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2012年11月16日(金)

アサシン“コナー”という男──ソフト発売後だから語れる『アサシン クリードIII』主人公の人物像とその魅力

文:イトヤン

■ヨーロッパからの植民に住む場所を奪われていった先住民の苦難

 ヨーロッパの人々が北アメリカ大陸にやってきた当初は、動物の毛皮といった産物の“交易”が目的だったため、この土地に住んでいたインディアンたちとは取引相手として友好的な関係を築いていました。しかし、ヨーロッパの人々が“植民”としてやってくるようになると、その関係は崩れていきます。

 土地を開拓して住み着くということは、先住民が住んでいた土地を奪うということです。植民の側では、インディアンから土地を“購入”したという体裁になっていましたが、先住民の側からすれば、それは白人による“侵略”でした。

『アサシン クリードIII』
▲モホーク族をはじめとする先住民たちは、アメリカの大自然に協調し、狩りを中心とした生活を営んでいました。

 オランダ、フランス、イギリスと、ヨーロッパの国々が北アメリカ大陸で植民地の覇権を争っていた時代には、インディアンの各部族が異なる国と連合を結んで、状況が自分たちにとって有利になるように戦ってきました。しかし、1754年から始まったフレンチ・インディアン戦争の結果、北アメリカ大陸をイギリス1国が支配するようになると、各部族は一致団結してイギリス植民地に戦いを挑むようになります。

 1763年、フレンチ・インディアン戦争に勝利してミシシッピ川より東のフランス植民地を獲得したイギリス政府は、インディアンとの摩擦を避けるために、アメリカ東海岸とミシシッピ川の間に連なるアパラチア山脈より西に、これ以上入植することを禁止します。領土の拡大を禁じられた植民地側は、当然ながらこれに不満を覚え、独立運動を引き起こすきっかけの1つにもなりました。

 1775年にアメリカ独立戦争が発生すると、植民地側から侵略を受けていたインディアンの多くがイギリス側に味方するようになります。コナーの母親の部族である、モホーク族もその1つでした。1779年、大陸軍総司令官のジョージ・ワシントンは、ジョン・サリバン将軍に対してニューヨーク州北部のインディアンを徹底的に攻撃するように命令し、モホーク族をはじめとする彼らの集落が数多く焼き払われ、生活する場所を追われていきます。

『アサシン クリードIII』
▲ヨーロッパからの植民は、先住民から土地を奪い、時には集落を襲うこともありました。人種差別的な面もあり、彼らへの攻撃は苛烈を極めました。

 独立戦争が終わった後も、彼らの苦難は続きます。アメリカ合衆国政府と条約を結び、インディアン居留地として自分たちの土地を確保した部族もいましたが、白人との戦いの末に血族が途絶えたり、強制的に他の土地へと移住させられたりした部族も少なくなかったのです。

→自由と開放のために戦うアサシン、コナーの誕生(3ページ目)

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