一か八か!?【O村の漫画野郎#12】

奥村勝彦
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 秋田書店の漫画編集者を経て、元『コミックビーム』編集総長もつとめた“O村”こと奥村勝彦さんが漫画界の歴史&激動の編集者人生を独自の視点で振り返る!

一か八か!?

 あー。新雑誌創刊について聞かれた俺は、例によってバカ正直に答えた。


「無理です」「絶対失敗します」「なんとか白紙に出来ませんか?」


 もーほとんど懇願だわな。でも、壁村さんと大西さんの顔を見て、わかっちゃった。2人ともそんなこと、とっくに承知していたのだ。これは既に決定事項なんだなあ……。


 だったら仕方がない。もうひっくり返せねえなら、腹をくくるしかねえ。

 他社の布陣は既に出来上がっている。正面から突っ込んでも、勝ち目なんてねえ。どうせやるならイチかバチかでゲリラ戦を展開してやる。なんて頭の中で考えをまとめた。

 そっから編集部人員の構成案やら何やらを話し合って2時間ほどで別れた。とてもじゃねえけど、グダグダ酒を飲むような気分じゃなかったからな。


 おもえば、この夜が俺のゲリラ的編集人生へのターニングポイントだったよなあ。そっから延々と続く裏街道へ一直線。


 でも、市場的にはほとんど勝算なんて無かったけど、不思議と不安じゃなかったなあ。

 あの当時、編集者として充実していたし、仕事に関しては特に不満なんて感じてなかったけども、秋田書店に限らず業界の当時の仕組みとかに、何か良くわからねえけど座りの悪さを感じてたんだ。

 例えば、読者アンケート!! なんか送られてきたハガキの順位に編集者たちが毎回汲々としてるの。んで、その順位に沿って雑誌に載る作品の並びを変えたりな。だもんで集計の担当者が自分の漫画の順位を改ざんするようなマヌケな事態が起こったりしていた。

 他社の極端な例だと、アンケート結果に沿って漫画の企画が決定したりしてたからね。いわゆるマーケティングちゅうヤツだな、コレは。

 でも、そんなコトしてた割りには、青年誌よりも少年誌の方が読者の平均年齢が上だったりする現象が起こってた。おかしいじゃねえか? マーケティングしてんじゃねえのかよ!!


 そんなモヤモヤしてた気持ちを、新雑誌で思いっきり晴らしてやろうじゃねえか、って気持ちになってたんだ。それが1992年のことだ。


 もっとも、そこまで思い切れたのは、一人の漫画家との出会いによるのが大きい。月刊チャンピオンの時なんで、ちょっと時系列的には溯っちゃうけども、次はその漫画家のことを語ろうと思う。待て!! 次回!!

(次回は8月24日掲載予定です)

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イラスト/桜玉吉

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