機は道にはみ出して置いてはいけないものということで、ゲーム内でも位置をずらしたそうだ。

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▲コーラを飲んだ後の仕草などもきちんと作りこまれている。
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▲男性キャラクターに女性の仕草を入れてしまったり、犬や猫に人のモーションを入れて、2足歩行する猫などができたりもした。

 『シェンムー』の開発でもっとも大変だったのは、工程や人の管理だったと鈴木さんは語る。当時はWebを使ったグループウェアなどもなかなかなかったため、エクセルにアクションシートを作り、アクションリストを記入していたのだが、物量がハンパない作品なためにアクションリストが減っていかない。1万を超えるアクションリストが制作されたこともあったようだ。

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 こうして当時を思い出しながら語られた『シェンムー』の制作現場。会場から真っ先に「『シェンムー3』はいつ?」と聞かれたものの、答えとしては「機会があれば作りたい」と言うに留まった。

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▲1999年に『シェンムー 一章横須賀』が、2000年に『シェンムーII』が発売された。その次は……?
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▲セッション終了後も多くの来場者に囲まれていた鈴木さん。

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