2010年3月24日(水)
「はっ」
気づくと、ベッドに横になっていた。
保健室だった。
ゆりっぺが白い目で俺を見下ろしていた。
「あんた、女を口説きにこの世界にきたの?」
俺はがばりと起きあがる。
「てめーなっ!! 何度蹴り落とすんだよっ! 死ぬとこだったろ!! よく生きてたな!! また奇跡が起きたよ!!」
「あっはっはっ、だから死なないってばぁっ」
表情を笑顔にコロッと変えて、手を上下にぱたぱたと振る。
「だとしても、気軽に屋上から蹴り落とすな!」
「だって、あなた仲間になったくせに、私欲を満たすことしか考えていないんだもの」
「本気でコクってたんじゃねーよっ、決まってんだろっ! 連中は恋するのかなって思っただけだよっ」
「ふ~ん…日向くんって意外とロマンチックなのね」
「俺に言わせると、おまえにロマンがなさすぎる」
「なによ、それ。こんな世界でロマンなんて必要なの? 陰惨な記憶を刻み込まれたままで誰かを好きになれるっての?」
それを聞いて、俺はなんだか悲しい気持ちになった。
だからこそ、じゃないか……。
「俺は……なってもいいと思うぜ……。おまえはさ、性急すぎる。そんなんじゃすぐ疲れちまうぜ。だって時間は無限にあるんだろ。なら恋だってして、ゆっくりいけばいいじゃないか……」
「うわ、またこいつあたしのこと口説きにかかってる……」
「そんなつもりはねぇけどさ……俺はおまえのことが心配だ……」
どんなささやかな幸せにも見向きもせず、突っ走っていこうとする、その姿が。
「だから、これからも仲間でいることにする」
「あたしはひとりでも大丈夫よ?」
「そんな悲しいこと言うなよ……」
「あなた、役立たずだし」
「そんなきついこと言うなよ……」
「マジで恋されたら困るし」
「ないから安心しろ」
「じゃ、あたしが日向くんのことを好きになっちゃったら?」
「え……」
思ってもなかった言葉。
ゆりっぺの、その艶やかな唇を凝視してしまって俺は固まる。
「そん時は……」
「なーーーんて、あるわけないじゃない! あっはっは! あなたやっぱバッカねぇ!」
……だから心配なんだよ、俺は。
目のやり場がなく、壁にかかった時計を見る。
もう夕刻だった。同時に、ぐぅとお腹が鳴る。
「死んでても腹は減るんだな……」
「五感もすべて備わってるし、眠たくもなるし、腹も空く」
ゆりっぺの意味ありげな視線をこちらに向ける。
「なんだよ……」
「もうひとつの欲求もあるのかしら? って思ったんだけど、ここまでのあなたの言動を顧みるに困ったことにありそうね、と思って」
「安心しろ。おまえにはねーよ」
「ふ~ん、じゃ、生徒会長にはあるんだ」
「ねーよ」
「ないの? あなた、そんなんで大丈夫なの?」
「ロマンなんていらないっつったのはどこのどいつだよ」
「あたしにはいらないわよ。でも、そういう欲求がたまる男の子は可哀想だわ……。あたしにちょっとでも気があれば、何かしら手伝ってあげられたかもしれないのに。残念ね」
……!?
俺はこいつを女として見るべきなのか……!?
その顔を正面から見据える。
って、あれ?
もはや、見れない!?
おかしいなあ? そこそこ美人なのになあ?
なにか俺の顔を見て、にやつくその表情は悪魔の微笑みに見えるぞ?
ぞくぞくと恐怖が込み上げてくるぞ?
なんだこりゃ?
そこで、空が暗転するフラッシュバック。
「うわあぁぁあ!」
「どうしたの? 死んだ時のことでも思い出したの? 可哀想に……」
「おまえに蹴落とされたとこを思い出したんだよっ!」
それに対し、けらけらと笑うゆりっぺ。
はぁ……こいつといると、まったく退屈しないで済みそうだぜ。
死んだ世界でともに過ごすには、悪くない相手だ。
ぐぅ。
落ち着いた途端、また腹の虫が。
「あなたどれだけ食べてないのよ」
「ここにきてからは何も食ってねぇよ。それどころじゃなかったからな」
「順応力を高めなさい。大事なことよ」
「身にしみるよ。で、どこで何が食えるんだ?」
「学食で好きなメニューを」
「そいつはありがたい」
言って、俺は財布を取り出すという慣れ親しんだ行動を取ったが、ズボンのポケットには何も入ってなかった。
当然だ。そもそもこの学生ズボン自体、いつ履かされたのかわからない代物だ。
「タダでは食えないよなあ?」
「そうね。お金がいるわね」
当然、と腕組みをする。
「おまえ、また物騒なこと考えてそうだ……」
「安心して。奨学金としてそれぞれに食費は用意されてるわ。事務室に取りに行けばいいだけ」
「あ、そ」
でもそこに、すでに自分の給付金が届いている、というのは不気味だった。
クラスの席と同じで、新しく死んでやってきた人用、ということだ。
「でも寄るのも面倒だから、今回は貸してあげるわ」
「そいつはありがたいね」
胃にラーメンと、カツ丼をつっこむ。
「すげーな……何も変わらねぇよ、生きてた時と」
味も食感も胃の満たされ方も。
「そのふたつを一度に食べるあなたがすごいわよ」
皿とどんぶりを空にして、背もたれにもたれる。
「ふぅ……満足、満足」
今だけは天国だ。
「あなた、消えたいの?」
ゆりっぺは、うどんをすする手を止め、俺を見ていた。
「へ? なぜ?」
「この世界で満足しちゃったら、成仏して消えてしまう。言ったでしょ。ここはあくまでも心の整理をつける場所なのよ。思い残すことがなくなれば、即刻消える」
「腹がいっぱいになっただけでも?」
「それが生きてきた時の辛さや悲しみを吹き飛ばすぐらいの満足感ならね」
「やべー、何も考えず満ち足りてしまっていたぜ……」
「あたしはてっきり自ら胸焼けでも起こして帳尻を合わすのかと思ってたわ」
「そこまで頭回んねーよ」
「そうね。バカだもんね」
「ああ、バカだよ。先に言ってくれよ」
「そういうの経験して覚えていってくれない? あたしはそうしてきた。あなたにいちいち説明していたら日が暮れるわ」
「明ける頃に、俺が消えてなきゃいいけどな」
「あたしは構わないわよ?」
「俺が構う。十分注意して行動することにするよ」
「なんなの? あなたやっぱりあたしのことが好きなの?」
「勘違いするな。んなわけーだろ」
「そうね。気色が悪いわ。こんな食事時に」
散々な言われようだ。
「仲間だろ、仲間。神様を見つけだすための」
「わかってるじゃない」
納得して、再び、箸を動かし始めた。
(C)VisualArt's/Key/Angel Beats! Project