魏延、手に“水”と書き敵の策略を知らせるも…【三国志 英傑群像出張版#22-1】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 英傑群像出張版では、わたしが中国各地で集めた三国志武将の民間伝承の古書から、日本で知られていないものを厳選して文章をまとめて紹介しています。

 今回は「水にまつわる蜀の武将たちのの民間伝承」を集めてみました。2週に渡ってお送りします。

 まずは、【劉備と魏延】、【孔明と魏延】の関係について伝わる水に関わるお話。きっとイメージされている結果と違う事に驚かれると思います。

魏延、手に「水」を書く

 三国時代、劉備は湖北省荊州から四川に入り、巴閬(はろう)を経て涪城(ふじょう)に駐屯した。

 劉備は涪城を占領した後、西川を占領する計画を立てた。西川を占領するには、成都を獲らなければならない。この情報はすぐに成都の劉璋(りゅうしょう)に伝わった。

 劉璋は急いで陣営に人を集めて対策を協議し、成都と雒城(らくじょう)の守備を強化することを決定した。

 彼の息子・劉循(りゅうじゅん)は偶然にも劉備の涪城を流れる涪江上流に精鋭部隊3,000人が駐屯していた。

 劉循は劉備の軍営が川沿いにあることを知ると、前陣の兵に日中は休ませ夜になると山を掘り岩を切り土を運び川をせき止めさせた。

 劉循の部下は厳格な規律と効果的な指揮をとっており、計画は迅速に進み行動は極秘であり、川の堰き止めはあっという間に完了した。

 劉備は数日間にわたって軍隊と将軍を動員し、西川攻略戦の準備を強化をしていた。ある日、彼は涪城の裏に来て川の岸辺を散歩していた時、突然川の水が減り川岸が盛り上がっているのを見て疑念を抱いた。

 数日前に派遣した間者は誰も戻ってこないので、彼は不安そうに河を歩き回っていた。劉備に物乞いが会いたいと言ってきたと衛兵が報告をしてきたが拒否した。

 予想外にも、その物乞いは実際に兵舎に入りこみ、劉備の席に座り食べ物と酒を求めて叫び続けていた。劉備は腹を立て、物乞いを連れ出すよう叫んだ。引きずり出されながら、物乞いは大声で「水、水、水!」と叫ぶ。

 そのとき、軍師・龐統(ほうとう)が入ってきて密かに微笑んだので、劉備は慌てて「軍師はなにか助言があるのですか?」と尋ねた。

 龐統は「主君は頑固ではいけません。魏延(ぎえん)の天幕に行って様子を見てはいかがでしょうか?」と言われ劉備は龐統の提案を受け入れ、魏延の陣に向かって歩いた。

 劉備の涪城入りについて魏延と龐統は意見が分かれた。この乞食はもともと魏延から劉備を諌めるよう指示されてきた者であったが陣地から追い出された。

 魏延は劉備が来ると聞いて、部下に陣営の門を閉めて入れないように命令した。劉備は意外にも君主や大臣の礼儀作法など気にも留めず、表門が閉まっているのを見ると通用門から中に入った。

 兵たちが剣や石弓を持って行き来し穀物や草を積み込み休みなく忙しくしていた。この光景を見た劉備は慌てて魏延を呼んだ。

 魏延は劉備に会うと何も言わずに手のひらに文字を書いて見せた。そこには「水」と書かれていた。彼は物乞いが言った「水」のことを思い出し、大惨事が差し迫っていることに気づき慌てて魏延に謝罪した。

 城に戻った彼は龐統を呼んでこの件について話し合うと、魏延と黄忠にそれぞれ五千の兵と馬を率いて涪江を遡り戦うように命じた。劉循が川を止めた堰は、まるで巨大な龍が川の向こう側に横たわっているように見え水位は上昇している。

 これを見た魏延と黄忠は非常に不安になり、剣を振り上げて劉循を殺そうと迫った。しかし、劉循は堤防を破ることに成功し、水が堤防を突き破って洪水を引き起こした。

 大波は魏延と黄忠の行く手を阻み、そのまま劉備の本陣に向かって押し寄せた。劉備軍は兵も馬も無力で一瞬のうちに川の氾濫ですべてが水没し、洪水で流され命を落とした人も大勢いた。

 劉備は残った兵馬を集め、剣と石弓を携えて東の丘にある“五層寺(ごそうじ)(現在の建社郷第七村)”に退却して陣を張った。

 この出来事は劉備軍に大きな打撃を与えた。幸い残りの守備隊がかけつけて事なきを得たが蜀侵攻を遅らせる事となった。

 この事件の大分あとになって、張飛がこの“五層寺”を訪れた際に「ほんとうに全滅しなくてよかったな。」と言ったという逸話も残るそうだ。

魏延と諸葛亮(孔明)の関係

 建興6年(西暦228年)、諸葛亮は北伐の途中で陳倉(ちんそう)を包囲したが、食糧不足で撤退を余儀なくされた。その後、食糧中継地として梓潼(しとう)の臥龍山(がりょうさん)を選んだ。

 防衛のために駐屯している間、新兵の訓練を行った。臥龍山には“跑馬梁(だくばりょう)”というゆっくり降る山の峰が柳林村(りゅうりんそん)までまっすぐに伸びていた。

 諸葛亮は将軍らと訓練を行っていたが、兵士全員が大量の汗をかいていた。諸葛亮は汚れた兵士の体には水浴びをする池が早急に必要だと考えたが、山にはイバラや杉、山花や雑草が無限に生い茂りキジが群がって飛び回っていた。そこに100人単位の沐浴池を見つけるのは不可能だった。

 諸葛亮は、羽扇を持って歩き回り、八卦井戸(はっけいど)、馬飲場(ばいんば)まで歩いて行き、頭が水の事でいっぱいになり、立ち止まっていた。

 その後、諸葛亮は村の牛頭山(ぎゅうとうざん)とその麓の川まで歩いた。この川は雨が降ると水が流れるが雨が止むと干上がってしまう。

 後を追っていた魏延は、諸葛亮が気をとられて動こうとしないのを見て、諸葛亮に「丞相、山の東の梁を見てください。花草は美しい。まずは兵を草の上で休ませて軍隊の疲れから解放してあげようではありませんか?」と提案した。

 諸葛亮は、この言葉を称賛し、“私は将軍たちに多かれ少なかれ読書をするように助言しているがそれが役に立ったようだ”と密かに喜び、諸葛亮は「魏将軍、最近何か書を勉強されましたか?」と笑顔で聞いた。

 魏延はあわてて「丞相の書の教えは役に立ちます。ちょうど『荘子・逍遥遊篇』を読みました」と言った。諸葛亮は「なるほど。我々軍隊を率いる将は忙しい仕事の合間を縫って休み一旦立ち止まるべきだ。静と動を使いこなせば、戦闘の真っ只中でも、頭を平静に保つことができる。」と言った。

 その後、二人は楽しそうに話し、馬を鞭で打ち進んだ。柳林村は緑の草原が広がっていて、どこまでも続いている。

 諸葛亮と魏延が馬を降りた。地元の人々は山を指さしてこう言った。「頂上の青龍の背は九龍の巡礼地で、大雨が降ると四方八方からの雨水がここに流れ込みます。そのおかげで草も木も一年中緑です。」

 これを聞いた諸葛亮は「分かったぞ」と言って、魏延に兵を率いて柳林村の入口に水平な堤防を築くように命じた。

 その後に大雨が降った後、長い水の流れができ水が溜まった。これにより、訓練後の数千人の兵士の入浴の問題が解決された。ここは“孔明湖”と言われる場所となった。

 いかがだったでしょうか?

 後者の話、水浴び場の確保にばかり気を取られていた諸葛亮に、まずは兵を休ませようという魏延の提案に将としての進化を感じた諸葛亮の話はほっこりしてしまいます。

 「反骨の相」の話で二人の不仲説がささやかれる中、長く一緒に戦ってきた中での二人の仲良い姿は新鮮に映りました。それにまつわる史跡や名称も多数あるというのも面白いところです。

 また前者の話、劉備と魏延は仲がいいというイメージながらなぜか対立構造から始まります。魏延が怒っている理由もいまいち見えず戦いの方針で揉めたのでしょうか?

 劉循を倒そうという動きを劉備軍が始めたので、てっきり水攻めは防げるものと思っていると水攻めにあってしまうというショッキングな展開にはびっくりしてしました。

 結果、劉備軍は劉循軍の水計を防げず大きな被害を出してしまいます。しかし、魏延はかなり回りくどい事をしており、一刻を争うなら直接言えばいいのにと思ってしまいました。龐統の返答もしかりです。彼らは厳罰対象な気がします。

 三国志演義では、雒城を冷苞が水攻めしようと計画しますが、彭羕(ほうよう)が危機を知らせに来て、魏延と黄忠が計画を未然に防ぐという話があります。ところどころ違いますね。

 史跡も多数ありその伝説も残る。これはまったくの架空話なんだろうか? なにか真実に近い何かがあるのでは? と思ってしまいました。不都合な真実は闇に葬られたのかもしれません。

 それにしても、手に“火”を書いた【赤壁の戦い】の周瑜と諸葛亮のシーンを彷彿とさせる、魏延の手に“水”を書くシーンはファンとして嬉しいお話でした。今度から私も何かある度に掌にマジックで漢字1文字を書いて人に見せようかと思いました。

 次回もお楽しみに!

第17回三国志祭 開催概要

 今年も三国志祭の季節がやってきました。第17回となる今回は11月4日に開催しますので、ぜひご参加ください。

 ちなみに、『三国志ドラフト会議』というオリジナルの三国志カードゲームを作りました。三国志祭でも販売しますので、お越しの際はこちらも見ていってくださいね。

開催日:2023.11.4(土)
時間:11時~17時(観覧無料)
      【当夜祭(予約制):18時~20時半(有料)】
場所:KOBE鉄人三国志ギャラリー周辺

イベント情報

◆鉄人広場会場 11時~14時
三国志祭 中国武術大会
魏呉蜀3チームに分かれて対抗戦
総勢100名以上の武道家が大集合

◆ピフレホール会場 13時~14時
・三国志講談&三国志朗読

◆三国志ギャラリー会場 11時~17時
・三国志関連展示
・制作体験・三国志占い・ゲーム体験など
・講演会・朗読など

◆KOBE鉄人三国志ギャラリー前ステージ 11時~17時
・アニマル三国志キャラクターショー、三国志朗読会など

◆すまいるネット会議室(元交流館)11時半~17時
・「横山光輝三国志」ビンゴ大会、制作者秘話トークショー
・三国志シンポジウムや三国志講演など


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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