ファンタジーは日常の描写に宿る。電撃文庫『サマナーズウォー』について榊一郎先生にインタビューしたら創作を志す人は必読級のお話まで聞けました

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 6月9日(金)に発売された小説『サマナーズウォー/召喚士大戦2 導かれしもの』(著者:榊一郎先生、イラスト:toi8先生、執筆協力:木尾寿久氏(Elephante Ltd.))。

 ゲーム『サマナーズウォー』を原案としたノベライズ作品である本作について、著者の榊一郎先生にお話を伺ったので、本記事ではその内容をお届けします。なお、この記事には『サマナーズウォー/召喚士大戦1 喚び出されしもの』のネタバレが含まれるので、小説を未読の方はご注意ください。

■『サマナーズウォー/召喚士大戦2 導かれしもの』

 本作は、2014年6月から配信されている、ターン制戦略MMO『サマナーズウォー:Sky Arena』を原案として、オリジナルの物語を紡ぐ作品です。

 ゲームの世界観を踏襲しつつ、人気の召喚獣を使役している主人公やヒロインといったオリジナルキャラクターが多数登場する、正統派ファンタジーストーリーを楽しめます。

 本記事では、『ドラゴンズ・ウィル』をはじめ、数々の著書を世に送り出している榊一郎さんにインタビューを実施。本作の内容はもちろんのこと、本作を題材にして、ファンタジー小説を執筆する際のポイントについて伺っています。インタビューではありますが、まるで『サマナーズウォー』という小説を参考書にした講座のようでもありました。

 また、インタビューには榊先生に加えて、本作の制作に携わるエレファンテの木尾寿久氏にも同席していただきました。

2巻は、1巻の伏線を回収できる続編

――第1巻で主人公・ユウゴたちは数奇な運命をたどることになりましたが、第2巻ではどうなっていくのでしょうか。

榊一郎先生(以下、榊):書いている私としては、主人公の父親・オウマの凶行の理由や経緯、物語に登場するミステリアスな存在であるカティという存在が、1点に収束していくところが一番の盛り上がりになるのではないかと思います。

木尾寿久氏(以下、木尾):2巻で、1巻の伏線はおおよそ回収しましたよね。

:2巻で回収するためにさんざん張りましたからね。1巻で出てきた敵キャラクターも伏線になっていますし。あとは、キャラクターの相互関係も盛り上がりとも言えます。父親と同じ道を歩みかけた主人公・ユウゴを止めるのは、果たして誰なのか。それも含めて盛り上がりなのではないかと。『ああ、そうだったのか!』という感じに。

――榊先生ご自身が、第2巻でオススメしたいポイントはどこでしょうか?

:オススメで言うと、全部と言いたいです(笑)。作中で明示はされませんが、原題のゲームの世界と本作はつながっているのですが、実際、どうつながっているのか、とか。ちなみに小説とゲームとの明確な差は、召喚獣を連れていける数です。ゲームは召喚獣を複数体連れていけますが、一方で小説だと“1人1体”と決め打ちしています。

 この1人1体という縛りから、「この小説は『サマナーズウォー』ではないんじゃないか」という意見も出てくるかもしれません。“1人1体”というルールは、版元さんとの相談もあったうえでの決定でしたが、あえてそれを逆手に取りました。なぜ、“1人1体”なのか。複数体の召喚獣を使役するという“例外”事例と、どうつながっていくのか。「ああ、榊はこうつなげたんだ」と楽しんでいただけると幸いです。

 他に読者に楽でもらえそうなポイントとしては、召喚獣と召喚士の関係性かと。作中でも明確な差として表現していて、ユウゴ側とオウマ側で明らかに違います。

 オウマ側は完全なるビジネスパートナー的な扱いになっていますが、一方で、ユウゴやリゼル側は家族的というか、召喚獣への接し方が少しずつ変わってきています。

 “仕事のうえでの仲間”だったリゼルの召喚獣・バーレイグとユウゴの関係、そして立場的には監視者であり、言ってしまえば保護者でもあるモーガンとユウゴの召喚獣・カミラの関係などが、少しずつ変化していくことになります。

 ユウゴにとってカミラとの出会いはどんなものだったのか……というドラマも含めて、バトルの合間にほっこりできるよう心掛けました。ストーリー全体が殺伐としているところがあるので、それとの対比を楽しんでいただきたいです。

――先生も触れていましたが、2巻ではミステリアスな少女・カティの正体が明らかになるところも見どころだと思いました。

:ネタバレになってしまうので難しいところですが、私の他の作品を好きでいてくれる読者さんだと、おそらくカティの正体にすぐ気が付くのではないかと思っています。私って、カティのような少女の描き方は一貫しているんですよ。

 わざわざ美少女にしているんだから、ヒロインレースには加えたい。となるとカティがどういう経緯を経てユウゴのそばにいるのか。1巻でユウゴに圧をかけるような発言をしていたのはなぜなのか。そのあたりを含めて考えると、カティにはラノベのヒロインになり得る要素が詰まっております。

 一方で、ノベライズということもあり、ヒロイン達については、あまり奇をてらったキャラクターにはしていません。それだけにカティは扱いが難しく、そのままだとリゼルやカミラを差し置いてメインヒロインに見えてしまう場合もあります。

 なのでヒロイン要素は出しすぎないように、かつ最後にはヒロイン的な見せ場もあるようにと心掛けました。クーデレ系、または不思議ちゃん的な女の子が好きな人にはおもしろいのではないかと自負しています。

木尾:1巻の時点ではイラストは出ていませんでしたからね。デザイン自体は決まっていましたが。2巻でイラストが入ったので、改めて1巻を読むと違って見えるのではないでしょうか? イラスト担当のtoi8さんは榊先生とデザインの相談もされていましたし。

――具体的にはどういった話し合いを?

木尾:表情のやわらかさ、お化粧の有無などがありました。イラストにもぜひ注目して欲しいです。

:良くも悪くも人形少女のイメージです。その対比として、リゼルはかなり生っぽいですね。カティは人形や鉱物、無機物のイメージで考えていました。シルバーの髪にして、白銀や青銀のイメージにしていましたが、これも対比として、リゼルのほうはすぐに怒る、髪が赤い、召喚獣は火属性、と“炎”のイメージを出しています。この2人の対比はいい効果だったのではないかと思いますね。

 召喚獣とは恋愛しないルールで、とお聞きして書いていたので、カミラはヒロインレースには参加していません。ユウゴを足り合う立場ではなく、相棒としての立場になっています。

木尾:カミラは、相棒でもありつつ、エミリアと同じく姉のような存在ですよね。

:エミリアが旅についていかなかったのは、被らないようにという側面もありましたね。

――今後、カティとどういったつながりが生まれるのかは気になるところですね。

:カティがどれくらい人間に近い存在なのかという点については、あえて書かずぼかしています。カミラの立ち位置に近づくこともあるでしょうが、ユウゴの恋愛がらみの相手としてのメインヒロインがリゼルであることは、物語的にも揺るがないと思います。

 ただ、カミラやカティがもし今後があるとしたらどういう風になるのかは、エンタメとして、お客様の望むかたちに持っていくのがいいと思っています。だからもし3巻があったら、よりおもしろく見える方向に舵を切るつもりです。

――今後の展開も変わる可能性があるのですね。いち読み手としては、設定というものは小説の執筆が始まる前に決まっていて、展開の変更は難しくなるものだと思っていました。

:私は、富士見書房の富士見ファンタジア文庫出身で、『ドラゴンマガジン』で連載を持っていたこともありました。その時の経験から学んだのですが、最初から最後までキッチリ決めてしまうと、「人気が出たから連載を伸ばそう」、「人気がないから打ち切り」といった予定変更に対応したスケジュール調整ができなくなってしまうんです。

 昨今では、1巻打ち切りになってしまうラノベも珍しくありません。ただ、個人的には1巻買ってくださった方に「続きは出ません」と突きつけるのは大変心苦しいのです。なので、可能であれば、予定の変更があったとしても、物語としてしっかり終わらせたい、という基本方針があります。それに従って1巻で終わらせる話、2巻で終わらせる話といった調整ができるようにしておくクセがついています。

 また、ラノベがアニメ化した経験がある人はわかると思いますが、アニメ化が決まった時点で、まだ自分でも決めていないことを聞かれることがあります。例えば、主人公やヒロインの英語の名前の綴り。そもそも英語として考えてないので、「なぜそれが必要なんですか?」と聞いてみたんです。結論から言うと、グッズ化の際に使用すると。だからこうした経験以後、細かい設定などはわざとあいまいにしている一方、名前の綴り、読み方などは、早い段階で決めています。読者さんや作家志望者の方が思うようなきっちりした設定とは違うと思いますが。

木尾:個人的には、榊先生はきっちり固めておくタイプの作家ですね。別系統の作家さんには“ライブ型”と表現するのがしっくりくる方もいらっしゃいます。勢いを重視すると表現すればいいでしょうか。

:世界設定については、ある程度冗長性を持たせつつも、一応の終着点とそこまでの道筋は決めています。物語のコンセプトをまず決めて、細かいところは決めずにおくとしても、コンセプトと照らし合わせて、説明ができるようにしておくとか。本作にしても、そういう相談はしましたね。

――本作はどのようなコンセプトだったのでしょうか?

:全体の構想は某有名SF映画に似ています。“偉大だったけど悪に染まった父と、それを超えるために力をつける少年の話”です。

 1巻は、少年の旅立ち編です。少年としては当たり前だった、ユウゴの場合はカミラやエミリアといった身内の庇護のもとで生まれ育った町の外に出ることで、成長していきます。そして世界の中で自分の立ち位置、召喚士の立ち位置、召喚獣の思われ方を理解していく――まさに少年の旅立ちです。

 2巻では、世界の現実と少年の関係性について描いています。世界はこんなに広いんだと認識すると同時に、世界はそんなに優しくないんだと気づきます。そのうえで、ユウゴはどう考えるかを描きました。“優しくないから優しくなるよう調教しよう、狂っているのは自分ではなく世界だ”という考えがオウマのもの。それを否定するのがユウゴ、という感じです。

 リゼルは、世間知らずのユウゴに世間を示すためのキャラクター。立ち位置としては妹になっていますが、ユウゴよりは世間を知っている子です。生い立ちを考えると、リゼルはオウマ同様に世界を否定してもおかしくはないのですが。

 あの手の悪役を見ていて、自分がよく考えるのは、見ている世界が狭いよな、と。ああいう人たちは、自分1人の体験だけで世界を見限るじゃないですか。10や20じゃ足りないくらい、数々の人に裏切られてきたのであれば仕方ないとは思いますが、1度や2度の裏切りでそう決意しがちですよね(笑)。

――確かにそういうところはありますね。

 昔自分の作品で言わせたことがあります。「あなたの狭い人生経験、狭い視野で世界を見限るな」と。オウマはきついめの悪役として書いていますが、純粋な悪かというとそうでもない。純粋な邪悪というものを勢いだけで書くと、どこか安っぽく見えてしまうんです。

 善の対になる悪には、善と同じくらいの理路整然とした論理が必要なんではないかと思います。考えたうえでの結論だけど、感覚が違ったため、結論を誤ってしまう。特にオウマはそういう風に描写しています。読まれた方はわかると思いますが、本作でもっとも人間性がないのがオウマです。むしろオウマの召喚獣である“ウエポンマスター”の“マクシミリアン”の方が人間味があります。マクシミリアンは、オウマの外付け良心回路なんですよね。

 でも、それだけキャラクターとしての方針がはっきりしているので、オウマは書いていて楽しかったです。かつて愛した女性が居て結婚もしていた。けれどその女性の死でぽっきり変な方向に折れてしまう。善悪というより、純粋すぎるやつは何かつまずくと大きく方向を間違えてしまうものではないのかな、と。

小説を“ファンタジーの世界”にするには“日常”の描き方こそが大事

――さまざまな小説を執筆されている榊先生ですが、ファンタジーものを書く際に心掛けているポイントを教えていただけますでしょうか。複数でも問題ありません。また、『サマナーズウォー』を書くにあたってそれらが現れている部分はありますか?

:実は、今年から大阪芸術大学でファンタジー論を教えていて、直近で“ファンタジーにおける魔法とはなにか”という題材をやっております。まさか同じような話をするとは(笑)。

 あまりファンタジーを書いたことがない人は、ファンタジーを書くとなった時――特にオリジナルの世界を書くとなると、派手な魔法のアクションや冒険の風景などを考えがちです。

 もちろん、異世界ですから亜人種などの存在はいるかもしれないですが、大抵の場合に、我々と同じ人間が住んでいます。多少の差はあっても、同じ価値観を持つ人間たちの世界を書くならば魔法の細かい設定よりも、“魔法があったら世界がどう変化するのか?”というところをまず考えた方がいいのかなと。

 魔法のありかたを、バトルシーンをはじめとした非日常ではなく、日常の中の魔法とは何かを考えておかないと、“なぜか戦闘に登場する便利な道具”という奥行きのないものになりかねません。その世界の魔法は、多くの人に認識されているのか? 例えば技術として先生がいて、学校があって、教えていたりするのか? そうであれば、そこから派生する事象としてどんなことが生まれるのか? ……と考えられるはずです。明確に文字に起こして設定する必要はありませんが、ぼんやりとイメージできているか、というところがポイントになります。

 本作で例えるならば、世間に知られた魔術師なるものがいて、その上位に召喚術士がいる。となると、魔術師がいたら社会はどう変わっているか。わかりやすいのは、度量衡・通信・衛生・医療・軍事など、この世界における日常のさまざまなモノが、魔術の存在一つで変わってくるはずです。実際、モーガンが行っている手紙のやりとりは我々の知る郵便と違いますし。

 魔法の影響を最も強く受けているのは日常部分のはずなんです。通信にしても、魔法で行うものなのか、飛脚が物理的に運んでいるのか。魔法をうまく設定できていると、世界の空気感が作りやすくなります。背景としての日常や社会をどうとらえて、どう描写するか。実際に書いていく時に、ネタを出しやすくなるんですよ。

 本作ではあえて数字は出しませんでしたが、世界で何人に1人が魔術師なのか、割合とも言うべきものはイメージしておかなければいけません。

 仮に10人に1人だった場合、産業的な分野で魔術が使われていても不思議はない。例えばリゼルとユウゴがアイスを食べているシーンがあってもいいんです。アイスを作るための冷却系の魔術を使える人間が存在し、働いている可能性がありますから。「ファンタジーなのになんでアイスを食べているんだ?」と思うかもしれませんが、魔術が日常的な経済に組み込まれているのであれば、魔術師が製氷屋さんをやっている可能性もあるんです。

 「アイスをちょうだい」「わかった、待っててね」と屋台の氷菓売りが魔法を使う世界って、すごくファンタジーじゃないですか。「じゃあこれは?」「それならこれも……」と練っていくうちに、独特の世界観が生まれていきます。

 派手な部分ではなく、地味な日常部分にどれほどディテールを考えるか、という話になります。世界を描くことは、非日常ではなく、日常を描くことでより鮮明になっていくんです。教え子と話していると、そこが抜けている子も少なくありません。

 私は別の作品で、魔術が存在しない世界に行った魔術師が、現地の人と仲良くなるために魔術を使い、シャーベットをふるまうシーンを書いたことがあります。もちろん、似たような手法を取っている作家さんは何人もいらっしゃいます。

 以前、知り合いの作家のSOW先生が、『新選組チューボー録』という作品で、新選組の時代にタイムスリップした女子高生がアイスをふるまうシーンを書いていました。その作品では魔術ではなく科学の力で氷菓子を作っていましたが。バトルシーンは印象的で派手なので、ファンタジー小説を書いてみたいと考えたことのある方は、魔法を駆使した戦闘を書きたくなる方も多いと思いますが、そこではなく、日常にどれだけ魔法が関わっているのか、というところにこそファンタジーが宿ります。いつでも日常に考えを広げられるように構えておく、ということですね。

――榊先生といえば、銃火器系を好んでいる印象があります。銃火器とファンタジーは、兼ね合いがすごく難しいように思えます。複数のジャンルを書く際の意識の切り分けみたいなもののコツはあるのでしょうか?

:軍隊や兵器といった現実の要素と、魔法やモンスターといった現実にはない要素を組み合わせる際は、切り分けるというより、ファンタジー世界の話と同じで、明確に世界の一部として魔法やモンスターを組み込んだ方が応用が効きます。先ほどのアイスの話と似たようなものですね。

 切り替えるのではなく、要素の考え方をファンタジーに応用するイメージです。ファンタジーの何かが現実に現れた時はどうなるのか。その逆はどうか。違うものを合わせたことでどのような変化が起きるかを考えていくと、読者の固定されたイメージをいい形で裏切ることができます。私個人の手法としては、切り分けるのではなく、組み合わせた結果、どのように使って独自性を出すかかな、と考えています。

――練り込んだ世界に新たな要素を加えたらどう世界が変わっていくのか、というところですね。

:はい。本作で言うと、小説版サマナーズウォーの世界では、魔術師の数は少ない前提になっています。ですが、逆に魔術師が2人に1人ならば、下手をすると、『遠隔攻撃の為の専用道具』である銃は発明されていない可能性があります。それどころか、魔法で水の浄化ができる、もしくは水を作れる方法があるとしたら、上水道や下水道が発達しないのではないでしょうか。

 これが100人に1人であった場合、その世界の一般人達は、身近に魔法を使える人たちがいない前提でさまざまな状況に対処しなくてはなりません。となると、銃も出てくるし、上下水道も開発されるし、医療も発達するはずです。ちなみに本作でも銃器は出てきますが、生まれた理由としては、召喚獣“カウガール”の存在が大きいです。人間たちは、“カウガール”の持っている武器を、見様見真似で作った――としてみました。

 モーガンが言っていますが、モーガンが初期のころに使っていた武器は、パーカッションリボルバー、つまり火薬を詰めて薬莢をシリンダーに組み付けて撃つものです。しかし、オウマの拠点にあったリボルバーはカートリッジ式。召喚獣由来の技術が人間側で発達し、召喚獣のそれに追いついてきている。だからこそ、王都では「召喚士いらないんじゃない?」という空気が醸成されつつあります。

 ……と、まあ、そんな空気感を考えると、さらに広がりは生まれていくのではないかと。そんなことを考えながら、本作を執筆していきました。
話の展開からキャラクターの作り方を考えてみることも

――魅力的に見えるキャラクターの作り方には、なにかコツはあるのでしょうか。また、本作でもそうしたものはありますか?

:これも大学でやってるキャラクター創造論のものになってしまいますが……。魅力的でなければいけないのは誰なのか? もちろん一番出てくる主人公ですよね。主人公が魅力的でないと、たいていの読者さんは読んでくれないので。

 主人公の魅力には大きく分けて2パターンあると私は思っています。1つは“親近感型”。誰でも感情移入が出来るように、個人が特定しづらい平凡なキャラクター。

 主人公の悲喜こもごもが読み手に「わかる」としっかり伝わるくらい、人格や育った環境が特殊ではない、共感しやすいキャラクター。そうすると、一気に親近感がわきます。読者のアバター的で、読者に物語を半ば“直接的に”体験してもらえる。魅力は、そこにあると思います。いかにそのキャラクターに共感してもらうか、という作り方が“親近感型”です。

 これは他のキャラクターでも同じ考えて作る場合があります。メインヒロインであるリゼルは、お客さんに好いてもらわなければいけない立場にあります。オウマの部下として、敵として出てくるリゼルは、どうやったらお客さんに好きなってもらえるかを考えたら、彼女の行動にはこういう過去があり……と書くことで、「リゼルも大変なんだな」と思ってもらえるかなと。

 もう1つは“憧憬型”――いわゆる憧れです。よく私はこのタイプの例としてシャーロックホームズを挙げます。シャーロックホームズを読んでいる人は、シャーロックホームズの言動に対して「わかる!」と親近感を抱くことって、ゼロではないにせよ多くはないと思います。ですが、だからこそホームズは魅力的なんです。このタイプの場合は、共感は必要ありませんから、思いっきり設定を盛ってしまって構いません。天才とか超人とか。

 ですが、“憧憬型”の主人公である場合は、主人公の目線で世界を読者に見せようとすると、どうしても歪んでしまいます。極端な言い方をすると、『サマナーズウォー』の世界をオウマ目線で描いたら、読者には良く分からないものになる筈です。なのでそのタイプのキャラクターは、常識的な、外付けの視点人物が必要です。

――なるほど。だからワトソンが必要になる、ということですね。

:そうです。ホームズで言うところのワトソン、『サマナーズウォー』で言うところのマクシミリアンです。

 ワトソンは……言い方は悪いですが、ホームズに比べるととても俗物です。ですが、俗物であるからこそ読者はホームズよりワトソンに感情移入がしやすいんです。ワトソンの視点でホームズを見ることで、よりかっこよく見えてきます。なので必須かどうかは別ですが、“憧憬型”の主人公はお客さんと似た視点を提供する凡人キャラとセットになることが多いです。

 キャラクターを作る時は、作るキャラクターの設定に注力しがちですが、“憧憬型”の主人公を作る場合は、視点提供をするキャラクターをセットで置かないと、よくわからない視点で物語が進んでしまい、結果、読者もよくわからないままになってしまいます。

 魅力を感じるのは読み手です。読み手はどうやってキャラクターを好きになるのか。「わかる」という共感で好きになるのか。「こいつはかっこいい」「こいつみたいになりたい」という憧れから好きになるのか。そこから考えなければ、設定だけ盛って、強さのアピールをしても、むしろお客さんに嫌われる可能性すらあるのではないでしょうか。

――主人公以外のキャラクターについてもお聞かせください。『サマナーズウォー』の特色として、個性的な召喚獣が多数登場します。どういった基準で登場させる召喚獣を選定しているのでしょうか?

:本作で言うと、私個人の意見だけではなく、版元さんとの相談の結果です。ゲームの中で、一番人気の召喚獣はどれか、原作者として推したい召喚獣はどれか、と伺いました。

 ゲームでシナリオを描く際、キャラクターの人気を上げたいから、このキャラクターの好感度が高くなるシナリオを書いてくれ、と発注されるケースもあります。なので人気キャラクターだけではなく、推したいキャラクターをお聞きしたというわけです。

 その数種類出していただいた中から、召喚獣同士でどれだけ対比できるか。アクションシーンのことも考えます。カミラは水属性なので、火属性のバーレイグは対比として出しやすい。ウエポンマスターはオウマの召喚獣ですが、召喚獣の方が人間っぽいほうが落差があっておもしろい。逆にカウガールとカミラが戦うのは話としてイメージしにくいので、レギュラーとしては参加させない……とか。

 1巻のバトルシーンで言うと、複数の召喚獣と戦う際、あえて近距離戦する召喚獣、その横から遠距離攻撃をできる召喚獣など、敵側に混ぜ込み、バリエーションを広げました。

 ユウゴの師であるエミリアの召喚獣エルーシャも同じ水属性です。物語の展開にどれだけ添えられるか、というところで選出しています。

 召喚獣の見せ方で1つ言うと、召喚獣の属性を書く際、誰も聞いていないのにのっけから「この召喚獣は水属性で~」と書いてしまうと、いかにも説明っぽくなってしまい、没入感がなくなってしまいます。なので、水属性の召喚獣を使役しているから、川や雨のシーンからはじめるといった程度の計算はしています。

 仮にユウゴの召喚獣が火属性だった場合は、火事の中に飛び込んで、人命救助をしたんじゃないかと思います。

――本作で言うと、単なるファンタジーものではなく“ゲームアプリを原案としている”点も要素として含まれています。アプリ原案のノベライズを執筆するにあたって、いわゆる“原作再現”のような、外せない要素というのはあるのでしょうか?

:本作でもそうでしたが、アプリ原案の場合は、版元さんの要望にどれだけ応えられるかが重要になります。ただ、本作で限って言うと、「まったく別の話を書いてもいい」と言っていただけました。そう言われると、あえてつなげたくなってしまうのですが(笑)。

 その一方で、ゲームの懐をお借りしてお話を書くわけなので、ゲームファンの期待は裏切りたくないんです。ノベライズやコミカライズは、元となった作品を遊んでいない人に向けた宣伝的な側面もあるので、類似性は気にしなくてもいいと考える人もいますし、それも1つの考え方だと思いますが、『サマナーズウォー』が好きだから読んでみようと思った人たちに「こんなの自分の好きな『サマナーズウォー』じゃない!」と思われてしまうと、誰も幸せにはなりません。

 ゲーム自体の世界観は最大限尊重しつつ、ゲームを楽しんでいる人をないがしろにしないようにと考えます。しかし、ゲームの内容とまったく同じにすると、あえて小説を読む必要がなくなってしまう。だから「なるほど、榊は『サマナーズウォー』をこう料理したか」と思っていただきたい。ゲームと違うように書けと言われたならば、違うように書いた部分すらもゲームにリンクさせようと。本作で言うと、召喚獣は1人1体というルールを逆手にとっています。

 遺跡の中で、本来のルールを捻じ曲げ、一人の召喚士につき複数の召喚獣が出てくる……という展開は、“1人1体”のルールで、とゲーム会社さん側から要請された瞬間に思いつきました。また、だからこそ人気の召喚獣を使っていきましょう、という流れになりました。

 すべてがそうではありませんが、わざわざ別媒体でやるからには、なんらかの差別化は欲しい、しかし「ならオリジナルでやればいいじゃん」と思われてしまわないように、料理で言うところの素材の味を残した方が、誰も不幸にならないだろうな、と思って書いています。どこを残してどこを変えるのか、というのは個人の采配なので、正解が無いというか、難しいとは思いますが。

小説を今から書いてみたい初心者に向けて

――昨今では、誰でも気軽に小説を投稿できるサイトも存在します。もし「今からファンタジーものを書いてみたい」という人がいた場合、なんとアドバイスしますか?

:なぜファンタジーものを書こうと思ったのかを思い出してほしいです。“ファンタジーもの”と指定している以上、頭の中で何か具体的な作品を思い描いているのではないかと思います。その作品がとても好きだから、あれを僕も書きたい、なのか。逆に、少数派だと思いますが、この作品がとても嫌いだ、俺ならもっとおもしろく書ける、だから書こう、なのか。ちなみに私が書いたものの中には、後者の考え方で組み上げた作品も存在します。

 ファンタジーを書きたいと思った原因になっている作品が何かあるならば、世界設定をある程度まで流用させてもらうのも手だと思います。

――嫌いな作品の世界観を使うのは、抵抗があるのではないでしょうか?

:作品が嫌いだとしても、突き詰めていくと世界設定そのものが嫌いな場合は稀だと思います。例えば話の雑な展開が嫌い、ヒロインが報われないのが嫌いといったパターンが多いと思います。それなら同じような世界でハッピーエンドを書いてやる、で動機としては十分です。

 例えば“ナーロッパ”なんて言葉もありますが、共通認識としての中世西洋風ファンタジー、ご都合主義ファンタジーを使うことには、賛否両論あります。しかし、初めてファンタジーを書く、なおかつ凝りたいのは世界設定じゃない、というのであれば、世界設定をある程度流用してみてください。当然のことですが、そのままパクれという話ではありません。

 人間は、アイコン的な単語や名前に引きずられます。作品の個性となっている部分を思い出してみてください。例えば『サマナーズウォー』の世界に登場する、召喚獣と召喚士という単語をそれぞれ別なものに置き換えてみるとどうでしょうか? 例えば“英霊と魔術師”、“スタンドとスタンド使い”といった別の作品の単語に置き換えてみてください。世界観は同じだとしても、まったく別のものになりませんか?

 作品の個性は、世界設定で決まるとは限らない。同じ世界を書いたとしても、視点人物や一部設定を変えると、まったく同じ世界にはならないんです。ただ取ってきて流用するのではなく、先ほども言ったように「この世界でこの能力を使えたらどうなるのか」といった世界設定を練っていけば、結果的に別物になります。

 自分がなにを書きたかったのか。好きな作品のなにが好きで、嫌いな作品のなにが嫌いなのか。先ほども言いましたがヒロインが報われないのが嫌なら、ヒロインが報われる話を書けばいいんです。ヒロインが報われるためには、設定をいじってみたり、話の展開を変えてしまえばいいんです。その結果、別のものにならざるを得ません。

 こういうと、中には「パクリだ」と言う人もいますが、実はしっかり設定を練っていけば、流用してもそうはならないんです。意識的にパクらない限りは、書き手によって作品は変わります。

 あくまで練習の一環として、一度パクりは気にせずに先人の模倣をしても構わないと私は思います。結果的に別物になるまで自分が手を加えていれば、非難されるべきではありません。ただ、考えることを放棄して「この作品は僕が考えました」と嘘をつくこと、これはよくありません。これはれっきとしたパクりです。なので、書きたいと思ったものを、どうすれば書けるのかを考えてみましょう、と。

――出発点がどうであれ、自分が好きな要素を加えていけば、結果的にオリジナリティが出てくる、と。

:はい。設定の一部を変えたとすると、連鎖的にいろいろな部分を変えなければいけないですから。そうしないと、お話や世界設定と齟齬をきたします。

 例えば『サマナーズウォー』の世界を使って“魔術師が100万人に1人”という設定を加えた場合、魔術師組合も存在しなくなります。また、おそらく世界の人々には認知されず、オウマにしてもユウゴにしても、召喚獣を見た人は召喚士をバケモノ扱いするでしょう。なんなら、召喚士という言葉すら生まれていないと思います。

 という風に考えていくと、まったく別物になっていきますよね? 真似やパクりは気にせず、自分の根底にある好きや嫌いをモチベーションにして書かないと、最終的には続かないと思います。

――「小説家としての地力を上げていきたい」という質問と「小説を書く力を上げていきたい」という質問があった場合、榊先生はなんと答えますか?

:小説家という以上、職業ですよね。人それぞれのスタイルが存在するので、“小説家の地力”の定義がすごく難しいですね……。例えば、ラノベ作家の地力と、児童文学家の地力って違うんですよね。

 共通しているところもありますが、仮に話をラノベ作家に限定するとします。私が『サマナーズウォー』を書いているように、いろんな仕事があるんです。自分で考えた作品をそのまま出版することはすごく稀で、大抵は編集部やマーケティングの要請に合わせたものをどれだけ作れるか、という話になります。

 流行のネタ、編集さんが求めるネタ、次に来るだろうと自分がにらんだネタに対して、その時点での最適解の小説をどれだけ時流から外れないように書くか、という能力が求められます。そうすると“筆の速さ”は1つの武器になります。速いほうがいいか遅いほうがいいかで聞かれるならば、速いほうがいいと答えます。ただし勘違いしないでほしいのは、ただ単に速いだけではいけません。一定水準以上のものでなければ。

 筆の速さは、思いついたものを素早く形にできたり、情熱が冷める前に完成させられることにつながります。では、筆の速さはどこから生じるのか。結局は文章力です。文章を書く際、どれだけ選択肢を自分の引き出しとして持っているか、の問題になっていきます。

 よく大学の授業で例えるのは、“黒い犬”と表現する場合。“黒い”という言葉を、“漆黒”なのか、“闇色”なのか、“夜空色”なのか、“まっくろ”、“真っ黒”なのか。すべて捉え方が違います。文章が上手い人は、なぜそれを選んだかは聞かれても答えられると思います。

 伝奇ものを書く際、例えば魔界から黒い魔犬を呼び寄せたとします。恐ろしい存在のはずですから、“まっくろのわんちゃん”なんて書くわけないですよね。色、大きさ、犬なのか狗なのか。無数に選択肢があって分岐していきますが、ここでどれだけ自分の思い描くイメージと、適している単語・表現の組み合わせを素早く選べるかが、文章力の裏打ちになると思います。つまり、地力というのは、“選択肢の多さ”ということにつながるのではないでしょうか。

 多くの創作関係の先生が口を酸っぱくして言っているのは、「たくさん本を読んで、たくさん書きなさい」です。これを言うと、大体の生徒さんには嫌われます。ですがたくさん読んで書いて、としていくと、自然と語彙は広がりますし、それを実際に使って書くことで、どう表現されてどう見えるのか、という経験になります。人間の学習力とはすごいもので、その流れが一度脳内に構築されると、以降ほとんど意識しないうちにその人にとっての最適解を選べるようになります。

 自分のイメージをそのまま誰かに伝えたいのであれば、文章力を上げること。地力を上げることに関しては、地道に多く経験していくことが確実で速いです。だからこそ、皆さん口を酸っぱくして言っているんですよね。

 ただ、生徒さんは、それを言われてから多くの本を読みはじめても、難しい場合もあります。“1,000冊読む”という目標があったとして、高校3年生が1,000冊の小説を読むのに、どれだけの時間とお金がかかるのか。仮に図書館に行って本を1日1冊借りたとしても、多くの時間や交通費がかかってしまいます。なので、「無理だよ」と言いたい気持ちは、すごくわかります。わかりますが……正直、プロの小説家の人たちは、それをこなしてきた人がほとんどであることも事実です。

 以前ネットで、「小説家になるためには、小説を1,000冊読まなければいけないと言われていますが、榊先生はどう思いますか?」と聞かれたことがあります。その時、「やばい、俺1,000冊読んでないかもしれない!」と焦りました(笑)。で、自分の本棚を数えてみたんです。実家の部屋に壁作り付けの本棚が3つあるんですが、1つ目だけで800はあったので、優に超えていました。

 おそらくですが、1,000冊読んでいる人は、“1,000冊読む”という目標をたてていないんです。なので1,000冊という数字は、明確な壁ではなくて“1,000冊くらいは意識せずともみんな読んでいるから”という話でしかないと思います。

 1,000冊の壁に圧倒される生徒さんもいらっしゃいます。他の方法を聞かれて、それなら……と提案するのは、いわゆる“写経”になります。これも大変な方法ですが、つまりプロの文字を書き写してみる――ということですね。こちらも言うと大体生徒さんに嫌われます(笑)。

――いろいろと貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。最後に、『サマナーズウォー/召喚士大戦2 導かれしもの』の読者に向けてメッセージをお願いします。

:久々に王道の話を全力で書ききれたと思うので、非常に満足しています。榊のやりきった感を感じていただけると幸いです。

 私個人としては、できれば3巻、4巻と続けていきたいところです。読んでおもしろかったと思っていただけるのであれば、Twitterでもいいので、感想をお待ちしております。

■『サマナーズウォー/召喚士大戦2 導かれしもの』


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