三国志版“三本の矢”!? 黄蓋が三本の矢でイカ妖怪退治! 【三国志 英傑群像出張版#16-1】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 英傑群像出張版では現在はわたしが中国各地で集めた三国志武将の民間伝承の古書から、日本で知られていないものを厳選して文章をまとめて紹介しています。

 民間伝承の中には面白くない話など没ネタが結構あります。ネタが続く限りご紹介したいと思います。

 さて3月・4月は、【呉の人物たち第二弾】としてご紹介していきたいと思います。まず今回は【黄蓋(こうがい)】です。

 “赤壁(せきへき)の戦い”の実質一番の功労者といってもいいでしょう。日本でもおなじみのことわざ“苦肉の策(くにくのさく)”“苦肉の計(くにくのけい)”という言葉の元となった人物です。

 敵の曹操(そうそう)を倒すため、寝返りしたふりをして油断させて突撃する作戦を立てます。そのために、味方の中でわざと争いごとを起こし、“百叩きの計”を受けることで曹操の信頼を得て寝返りを信じさせるという作戦がこの「苦肉の策」「苦肉の計」です。

黄蓋のイカ妖怪退治! 三国志版・三本の矢

 “黄海湖”周辺には、門の上から必ず<小さな弓と3本の矢>を吊るすという風習がある。その由来は黄蓋にある。“赤壁の戦い”の前、周瑜(しゅうゆ)は黄蓋に指示してここに兵を移した。

 赴任早々、「目が三つあるイカの妖怪がいて、魔力を示して湖周辺のすべての家族に酒や食料を出せと脅している」と、地元の人たちから相談してきた。地元の人たちはこの生き物を嫌い、黄蓋も追い出そうとしたが良い方法が思いつかなかった。

 ある日、悩んだ黄蓋は机に座り「民衆の災難、苦痛を取り去る」と繰り返し決意を書いた。すると、意識がもうろうとし始めた。そこに少年の顔と髪をした老人が現れて3本の矢を差し出すのを見た。黄蓋は「ありがとうございます。仙人」と言ったが、その瞬間に目が覚めた。

 夢かと思ったがふと見ると、矢袋には3本の矢が入っていた。矢の長さは普通の矢の半分くらいしかなく、しかもピカピカ光っている。

 その日、イカの妖怪がやってきた一家の家では、特に盛大な宴会が行われ、イカの妖怪はテーブルの上にしゃがみこんで大酒を飲み、大食していた。

 黄蓋は兵士を連れて扉の奥に兵士を隠した。そして、イカの妖怪が扉を出る時に縄で躓かせて地面に倒し、その隙に縛り上げた。

 そして黄蓋はイカの妖怪を木の切り株に縛り付けて処刑させた。しかし、イカの妖怪は、妖術で元に戻り気にも留めなかった。

 さらにイカの妖怪は空に跳びあがった。黄蓋は「逃げられないぞ!」と言って、手に入れた三本の矢を一斉に放った。

 大きな音とともに3本の矢がイカの3つの目に当たり、イカは倒れ、湖に飲み込まれた。こうしてイカの妖怪は退治された、

 黄蓋の活躍を記念して、彼が陣を張った場所を“黄蓋瑞”と呼び、魔除けのために各家の戸口に【小さな弓と3本の矢】を掛けたという。この習慣は、現在も受け継がれている。

将棋で黄蓋を試す

 “赤壁の戦い”で周瑜は勝利のために準備をすべてを整えたが、川を渡って曹操を騙す適任者がいなかった。

 これでは良い餌がないのに釣り針をたらすようなもので、どうして大きな魚を釣ることができるだろうか? と惜しがった。この勝負は不利だ。すべての準備は無に帰すかもしれない。

 ふと好きな将棋のことを考えた時、彼の心は急に明るくなった。そこで、周瑜は黄蓋の陣営に行き、「気分転換に少し対局をしに来ました」と言った。

 二人は近くの水辺の小さな山村に移動した。とても静かで、村の突端にある岩の上に将棋盤を置き、互いに向かい合って座った。

 黄蓋の頭の中は将棋どころではなく、目の前のこの大きな戦いにどう立ち向かうかが気になり周瑜に問いただした。

 周瑜は「勝つためには、誰かが嘘の降伏をして川を渡らなければならない。降伏を信じさせる為には身を斬る策を講じなければならない。その負担は苦しいだけでなく、命を落とすことになるかもしれないのです!」と彼は話しながら、黄蓋の表情を窺った。

 彼が顔をしかめて考え込んでいるのを見て、黄蓋はその人ではなかったかと長い溜息をつき「軍隊を育てるには千日かかるが、それを使うのは一瞬です。生死の境をさまよう時、忠誠心は得がたいものです。」と言った。

 黄蓋は偽の降伏役をする意思があったが、周瑜が自分を本当に信じるかどうか確信が持てず、じっと将棋盤を見ていた。周瑜は、黄蓋が黙って固まっているのを見ると、「将棋をやりましょう、将棋を!」と言った。

 2人は将棋を打ち続けた。黄蓋の駒は次々と繰り出され、あっという間に優勢になった。しかし、周瑜は他の駒を打たず、ただひたすら兵(現在の歩)をアーチ状に並べていく。

 黄蓋は不思議に思った。「なぜ兵ばかり打つのですか?」と。周瑜は悲しそうな顔で「小さいとあまり役に立たず、他の駒を動かすのが難しいのです!」と言う。
(大物の降伏でないと計が成功しないという暗示)

 黄蓋は喜んだ。おそらく私を試すつもりなのだろう。一歩話を進めるために彼は無謀にも「将」の駒を動かした。
(※古代の将棋は、王と将は別にあったともいう)

 周瑜は、この状況を見て老将の協力を得たことを知った。周瑜は兵でも他の駒でも将をとらず、代わりに将を取り上げた。

 黄蓋は笑いながら「あなたはルールを間違っていますぞ! 将が陣地を離れることができますか?」と言った。周瑜は苦しそうに「私は他のものを派遣するのが難しいのに、どうして将自ら出陣してはいけないのですか?」と返す。

 その言葉で、黄蓋は衝撃と喜びを感じ、将棋盤を押し退け「そうだ、そうだ、老将は出陣する! 川を渡って降伏する!たとえ死んでもいい!」と叫んだ。

 こうして苦肉の計の準備が整った。

 いかがだったでしょうか?

 イカは海にしかおらず川にはいないはずなので、現地で何かしらのイカぽいものが生息しているのかは不明です。

 翻訳していてほんとにイカ? って何度もなりました。まあただ相手は妖怪なので、”イカのように見える異形のモノ”として認識して頂ければと思います。

 かつて私は“黄蓋の子孫の村”に行ったことがあります。なんと、家がみんな黄色に塗られていました。オシャレ! と思った記憶があります。身を削って戦いの勝利に貢献した彼の功績を地元の人は誇りに思っているようでした。

 さて、日本で【三本の矢】といえば、戦国時代の毛利元就(もうりもとなり)が息子三人に、「1本では折れる矢も3本束ねれば折れない」と語ったといわれる民間伝承があります。
(史実はすこし違うようですが)

 三国志の【三本の矢】は“黄蓋のイカ妖怪退治!”と覚えていただけるとうれしいです。

 次回も呉の人物に注目して紹介していきたいと思います。

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岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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