さあ、仕事始めじゃあ!!【O村の漫画野郎#27】

奥村勝彦
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 秋田書店の漫画編集者を経て、元『コミックビーム』編集総長もつとめた“O村”こと奥村勝彦さんが漫画界の歴史&激動の編集者人生を独自の視点で振り返る!

さあ、仕事始めじゃあ!!

 あー。あまりの環境の激変に頭がクラクラしまくった俺だが、べつにアスキーへは遊びに来たワケではない。頭を戦闘モードに切り替えて仕事の準備にとりかかった。

 まず自分の机にパソコン一式を設置せねばならない。さすがアスキーである。だけんども、総務の人が会社の備品でーすって持ってきてくれなかった。自分で電気屋へ行って買ってこいって言われた。

 面倒臭えなあ……と思いながら、新宿西口のヨドバシで買って、運んだ。新宿から初台なんて大した距離じゃねえから、徒歩で大丈夫だろ、なんて思っていたが、当時のモニターは液晶じゃなくてブラウン管である。無茶苦茶重い!!


 タクシーなんか使ってたまるか、なんて意地で運んだワケだが、正直死ぬほど疲れた。そっから、ケーブルでネットにつないで準備完了。

 パソコンは懐かしのNECの98CX!! ハードディスクが120メガ、OSが当時最新鋭のウインドウズ3.1!! 周囲はハードディスクもついてないフロッピーがベースで、OSもDOSが普通だったので、コマンドを覚える必要が無くて有難かったぜ。……なんか古い話ばっかでごめんなさい。


 そんで新編集部発足!! とりあえずファミ通の増刊として年4冊の増刊を発行し、1年後に月刊誌へと移行することになった。うむ、堅実な方針である。その間の雑誌名は『ファミコミ』、製本仕様は中綴じ(青年誌とかに多いホチキス止めの形態)である。


 スタッフは3人。編集長は金田一君。彼は恐ろしくマイペースな人間で、俺の知る限り慌ててバタバタしてる所を見たことがない。凄えなと思っていたら、同郷の吉田戦車さんが「彼は大地震が起こっても、たぶん自分のペースを崩さない。」と言ってたらしい、全面的に納得できるけど、やっぱ凄えな、そこまで行くと。


 んで、広瀬君。ファミ通でずっとバカ記事書いてただけあって、ワケのわからん企画を出しまくる男であった。だいたいアダ名がヒロポンって何だよ!! 覚醒剤(戦前戦後に売られていた時の商品名)じゃねーか!! ダメじゃん!!


 ……とまあ、なんだかバラッバラの個性が集まって編雄部が立ち上がった!! 素晴らしい!! 中途半端な人物が一人もいねえ!! エンターテイメントの現場はこうでなくちゃいけねえ!! ……というワケで、待て!! 次回!!

(次回は12月28日掲載予定です)

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イラスト/桜玉吉

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