成績発表~~!!【O村の漫画野郎#18】

奥村勝彦
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 秋田書店の漫画編集者を経て、元『コミックビーム』編集総長もつとめた“O村”こと奥村勝彦さんが漫画界の歴史&激動の編集者人生を独自の視点で振り返る!

成績発表~~!!

 あー。1992年の8月に『GRANDチャンピオン』は創刊された。正確な部数は覚えてねえけど(20万部ぐらいだったかなあ……)、売れたのは半分弱だったと思う。

 まあ、平均的な成績である。当時はそろそろ漫画雑誌の市場は厳しくなり始めてたけど、今じゃこんなの夢みてえな状況だわな。

 漫画雑誌の存在自体が、読者のライフスタイルから完全に外れて、配送システムからも相手にされてねえのが、現状だったりすんのよ。

 「新雑誌創刊? ま、出すのはお宅らの勝手だけど、流通なんて出来ませんぜ。どうせ売れねえし。」なんて感じなんだな。そんで仕方なく電子雑誌で創刊。……ま、それはさておき。


 かつて新創刊の際には御祝儀で創刊号だけは買ってくれる読者が結構多くて(今はいねえだろうな……)、その人らが2号目から読むのを止めちゃう。なのでゴソッと販売部数は減る。

 そんで3号目からはジリジリとなだらかに減っていく。さあ、それがどの辺で下げ止まるのか、ってのが勝負なのね。

 創刊して半年後にコミックスが発売され始めて、その売上次第で減り幅が緩和されたり、あるいは上昇したり(滅多にねえけど)する。

 んで、『GRANDチャンピオン』は、どーだったかと言えば、ヒット作は少しは出てはいたけど、雑誌の部数減を挽回できるような状況は作れなかったんだ。


 創刊時、俺の担当先品は6本。結局、ヒット作を生み出すことは出来なかったが、その分、若くて馬力はあったもんで。ひたすら新連載を起こしまくった。考え方としては、ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たるってヤツである。

 でもまあ、今まで読んでいただいて御存じの通り、クセの強い漫画ばっかりやっちゃったもんだから、結果がなかなか出ねえわけです。結構、もがいてたなあ、あの頃。


 そんで、創刊から1年半ぐらい経った頃かなあ。大西さんと樋口さんに呼び出された。

 何なんだろう? 売れ行きがイマイチだったので、大西さんが会議で上からツメられてるって話は聞いていたし、たぶんシビアな話になるんだろうと覚悟していた。

 ただまだ休刊になるには、なんぼなんでも早すぎるよなあ……と思いつつ……待て!! 次回!!

(次回は10月5日掲載予定です)

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イラスト/桜玉吉

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