2013年10月1日(火)
――作曲って、しようと思っていきなりできるものなんですか……?
土屋:できないです!(笑)
――では、最初はどのように作曲をされたのですか?
土屋:打ち込みというか、波形をいじる感じでしたね。“Cubase(キューベース)”というソフトを使用しました。作り方としては、今とまったくといっていいほど変わっていませんよ。
――演奏と打ち込みでは、作業がまったくの別物と思いますが、やりにくさなどはありませんでしたか?
土屋:学校でツールの使い方を教えてもらったのが大きいですね。
専門学校時代は、とにかく「働かなければいけない」という切羽詰った状況でした。特待生として入学したので、入学式の時に登壇して文章を読む機会があったんです。その時のスピーチは希望に満ちあふれたものではなくて、「この学校に入ったからには、必ず職を決めて出ていかなければいけない」みたいな、すごく現実的なスピーチをした覚えがあります(笑)。
――聴いている同級生には、ただただ辛いスピーチじゃないですか(笑)。
土屋:「遊びに来たんじゃない。そういう人は僕の近くに来ないでください!」みたいなことを言いました(笑)。空白期間の反動だったんでしょうね。
学校では、毎日1曲か2曲の楽曲を作って先生に提出しました。僕には、音楽の知識も基礎もない。ただ僕には、演奏の経験があること、いろいろな楽器を知っていたこと、そして何より、たくさんの音楽を聴いてきたことが大きくありました。音楽を勉強してきた人たちの10年間、あるいは20年間を超えるには、とにかく狂ったように量を作るしかないんじゃないかと思ったんです。その1年だけで、300~400曲作っています。ド素人の作ったものなので、それが音楽かと言われると謎ですけれど(笑)。
このころの曲は、邪念がないので一番“僕らしい”ものだと思います。荒削りだし技術はないんですが、“すっごい自分が出ているな”と。僕はそこに戻りたいんだろうなと思いながら、今も曲を作っています。それはできるだろうとは思うんですけど、なかなかちょっと、邪念を取り払うのが難しい時もありますね。
今そのころに比べて、(作るものが)どんどん右肩下がりにかっこ悪くなっている気がします。多分、音楽を習い始めた最初の1年が一番カッコイイものを作れていたと思います。
――本当に凝縮された1年間ですね。
土屋:そうですね。あの時が一番曲を書いていました。とにかく、作って体で覚えるしかなかったですから。
――何もないまっさらな状態から曲をアウトプットするというのは、どうやって行うものなのでしょうか。想像がつきません。
土屋:今でも理論はあまりわからないんですが、鍵盤でもベースでも、自分が気持ちがいいと感じる音を出すところからスタートするんです。その時の僕の心情に合った音が、必ずあるんですよ。それは、自然と生まれるものなんです。そこからスタートして、勝手にできていく感じですね。
僕は構成を練ったり、絵でいうところのレイアウトを描いたりを一切しないんです。できるまで考えないんです。作曲中に何を作っているのかも、正直よくわかっていません(笑)。
――……??
土屋:多分、ここはこんな音を付けたほうがカッコイイとか、こんなリズムにしたほうがいいとかをわかってやっているはずなんですけれど、あんまり細かくは考えていないんです。
――曲は、頭からどんどん作っていく感じなのですか?
土屋:そうですね。考えていないというか、記憶にないというか。例えばシンセイザーの音でいうと、パラメータの設定を書き止めもしないし、プリセットに保存もしないので、過去に作った音をもう一度作れないんです。
――えええ!? リテイクが来たらどうするんですか!?
土屋:本当に困るんですよ(笑)! 特に「一部を編集して」って言われるとすごく困るんです。音をとっておいてないから。だから、まったく違う新しい曲になって返っていくんです(笑)。
――それでどうにかなるものなのですか!?
(笑い)
――土屋さんの曲を聴いていると、1本のキレイなラインで描かれているので、ものすごく構成を練って練って楽曲を制作されているのかと思っていました。
土屋:要は、推考しないだけなんですよ。一発で小説を書いているみたいなものです。練らないときちんとした構成のものができないかと言われると、それは「NO」だと思うんです。
トータルサウンドイメージを作る時は、全体のざっくりとしたものを考えて、それに合わせたものを作ってはいきますが、ただ「何分何十秒のここから盛り上げて」といった、細かいところを決めたりはしませんね。
→土屋昇平の音楽性をひも解く!
ゲームサウンド制作の本当の楽しさとは?(5ページ目へ)
(C)TAITO CORPORATION 1978,2013 ALL RIGHTS RESERVED.