やっぱり口は災いの元? 王粲(おうさん)と禰衡(でいこう)の逸話を紹介【三国志 英傑群像出張版#20-1】

電撃オンライン
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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 今月は、魏呉蜀の紛争地《荊州》をテーマとして民間伝承をご紹介したいと思います。

 たぶん長くこのコーナー続けていなければ取り上げなかったマニアックな民間伝承です。3回に渡ってお送りしたいと思います。

 初回の今回はどれも教訓めいた話になっています。まずは「王粲(おうさん)」のお話から。

 王粲については、経歴を軽くご紹介します。物語の三国志演義には名前しか登場しませんが、魏の優秀な詩人「建安七子(けんあんしちし)」のひとりとして数えられます。

 王粲は、長安から劉表(りゅうひょう)の元へ身を寄せ、劉表がなくなると後を継いだ劉琮(りゅうそう)に仕え、曹操(そうそう)に降伏するよう説得し帰服させます。(長坂の戦いの前あたりですね。)その後は、魏の文官として活躍しました。

 今回の民間伝承は正史三国志にも、ほとんど同じような話が出てきます。そのアレンジかもしれませんが、この話を元にした遺跡自体が荊州に存在するのでご紹介することにします。

劉表と王粲(おうさん)のバトル

 襄陽(じょうよう)の西、万山の東に位置する場所に2つの遺跡がある。どちらも王粲にちなんで名づけられたと言われている。

 王粲は都から襄陽に行き、荊州の劉表のもとに身を寄せた。劉表は王粲の評判を聞いていたが、その容貌が醜く行動が軽率であるのを嫌いあまり評価していなかった。王粲は、自分が鼻で笑われたのがとても不愉快で、恨みを晴らす機会をうかがっていた。

 劉表には劉琮(りゅうそう)という息子がいたが、甘やかして育ち踊りや文章を書くのが好きだった。

 劉表は、息子のために万山の池のほとりに魅力的な別荘を建てた。池の端には大きな石板をつくり、そこには劉琮の書いた長い文章が刻まれていた。劉表は文人が荊州に来るたびに、人々にそれを見せて、息子の文章を誇った。

 ある日、劉表は王粲と文人たちを碑文の前に呼び碑文を見せた。

 王粲は何気なく見ていたが、裏面の銘を見て理解し「私はたくさんの文章を書いてきました。どうして劉表様はもっと良い作品を選ばず、私のこの中途半端な詩を石版に刻むことにしたのでしょうか?」とわざと言った。

 劉表はそれを聞いて腹立ったが、顔色を変えず何も聞こえないふりをした。すると王粲はまた「この文章はまだはっきり覚えているから、朗読しましょう」と言い、碑文を見ずに一字一句朗読した。

 それを聞いていた客たちは、眉をひそめながら不穏な感じになった。劉表も驚いて、「どうしてこんなことが起こったのだ。書いていなければ、一瞬で暗記できるわけがない。」と言う。息子の作品と証明できないと思った彼は、すぐに部下に命じて石版を掘り起こし池の中に沈めた。

 王粲は、それを止められないでいるような素振りの演技をした。碑を沈めた後、「劉表さま、私はただ冗談でいっただけなのに、まさか本気にするとは思わなかったです。実はこの銘文を私は一瞬で記憶しただけなのです。捨てるのは実に惜しい!」と言ったのだった。

 劉表は激怒したが、彼を処分する正当な理由が見つからず悔しい思いをした。またある日、劉表と王粲が囲碁をしていると、劉表が良い手を打ったところで、王粲がわざと囲碁盤を倒して駒を散乱させた。

 王粲は「問題ない、問題ない!」と言いながら、あっという間に元の配置に戻した。劉表は驚いたが、「残りの石が少ないから簡単に元に戻せたのだろう。問題を与えよう。あなたの実力を見てみたい! 正解できたら私の家宝である【翡翠の飾り】を与えよう。」と言った。

 王粲は「簡単です。賭ける価値もありません。負ければ石板同様に池に飛び込みましょう」と返す。

 劉表は石板の憎しみを晴せると密かに喜び「こんなつまらないことで池に身を投げる事はない。もし負けても3年間よそで勉強してから荊州に戻ってきなさい。(左遷するという意味)」と言った。

 そして劉表は石を囲碁のルールに従わず、無秩序に囲碁盤に敷き詰めた。王粲は劉表が囲碁が配置されるのを待って、何度か視線を送った後、すぐに布を取り出して囲碁盤を覆い隠した。

 そして、冷静に淡々と新しい囲碁盤に囲碁を並べた。二人は布をはずすと、2つの囲碁盤を見比べた。結果は全く一緒だったので部下たちも驚き彼を褒め称え、劉表は腰につけていた「翡翠の飾り」を外して王粲に譲った。

 人々は、万山の近くの澄んだ池を『沈石池(沈んだ石版の池)』と呼び、賭けが行われた場所は『解錠簪首(首飾り外し)』と呼んだ。

禰衡=オウム?

 2つ目は禰衡(でいこう)のお話。三国志演義にも正史三国志にも登場する人物です。

 曹操陣営の人物をディスりまくり、彼らの前で裸で太鼓を悠々とたたく禰衡の姿はメインストーリーに関係ありませんが、たいへん印象深いものです。

 横山光輝三国志や他の作品でもカット対象になっているので初めて聞いた人もいるかもしれません。この民間伝承はすこし史実にある話と近い話ですがご紹介します。

 禰衡(でいこう)は学識があり有名だっただけでなく、何事にも物怖じせず言いたいことを言った。

 曹操は彼を気に入らず殺したかったが、直接手をかけて批判されることを恐れた。そこで曹操は一計を案じ、大らかなふりをして禰衡を荊州の劉表の部下の官吏に推薦して彼を送りだした。実際は劉表の剣を利用して彼を殺すための策であった。

 劉表はこの罠にひっかからず、禰衡を部下である江夏太守の黄祖(こうそ)のもとへ推薦し厄介払いした。

 黄祖もまた禰衡の態度や発言を許すことができなかった。黄祖は彼を役人に登用せずに客人として扱い、追い出す機会を探していた。

 その年の夏、黄祖は客人を招いて宴会を催したが、城の居間が暑苦しかったので、川辺の中洲に宴席を設けた。宴会には高官や裕福な商人たちが出席したが、禰衡だけは目立たない隅に置かれた。

 食事の最中、客たちはまず黄祖に乾杯し、皆競って黄祖を褒め称えた。禰衡は鳥肌が立ち、心の中で罵らずにはいられなかった。彼は冷笑し、当然、楽しみに加わろうと前に出なかった。

 黄祖もそれを見て不愉快に思っていた。黄祖は3杯の酒を飲み干すと机を離れ自ら乾杯の音頭を取りながら、各机で乾杯の音頭を取った。

 その時、誰かが黄祖に一羽の珍しいオウムを献上し、「このオウムは利口で賢く、よくしゃべります。オウムの詩を作れば総督の大きな政治の助けになるでしょう」と言った。

 すると黄祖は禰衡を見て「あなたは世でも稀有な才能があると言われているが、人前でその筆を試せますかな?」と言った。

 黄祖は禰衡に失敗させて取り除く機会を伺っていたので、更にわざと話を振り煽り立てた。「さすがにいきなり詩を書くのは簡単なことではなく素早く作れる人はこの世にいないだろうし、そのような素晴らしい技術を持った人もいないだろう」と。

 禰衡は「何がそんなに難しいのでしょうか?この場ですぐに書けますよ! 書けなかったら首を差し出しましょう!」そう言うと筆を持ち、風のように速く一息にオウムの詩を書き上げた。詩は【鸚鵡賦】という。

 人々は【鸚鵡賦】を見て、一言一言がまるで翡翠の真珠のようだといい、目を輝かせ心を動かされ賞賛せずにはいられなかった。

 詩の中で、オウムを並外れた才能を持つ神の鳥と表現され、籠の中に閉じ込められ苦しんでいるという内容があった。

 黄祖は詩の言葉に刺があるといって激怒し、禰衡を中洲に引きずりだして彼を殺させた。26歳であった。

 良い詩を書いたのに殺された禰衡に人々はとても同情し「オウムも禰衡も毒舌である」と言い、この中州を鸚鵡島(オウム島)と名付けた。

 いかがだったでしょうか?

 最初の王粲のお話。王粲の能力を見極められなかった劉表は痛い目にあいました。

 儒教社会で見た目が大変重視される時代だったのであまり劉表を攻めれませんが「人を見た目で判断してはいけない」という教訓ではないかと思います。実際、曹操は彼を見た目で判断せずに重用しています。

 2つ目の禰衡のお話。正史には黄祖の息子・黄射の宴会で書いた文章が【鸚鵡賦】とあります。

 そして黄祖は船の上で宴会し、その時に不遜な態度の禰衡を処刑したともあります。ふたつを一つにしたような民間伝承となっていますね。

 私が武漢に行ったときに、彼の墓参りをしたことがあります。三国志演義だけみているとあれだけ嫌われ口を皆にむかって発し、結果も出せていないのになぜ墓は守られているのか? そう疑問に思った思い出がありました。

 詩人としての能力を惜しんだのか、(武漢は赤壁に近く)侵略者・曹操を直接罵倒した英雄としての扱いなのかもしれません。

 彼は傲慢で毒舌で「才気ある狂人」と呼ばれ、結果殺されてしまいました。(宴席でトラブルが多いので酒癖が悪かったのかもしれません。)「有能な人物でも謙虚さや配慮が必要」という教訓になる話かと思います。

 しかし、いつも思うのですが劉表はなぜ部下の黄祖のところへ禰衡を送ったのか? 送るのであれば他陣営でなければ結果自分の評価を貶めることになるのに……。

 黄祖が彼を殺すとまでは思っていなかったのかもしれません。結果として劉表は曹操の策にはまってしまった気がします。

 次回も荊州の民間伝承をご紹介します。お楽しみに!

三国志交流トークイベント 第五回「桃園の智会」開催のお知らせ

 不定期で開催している三国志交流トークイベント「桃園の智会」第五回を8月11日に開催します!

 好きな三国志を皆に語れます。しかしルールは一言発言!! 長話禁止!

 話し下手でもはずかしがりやでも楽しめます。そして三国志演義、正史好き共に楽しめます。ぜひご予約の上、KOBE鉄人三国志ギャラリーまでお越しください!

●三国志交流トークイベント 第五回「桃園の智会」概要

日時:8月11日(金曜祝日)16時半~19時
料金:1000円(ドリンク付き、要予約)
場所:KOBE鉄人三国志ギャラリー
〒653-0042
兵庫県神戸市長田区二葉町6-1-13
予約:078-641-3594


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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