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2014年8月6日(水)

【電撃PS 20周年】『DQVII』と『FFVII』が同時に誌面に掲載。スクウェアとエニックス、RPGの両雄がPSで並び立つ【1996年9月~1997年1月】

文:電撃PlayStation

『電撃プレイステーション』

 電撃PlayStationの20周年を記念し、バックナンバーを振り返りながら当時のPSタイトルやPSの歴史をひも解く特別連載企画『電撃プレイステーション バックナンバークロニクル』。

 連載第5回は、1996年9月から1997年1月にかけて発売されたVol.31~Vol.40を振り返る。Vol.24で2014年現在と同じ形となる隔週刊化を果たした電撃PSは、Vol.39で増刊『電撃PlayStation D』を刊行。ゲームの体験版などをディスク付録に収録しており、データのダウンロード環境が整っていない当時にとって、非常に重要な役割を果たした。

Vol.31Vol.32
『電撃プレイステーション』 『電撃プレイステーション』
●電撃PlayStation Vol.31 発売日:1996年9月27日(表紙:サイキックフォース)●Vol.32 発売日:1996年10月11日(表紙:はるかぜ戦隊Vフォース)
Vol.33Vol.34
『電撃プレイステーション』 『電撃プレイステーション』
●電撃PlayStation Vol.33 発売日:1996年10月25日(表紙:ありす イン サイバーランド)●電撃PlayStation Vol.34 発売日:1996年11月8日(表紙:エターナルメロディ)
Vol.35Vol.36
『電撃プレイステーション』 『電撃プレイステーション』
●電撃PlayStation Vol.35 発売日:1996年11月22日(表紙:プリンセスメーカー ゆめみる妖精)●電撃PlayStation Vol.36 発売日:1996年12月13日(表紙:機動武闘伝Gガンダム)
Vol.37Vol.38
『電撃プレイステーション』 『電撃プレイステーション』
●電撃PlayStation Vol.37 発売日:1996年12月27日(表紙:プリンセスメーカー ゆめみる妖精)●電撃PlayStation Vol.38 発売日:1997年1月18日(表紙:セイバーマリオネットJ)
Vol.39Vol.40
『電撃プレイステーション』 『電撃プレイステーション』
●電撃PlayStation D(Vol.39) 発売日:1997年1月22日(表紙イラスト:七瀬葵)●電撃PlayStation Vol.40 発売日:1997年1月31日(表紙:ファイナルファンタジーVII)

 PSのRPGラインナップの充実にともない、電撃PSではこの頃からRPGに多くの誌面を割くようになった。『女神異聞録ペルソナ』や『アーク ザ ラッドII』、そして後述する『ファイナルファンタジーVII』や『ドラゴンクエストVII』の記事は、“電撃PSはRPGに力を入れている”というイメージを読者に与える端緒となった。

■■■■■この頃に発売された主なPSゲーム■■■■■

◆1996年9月20日:『女神異聞録ペルソナ』(アトラス)

 “悪魔召喚”をテーマとする『メガテン』シリーズの外伝的な作品としてリリースされたRPG。学生たちが冒険を繰り広げる青春モノという切り口も高評価を得た。

◆1996年12月6日:『パラッパラッパー』(ソニー・コンピュータエンタテインメント)

 リズムアクションという新ジャンルを確立した革命的な作品。名曲ぞろいのラップミュージックや、かわいらしいキャラも人気を得た。

◆1996年12月6日:『クラッシュ・バンディクー』(ソニー・コンピュータエンタテインメント)

 元気いっぱいのクラッシュが活躍するアクション。ステージによって、画面スクロールの方向が横・縦・手前に切り替わるシステムが斬新だった。

◆1996年12月20日:『ソウルエッジ』(バンダイナムコゲームス)

 アーケードから移植された、武器を使った攻防が特徴的な3D対戦格闘シリーズの第1弾。1Pプレイでのやり込み要素など、PS版オリジナル要素も満載だった。

◆1997年1月31日:『ファイナルファンタジーVII』(スクウェア・エニックス)

 超大作RPGシリーズの第7弾で、プラットフォームをPSに移した同シリーズ初の作品。国内だけで300万本の大ヒットを記録し、多方面に強い影響を与えた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ここからはVol.31~Vol.40のなかから、注目の記事をピックアップしていこう。

【ナビゲーター】

城イドム:ベテランライター。Vol.1から電撃PSの仕事に携わっており、本誌の裏話やゲーム史にも精通。レビューなどでもおなじみ。

リカ:編集部の新人スタッフ。最新のトレンドには敏感だが、ゲームや昔のことは詳しくない。セリフが棒読みちっくなのはご愛嬌。


■■■■■Vol.36『パラッパラッパー』■■■■■

イドム:1996年後半は、ハードの技術的な新鮮味と、それを使いこなす開発者の慣れがバランスよく発揮されて、斬新なアイデアのゲームがポンポン生まれた時期でもあったんだよ。そんななかで登場したのが『パラッパラッパー』(SCE)だ。

『電撃プレイステーション』 『電撃プレイステーション』
『電撃プレイステーション』
▲今でこそメジャーになった“リズムアクション”というジャンル。じつは、その先駆けとなったタイトルが『パラッパラッパー』だった。発売前はその真価を計りかねていたが、レビューで高得点を獲得。印象的なTVCMなどもあり、広く世間に認知された。

リカ:このキャラなら、私でも見覚えがありますよ。どんなゲームだったんですか?

イドム:音楽に合わせて表示されるマーカーをお手本に、リズミカルにボタンを押していく“リズムアクション”だよ。今でもPSP版を手に入れることは可能だから、ちょっと遊んでみよう。

リカ:このゲームの登場人物って、みんな紙みたいな“ペラペラ”のキャラで描かれているんですね。広告で見ていたよりも、ゲームの中のほうがずっとカワイイ! 今見ても絵のタッチがすっごく斬新で感動しちゃう。

イドム:電撃PS Vol.569に掲載された“PlayStation20周年記念インタビュー”によれば、このゲームでは技術的な理由からポリゴンをたくさん表示するのが難しそうだったから、あえて“ペラペラ”の表現法を選択したそうだよ。でも、ロドニー・アラン・グリーンブラット氏がデザインした、ポップなキャラたちがその描写スタイルに見事にフィットして、ユーモラスな独特の世界観に仕上がっているんだ。

リカ:ゲームに使われる音楽はラップミュージックなんですね。これ、曲がすごくいいじゃないですか。先生のお手本を聴いたあと、プレイヤーが入力するっていうルールもわかりやすいですし、おもしろいです。

イドム:今の時代からするとシステムはオーソドックスに感じると思うけど、当時は想衝撃的だったんだよ。『パラッパラッパー』が発売された1996年12月6日といえば、有吉弘行さんが猿岩石で『白い雲のように』を歌っていた頃かな。そもそもこれより前の時代には、事実上リズムアクションって存在しなかったんだ。

リカ:えー、そうなんですか?

イドム:音楽がゲームシステムに密接に組み込まれていた例なら昔からあるにはあったんだけど、本格的なリズムアクションとして作られて登場したのは『パラッパラッパー』が最初なんだ。KONAMIからアーケードで『ビートマニア』がリリースされるのは、その約1年後の1997年12月だ。そのあとコナミは1998年9月に『ポップンミュージック』、1998年11月に『ダンスダンスレボリューション』と続けざまにアーケードでヒットを飛ばして、コンシューマ機も巻き込んだ“リズムアクションブーム”を起こすことになる。最近では『太鼓の達人』が人気になっていて、その流れが現在まで続いているってワケさ。

リカ:そうすると……リズムアクションの始まりって、『パラッパラッパー』だって言ってもいいってことですか?

イドム:そう! あらゆる家庭用ゲーム機、アーケード、PCをひっくるめて、世界で最初のリズムアクションゲームが『パラッパラッパー』なんだ。その後のゲームの歴史への影響力の高さも含めて、このゲームが果たした役割はすごく大きかったと思う。だから、個人的にはこのゲームが1996年のニューウェーブのなかでも、ひときわ輝いて見えるんだよ。『パラッパラッパー』の系譜はその後、ギター演奏を取り上げた『ウンジャマ・ラミー』(1999年3月18日発売)、PS2の『パラッパラッパー2』(2001年8月30日発売)へとつながっていくんだ。原作/音楽を手掛けた松浦雅也氏やプロデューサーの藤澤孝史氏のアイデアはもちろん、それを後押ししたSCEとPSには、あらためて拍手を送りたいよね。


■■■■■Vol.39『電撃PlayStation D』■■■■■

リカ:バックナンバーを整理していたら、またまた見慣れない号が出てきました。Vol.39の『電撃PlayStation D』ってなんですか?

イドム:それは1997年1月22日に発売された、特別な増刊号の第1弾だよ。編集部内では、通称“D増刊”と呼ばれていたっけなぁ。

リカ:電撃PSはVol.24から隔週誌になって、初期に不定期で刊行していた増刊号はなくなったんじゃなかったでしたっけ?

イドム:それは普通の増刊号の話だ。D増刊は、まったく別のコンセプトで作られた雑誌で、ボリューム(Vol.)表記こそ共有しているけど、実際には隔週誌とD増刊は姉妹誌に近い関係だったんだ。Vol.39の最後のページを開いてみれば、D増刊の特徴はすぐに分かるよ。

リカ:あれ? 巻末にCD-ROMが付録で付いていますね。本が硬いなーって思っていたんですけど、CD-ROMを収納したページが厚紙でできていたからだったんですか。

イドム:そう。D増刊にはPSで起動するCD-ROMが付いていて、その収録情報を中心に記事が組まれていたのがポイントだ。ちなみに、雑誌タイトルの頭文字“D”は“ディスク”の略称だったんだよ。

リカ:どんなコンテンツが収録されていたんですか?

イドム:大きく分けて、新作ゲームの“体験版”、電撃PSの表紙を閲覧できる“Data Base”、クイズゲーム“CDの奴隷”という3種類のコンテンツが収録されていて、一番の目玉は体験版だったね。

『電撃プレイステーション』
▲電撃PlayStation D(Vol.39)では、『プリンセスメーカー ゆめみる妖精』(SCE・1997年1月24日発売)、『チョロQ2』(タカラ・1997年2月21日発売)『エターナルメロディ』(メディアワークス・1996年11月22日発売)の“お試しプレイ”ができた。

リカ:私みたいにインターネットに慣れた世代だと、「わざわざ雑誌を買って体験版を遊ぶの?」って思っちゃいますけど、この頃はインターネットが一般にまだ普及していなかったんでしたっけ。

イドム:そういうことさ。PSPが登場したのは2004年12月12日、PS3が登場するのは2006年11月11日で、体験版をネット配信する環境が整備されていくのは、そのさらにずっとあとの話だ。1997年当時は体験版を供給する媒体がCD-ROMしかなかったから、この付録は読者にとって貴重な情報源だったんだよ。

リカ:へぇー。でも、記事は編集部で作れるとして、D増刊のCD-ROMのデータはどうやって開発していたんですか?

イドム:これまたビックリな話なんだけど、メーカーからゲームデータの提供を受けて、編集部内で作っていたんだよ。当時、メディアワークス(現KADOKAWA アスキー・メディアワークス)には、PCエンジンの『イースI・II』、『天外魔境II 卍MARU』などを手がけたゲームクリエイター・岩崎啓眞氏が在籍していたんだ。現在の電撃PSでも『PlayStationプログラムパワーチェック』というコラムを執筆しているね。D増刊は岩崎氏がいたからこそ実現した企画で、Vol.39のCD-ROMは氏を中心に3人のメンバーで作っちゃったんだ。今考えても、よく作ったもんだなと思う。

リカ:編集部の資料棚をあらためて見渡すと、D増刊って隔月のペースでほぼ定期的に刊行されていたんですね。

イドム:そうなんだ。D増刊の体験版は読者に大好評だったし、Vol.48からはセーブデータを提供する企画も始まって、これまた大人気だった。さらに、2001年8月24日発売のVol.186からは、ディスクがPS2対応DVD-ROMになった『電撃PlayStation 2』としてリニューアルして、ますます発展していったんだ。

リカ:すごーい。でも、最近はディスク付きの電撃PSって見ないような……。

イドム:2008年2月22日にVol.412が発売されて、それを最後にディスク付きの電撃PSは歴史に幕を下ろしたんだ。役割を終えた一番の理由は、インターネットで体験版が供給される時代の足音が聞こえてきたってことに尽きるね。体験版をCD-ROMやDVD-ROMで供給するしか手がなかった時代に、定期的に刊行するコンテンツでそれを読者に届けられたことは、当時かかわっていた1人として、今でもうれしく思っている。


■■■■■Vol.40『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』■■■■■
■■■■■Vol.40『ファイナルファンタジーVII』■■■■■

イドム:これはスゴイ記事が出てきたぞ。

リカ:なんかいつもと違うテンションですね。どんな記事ですか?

イドム:まず見てほしいのが、Vol.40の巻頭特別企画だ。この特集では、エニックス(現スクウェア・エニックス)のPS参入を大々的に告知して、さらに新作『ドラゴンクエストVII(以下、DQVII)』がPSで発売決定したことを紹介したんだよ。

『電撃プレイステーション』 『電撃プレイステーション』
▲エニックスはVol.40発売の前年(1996年)に「どのハードに参入するかは年末商戦が終わってから決める」というコメントを発表。PSは同年の年末商戦で大成功を収め、コメントのとおりPSへの参入が発表された。

リカ:私はエニックスがPS発売の頃から、ずっとPSでゲームを出していたものと思い込んでいました。以前に「スクウェア(現スクウェア・エニックス)は途中から参入したんだよ」って教えてもらいましたけど、エニックスも同じだったんですね。

イドム:そうなんだ。参入前のスクウェアと同じで、エニックスも当時はゲームファンから“任天堂ハードでゲームを発売するメーカー”と認識されていたんだよ。業界の人たちは「エニックスはPSに参入するかも」って噂し合っていたんだけど、「現実にはありえないか」と思っていた。ところが、1997年1月初頭にエニックスはPS参入を電撃発表したんだよ。さらに、1月14日には『DQVII』をPSで出すと宣言したもんだから、ゲーム業界はハチの巣を突っついたような大騒ぎになった。巻頭特別企画は、そんなホットな情報を記事にした緊急特集だったんだ。

リカ:でも、記事を読み返すと『DQVII』の画面写真は1枚もありませんし、ゲーム内容も雲をつかむような話ばかりじゃないですか。まだ情報がなかったのは想像できますけど、読者さんには物足りなかったんじゃないですか?

イドム:そんなことないよ! “エニックス参入”とか“PSで『DQVII』が出る”って話だけで、インパクト十分だったんだ。その裏づけとして、このニュースがゲーム業界だけじゃなくて、一般社会からも注目されたんだ。

リカ:なるほどー。あれ、この号では次のページからもう1つ特集が続いていますね。

イドム:そう! Vol.40が発売された1997年1月31日は『FFVII』の発売日でもあったんだよ。電撃PSは気合いを入れて“総力特集”として、『FFVII』の攻略を全54ページも掲載したんだ。

『電撃プレイステーション』 『電撃プレイステーション』
『電撃プレイステーション』
▲Vol.40と同日に発売された『ファイナルファンタジーVII』は、過去最高となる54ページのボリュームで巻頭特集&インタビュー。スクウェアとエニックス、RPGの両雄が電撃PSで並び立つ最初の号となった。

リカ:ほぇー、データとかマップとか、読みごたえありますねー。

イドム:編集、ライター、デザイナーを合わせると20人近くがかかわる、かつてない体制でページを作っていたんだよ。だからこそ、あれだけ内容濃密でボリュームタップリなページが実現したんだ。

リカ:これだけぜいたくな特集が2つも組まれているなんて、RPG好きにはたまらない号だったというのがよくわかりました。

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 以上、Vol.31からVol.40のプレイバックをお届けした。次回はVol.41~Vol.50を紹介予定なので、どうぞお楽しみに。

(C)1996 TAITO CORP. (C)1996 VING (C)1996 GLAMS,INC. (C)1996 Media Works Inc. (C)Sony Computer Entertainment Inc. under licence from GAINAX and NINELIVES Inc. (C)SUNRISE (C)あかほりさとる・ねぎしひろし・ことぶきつかさ・角川書店/バンダイビジュアル・創通エージェンシー・テレビ東京 (C)1997 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved. CHARACTER DESIGN : TETSUYA NOMURA llustration : (C) 1997 YOSHITAKA AMANO (C)1996 Sony Computer Entertainment Inc. (C)Rodney A.Greenblat/Interlink (C)2000 ARMOR PROJECT /BIRD STUDIO / SQUARE ENIX All Rights Reserved.

データ

▼『電撃PlayStation Vol.31』
■プロデュース:アスキー・メディアワークス
■発行:株式会社KADOKAWA
■発売日:1996年9月27日
■定価:本体476円+税
▼『電撃PlayStation Vol.32』
■プロデュース:アスキー・メディアワークス
■発行:株式会社KADOKAWA
■発売日:1996年10月11日
■定価:本体476円+税
▼『電撃PlayStation Vol.33』
■プロデュース:アスキー・メディアワークス
■発行:株式会社KADOKAWA
■発売日:1996年10月25日
■定価:本体476円+税
▼『電撃PlayStation Vol.34』
■プロデュース:アスキー・メディアワークス
■発行:株式会社KADOKAWA
■発売日:1996年11月8日
■定価:本体476円+税
▼『電撃PlayStation Vol.35』
■プロデュース:アスキー・メディアワークス
■発行:株式会社KADOKAWA
■発売日:1996年11月22日
■定価:本体476円+税
▼『電撃PlayStation Vol.36』
■プロデュース:アスキー・メディアワークス
■発行:株式会社KADOKAWA
■発売日:1996年12月13日
■定価:本体476円+税
▼『電撃PlayStation Vol.37』
■プロデュース:アスキー・メディアワークス
■発行:株式会社KADOKAWA
■発売日:1996年12月27日
■定価:本体524円+税
▼『電撃PlayStation Vol.38』
■プロデュース:アスキー・メディアワークス
■発行:株式会社KADOKAWA
■発売日:1997年1月18日
■定価:本体524円+税
▼『電撃PlayStation D(Vol.39)』
■プロデュース:アスキー・メディアワークス
■発行:株式会社KADOKAWA
■発売日:1997年1月22日
■定価:本体952円+税
▼『電撃PlayStation Vol.40』
■プロデュース:アスキー・メディアワークス
■発行:株式会社KADOKAWA
■発売日:1997年1月31日
■定価:本体524円+税

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