節分→豆まき→赤鬼→…ホーナー!!

電撃オンライン
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 今年も節分が近づいてきましたね。2023年の方角は“南南東のやや南”! なんか細かい!! ちなみに2024年は東北東、2025年は西南西とケッコウ先まで決まっているようです。

 おいしそうな恵方巻がずらっとお店に並ぶのは楽しいですが、東日本で育ったものでいまだに節分に方角といわれてもピンと来なかったりします。

 個人的には幼少期からやっぱり節分といえば豆まきでした。豆まきといえば、赤鬼だよな~なんて考えていたところ、唐突にホーナーが頭から離れなくなってしまったのです!

 ということで、せっかくなので“赤鬼”と異名をとった元ヤクルトスワローズ、ボブ・ホーナー選手の思い出を語っていきたいと思います。

彼は“黒船”のように唐突にやってきた!

 “赤鬼”の襲来は1987年のこと。当時は各球団にクロマティやバースなど、今も語り継がれる名助っ人たちがいた時代でした。

 そんな中、メジャーで実績バツグンのホーナーが向こうでの契約がうまくいかず、なんとヤクルトスワローズにやってきたのです。

 これは今でもそうですが、前年まで2年連続メジャーで27本塁打と、これだけの実績を残しておきながら次の年に日本のプロ野球に来る選手はなかなかいないですよね。

 そういった事情もあって、最初は“黒船”来襲なんていわれたりして、かなりの期待を持って歓迎されました。

 そしてデビュー1戦目でいきなりホームラン。続く2戦目でもホームラン3本と期待以上の活躍で、いわゆる“ホーナー旋風”を巻き起こしていくことに!

“黒船”から“赤鬼”に!

 デビューから一気にファンの心をつかんだホーナー。前述の通り、始めは“黒船”の異名で呼ばれることが多かったですが、しばらくすると、プレイ中に興奮し肌が赤らんでいる姿と表情などから“赤鬼”と呼ばれるようになり、それが定着していきます。

 ヤクルト自体の調子はあまりよくなかったのですが、神宮はホーナー見たさに連日満員となり、1987年の観客動員はかなり好調だったようです。

 あまりの人気っぷりにCMにも起用され、薬師丸ひろ子さんと共演を果たしています。プレイ中ではないので“赤鬼”っぽさはないですが(笑)。

 ちなみにですが、この記事を書くにあたって“赤鬼”という異名で呼ばれた人物を調べたんですが、これが意外と少ない。“鬼~”とか“~の鬼”とかはそこそこ見つかったんですけど。

 “赤鬼”そのものズバリは井伊直政とその子孫である井伊直弼くらいでした。井伊直政、井伊直弼といわれてもパっと顔は浮かんできませんし、古くからある言葉でありながらあまり直結するイメージがなかったのも、ホーナー=赤鬼が定着した要因だったりするのかもしれませんね。

ゲームでも大活躍!

 ホーナーの影響はそれだけにとどまりませんでした。そう、プロ野球といえば、やはりゲーム! プロ野球を題材にした各ゲームにも登場し、その猛打者っぷりが再現されていたものです。

 あの“バントでホームラン”で有名な『燃えろ!プロ野球』では、もちろんバントでホームランを打てる選手の1人にホーナーをモチーフにした選手が選ばれています。また、デモ画面でホームランも放っていましたね。

 その他、『桃太郎伝説』に登場する登場する敵キャラ(赤鬼)のモデルにもなっています。

 まさにゲーム界でも“ホーナー旋風”が巻き起こり、各所で人気者になっていました。

 しかしそんなホーナーでしたが、残念ながらメジャーとの契約が成立し、1年で日本球界を去ってしまいます。

 メジャーに帰ってからはあまり活躍できず、翌年の1988年には引退してしまったので、ちょっと気分は複雑ですよね。日本に残っていればさらなる伝説を……なんて夢想してしまいます。

 個人的な思い出話は以上ですが、当時のホーナーの様子を広澤克実さんが槙原寛己さんの公式チャンネル“ミスターパーフェクト槙原”で語っていますので、ホーナーが気になりだした人はこちらもご覧になってくださいね!

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