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2014年1月22日(水)

『バーチャファイター』20周年記念特集・ヒストリー編。『VF』の歴史に数々の伝説を刻んだ全国大会・アテナ杯/ビートライブ杯の軌跡

文:ゴロー

■『VF』の総決算“アテナ杯/BT杯”の歴史……数々の伝説を生んだ5on5大会

 今でこそLIVE配信やフードコートもあり、盛大に行われているビートライブ杯ですが、その起源となるアテナ杯の初期は小規模でアットホームな大会でした。

 そもそも、会場として使用されていたのは“ゲームスポットアテナ町田店”という約30坪程度の地下ゲーセン。第1回アテナ杯の盛況ぶりが口コミで広まり、そこから実に長い年月を経て、近年では毎年600人超のプレイヤーが集う一大イベントに成長しています。数々のドラマや伝説を生んできたアテナ杯/BT杯ですが、今に至るまでにどういった進化を遂げてきたのか? その歴史を振り返ってみましょう。

●第1回 アテナ杯(1994年12月3日)/エントリー:9チーム
【優勝】ゲーメストチーム(キャサ夫/K.K.雪風/猛GYU)

 大会種目は『VF2』で、参加チームは町田近辺のプレイヤーを中心に結成された9チーム。ルールが総当たり戦だったため、この頃から長丁場の戦いとなっていた。なお、2日後には個人戦も行われている。

●第2回 アテナ杯(1995年3月21日)/エントリー:32チーム
【優勝】全日本チーム(柏ジェフリー/弟子サラ/池袋サラ)

 盛況だった第1回の噂が広まり、ブンブン丸や柏ジェフリーなどセガ公認の鉄人が5人とも参戦。町田勢 vs. 新宿勢の一騎討ちが行われ、実質、第2回大会がアテナ杯の記念すべき第一歩とも言える。

●第3回 アテナ杯(1995年6月25日)/エントリー:48チーム
【優勝】かかって濃いーズ(キャサ夫/Sho小杉/まさ兄)

 大門ラウ率いる京都軍団も加わり、アテナ杯の存在が全国へ広まろうとしていた時期。『VF』史上に残る最高のベストバウト“ブンブン丸 vs. 大門ラウ”が生まれた大会でもある。

●第4回 アテナ杯(1995年11月22日)/エントリー:80チーム
【優勝】2.1エモン(明大前ちゃっきい/ビンボーラウ/借金アキラ)

 アテナ杯がブランド化し、参加チームが急増。1次予選を10月29日にゲームスポットアテナ町田店で行い、2次予選・決勝トーナメントを六本木のライブハウスで行うという、2日がかりの大会となった。

●第5回 アテナ杯(1996年3月21日)/エントリー:36チーム
【優勝】明大前代表(明大前ちゃっきい/ビンボーラウ/借金アキラ/明大前ウルフィー/明大前カゲ)

 初の5on5ルール&地区別対抗戦を採用した『VF2.1』最後の大会。岐阜、名古屋、京都、大阪と関西勢が一気に乗り込み、東京勢 vs. 関西勢の図式に。

●第6回 アテナ杯(1996年11月17日)/エントリー:56チーム
【優勝】優勝は当たり前田ーズ(柏ジェフリー/ちび太/前田アキラ)

 エスケープボタンやアンジュレーションの追加でゲーム性がガラリと変わった『VF3』初のアテナ杯。プレイヤー層が『VF2』の頃から続ける古参組と、『VF3』デビューの新参組に分かれ、2つの組織によるせめぎ合いが行われた。

●第7回 アテナ杯(1997年3月16日)/エントリー:92チーム
【優勝】ザ・ジゴロ(柏ジェフリー/小岩サラ/スタイリー)

 今大会より北海道勢が参戦。オープンを記念して会場がアテナゲームズスクエア市川なり、人数の増加にともなうキャパシティオーバーの問題は解消された。準決勝大将戦の最終ラウンドで柏ジェフリーが見せた“開始5秒でリングアウト勝ち”は有名。

●第8回 アテナ杯(1997年6月22日)/60チーム
【優勝】青梅真理教(セガール/マスク・ド・ヒジテツ/ビーサンアキラ/邪影丸/ドラゴンじじい)

 “森永エンゼルカップ”の覇者・矢永サラが地元の九州勢を引き連れてアテナ杯に乗り込む。東北勢も進出し、『VF3』になって初めて地区別大会を開催。ここから正式に5on5ルールを採用する。

●第9回 アテナ杯(1997年11月2日・3日)/エントリー:84チーム
【優勝】優勝は当たり前田ーズ(柏ジェフリー/小岩サラ/前田アキラ/タワーアキラ/アストロ)

 すでに『VF3tb』が稼働していたが、多数のプレイヤーからの強い要望により『VF3』を起用。前大会とは打って変わってチーム編成の縛りがなくなり、同キャラ、同地区、何でもアリのオープンルールに。ゲームスポットアテナ町田店を会場に、2日間に渡って行われた。

●第10回 アテナ杯(1997年12月23日)/エントリー:78チーム
【優勝】ススキノチーム(モン一郎/モン二郎/サラマンウルオ/蒼い閃光のヒデ/ススキノラウ)

 『VF3tb』の1発目となる第10回大会は、千葉・市川のビジュアル系ライブハウス“クラブGIO”を借りて開催。今大会では、全国を7つのエリアに区分した地区別対抗戦が復活した。地方勢の実力が都内のレベルと拮抗し始めた時期。

●第11回 アテナ杯(1998年8月23日)/エントリー:93チーム
【優勝】印旛連合(サム/四街道ラサ/人J/ホルスタインW/ダンナ)

 千葉・印旛連合の奮闘により、東京エリア以外のチームが初優勝を飾った記念すべき大会。会場は千葉・松戸市のPIAZAホールを貸し切り、駅前の超大型スクリーンに大会の模様が映し出されていた。

●第12回 アテナ杯(1999年5月2日)/エントリー:87チーム
【優勝】不沈艦セガール(闇よだれ/渋谷J/マッスルサラ/マスク・ド・ヒジテツ/セガール)

 市川のクラブGIOで行われた、アテナ杯FINAL。プレイヤーのレベルも究極的に進化し、中でも闇よだれやニャン兄といったカゲ使いの活躍が目立っていた。自分専用のステージを事前に決めておく“持ちステージ制”を導入したのは今大会が初。

→アテナ杯の遺伝子を継承したビートライブカップの歴史へ(5ページ目)

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