2014年1月23日(木)
鉄人として輝かしいバーチャ人生を送り、今では『VF』シリーズの開発サイドに身を置く、新宿ジャッキーこと羽田隆之さん。そんな彼に鉄人時代のエピソードや『VF』の新作について、いろいろとお話をうかがった。
▲『VF5』シリーズの制作にも携わっている羽田さん。セガで活躍する今も、物腰の低さと、なよなよとした体つきは健在だ。 |
――『VF』をやり始める以前はどういったゲームをやっていたのでしょうか?
物心がついた頃にはファミコンが身近にあったので、家でいろんなジャンルのゲームを遊んでいました。当時のゲーセンは1プレイの料金が30円、50円でしたけど、それでも子どもにとってはシビアな世界じゃないですか。だから、アーケードゲームをプレイするとしても、永パ(※)ができたりして長く遊べるものだけでしたね。50円入れて3時間遊べる、みたいな。
※永久パターンの略語。一定の行動パターンで半永久的にそのゲームをプレイし続けること。
――では、『VF』を始めたきっかけというのは?
ファミ通編集時代にセガのメガドライブ版『バーチャレーシング』の記事担当をしていたことがあって、開発者インタビューを行うことになったんです。そこで初めて鈴木裕さん(※)にお会いして、取材の終わりぎわに「実は今“スゴイの”を制作していてね。次のAOUショーで出展するからぜひ見に来てくださいよ!」と、言われまして。
※『バーチャファイター』の生みの親。体感ゲームというジャンルを確立した人でもあり、『スペースハリアー』や『アフターバーナー』など数々の大ヒット作品を世に送り出している。
――それが『バーチャファイター』のことだった、と。
はい。実際にショーで初めて目にした時は、もの凄い衝撃を受けましたね。カゲの一本背負いが特に印象的で、投げられた側が地面に叩きつけられて少しバウンドするところとか、凄すぎてビックリしたのを覚えています。「人間の動きがここまで正しくシミュレートされているなんて、このゲームはヤバイ!」って。『バーチャレーシング』の取材をしている時から“鈴木裕さんはタダ者じゃない”という感じはあったのですが、『VF』は期待していた以上のものでしたよ。
で、ショーから3、4カ月経った12月に地元のゲーセンに『VF』が置かれているのを見て、年末年始はガッツリと遊びました。その頃は、メガロ50という大型筺体で1プレイ200円。下手をすると15秒で200円を失う、とってもスリリングなゲームで、気がつくと4、5日の間に数万円は使っていましたね。
――50円で3時間遊んでいた子どもの頃と、えらい変わりようですが(笑)。
お金を気にする気持ちよりも楽しさが上回って、派手に使っちゃいました(笑)。
――最高連勝数はいくつですか?
新宿西口のスポーツランドで達成した、初代『VF』の98連勝が最高ですね。その頃はスポット21に対戦台が複数あったのですが、待つのが嫌いで空いているゲーセンに移動することが多かったんです。
そこまで連勝できたのは、周りの人たちよりもシステムを理解できていたことがデカかったと思います。と言っても、手触りというか、感覚的にですけど。
――98連勝につながった戦術はどういったところにあるでしょうか?
『VF』は、ダウンしてから起き上がるまでに攻撃が当たる時間が1フレームだけあるんですよ。そのわずかな隙間に、ダッシュハンマーキックを狙ったりしていました。もちろん完璧とまでは言いませんが、何度か対戦をしていると相手のクセは分かるし、攻撃が決まるタイミングもなんとなく体で覚えていたので。
――100連勝を目前にして連勝が途切れていますが、閉店で終わりですか?
いえ、普通に負けて終わりました。途中経過では連勝数を2、3回ほど確認する程度で基本的に無我夢中でプレイしていたのですが、97連勝目ぐらいで「あっ!」って。やっぱり、そこで100連勝を意識したのが敗因でしょうね。
→業界裏話! 鉄人返上にまつわる驚きのエピソードが(3ページ目)
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