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2013年11月14日(木)

【ほぼ毎日特集#60】アトラス最新作の情報も!? 『真・女神転生』『ペルソナ』シリーズを大解剖「教えて!土屋憲一先生」(前編・ミゲル)

文:ミゲル

「教えて!土屋憲一先生」
▲「我は汝、汝は我……」。女教皇“ジョーシ・ラスティ(上司 Rusty)”を召喚です。

 電撃オンラインの編集・ミゲルが、ほぼ毎月(を目標に)ゲーム音楽の作曲家の方々へインタビューを敢行する企画「教えて!○○先生」。今月は、ゲームブランド・アトラスのサウンドディレクター・土屋憲一さんにお話しを伺ってまいりました。

 前編は、アトラスを支える実力派サウンドチームの紹介に加え、土屋さんの『真・女神転生if...』への思い入れや『ペルソナ4』の裏話まで、すべてのアトラスファン必見のインタビュー内容になっています。

 後編では、恒例の読者プレゼントや、目黒将司さんの楽曲を土屋さんがアレンジした未公開音源の掲載もありますので、ぜひ最後まで括目してご覧くださいね。


「教えて!土屋憲一先生」

土屋憲一:1973年生まれの自称・18歳(!?)。1995年、アトラスに入社。『女神異聞録ペルソナ』を始まりに、『ペルソナ2 罪』、『ペルソナ2 罰』や『真・女神転生if...』で、多くの楽曲を手掛ける。アレンジ楽曲や効果音の制作を含めれば、アトラスの大半のタイトルにかかわっている。

 ゲームの中に溶け込む楽曲の制作だけでなく、“おもしろい音”を使ったキャッチーな楽曲も魅力。アレンジ楽曲は、原曲を大切にした丁寧な編集に定評がある。


■大学時代に、押し入れの中で隠れて打ち込んだDTM音源

――一番最初に土屋さんが音楽に触れたきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。

土屋憲一さん(以下、土屋):子どものころですね。小学校の運動会で、5~6年生全員による鼓笛隊パレードがあったんですが、大多数の縦笛部隊を従える太鼓係に任命されました。「教師よ、我が才能に気付いたか……」みたいな勘違いがありつつ(笑)。多分、それが演奏に触れた最初ですね。

――それまで何か、音楽を習ったことはなかったのですか?

土屋:姉がピアノを習っていたのですが、その先生がすごく怖い、おば……お姉さんだったんです。それを見て、「あんなに怖いものは絶対にやらない」と心に決めていました。なので、音楽を習いにいくのはイヤだなと思っていましたねぇ……。

 中学校に入ってからは、鼓笛隊からの流れでブラスバンド部に入って、打楽器全般を担当していました。大太鼓や小太鼓、ティンパニなどなんでもやりましたよ。

――作曲家の皆さんはギターやピアノを演奏されている方が多いので、打楽器とは意外でした。

土屋:音階が5個より多いと弾けないんです(笑)。

 高校もブラスバンドを続けていましたが、中学校のほうがスパルタな感じでした。静岡は楽器の街・浜松があったりと、全国大会に行くような学校がすごく多いんです。でも僕の母校は、同じ静岡でも東部だったので、だいたい西部や中部に県大会で負けて終わるようなガッカリ目なポジションでしたけれどね(笑)。

 ブラスバンド部では、マラソンをやって、筋トレをやって……。

――音楽系の部活なのにそんなことまでするんですか!?

土屋:本気でコンクール上位を目指す学校は、そういった指導が多いと思いますよ。男がほとんどいなくて女の子ばかりの部だったので、体育会系かというとまた違うんですが、人間関係がドロドロとし(以下自主規制)。

――(笑)。大学は音楽関係ではなかったのですか?

土屋:理系だったので、千葉工業大学の電子工学科に入りました。回路や基板について学んでいたのですが、学校の勉強そっちのけで趣味に走っていましたね。

 寮に入っていたんですが、これがまた“男塾”的な男子寮で……。石原軍団の某俳優さんも同じ寮に在籍していたらしいのですが、あまりの厳しさに夜逃げしたというエピソードがあるくらいのところでした(笑)。

 先輩1人と後輩1人が必ず同室になって、先輩が部屋にいる時、後輩は常に正座という世界でした。なので、音楽も何もない学生時代でしたね。

――そういった環境の中、どこで音楽に触れていたのですか?

土屋:当時は、パソコンに接続するお弁当箱のような形のDTM(デスクトップミュージック)音源が出てきたころで、それを使っていましたね。先輩が寝たころに、ベッド……というか、押し入れの中に敷いた布団の上で、ノートパソコンを使って打ち込みをしていました。

 当時はパソコン通信の時代でした。当然、自分の電話なんて持っていなかった僕は、ノートパソコンを駅前の公衆電話につないで、同じ趣味を持つアマチュアの方々が作ったいろいろな曲をダウンロードしていましたね。何しろ見た目が怪しいので、お巡りさんに何回も職務質問をされて、“パソコン通信とは何か”から説明するハメになって大変でした(笑)。

――パソコン通信には、音楽サイトとかがあるわけではないのでしょうか? イメージがどうにもつかめません(笑)。

土屋:“草の根サイト”と呼ばれる個人運営のDTMサイトをよく見ていました。文字だけの世界なのですが、ダウンロードカウンタ的なものがあるので、「この人の曲は人気があるなぁ。ダウンロードしてみよう」とか、気に入った曲を書いた人のハンドルネームを覚えて、「この人の他の曲もダウンロードしてみよう」とかしていましたよ。

 通信速度が今のように速くない中、掲示板を設置してくれている親切な誰かのお宅に電話をかけ続けているようなものなので、パソコンのバッテリーはなくなるわ、テレホンカードの度数はなくなるわで、公衆電話の前で大慌てでした(笑)。

 それでノートパソコンを2台ほど落っことして壊したことも……(泣)。

――作曲に触れた、一番最初のきっかけはどのようなものだったのでしょう。

土屋:工業系の大学なので、コンピュータを使ってプログラムや絵を描ける友人がいたんです。「同人ゲームで一山あてよう!」的な流れでサークルを作ったのですが、「誰か音を作れるの?」という話になりました。それで、「じゃあ僕がやるか」と。

 それまでも、子どものころからパソコン大好きオタク的な人間だったので、親に“勉強のため”という名目でパソコンを買ってもらって触ってはいたんです。まぁ、『ザナドゥ』や『イース』ばっかりやってはいたんですけれども(笑)。古代祐三さんの曲が好きなので、耳コピーで打ち込みをしていました。

――そのまま打ち込み音楽を続けて、ゲーム会社に就職されたのですか?

土屋:いろんなメーカーさんに応募しましたが、もともと好きなメーカーだったアトラスに受かって、現在に至ります。最初からずっとアトラスで、転職はしたことがありませんね。

 最初の勤務地は、『真・女神転生II』の登場人物・岡本の名前の元ネタでもある“ツクド岡本ビル”でしたねぇ。

――おぉ……! 土屋さんが最初に手掛けたタイトルを教えてください。

土屋:『女神異聞録ペルソナ』です。僕は副島成記くんと同期なんです。開発スタッフとしては、もうすっかり高齢者の部類です(笑)。

→土屋さんが進める“メシア・プロジェクト”とは!? 『ソウルハッカーズ』『P4U』『デビルサバイバー』を手掛けた3人の救世主たち(2ページ目へ)

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