地味ながらも有能。苦肉の策を成功させた“闞沢”、呉の2代目の丞相“顧雍”の逸話を紹介! 【三国志 英傑群像出張版#16-2】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 英傑群像出張版では現在、私が中国各地で集めた三国志武将の民間伝承の古書から日本で知られていないものを厳選して紹介しています。

 3月・4月は、呉の人物たち第二弾としてご紹介しています。

 前回は“【苦肉の計】の黄蓋(こうがい)”を紹介しました。今回は、その【苦肉の計】を成功させた人物 【闞沢(かんたく)】と無口な2代目・丞相【顧雍(こよう)】のお話を紹介します。

闞沢、降伏書類を書く

 「赤壁の戦い」で周瑜が黄蓋を百叩きにした時、文官も武官も皆、黄蓋のために罰の軽減を懇願したが、諸葛亮と闞沢だけはそれが“身を斬る計略(苦肉の策)”であることを見抜き、傍観者として微笑んだ。

 その後、黄蓋は密かに闞沢を訪ねると、彼が勇敢で機知に富み博識であることを知っていたので、曹操軍への寝返りの書状の代筆を頼んだ。

 「この書はいつ頃欲しいですか?」と闞沢。「早ければ早いほどいい。」と黄蓋。

 続けて黄蓋は、外がもう真夜中になっているのを見て少し申し訳ない顔で「一昼夜で書いてもらい、明日のこの時間に取りに来るというのでいかがだろうか?」言った。

 闞沢は「あまり悠長なことは言ってられないでしょう。夕暮れ前に書いておくので、夜に川を渡り降伏状を出してください。」と返す。

 黄蓋は、降伏の手紙は偽物であり、一文でも間違うとそれが露見して計略が台無しになるため、簡単には書けないだろうと考えたのである。

 1日しか与えないとしたら、短すぎたかもしれない。黄蓋はあまりに不安になり、人に頼んで昼に闞沢の様子を見に行ってもらった。

 その時、闞沢は酒を飲んでいて、そのことを忘れているようだった。午後にもう一度使者に見にいかせると、彼は眠っていて手紙を書く気にはなっていないようだった。

 黄蓋は心配になって自分で闞沢の元に出向いた。ちょうど闞沢が起きだして来たところだった。彼がまだ日が沈んでいないのを見て、伸びをして言った、「まだ早いなあ!」。

 黄蓋は我慢できず、自分で墨を研いで絹を広げ、闞沢に書き始めるように促した。闞沢はゆっくりと顔を洗い、お茶を飲むと、眠気から完全に覚めた。

 座って筆を手に取ると、水も滴らず素晴らしい文章を書き、あっという間に書状が完成したのだった。

 闞沢が完成後に筆を投げ捨てると、それは宿舎の外の池に落ちて、水を真っ黒に染めた。筆は地上に突き上げ、やがて柳の木になった。

 この池を“墨池”、柳の木を“墨壷”、この地を“闞沢咀”と呼ぶようになった。

顧雍~沈黙は金~

 顧雍は呉の丞相。彼は一歩一歩着実に足跡を残していく人物である。彼は決して失敗しないことから、“兎を見て初めて鷹を放つ老猟師※”に例えられた。
(※:①手遅れと思っても諦めてはいけない、事を見極めてから対策を立てても遅くないの意。②事態がさし迫ってから慌てて行動に移ること、また急いだ結果、事を仕損ずることの例えに使う)

 顧雍の家は貧しかったので、彼が10代の頃、友人らと出稼ぎにでた。出発前、母親は彼に「人は長さの違う指が10本あり、それぞれ違います。出かけたら、取り残されないように。よく手紙を書いて、何でも伝えてなさい。」と言った。顧雍はうなずき、「心に刻み、決して忘れません」と返した。

 彼は毎月15日家族に手紙を書き、仕事が遅れていることやうまくできないことがあることを母に伝えた。また母のアドバイスを思い出し、いつも注意深く勤勉であった。

 母親は彼が何の仕事に就いているのか不思議に思い「あなたと同じ時期に家を出た東の隣人は県令になったそうです。扉には額が飾られ、先祖代々の墓には石碑があり、先祖を敬って有名です。」と手紙に書き、彼の様子を尋ねた。

 顧雍はその質問に答えず、「仕事はなかなか進みません。上達が遅く至らない点ばかりです。申し訳ありません。」と返事を書いた。

 翌年、母親は「あなたと同じ時期に家を出た西の隣人は将軍になり、大きな馬に乗って帰ってきました。」と彼の出世はどうなっているのかを尋ねる手紙を出した。

 顧雍は、やはり質問には答えず「自己の改善は常に遅いです。申し訳ありません。」と返事を書いた。

 息子からの手紙を受け取った母親は、家でじっとしていられなくなった。そこで、彼女は自ら息子のもとへやってきた。

 この時、顧雍はすでに呉の丞相になっていた。国民は彼に従うしかなく、誰も彼にかなう者はいない存在だ。

 孫権は顧雍の母が訪れたことを聞き、直接彼女に会いに行きもてなした。

 母は夢かと思うほど驚き、喜び、思わず息子にこう文句を言った。「お前はなんて無口な人間だ、どうしてこうして政務を執ることができるのだ。もしかして、呉の王は誰かと間違えているのではないか。」。

 それを横で聞いた孫権は笑って「私が彼のことを気に入っているのは、口数が少なく、行動力があることだ。これは本当にあなたの息子ですよ!」と言った。

 1つ目の“闞沢”のお話。闞沢という人の三国志演義での大活躍は史実に載っておらず、赤壁の戦いに一切関係ないといってもいい人物です。

 あまりの三国志演義での良い取り上げ方に、何かそれらの間をつなぐものがあるんだろうなぁと常々思っていました。そして今回の民間伝承はまさにそれに当たる気がします。
(あとから作られたものかもしれませんが)

 ちなみに三国志演義の元祖である『三国志平話』の赤壁シーンで闞沢はでません。

 民間伝承では、三国志演義と違い黄蓋の偽の降伏の書面を作るだけです。三国志演義では、直接曹操に会って、黄蓋が寝返りたいと言っていると曹操を信用させる使者になっています。

 2つ目の「顧雍」のお話、三国志演義では赤壁の戦いで降伏派として登場したりする以外、あまり目立った活躍もないので、第二弾でないと紹介できない人物ですが、今回ご紹介できてよかったです。

 口が達者でなくても立身出世できるという話に心救われる人もいると思います。私もその一人です。

 侯に封じられた際、家の人間にそのことを語らず、家の人は後から人に聞き驚いたというのが史実にあり、また無口だがものを言うと的を射ているという話もあり、まさにそこと共通する話です。

 手紙のやり取り、努力家で謙虚であったことが今回の民間伝承から推察できます。

 来月も呉の人物の民間伝承を紹介したいと思います。お楽しみに!

KOBE鉄人三国志ギャラリー 三国志イベント「桃園の智会」第四回 ゴールデンウイーク5/3に開催!

 1年前にスタートして好評でお盆、正月にも実施しました。

 話下手の人でも、知識が少なくても楽しめるように工夫した、好きな三国志を語りつくす交流イベントです。

 毎回メンバーご新規さんばかりなので気楽にご参加ください。正史、演義の知識が違っても楽しめるとおもいます。

 特に長期お休みに毎回設定していますので、遠方の方にぜひ来ていただきたいです。

要予約三国志ギャラリーまで
締切り:開催3日前まで
参加費:千円 お茶付
開催日時:5/3(祝・水)16時30分~19時ごろ
年齢・知識不問


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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