曹操の挙兵費用は父親から盗んだ金塊だった!?【三国志 英傑群像出張版#21-2】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 英傑群像出張版ではわたしが中国各地で集めた三国志武将の民間伝承の古書から、日本で知られていないものを厳選して文章をまとめて紹介しています。

 今回も【曹操】にまつわるお話を選んでみました。梁鹄(りょうこく)と梁(はり)のお話です。

・梁鹄とは
 政治家、書道家。荊州陥落時に曹操配下となった。三国志演義には登場しない。

曹操の梁鹄への復讐

 曹操は若き日に「洛陽令」に推挙されるも、尚書の梁鹄の反対にあって「洛陽北部尉」となった。これを知った曹操は非常に憤慨した。董卓が朝廷を牛耳ると梁鹄は劉表の元へ避難した。

 その後、荊州を平定した曹操は梁鹄を見つけることを指示した。梁鹄は怯えた。見つけたものに褒美をあたえるという。復讐をしたいに違いない、もし捕まったら死ぬしかない。

 ある日、曹操の部下が梁鹄を拘束して到着し、曹操は梁鹄を見て大笑いした。曹操は梁鵲を迎えると自ら彼の拘束を解いた。梁鹄は混乱し部下たちは目を見開いた。

 曹操は梁鹄に座るように言い、続けてこう言った。「梁殿、なぜ懸賞金をかけてあなたを見つけたかご存知ですか?」

梁鹄「私は罪深い。私はあまりにも見る目がなく丞相の経歴を台無しにしました。」

曹操「それはすべて過去のことです。過ぎたことは水に流しましょう!」

梁鹄「どうかお許してください、曹丞相」

曹操「私の罰を受けいれますか?」

梁鹄「受け入れます!」

曹操「それではあなたを処罰して“軍仮司馬”に任命しよう。どうでしょう?」

 梁鹄は本当なのか、ただの冗談なのかわからなかった。曹操は「梁鹄先生、私はあなたの書の腕をかっています。私はあなたを招待できないことを恐れたのです。」と笑った。

 曹操は梁鹄を罰するのではなく登用しようと探していたのだ。これは梁鹄の予想を大きく上回り、彼を感動させ、涙を流させた。

 それ以来、梁鹄は曹操のために忠実に働き、曹操のために多くの素晴らしい書を書いた。曹操は梁鹄の書を部屋に飾りいつでも鑑賞できるようにしたという。

曹操は泥棒? 親の金を盗む

 曹操の父親が都の役人だった頃、金銀を求めて盗賊が都を荒らし回った。

 当時、宮廷は腐敗しており、裏切り者の役人たちが権力や土地をめぐって争い、殺し合い、捕虜にし合い、民衆を苦しめ、国は不穏な空気に包まれていた。

 曹操の父は盗みを恐れ、財産を金に換え20個の大きな金の延べ棒を鋳造させた。

 こうしても曹操の父はまだ安心できず、故郷に戻る際、金の延べ棒を失うことを恐れ、屋敷を建てる際、職人に頼んで別の色に塗り屋敷の梁の両側に置いてレンガのように使って隠した。

 邸宅が完成した後、彼は秘密がばれることを恐れ大工、石工などを毒殺した。その後、その家は10回も泥棒に入られたが、金の延べ棒は無事だった。曹操の父は大喜びで、毎朝広間へ来て天井を眺めていた。

 その年、曹操の父は突然重い病に倒れた。死を悟った父は曹操を呼んで金塊の秘密を話しこう指示した。「私が死んだ後、資金は少なくとも20年から30年はもつだろう。しかし、この金塊は先祖代々の財産であり手をつけてはならない。私があなたに譲ったように、あなたの息子に譲らなければならない。」と。

 曹操の父は息子に金磚の秘密を話した後、奇跡的に病が治り元気になった。この年、黄巾の乱以降、世の中は大混乱に陥った。董卓が朝廷を牛耳ると曹操は洛陽から脱出し、故郷に逃げ帰った。

 曹操は世界が混沌としている今、兵を率いて世界で自分の道を切り開きたいと考えていた。彼は数人の友人にこの考えを言った、それらの人々は手を叩いている、何人かは募集の責任を負うことを約束し、何人かは武器を集める約束した。やがて、何万人もの人々が集まった。

 あとは食糧だけだ。何万人もの兵士が衣食住のお金はどこから出せばいいのだろう? 曹操は父に家族の金と食料を頼むしかなかった。

 曹操の父は「政府にいる人間は家族のために金を得るためにやっているのに、お前はやる気がないのか! 私の持っている金を奪い返すのか!お前は負け犬だ!」と言うと、彼はすべての倉庫に鍵と封印をかけ馬車に乗り、担ぎ手に自分を役所まで運ぶように頼んだ。

 父親が去った後、曹操は倉庫の封印を見つめた。そして、屋根の梁の下にある金の延べ棒のことを思い出し微笑んだ。

 彼はすぐに石工を見つけ、こじ開けたり掘らせて20個の大きな金の延べ棒を抜き取り、同型のレンガと入れ替え表面を元通りにした。父に知られるのを恐れた曹操は、家族に父に話したものは舌を切り取ると脅した。

 曹操の父親が役所から帰宅後、土蔵の封印が解かれていないのを見て安心した。それ以来、彼は毎日いつものように土蔵の周りを歩き、屋根の梁を見て回った。

 ある日の早朝、彼が屋根の梁をみていると、屋根の梁に「ガタ」という音がした。泥の破片が突然屋根の梁から落ちてきたのだ。誰かが金の延べ棒を動かしたのだろうか?

 慌ててはしごを持ってこらせて、梁に登り木槌で叩いて盗難されてないかどうかを確認した。「ガタガタ」と梁は地面に落ち、突然2つに割れた。

 曹操の邸宅の梁は、二人がかりでも持てないような白檀の木でできていて、重さは少なくとも千斤はある。梁はもともと金の延べ棒で固められていて、石のレンガよりも何倍も頑丈だった。

 曹操が金の延べ棒を盗んだ後、梁の負担が増えて曹操の父の木槌での確認が原因となりが梁は折れた。梁にも龍や鳳凰の彫刻が施され、何百もの彫刻がされていた。

 曹操の父親は怒りのあまり、長い間言葉を発することができなかった。曹操が金の煉瓦を盗んだことを知り、ため息をついた。

 それ以来、「泥棒が屋根の梁を盗むのを防ぐのは難しい」ということわざが広まったという。

 いかがだったでしょうか?

 1つ目の曹操の話。人材コレクターの曹操らしいお話です。

 また過去のわだかまりも水に流すあたり流石というべきお話でした。なかなかできることではありませんね。

 2つ目の「金の延べ棒を盗む」話、なんだかこのお話の曹親子は揃ってろくでもない人たちですね(笑)。しかし混乱の時代に金塊にして持つってあたり今の時代といっしょではないでしょうか?

 今この20年で金の相場が8倍以上になっているそうです。曹操の父・曹嵩(そうすう)は先見の明があるといえるかもしれません。また現在、後漢末期に似た混沌の時代になっていると実感できる気がします。

 なお、正史では曹操は家財を投じて挙兵したという記載や、衛茲(えいじ)の支援を受けたともあります。三国志演義では衛弘(えいこう)の支援を得ています。この“金の延べ棒を盗む”話を採用して欲しかったですね。

 次回の英傑群像出張版もお楽しみに!


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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