地味ながらも名君主。そんな孫権の逸話を紹介【三国志 英傑群像出張版#7-1】

電撃オンライン
公開日時

 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 今回のテーマは呉の人物から君主である孫権(そんけん)。

 呉の礎を作った父・孫堅(そんけん)、兄・孫策(そんさく)の跡をついで三国の一つを最後に建国した人物です。

 物語の三国志演義のイメージから三代目のお坊っちゃんでどっちつかずな印象が強いので、他の武将たちに比べあまり人気がないというが現状です。

 主要人物なので、武将のグッズとして作られたりするものの、売れ残るのはだいたい孫権だったりします。

 そんな孫権、大きな偉業もなさそうに思いがちですが、版図も広げてますし人材の使い方もうまく長く治世もおこなっています。ほんとは凄い人です。孫権をもう少し見直してほしい!

 という事で、そんな彼の魅力を感じられる民間伝承があるので紹介したいとおもいます。

孫権、獅子を退治する

 伝説によると、呉の国主である孫権が隽水(しゅんすい)という川の上流に来たとき、水不足で土地が荒れ果て人々が苦しんでいるのを見つけた。調査の結果、ここから北西に十数キロのところに泉があることが判明する。

 孫権はこの水を乾燥した村に届けたいと強く思っていたので、15里に及ぶ運河を開削しなければならず、最も困難だったのは獅子の頭の形をした岩山を掘削することだった。

 獅子頭は高さ3尺の岩山で、獅子が寝そべった形をしている。ここは”昼は岩山、夜は生きた獅子”といわれている。

 孫権は部下を集めて一日かけて獅子頭を掘ったが、小さな溝ができただけだった。しかし、夜になるとまた塹壕が閉じてしまう。3日続けて掘ったが、同じことが起こった。

 孫権は3日目の夜、1人で獅子頭に行き確認すると、岸に掘られた砂や石が全て水路に埋められ、渦巻くような音を立てているのを聞いた。彼はここは本当に霊的なエネルギーがある事を知った。

 翌日、兵士全員に命じて、山にある桐の木を切り倒し、木の杭を作って、運河の縁に打ち付けながら掘らせた。しかし、一夜明けて改めて見てみると、掘った土はまたも埋まっていた。

 孫権はまた別の夜、何人かの将兵を連れて再び獅子頭の様子を見に向かった。

 どこからともなく「掘ったり木の杭は怖くないが、子供の骨が怖いんだ」という声が聞こえてきた。

 孫権は明るくなるや否や、地元の人々を探し出し子供の墓からその骨を分けてもらい、獅子の頭に打ち付けた。

 すると獅子頭から血が噴き出し、三日三晩流れ続け、川を真っ赤に染め上げた。それ以来、獅子は生きられなくなったのか、大地は閉ざされることがなくなった。

 ついに長い運河が掘られ、水は旱魃に悩む田畑に流れ込み、緑の作物と人々の豊かな生活をもたらしたのだ。

 孫権の功績を記念して、人々は「呉主廟(孫権を祀る廟)」を建てた。

孫権、土地を借りて水を汲む

 伝説によると、赤壁の戦いの2年後の秋、雨の降らない長い旱魃(かんばつ)があった。

 湖北省崇陽県(すいようけん)の肥沃な畑はひび割れ、作物は枯れ、道路は砂埃に覆われていた。人々は飢えていて、みんな悲しんでいた。

 孫権が状況を見てため息をついてこう言った。「民が長年戦に苦しみ、田畑が荒れ果てているのは、我々のせいだ」と。

 孫権は兵馬を団頭山の麓に配置した。ある日、2人の従者を連れて山へ行くと、山から小川が流れ出しその両岸は作物が乾燥した天候にもかかわらず青々と育っているのが見えた。

 なぜ、農家の人たちはこんな良い水を引かないのだろう? 孫権は木こりを呼んで問いただすと緑の丘はすべて黄家という金持ちの所有であることがわかった。

 川の上流から水を引くには、黄家の土地を通らなければならない。黄は富豪であったため、一寸の土地も手放そうとしなかった。住民は何度か訴訟を起こしたが、勝つことはできなかった。

 翌日、孫権は2人の使者を黄家に派遣し、兵士が飲むための水を毎日三千担(三千人分)貸与し、団頭山の陣地まで運ぶよう伝えた。それができないと、軍の命令に背いたとして処刑されてしまう。

 黄氏は怖気づき、苦悶の声を上げ「私を殺そうとする気なのか? 団頭山まで往復20里もある。一人が一日三回水を運んだとすると、千人でようやく三千担も運ぶことになる。」と言った。

 彼は孫権にあい懇願した。孫権は眉をひそめ、机を叩いて叫んだ。「良い土地を持ち、穀物を持ち、山河の水を利用できるのはお前だけだ!どうして軍令に背くことができるのか?」。

 手を振ると、兵士が黄氏に群がる。黄氏はあまりの恐ろしさに「命だけは助けてください!」と叫んだ。孫権は「今は命を助けてやるが、水を汲むための一片の土地を渡せ」と言った。黄氏もこれに同意した。

 早速、孫権は馬を駆って、兵士たちに川の水を迂回させる運河を掘らせた。わずか二日で十里以上もの運河ができた。それ以来、この地は良い土地になった。

 人々は孫権の恩に報いるため、孫権が駐屯した場所を「呉城」と名付け、孫権を祀る「呉主廟」を建立した。

 いかがだったでしょうか?

 共に「呉主廟」に伝わる孫権のお話でした。別々に集めた話ですが同じ運河建設の話ではないかと思っています。呉の土地に実際行ってみると孫権を祀る廟が多いことに気が付きます。

 民衆の為、いろんな活動をしていたことが伝わり民衆に愛されていた事がわかります。

 孫権の民間伝承はまだまだあります。民たちと一緒に農作業などするという話もあります。また機会があればご紹介しますね。

 少し孫権を好きになってもらえたらうれしいです。名君主・孫権が主役の作品がいつかでてくれるといいなと思います。

 次回も呉の人物を紹介していきたいと思います。

第十六回三国志祭の日程決定!

 16年続いている三国志のお祭りの日程が決まりました!

 たくさんのご参加お待ちしております。

日程 :2022年11月6日(日)
場所 :神戸市KOBE鉄人三国志ギャラリー周辺


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります

関連する記事一覧はこちら