後輩でけた……しかし……。【O村の漫画野郎#8】

奥村勝彦
公開日時

 秋田書店の漫画編集者を経て、元『コミックビーム』編集総長もつとめた“O村”こと奥村勝彦さんが漫画界の歴史&激動の編集者人生を独自の視点で振り返る!

後輩でけた……しかし……。

 あー。2年間最下層の編集および壁村さんの付き人であった俺に、ついに後輩がやって来た。なぜかこの代は、みんな結局ヤメもしねえで居残った根性の入った世代である。その中で俺にとって重要になってくる人物が2人。


 1人目は俺の長期にわたって相棒を務めてくれた岩井君。

 彼は漫画や映画や音楽に膨大な知識を持っており、それがただの蘊蓄にとどまらず、実戦的に運用できる非常に数少ない男である。まさに作戦参謀として恐ろしく有能な人物で、彼に何度窮地を救われたかわからん。

 まあ、俺が年がら年中アホみたいなことを考えていた真正のアホだったから、苦労も絶えなかったんじゃねえかな。ただ、彼は大工の棟梁のせがれで、そのせいか、やたら気が短かかったが。たぶんガキの頃、カナヅチで殴られたり、カンナで削られたりしたんだろう。


 それともう1人、現在、秋田書店で役員にまでなっちまった沢君。

 彼は子供のころから勉強するのが大好きで、親から言われるまでもなくウヒョウヒョ勉強しまくり、塾へも行かずストレートで東大に入っちまった変な男である。

 そして彼の家庭は絵に描いたような温厚なソレでありバイオレンスには全く無縁な環境だったのが、何の因果か180度異なる魔界・秋田書店に入社。根が素直だったからか、温厚な秀才デブ(彼はデブだった)が1年もかからず暴走機関車デブに変貌していく様は、ハタから見ていて大爆笑であった。


 この2人に通底しているトコは、漫画に対する情熱が半端じゃなかったトコだな。うわ凄えなあ、と後輩ながらもリスペクトしてたんだわ。


 んで、後輩が入ってしばらく週刊、隔週、月刊の3誌体制が続いていたんだけど、さすがに多少人員を補強したぐらいじゃ全然追っつかなかった。

 結果、壁村編集長が退陣し別の編集長に代わることになっちゃった。当時は55歳が定年で壁さんはそれを突破してたし(役員なんで関係ねーっちゃねえんだけども)、そろそろ次の世代に……なんてとこだったんだろう。

 そもそも壁村さんがなんで、その歳まで編集長だったかってーと、『がきデカ』、『ドカベン』等の大ヒットでチャンピオンの全盛期を作り出した功労者だったからね。普通、あんだけのアウトローなのに役員なんてなれっこねえもん。

 だけども、壁村さんのお陰で入社できた俺はもちろん悲しかったぜ……そりゃもう。んで、その後はどーなったのか? 待て次回!!

(次回は7月27日掲載予定です)

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イラスト/桜玉吉

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