2009年11月28日(土)
3
ね、眠れなかった……。
カイルを待つため、わたしは寝不足で重く感じる体をナッツベリーの玄関にあたる鉄門に預けて、腰を下ろしていた。
朝日の痛くなるほどの眩しさにため息が出る。
これはデートなのかもしれない――。そう意識してしまってから、どうにも気が散ってしまって準備に身が入らなくなり、しまいには一睡もできなかった。
昨夜は、霊銀鉱を目の前にして採掘ができない! ではいけないから、道具の手入れをしないといけなかったのだけれど、汚れたオーバーオールしか着ていく服がないのに我慢できなくなって、ナノカから服を借りるため街まで走ってしまった。
「なんでわたしが服を貸さないといけないのよ!」
抵抗するナノカからほとんど奪うように流行のルーメン製のワンピースと髪飾り一式を借りてやっと気持ちが落ち着いた。
そして、道具の手入れをはじめて、そういえば採掘に行くのだからデートなんかではないじゃないか……と気づいたときには朝を迎えていたのだ。
なにやってんだろ、わたし……。
門の前は荷馬車に乗った商人でごった返していた。彼らはナッツベリーから次の交易地に向かうところで、荷台には馬が話せるなら「積みすぎだ!」と苦情を訴えそうなほどのアップルやシルクなどの荷を載せていた。
商人の中には馴染みの顔もあって、すれ違いざまに御車台から、もっといい剣造れよーだとか、その気合の入った服装はデートかーだとか、からかっているのか励ましているのか、なんだかわからない投げかけをされた。
わたしはそのたびに力なく手を返して応えていた。
荷馬車の列に混じってカイルの顔が見えると、「疲れているみたいだけど平気? 今日はやめにしたほうがいいんじゃないか?」と聞かれた。
わたしはあんたのせいだよ! という言葉をぐっと飲み込んだ。さすがに八つ当たりでしかない。
「なんでもない、気にしないで。それより来るの、遅くない?」
広場の時計塔(詳しい仕組みはわからないけれど、魔法とクリスタルが時を刻んでいるそうだ)は、いつのまにか約束の時間から四十分過ぎを指していた。
「ごめん。知り合いがなかなか行かせてくれなかったんだ。どこに行くんだってしつこくて」
わたしはスカートの埃をはたきながらさらに言いつのろうとしたところで、いまさらながらカイルにも仲間がいることに気づいた。
危険を伴うトレーダーをしているのだから、助け合う仲間がいるのは当たり前なのだけれど、これまで話題に上がったこともなかったのでまったく考えたことがなかった。
商人から「危ねーだろ! ぼーっと突っ立ってるんじゃねえ!」とどやされて慌てて道の端に避けるカイルに、悪いことしたかなーとすこし後ろめたく思った。
男の子と二人きりで出かけるなんてはじめてで(これまで鍛冶に専念してきたからそんな機会がなかったのだ、うん)、すこし舞い上がっていたから、彼には彼の生活があるなんて気にかけることができなかった。
ただ、ここでカイルに逃げられてしまうと、護衛の心当たりがなくなる。
「……ご愁傷様だね」
品評会で入選するためにもカイルと彼の仲間には涙を飲んでもらうしかない。
「そろそろ行こうよ」
「ああ」
お互いの荷物を簡単に確認してナッツベリーを出発した。
ナッツベリーからヘイムダルまではしばらくモンスターのいない牧草地帯が続いた。
外敵がいないので、羊を従えた羊飼いの歩みものんびりしたものだ。
見上げてみれば、丘の向こうに羊毛のような綿雲が沸き立っていた。一雨くるのかな?
それはそうと、とわたしは気になっていることを隣のカイルに口にした。
「なにか言うことない?」
「言うこと?」
わたしの「違い」をカイルはどう思っているのだろう? 新品のワンピースなんて着慣れないのもあって、わたしは緊張していた。
歩きながら、時々、草原を吹き抜ける風でひるがえってしまうスカートの裾が短すぎないか、とひどく気になった。
カイルは、締りのない顔で笑ってから言った。
「お昼ご飯はなに、とか?」
「……もういい!」
この、朴念仁!
ヘイムダルに着く頃には、新緑の季節の暖かな日差しを届けてくれていた太陽がどんよりとした雲に覆われてしまった。
ゴツゴツした岩ばかりのヘイムダルは、空も大地も灰一色に染まっていた。緑の色は、ここがメルファリア有数の採掘場だった頃に、植物を薪代わりとして根っこまで伐採したので消えてしまったのだという。
岩に止まってこちらを見ていたカラスが首を傾げ、カァと鳴いて飛び去った。
なんだか寂しい場所だなあ。わたしはがっかりした。霊銀鉱が採掘できるというから、人夫がツルハシを手に取り競い合う、賑やかな場所を想像していたのに。
そして、地図を睨んでいたカイルの一言に、さらに落ち込んでしまった。
「地図からすると……あの辺かな?」
カイルの指は、尾根を二つ越えた岩山の中腹辺りを指していた。
あそこまで行くのかと思うと、カイルだけ霊銀鉱を拾いに行かせてわたしは家で待っていればよかったと後悔した。
カイルは腰丈ほどもある岩場を街の中にいるようにズンズン進んでいくけれど、わたしの足はもう棒のようになっている。
普段は家にこもって剣を打っているわたしにはなんとも過酷な道のりだった。
そのへんに霊銀鉱が転がってないかな、と鬱々とした気分で足を動かしていると、先を行くカイルが揺れる岩の足場を確かめながら振り返った。
「そういえば、そろそろ着替えたほうがいいんじゃないか?」
「着替える? どうして?」
「それ、裏地も補強されてないただの街服だろ? モンスターのいるところでは危ないから」
ただの、という一言にカチンときた。
やっと服のことに触れたと思えば「ただの服」か。せっかく夜通し走ってナノカから借りてきたのに。
なんだなんだ、という気分だった。
こーなったら意地だ。モンスターがいる土地にはこれまで訪れたこともなくて、どれだけ危険か知らないけれど、絶対着替えなんかしてやるもんか。
固い決意を胸にしたわたしは背よりも高い岩に手をかけて荒い息を吐きながら、カイルの左腕を睨みつけた。
「カイルが護衛してくれるんでしょ。だったら、危なくなんかないんじゃないの? だいたい、カイルだってそんなヨレヨレの盾使ってるじゃない」
カイルの左腕にくくりつけられた革製の盾は、修繕の後やほつれが見えて、不恰好だった。
否定されたカイルは首を傾げた。
「そうか? これでも便利なんだぞ。何度も助けられてるし」
たしかにカイルの丸盾には、いくつもの切傷があって、カイルを護ってきたのがわかる。
でも。
「やっぱりおかしいんじゃない?」
丸が丸ではなく歪んでいる盾はどうにも頼りなく見えた。カイルはそうかなと不思議そうに首を傾げていた。
平坦だった道に傾斜がついてきて、カイルの背中との距離が少しずつ離れてきた頃、ついに雨が降り出した。
雨は岩を黒く濡らすと、すぐに岩と岩の隙間に小川をつくった。サァという雨粒とわたしの息遣い以外の音が消えた。
――苦しい。
水を吸った服が重く感じられた。口を開けば雨が容赦なく入ってきた。疲れがピークにきていた。
立ち止まって水筒から水を飲んでいる間も、カイルがこちらを気にする様子はなかった。
カイルは雨に濡れるのも気にせずに、地図と実際の風景を睨んでルートを確認していた。
それはなんだか寂しいことだった。
もうすこし気にかけてくれてもいいのになと不満に思いながらリュックを背負いなおしていると、黒い犬の鼻が岩の向こうにひょっこり突き出ているのを見つけた。
腰くらいの背の犬で、雨で泣いているようなクリクリの瞳が、あかわいいと思わせた。
思わず手をだしそうになった。
「アカノ!」
怒声につい手を引っ込めてしまったのと、手があったところに犬が飛び込んだのは同時だった。
「え?」
たたらを踏んだ犬の赤い瞳が鋭くわたしを睨んでいた。低い唸り声にわたしは足を一歩も動かせなくなった。
なんなの、これ。
戻ってきたカイルがわたしの身を隠すように、わたしと犬の間に割って入った。その右手には剣が握られていて、アカノ下がれ! という声は緊張していた。
「ガルムだ!」
カイルの一言にわたしは凍りついた。
ガルムってたしかモンスターの名前のはず。それも、たしかかなり高位の。
冥界の番犬は剣にひるまずカイルに飛び掛った。
「カイル!」
カイルはガルムにのしかかられて背中から倒されてしまった。水飛沫が盛大に飛び散った。
ひっという悲鳴が自然と口から漏れた。
「……大丈夫だ」
犬を胸に乗せたまま、カイルが上半身をゆっくりと起こした。犬の頭には剣が生えていた。
傷口から滲み出た紫色の血が雨に流されていった。
もう動かない犬の瞳がじっとわたしを見ていた。
腰から力が抜けて、わたしは泥の中に尻もちをついた。
……なんなの、これ。
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