2017年11月11日(土)
ガンホー・オンライン・エンターテイメントがサービス中のiOS/Android用アプリ『ディバインゲート』の新章『ディバインゲート零』。そのキャラクターストーリーを追っていく連載企画をお届けします。
今回お届けするのは、ミズキ編・“『特別』な日常への決意”。なにげない日常を送っていたミズキの周囲にも魔影蝕が! その日を境に、彼女の人生が大きく変わっていきます。
テキスト:沢木褄
イラスト:noraico
「由沢ミズキ。それが覚醒した、あなたの力です」
メイド姿で妙に落ち着いた雰囲気の女の子が、こちらを振り向く。
(何?一体何が起こってるの?この子いつまであたしのことフルネームで呼ぶの?……じゃなくて、今はそんなことどうでもよくて……。あぁ、もうっ……!)
ミズキは、混乱していた。
突然、日常を襲った紫色のノイズ。クラスメイトが消えた校舎。そして、自分に現れた『特別』な力。
その日、ミズキの学校を『魔影蝕』が襲った。無事だったのは、彼女を含め数名のみ。多くの人間が消失し、救助に駆け付けたレスキュー隊にも、甚大な被害があったそうだ。
――この日がミズキにとって『特別』な一日になることを、彼女はまだ知らない。
※ ※ ※
数日前。
「えっ!?留学?」
放課後。ミズキは仲の良い友人三人と、おなじみのファーストフード店でだべっていた。いつもなら、「英語の単語テストヤバイ」とか「サッカー部のエース青木君とウチのクラスの女子が付き合ってるらしい」とか、そういった話をして、夕飯までに帰る。
……大体決まっているのだが、この日はちょっとだけ、違う流れになった。
「うん、だから英会話塾に通うんだ。大学に行ったら、留学したいから」
一年生の頃から仲の良かった友人の、将来の展望。全く知らなかった。しっかり者だとは思っていたけれど。
「将来のことが決まってるとか、すごいよ~」
ぽわんとしたしゃべり方をしたクラスメイトは、ミズキがとても気に入っていたネイルを褒めてくれたのがきっかけで、距離が近づいた友人だ。
「だよね、だよねっ」
ミズキは激しく同意する。
「ウチは部活のことで頭がいっぱいだよ~。国体に出るとしたら、今年がラストチャンスだからさぁ」
「こ、国体……?」
彼女は陸上部で、確か短距離走の選手。今日は久しぶりの部活がお休みの日らしい。
「うん、中学からの夢なんだ~」
にっこりと笑う彼女。よく焼けた肌に、白い歯がまぶしい。
「留学よりも国体に出る方がすごいじゃない。それに、もしそうなったら大学の推薦もあるでしょう?」
「でも大学まで陸上やるかな~っと思ったり……」
「卒業まではまだ時間あるし、今は目の前のことに集中したら?」
二人の会話を、ミズキは黙って聞いていた。
なんだか居心地が悪い。「ミズキは?」って、自分に振られたらどうしよう。将来のことは何も考えてませんなんて、言えない雰囲気じゃん。
「ねぇ、ミズキは?」
――って、きた!どうしてこういう悪い予感だけは的中するんだろう。今日の英単のテストは見事に山が外れたのに……!!
「あ、あたしは……」
「…………って言われてさ、ネイリストとか言っちゃった」
夕飯時。お母さんの作ってくれた料理を頬張りながら、ミズキは肩を落とす。
「なりたくないの?ミズキ、いつも爪キレイにしてるじゃない」
ネイルは好きだ。季節のイベントごとにデザインを凝ってみたり、そういうことを考えるのも好きだし、授業中とか、ふと鮮やかな爪の色が目に入ると、テンションが上がる。
けれど、それを仕事にしたいかと言えば、そこまでの情熱はない。
「まぁ、これからゆっくり決めればいいんじゃないか?ミズキ、まだ二年生だろ?」
「お兄ちゃんには聞いてないから」
ミズキの兄は、海守学院の大学院で理力を学んでいる。時々兄の難しい研究の話を聞くが、ミズキは全く理解できなかった。
「な、なんだよ~っ。ミズキ、最近冷たくないか……?」
「ごちそうさま!」
ミズキは勢いよく立ち上がり、自室に戻る。
そういうお兄ちゃんは、高校二年生の時すでに進路が決まっていた。自分自身も理力を学ぶことを望んでいたし、周囲もそれを強く願っていた。
つまり、お兄ちゃんは将来有望、成績優秀な生徒だったのだ。
(兄妹なのに、どうしてあたしは……。才能もないし、やりたいこともないし……)
ミズキは机の引き出しから除光液を取り出す。気分を変えるため、今のネイルを落として、新しいデザインにしてみよう。
除光液をコットンに染み込ませて、爪に馴染ませる。何色にしようか、モチーフは……暫く考えていたのだが、いい案が浮かばない。
「あ~あ……」
ミズキは余計に気分が沈んで、ふて寝するようにベッドへと身体を投げた。
※ ※ ※
『それ』が襲ったのは、授業中。いつも眠たい数学の時間。教室が薄暗くなったかと思うと、視界が紫色に染まる。
「何!?何が起きたの!?」
一瞬、火事か何かかと思ったが、どうやら違うようだ。うまく表現できないけれど、もっと異様な雰囲気が漂う。みるみる辺りは不明瞭になり周囲が見えなくなる。
いつの間にかクラスメイトのざわめきが消え、人の気配すらなくなり、同時に、不協和音のような、奇怪な声が聞こえて来た。
まるでたった一人、お化け屋敷の中に置き去りにされてしまったかのようだ。
ミズキは手さぐりで教室を出た。
廊下も紫のノイズが充満しているが、教室より、視界は開けている。
「だ、誰か……。誰かいないの!?」
ミズキは恐怖と不安を振り払うように、駆け出した。
「おいおい嬢ちゃん、名前を聞くなら、まず自分から名乗れって教わらなかったかい?」
校舎の中で出会った長身の男性は、あまり緊張感のない様子で立っていた。他にも、自分と同じくらいの年頃の男女と、小学生くらいの女の子がいる。
ミズキは謝り、名乗って、そして戸惑いをぶつけた。
「一体何が起こったの?みんなは?あたしたち『魔影蝕』に巻き込まれたの?」
「それだけ知っていれば十分です。切迫した状況ゆえに、これ以上の説明は無駄と判断できます」
同年代の少女だと思っていた一人は、なんとアンドロイドだった。けれど、その言い方はひどい。動揺していることもあって、ミズキは少し声を荒げた。
「無駄って何よ!」
さらに続けようとしたが、目の前にいる全員が緊張感に満ちた面持ちに変わる。ミズキの名前を尋ねた長身の男性――ムサシという人も、真剣な表情になっている。
「来ます、みなさん、ご用心を」
アンドロイドが言った。
「え、な、何が……!?」
次の瞬間、空中に金髪の小さい男の子が現れる。
「こんなところに生き残ってるやつがいるぞ? 理力界の連中はでくの坊ばっかりかと思ってたのにな。ハハハ」
(何なの、この生意気な感じの子ども……)
「解析の結果、我々とは別の世界からやってきた存在と認識しました。彼らこそが魔力界からの侵蝕者です」
メルティという、アンドロイドの女の子は淡々と続ける。
(魔力界って、私たちの世界を侵蝕してるやつらのこと?)
「魔力に対抗する術も持たない虫けらどもが生意気な。お前たちはこのまま蝕に飲み込まれて消え去る運命だ」
少年は意地悪そうに、高らかに笑う。
「ちょっと、子どものくせに生意気過ぎじゃない?」
「うるさいうるさい!このファル様を怒らせたらどうなるか、身をもって知るがいいさ!消えろ!」
少年の激しい剣幕に、ミズキは一瞬身構えたが、『消えろ』と言ったその張本人が目の前からいなくなってしまった。
「え……?」
ミズキが呆気にとられていると、左右の瞳の色が違う、独特な雰囲気を持った女性――リアンが、息を飲んだ。
「ただ消えたんじゃないわ。……来る……!」
次の瞬間、モンスターのような生きものが、空中に現れる。
ムサシたちはミズキをかばうように前に立ち、それぞれピックやヘアピンを取り出した。何かを念じるような仕草をしたと思えば、ピックやヘアピンが楽器に変化して、ムサシたちの周囲に現れる。みんなは呼吸の合った様子で、目を合わす。
そして、音楽を奏で始めた。
「な、何っ!?何が始まるの……!?」
「危ねぇから、下がってろ!」
ギターを弾いている少年――カズシが怒鳴る。
ミズキは素直に後ろに下がり、様子を伺う。一つ一つの楽器が響き、音が集まって、共鳴している。忌まわしい紫のノイズを断つような、美しく、力強い演奏が奏でられる。
(なんだか、力が湧いてくるような……)
ミズキは、今までに感じたことのない不思議な感覚に陥った。
(身体中に力がみなぎる……)
その時、左腕が燃えるように熱くなっていることに気づいた。
驚いて腕を振り上げると、ミズキの周囲に赤い『何か』が舞う。炎だ。
炎が、自分の周囲を取り巻いている。熱い。皮膚がじりじりと焼けるように熱いけれど、怖くはない。むしろ、薄暗い空間の中で揺らめく炎の輝きは、真っ赤なマニキュアみたい。見惚れてしまうほど、キレイだった。
「ミズキ!」
リアンの悲愴な声に気づいて、顔を上げると、目の前に敵――エネミーが迫って来ていた。
「しまった!嬢ちゃん、よけろ!」
ムサシが振り返りながら叫ぶ。――と、同時にこちらに駆け出したが、間に合わない。
ミズキとエネミーの距離がみるみる内に縮まる。
(ヤバ……!)
ミズキは反射的に、エネミーに向かって左手を突き出した。
その瞬間、自分を取り巻いていた炎がエネミーに向かって一直線に飛んでいく。
「えっ……」
「……エネミー反応消滅。もうこの近辺には存在しません」
「な、何なの?私、今……魔法使った?炎が、どこからか現れて……」
「由沢ミズキ。それが覚醒したあなたの力です」
「覚醒……?」
みんなの話は難しかった。魔力界という、ミズキがいる世界とは別の世界に、自分と『対』になる存在がいて、その『別の世界のもう一人の自分』的な存在とミズキが繋がったことが『覚醒』で、そのおかげで魔力を使えた……ということのようだ。
「レア・ケースってやつね」
DJの機械を宙に浮かべて、その中心にいる少女――ミカが笑った。
『覚醒』は珍しいことらしい。そもそも、『対存在』のことも公にはなっていない極秘事項でもあるとか。
「あたしも魔力を手にしたってこと? それを使って、さっきみたいな連中を倒せるの?」
「君が充分に強くなれば、の話だけどね」
ベースを肩に掛けた少年――シンクは答えた。
「私が……強くなれば……」
「おしゃべりはそのくらいにした方がいいみたいだぜ」
カズシの言葉に、シンクも眼前を見据える。新たなる敵が、紫色の禍々しい空間から浮かび上がる。
「嬢ちゃんは訓練を行ってない。だから、まだ力を使うべきじゃねぇぜ?」
「下がっていて」
カズシとムサシが、ミズキをかばうように前に出る。そして再び、演奏が始まった。
(覚醒……。レア・ケース……。炎……。魔力……。特別な力……。魔力界……。対存在……。『魔影蝕』……。みんな、消えて……)
カズシたちが戦っている間、ミズキの頭の中は情報を整理するように、今さっき聞いたばかりの単語が渦巻いた。
(私が、強くなれば……)
「くそ!いくら倒してもキリがねぇぞ!」
「屋上に向かうべきと進言します」
「そうね。エネミーの出現ルートを絞り込めば戦いやすくなるはずよ」
「屋上の階段はこっちよ!」
我に返って、ミズキは叫んだ。
屋上へ向かう途中、レスキュー部隊の隊員が消えて行くのを間近に見た。
「間に合いませんでした。彼は『魔影蝕』の中で存在を維持できないほど傷ついていました」
メルティは相変わらず、淡々としている。
「そんな……!魔力界の連中って、あんな強そうなレスキュー隊員の人でも勝てない相手なの?」
大人で、身体が大きくて、特別な訓練を積んだ人なのに。そんな人が、あんな生意気そうな少年に負けてしまうなんて。
「どんなに強くても、ここは『魔影蝕』の中だからな」
『魔影蝕』は魔力界側が作ったもので、自在に活動できるのは魔力界の住人だけ。
ミズキは『覚醒』したことで動けるようになり、カズシたちは『エクステ』という装置のおかげで、なんとか戦えるようになっている……らしい。
屋上へと続く扉を開く。
「あれっ!?空がない……?」
いつも当たり前のようにあった青空はなくなり、得体の知れない紫色のノイズがどこまでも続いている。
「しつこい虫けらどもめ。まだ生きていたのか?」
「あっ!生意気な子ども!」
再び、紫色の空中から先ほどの金髪の少年――ファルが現れる。
「なぜあなたたち魔力界の者たちは、私たちの世界を侵蝕しようとしているのです?」
メルティの問いかけに、ファルは鼻で嗤う。
「虫けらの質問に答える義務はないな」
「む、虫けらって……」
再び、左腕に熱が集まるのを感じた。
「『なぜ』に意味はない。どちらが勝ち残り、どちらが消えるかだ。そして残るのは僕たち。お前たちは消える側だ!」
「やっぱり生意気!」
(魔力界だかなんだか知らないけど、突然やって来て、あたしたちの日常を壊して……!)
「あたしたちは生きてるのよ。この世界で」
平凡な日々。ちょっとつまらない時もある毎日。だけどみんな、それぞれの未来を夢みて、一日一日を一生懸命に生きていた。それを壊す権利なんて、誰にもあるわけない。
「理力界のゴミ共が何を言っても無駄なことだ。さあ、これで終わりだ!」
紫のノイズが一層濃くなり、轟音が鳴り響く。
ファルの背後に、漫画でしか見たことのないような、巨大な野獣……いや、それよりもっとおぞましくて、禍々しい存在――『魔震獣』が現れる。
ミズキの左腕が、猛けるように熱くなっていた。足は少し震えているけれど、恐怖を感じているわけではない。心は炎のように、燃えていた。許せない。
(あたしの力……みんなを守るために使いたい……!)
カズシたちは、魔震獣に立ち向かっていく。
(あたしも戦いたい――!せっかく手に入れた、この特別な力で……)
「もう誰も、失ったりなんかしないんだから――!!!」
※ ※ ※
「大丈夫ですか、ミズキ」
ファルと魔震獣が消えると、ノイズも晴れて青空が広がった。
メルティが、少しだけ心配そうにミズキを見ている。
「……うん!大丈夫だよ。あの、メルティ……」
(あたしも戦わせてほしい)
そう口にしようとした時、左腕の手首だけ、未だに熱を持っていることに気づいた。不思議に思って右手で触れると、――忘れていた。そこには、小さい頃から大切にしている、ミサンガがあった。それに触れていると、なぜだか力が湧いてくるような感じがする。
「あたしも――」
その日からミズキの平凡な生活は一転した。
そして、彼女が想像もしなかった新しい『日常』が始まることになる。
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『魔影蝕』が晴れた後、ミズキたち以外、校内には誰もいなくなっていた。
ミズキの自宅は学校から離れた場所にあり、家族は全員無事だった。
『魔影蝕』の影響で交通機関が乱れ、通信機器も正常に機能しなかったため、音信不通のまま夜遅くに帰宅したミズキを、家族は涙ながらに迎え、その無事を喜んだ。
だがミズキは、どこか上の空だった。
だって、自分以外の人が、消えてしまったんだから。
食欲もなくて、お風呂に入ってすぐにベッドに入る。ものすごく疲れているのに、妙に頭が冴えて眠れない。ミズキは天井を見上げながら、今日のことを思い出す。
事件の後、ミズキはメルティに自分も戦いたいと伝えた。「海守学院にくればいい」とカズシは言ったけれど、ムサシには「もう一度よく考えてみろよ」と笑われてしまった。
(あたしは……戦いたい)
自分が手に入れた力で、みんなを守りたい。だけど、本当に自分が戦えるようになるのだろうか。平凡な女子高校生の私に、命を賭けるようなことができるだろうか――。
「どうしよう……」
ミズキはベッドから起きて、机の引き出しを開ける。
ネイルアートでもしようとベースコートの瓶を取り出した時、不意に涙がこぼれた。
ネイルを褒めてくれた彼女は、――毎日、くだらないことをしゃべり、笑い合っていた友人たちは、もういない。
涙が止まらない。だけど家族に聞こえてしまわないように、声を殺して泣いた。
ずっと続くと思っていた日々は、突然消えてしまった。あのありふれた日々は、ミズキにとってかけがえのないものだった。
(こんな思いは、自分だけで充分……)
「あたし、戦う。もう誰もいなくなってほしくない。だから……」
※ ※ ※
「ミズキ!ようこそ海守学院へ、なのー!」
両親を説得するのにちょっと時間が掛かってしまったが、無事に諸手続きを済ませて海守学院へと転入したミズキを、ルーニたちは明るく出迎えてくれた。
「来たんだな」
ムサシ……先生は、この学校の教師であり、研究者でもあった。ミズキを大歓迎している、というわけではないような雰囲気だ。
「これから、よろしくお願いします!」
「普通科の二年生……ってことは、カズシかココロと同じクラスか?」
「まだ確認していないので、分からないですけど、どっちか、かな……?」
本当は理力科に入りたかったのだが、現在のミズキの学力では入学が認められなかった。熱意はあっても知識ばかりはどうにもならない。
「これから授業が終わったら、私たちの所に来てほしいの」
「戦闘訓練ですかっ!?」
「それは時期尚早かと」
メルティが現れる。
「そうなの。まずは、いっぱい知ってほしいことがあるから」
ミズキは魔力界のことはもちろん、理力のことさえ知識が乏しい。戦闘訓練に入るのは、その後だ。
「分かりました!がんばります!!」
「意気込みは充分ですが、本来なら一年かけて学ぶことを、短期間で教わることになりますから、心してください」
「必然的に、スパルタになるよなぁ」
ムサシ先生が笑うと、ルーニも満面の笑みを湛える。
「覚悟するの♪」
「えっ……」
一ヶ月後――。
ミズキは兄の部屋をノックした。
「ねぇ~……お兄ちゃん……」
「ど、どうかしたのか!?新しい学校でイジメられたのか……?」
「違うよっ!友達もできたし……!!そうじゃなくて……お願い!『超越理論』について質問させてっ!!」
連日、ルーニとムサシの熱血理力講義が行われた。二人の説明は分かりやすくて、丁寧に質問にも答えてくれたけれど、基礎知識が全くないミズキにとっては外国語のようだった。
一度聞いただけでは理解できない理論ばかり。覚えなくてはいけない単語もあり過ぎて、ミズキの頭はパンク寸前。
お兄ちゃんに頼るのはなんとなく気が引けていたが、そうも言っていられない状況なのだ。
理力のことを妹と話せるのが嬉しいのか、お兄ちゃんは楽しそうに、何でも教えてくれた。
「でもいいよな、ミズキ。プロフェッサー・ルーニとムサシ先生から直接講義を受けてるなんて、理力を学ぶ者としたら、夢のようだぜ?」
ルーニとムサシ先生は理力学の権威だ。大学院で理力を学ぶお兄ちゃんにとって、ミズキの状況は憧れらしい。
「でも、二人ともめちゃくちゃ厳しいんだよ!?明日の小テストで90点以上とれなきゃ、土日に臨時講義をやるとか言って……」
「臨時講義……」
ダメだ。お兄ちゃんの目は、いっそうキラキラし始めている。
「それに、あたしは魔力のことも学ばなくちゃいけないし……」
他の人は『エクステ』という理力増幅装置を使い、『魔影蝕』内での戦闘を可能にしているが、ミズキは違う。
『覚醒』によって得た力なので『エクステ』は不要。その分、魔力が必要になる。ミズキは理力を増幅しつつ、その理力を魔力に変えて戦わなければならない。
「そっか……。俺は魔力のことは全然分からないからな……」
魔力はこの世界にはない力なので、研究は進んでいない。
「魔力についてはルーニが一番詳しいけど、それでもめっちゃ大変なんだよ?」
「そうかぁ、そうだよなぁ。慣れないことばっかりだろうし……。お兄ちゃん、応援してるから、がんばるんだぞっ」
「……がんばってるし。…………夜更かししてらんないから、私寝るね。おやすみ!」
「理力で分からないことがあったら、なんでも聞いてくれよ」
「お兄ちゃんなんかウルサイから、もう聞かない」
「そんなぁ!?」
(お兄ちゃんに泣きついてる場合じゃない……。あんなスゴイ二人の講義を受けられてるんだもん。もっと必死にならなきゃ)
「……ありがとね、お兄ちゃん」
「ミ、ミズキ……!」
お兄ちゃんは嬉しそうな顔をする。ミズキは自分に甘い兄がこそばゆくて、早々に部屋を出た。
ミズキは自室に戻り、すぐにベッドに入る。明日の朝は、ムサシ先生の特別講義がある。頭の中で『超越理論』について整理していたら、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
※ ※ ※
一通り講義が終わった後、いよいよ戦闘訓練に入った。
ルーニに『疑似魔影蝕発生装置』を利用させてもらい、『魔影蝕』の中でも戦えるように訓練をする。
――これが、大変だった。実戦だったら、幾度となくエネミーに倒されている。理論上は理力と魔力の扱い方を分かっていても、それを駆使して戦うというのは、想像以上に神経を使って、体力が削られる。
「ミズキ、起きましたか?」
メルティが自分の顔をのぞき込んでいる。
「あっ……!あたし、また倒れちゃってた……?」
「数秒でしたが」
『疑似魔影蝕発生装置』は、身体に負担がかからないように、一日に決められた時間だけしか使用できない。
それでも、緊張感と疲労からか、ミズキは装置から出ると倒れ込んでしまう。
「一息入れようぜ」
不意に現れたムサシ先生は、ミズキに缶ジュースを放り投げる。
「でも、まだ……」
「休憩した方がよろしいと思います。ミズキ」
メルティにも促され、ミズキは渋々ムサシ先生の後を追う。
ムサシ先生は、中庭の花壇に座った。静かで、涼しくて、気持ちのいい場所だ。
ミズキはムサシ先生の隣に座り、もらった缶ジュースを飲む。
「はぁ~っ、生き返ります……」
「そりゃよかった。けど、飛ばし過ぎじゃねぇのか?」
ミズキ自身も、最近の自分は、今までとちょっと違う――と思う。生きてきた中で、初めて本気になっている。勉強も運動も恋愛もネイルも、こんなに真剣になったことはない。
「怖いのか?」
「……」
いずれ迎える実際の戦いに恐怖を感じていて、その不安を打ち払いたいのか。
「それとも、使命感とか、責任感か何か、感じてんのか?」
一人だけ生き残ってしまったから?
「……分からないです」
自分がどうしてこんなに必死になっているのか。正直なところ、はっきりとは分からない。
もう誰も失いたくないと思った。だから、守るために戦いたいと思ったのは確かだ。
だけど……それだけではない気がする。
「もうすぐ訓練も終わって実戦になる。その前に、戦う意味みてぇなもんは、嬢ちゃんの中でちゃんと持っておいた方がいいと思うぞ?」
ムサシ先生は心配してくれているようだ。
「参考になるかは分かんねぇけど……」と教えてくれたのは、ルーニとカズシの過去だ。
ルーニは両親を、カズシはバンドの仲間を『魔影蝕』によって失っている。
「俺も含め、他のやつらも、それぞれ強い想いがあって、魔力界との戦いに臨んでいる。……『魔影蝕』での戦闘は、消失するリスクを抑えるためにも、チームを組んで行うもんだ。生半可な気持ちのやつには、俺たちの背中は預けらんねぇよ」
「そう、ですよね……」
ルーニやカズシは、失った人たちを取り戻したい。そして、これ以上同じ悲劇を繰り返さないように、戦っている。
(あたしだって、みんなに戻って来てほしい……!)
けれど、ルーニやカズシほどの強烈な想いではないと、気づいてしまった。
「あたしは……自分だけにしかできないことが、ほしかったんです」
何事にも夢中になれない。必死になれない自分がイヤだった。お兄ちゃんみたいに、秀でたものがほしかった。
「ようやくあたし……一生懸命になれることを見つけたって言うか……」
何か『特別』なことが、自分にもほしかった。
「……あたし、自分勝手ですかね?ルーニやカズシと比べちゃうと……」
「比べる必要なんてねぇだろ」
ムサシ先生はミズキの頭をグシャっと撫でる。
「嬢ちゃんがどれだけ本気かっていうのはさ、普段の様子を見てれば分かるから。真剣になるきっかけは、人それぞれだろ」
「ムサシ先生……」
ミズキは缶ジュースを口に運んだ。気のせいだろうか。手首に巻いた古いミサンガが、熱を持っていく。力が、湧いて来る。
「ありがとうございます。背中を預けてもらえるように、あたし、がんばりますっ!」
ムサシ先生は何も言わず、ミズキの頭に置いた手に、力を込めた。
※ ※ ※
いよいよ、ミズキは初めての実戦に出る。
模擬訓練ではない。失敗したら死ぬかもしれない。だけど……。
(少しでも多くの人の笑顔を守りたい。そのために、自分の『特別』な力を使いたい――)
ミズキは『魔影蝕』の中へ飛び込む。
それは、彼女が『特別』なスタートラインに立った瞬間だった。
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