2017年11月25日(土)
ガンホー・オンライン・エンターテイメントがサービス中のiOS/Android用アプリ『ディバインゲート』の新章『ディバインゲート零』。そのキャラクターストーリーを追っていく連載企画をお届けします。
今回お届けするのは、フローネ編・“『想う』力が『守る』力になる”。幼馴染であるルーニの家をアトリエとして使い、“ぬいぐるみ作家”を目指すフローネ。彼女の作ったぬいぐるみには不思議な力が宿っており、1人の少女に勇気を与えます。
テキスト:沢木褄
イラスト:noraico
ぬいぐるみ作家になりたい。
両親を失い、落ち込んでいたルーニが喜んでくれたみたいに、わたしのぬいぐるみでたくさんの人を喜ばせることができたなら……。
『それって、すごくステキなことじゃない?』
誰かに耳元で囁かれた気がして、ハッとフローネは目を覚ました。
手元に、朝日が落ちている。
どうやらぬいぐるみを作っている最中に寝入ってしまったようだ。
フローネの近くには、布の切れ端と目に青いボタンを縫い付けるだけで完成するクマのぬいぐるみがある。
フローネは針に青い糸を通し玉結びをして、丁寧にボタンを縫い付けた。
ぱっちりした二つの目が、フローネを見つめる。
「これならどこのお家に行っても大事にしてもらえるね」
フローネが笑うと、クマのぬいぐるみも微笑んでいるような気がした。
これは、ルーニが異国に旅立ってから、数年後のお話。
「フローネ、戻って来ないから心配したわ。アトリエの電気がついていたから、大丈夫だろうとは思ってたけど……」
フローネが自分の家に戻ると、朝食の準備をしていたママが心配そうに言った。
フローネはアトリエとしてルーニの家を使用している。自宅はすぐ隣なので、ママはアトリエの窓から漏れる光を見ていたのだろう。
「ごめんなさい、ママ」
「まったくもう……」
ママは食卓にスープを並べながら、不意に小さく笑った。
「その様子だと、ステキなぬいぐるみが完成したみたいね」
「わ、分かる?」
「えぇ。叱られてるのに、すごく嬉しそうだから」
「だってあの子、お店に置いてもらえるんでしょ?」
「誰のおかげかしら?」
「ママとパパのおかげよ!」
≪自分の作ったぬいぐるみで、みんなを笑顔にしたい――≫
フローネのその優しい想いを感じ取った両親は、知り合いの雑貨屋さんに掛け合って、フローネのぬいぐるみを商品として置かせてもらえるようにしてくれたのだ。
「期限はないんだから、毎晩寝ないで作らなくても大丈夫なのよ?」
「でもせっかくだから、早く置いてもらいたいし……」
「その気持ちは分かるけど、寝不足だからって学校で寝ないようにね」
「大丈夫!」
とびきり眠たいけれど、それ以上にフローネの胸は弾んでいた。
初めて、自分のぬいぐるみが人前に出る。
一針一針、想いを込めて縫ったあの子は、誰かの友達になるかもしれない。恋人になるかもしれない。それこそかけがえのない存在――になれるかもしれない。
「本当にありがとう、ママ!」
フローネは思わずママに抱き付いた。
「こらっ、危ないわよ」
食事を運んでいたママは、優しくフローネをにらむ。
「えへへっ、ごめんね」
フローネ14歳。ぬいぐるみ作家としての一歩を踏み出せることに、大きな喜びを感じていた。
※ ※ ※
「クッキーなんていらないよっ!!」
ラッピングされた小袋を、ミナセは手で払いのけた。
病室の地面にそれが転がる。
「ミ、ミナセ!チョコチップのクッキー好きだったじゃない……だからママ……」
「食べる気なんてしないもん!」
「ミナセ……」
拾い上げた母親が悲しそうな顔をする。父親はちょっと怒ったみたいに眉を寄せた。でも、二人は何も言わずに、病室を出て行く。
……ママ、傷ついたかな。
パパ、あきれてたかな。
でも、何も言わずに出て行っちゃった。ひどい。
(ミナセはこんなにつらいのに……一生、歩けないのにっ……)
ミナセはシーツに顔を付けて泣く。びくともしない右足が、まるで大きな岩のように重たく感じられた。
「ミナセはいつからあんなにワガママになったんだ……!」
ミナセの父親は苛立っていた。
病院から家に戻る途中、車の運転をしながら助手席の妻を怒鳴る。
「最近特にそうなのよ。もう、手が付けられなくて……」
「お医者様には、ちゃんと説明してもらったんだよな?」
「えぇもちろん。あの子の足はとっくに治ってる。歩けるはずなのよ」
「じゃあ、どうして……」
「分からないわよ。ミナセが歩けないって言うんだもの!」
「お前が甘やかすからじゃないのか!?」
「私のせいだって言うの!?」
父親は荒々しくハンドルを切ろうとしたが、目の前で信号が赤になってしまった。
「……とことんついてないな、今日は……」
「あなた……」
気持ちが沈む。外の空気を吸おうと、母親は窓を開けた。
「…………あ」
「どうかしたか?」
「あのショーウインドウのぬいぐるみ……」
「ぬいぐるみ?」
「あなた、ちょっと車を止めてくれない?」
「え?」
二人は、大通りに面した雑貨店へと入った。
「一体どうしたんだ?」
「このクマのぬいぐるみ……。青い目なんて、珍しいわよね」
「そうだが……」
母親はショーウインドウに飾られているクマのぬいぐるみを抱き上げて興味深く眺めるが、父親は仕事終わりで疲れていた。早く帰って休みたい一心で、苛立つ。
「そんなことより……」
『大丈夫。あきらめないで。前に進もう』
「…………今、何か言ったか?」
「いいえ、でも……声がしたわよね?」
「あ、あぁ……」
どこからともなく聞こえた、女の子の声。
ミナセの両親は不思議な感覚になった。温かく大きな何かに包まれているような気分だ。魔法をかけられたみたいに、疲れきっていた身体が、心が、癒されていく。
『大丈夫。あきらめないで。前に進もう』
「……一番つらいのは、あの子なんだもの。私たちが弱音を吐いてはいけないわね」
「その通りだ。どうしてこんな簡単なことに気付けなかったんだろう……。すまない、お前だって大変なのに……」
「ううん、私も自分のことばかりで……。明日もミナセのお見舞いに行くわ。この子をプレゼントしてみる」
母親には、ぬいぐるみが青い目を細めて微笑んでいるように見えた。
「あれ?なくなってる……?」
雑貨店にぬいぐるみを預けた、次の日。
学校帰りにお店の前を通ると、ショーウインドウに置かせてもらっていたぬいぐるみが、なくなっていた。
(……もしかして!)
ドキドキしながらお店の中に入ると、商品を並べていた店主が目を見開く。
「フローネちゃん!」
「あのっ……」
「ぬいぐるみ、売れたよ!!」
「……や、やっぱり」
奥さんもやって来る。
「ステキなぬいぐるみだったものぉ。持ってきたときも、すぐに家族が決まっちゃうわって言ったでしょ?」
「うちにあるどの商品よりも輝いてたからな!」
店主はどこか自慢げに笑った。
フローネも誇らしげな気持ちになる。
「ありがとうございます……!」
「優しそうなご夫婦が買って行ったぜ」
「不思議だったのよぉ。普通、買ってもらったウチがお礼を言うものでしょ?なのに、反対に『ありがとう』って……」
「この商売してて、商品売ったときに客の方から礼を言われたのは初めてだぜ。いやあ、いい経験させてもらったぜ。ありがとうな、フローネちゃん」
「そんなお礼を言われるようなことは……でも、あの……」
フローネは抑えきれない喜びを感じつつ、一番気になっていることを尋ねた。
「買ってくれたお客さんは、笑顔……でしたか?」
店主夫妻は顔を見合わせて、次の瞬間、口を揃えて言った。
「とびっきりの笑顔だったよ!」
※ ※ ※
『大丈夫。あきらめないで。前に進もう』
その声がミナセに聞こえたのは、夜――ブランケットを頭まで被り、ベッドの中でうずくまっている時だった。
夜は嫌いだ。眠りたくても、不安で眠れないから。
一生歩けない。お外で遊べない。こんな足では、友達だって作れない。
ひとりぼっちだ。
押し寄せる不安の波が、ミナセを襲った時、確かにその声は聞こえた。
『大丈夫。あきらめないで。前に進もう』
(夢じゃない……?)
ミナセがブランケットから顔を出すと、母親にプレゼントされたクマのぬいぐるみが青い目でこちらを見ていた。
もらった時は気に入らなくて、渋々枕元に置いたものだけれど、ミナセはその子が、何か語りかけているように感じた。
小さな手を伸ばしてそれを抱きしめてみると、胸に重くのしかかっていた不安が晴れていく。
ぬいぐるみを抱きしめているのは自分のはずなのに、反対に抱きしめられているかのようだ。
いつの間にかぐっすりと眠っていて、気づくと夜が明けていた。
「……しょうがないわね。一緒にいてあげるけど……でも、悪いことしたらお仕置きよ?」
クマのぬいぐるみは『パティ』と名付けられ、その日からミナセの家族となった。
※ ※ ※
フローネの元に雑貨店の店主から連絡があったのは、二体目の完成も間近な頃。
「わたしに会いたいって……」
クマのぬいぐるみを買った夫妻が、作った本人に直接会いたいと店主へ相談に来たそうだ。
フローネの作ったぬいぐるみを娘にプレゼントしてから、彼女はとてもそれを気に入ったみたいで、少しずつ以前の活発で明るい娘に戻りつつある。その感謝を伝えたいということらしい。
「パティを……あぁ、クマのぬいぐるみの名前なんだが、それを抱いてる時、娘さんが嬉しそうな顔をするんだとよ!」
店主はまるで自分のことのように、誇らしげに言った。
「パティって名前をつけてもらったんだ、あの子……」
断る理由はない。むしろ、そんな風に言ってもらえたことが嬉しくて、自分の方こそお礼を言いたいくらいだ。
次のお休みの日、フローネは早速ミナセに会いに行くことにした。
ミナセの両親に連れられて、フローネは病室に入る。
ベッドから半身を起こして座っている少女は、艶やかな黒い髪の毛を首元で切り揃え、頭の後ろに真っ赤なリボンを付けている。
「こんにちは、ミナセちゃん」
フローネが声を掛けると、ミナセは二重の目を、一瞬大きく見開いた。
「どうかした?」
「その声……この子と同じ……」
「え?」
「べ、別にっ」
「ミナセ、ちゃんとご挨拶しないと。あなただってフローネさんに会えるのを楽しみにしてたんでしょ?だから今日はリボンも……」
「ちち、違うしっ!リボンは別に……!そういう気分だったから……!!」
フローネは微笑みながら、真っ赤になったミナセの隣に座っているクマのぬいぐるみを撫でた。
「パティ、元気にしてた?とっても可愛い家族ができてよかったね」
「えっ!?何で名前知ってるの?」
ミナセは驚いて、フローネを見る。
「わたしはずっとこの子のこと、パティって呼んでたよ」
「そうなの!?そうよね!やっぱりこの子、パティって顔してるよね?」
「うん!わたしたち、気が合うね」
「うん!」
ミナセの両親は顔を見合わせて微笑む。
「ミナセ、言わなきゃいけないことがあるだろう?」
「え、えーと……あの、その……」
「たくさん勇気をもらったんでしょう?その勇気で、ちゃんと伝えましょうよ」
「うんと、その……」
ミナセは口ごもる。恥ずかしがり屋なのだろう。
「あ、ありがとう!パティのこと大好き!」
ミナセは元気よく言った。
フローネの胸はいっぱいになる。
「……わたしこそ、ありがとう」
「ど、どうしてお姉ちゃんもお礼を言うの……?」
不思議そうな顔をするミナセに、フローネは満面の笑みで返した。
「だって、嬉しいんだもん!」
自分の作ったぬいぐるみで、たくさんの人を笑顔にしたい。その夢が叶ったから。
(そして、これからも……)
フローネが作った二体目のぬいぐるみは、パティと同じように雑貨店のショーウインドウに並べられている。
新しい家族はきっと、すぐにやって来るだろう。
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空港のロビーで、フローネは幼馴染――ルーニのことを思い出していた。
大規模な魔影蝕によって、両親を失ったルーニ。その後の彼女の様子を思うと、今でもフローネの胸は締め付けられる。
豊かな表情はなくなり、目は虚ろで、しゃべることすらせず、何をするでもなく自室のベッドに半身を起こしてぼうっとしている姿は、まるで身体だけが残ってしまった幽霊のようだった。
『あの時』のミナセは、その日々のつらい記憶をフローネに思い起こさせた。
≪…………便、搭乗手続きを開始しました。皆様を機内に…………カウンターまで……≫
アナウンスが流れて、フローネは座席から立ち上がる。
(もう二度と、ルーニのような子を見たくない。そのために、わたしにも人を守る力があるのなら……)
フローネはルーニと共に困っている人たちを助けるため、異国に飛び立つことを決意していた。
話は、数か月前にさかのぼる。
フローネの作ったぬいぐるみを買ってくれたことがきっかけとなり、フローネは度々少女ミナセの元を訪れていた。
おしゃべりしたり、髪の毛を結んであげたりしてミナセと時間を過ごす内に、二人はすっかり仲良しになっている。
「ミナセちゃん、歩けるはずなんですね……」
ある時、ミナセの父親と偶然出会ったのは、病院のエントランスだった。
「はい。でも、ミナセは歩けないと思い込んでて……」
仕事終わりで病院にやって来たのであろう父親は、少し疲れた顔をしている。
「以前、ちょっとだけ歩いたことがあるんですけど、その時つまづいて勢いよく転んじゃったことがあって、それが怖いのかもしれないです」
「そうなんですね。……わたしからも、ミナセちゃんに話してみます」
「ありがとうございます、フローネさん」
父親は軽く頭を下げて、病院の中へと入って行く。
(ご両親も大変そう……。なによりこのままじゃ、ミナセちゃんが一番つらいはず……)
「どうにか力になれないかな……」
翌日、フローネは再びミナセのお見舞いに訪れた。
天気がよかったので、車椅子でミナセを病院の中庭へ連れて行く。
「フローネ、あの木、赤い実がたくさん生ってるわ!」
「本当だ。よく見つけたね、ミナセちゃん。食いしん坊なんだから」
「べ、別に食べようと思ったわけじゃないしっ!!」
以前は病室から一歩も出なかったミナセだが、最近はフローネとの中庭散策を楽しむようになっていた。その際、ミナセの膝の上には必ずフローネの作ったクマのぬいぐるみ、パティがいる。
「あのね、ミナセちゃん。今日は天気もいいし、ちょっと歩いてみない?」
「え?」
ミナセは振り向いて、後ろから車椅子を押しているフローネを見上げた。驚いているような、ちょっと怒ったような顔だ。
「……歩けないの、知ってるでしょ」
「やってみなくちゃ分からないじゃない。立ってみるだけでもいいと思うの」
「歩いたことあるし。その時、やっぱり転んじゃったんだから!それでミナセ思ったんだもん。もう二度と……」
睨みつけるようにこちらを見ていたミナセは、パッと顔を前に向けて、俯く。
「歩けないんだって……」
声に涙がにじむ。
「フローネのばかっ!」
「ご、ごめんね、でも……」
彼女を傷つけることは絶対に言いたくないし、したくない。けれど、ここで引いてしまったら、本当に一生ミナセは歩けないと思い込んだままになってしまうかもしれない。
「でも、ミナセちゃん……」
その時、突然辺りが暗くなった。
驚いてフローネが空を見上げると、上空に紫色のノイズがはしっている。
(魔影蝕だ……!)
フローネ自身出会うのは初めてだったが、すぐにその異様な紫の空がルーニの両親を巻き込んだあの恐ろしい『異変』だと分かった。
「フローネ……」
ミナセはまだ魔影蝕がどういうものなのか、しっかりと分かっているわけではないと思うが、それが命に関わる危険なものだということは理解しているのだろう。不安そうにこちらを見上げる。
「大丈夫よ。あんまり大きくないみたいだから。影響範囲は……」
フローネはウォッチ型PCからホロディスプレイを起動させ、魔影蝕が及ぶ範囲のデータを取得する。
大消失で多くの人々を失ったこの国では、魔影蝕に対する一般市民の意識も高い。マグダネル財団研究所を筆頭に、魔影蝕の研究も最先端で、また国としての対抗ネットワークも構築済だった。
魔影蝕が発生すると、専用の観測衛星から中央危機管理センターに連絡が入り、これまでの膨大なデータから、発生した魔影蝕を分析し、影響範囲をはじき出す。
即座に警報が発令され、警察や消防隊が連携して市民の避難と救助にあたれるようになっている。
「……セーフティーゾーンはすぐそこだよ。すぐに向かおう!」
「う、うん……」
フローネは心配そうにパティを抱きしめているミナセを気にしながら、できる限りの速さで走った。
本当はセーフティゾーンまで、少し距離がある。車椅子を押しながらだと、ギリギリ間に合うかどうか。
(速く……速く行かなくちゃ……)
もう少しで、影響範囲外に出るはずだ。
ホロディスプレイから鳴り響く甲高いアラート音が小さくなってきている。
しかし緊張が緩みかけたせいか、車椅子の車輪の一つが縁石に乗り上げてしまった。
「あっ……!!」
フローネは握っていた取手が両手からすり抜けそうになったのを、必死に押しとどめる。
転倒するのは防げたが、衝撃でミナセの膝からパティが弾き飛んでしまった。
「パティ!」
悲痛な声を上げるミナセ。
「あ……!」
フローネはすぐさま引き返そうとしたが、突然アラート音が強くなり踏みとどまる。
今は一秒だって、猶予がない。
「パティ……」
ミナセも、緊迫した状況を分かっているようだ。
名前を呼ぶ声は怒りでも悲しみでもなく、フローネに戻ることを要求しているものでもなかった。
絶望――それだけが感じられた。
それは、フローネにつらい記憶を思い出させた。
両親を失い、生きる気力をなくし、絶望を形にしたかのような、かつてのルーニを……。
「ミナセちゃん。車椅子、自分でも動かせるよね?」
「え……?う、うん……」
「じゃあこれを持って先に行って。音がなくなったら安全な場所だから」
フローネはホロディスプレイを映し出していたバンドをミナセの腕に付けると、来た道を駆け出した。
「フローネ、でも……!」
「大丈夫!パティを連れて戻るから!」
空は、ますます紫の範囲を広げている。
ミナセを安心させるため、さっきは気丈にふるまったが、もしかしたら戻れないかもしれないと、フローネは最悪の事態の想像もしていた。
(それでも、パティはミナセちゃんにとって大切な家族だから……)
パティを拾い上げ、すぐさま戻ろうと振り返った時、こちらに向かってくる少女の姿が目に入った。
「ミナセちゃん!?」
フローネは一瞬、自分の目を疑った。
ミナセが、自分の足で走っている。
小さな身体で全身の力を振り絞り、自分の方へと駆け寄って来るではないか。
「フローネっ……!」
「ミナセちゃん……!」
少女は困難を乗り越えた。その瞬間を目の当たりにして、フローネは目元が熱くなった。
「フローーネーーー!!」
叫んだ。次の瞬間、足がもつれたのか、転んでしまう。
「あ……!」
助けようとフローネは駆け出すが、ミナセは自分で起き上がり、すぐにまた走り出す。
ミナセの額から散った汗が、紫のノイズの中で輝いているようにさえ見える。
倒れ込むように自分の腕に飛び込んで来たミナセを、フローネはしっかりと受け止めた。
「ミナセちゃん……あなた……」
フローネは胸の中で泣きじゃくるミナセの髪の毛を撫でる。
「いなくなっちゃイヤだよ……っ。パティもフローネも……絶対に……!」
「ミナセちゃん……」
フローネはパティと一緒に、ミナセを強く抱きしめた。
(歩けた……ミナセちゃんが、自分の足で……!!)
しかし、今は喜んでいる時間もない。
ホロディスプレイのアラームは止み、非情なアナウンスが流れた。
≪現在、魔影蝕内――≫
周囲には異様な雰囲気が流れ、辺りは見渡す限り紫色になり、聞いたことのない生き物の鳴き声が遠くの方から気味悪く聞こえてくる。
「フローネ……」
「安心して、ミナセちゃん。大切なお友達からもらった、とっておきがあるんだ」
フローネは念のためルーニが送ってくれた簡易エクステを起動した。
(外部に出られる境界線を見つけなきゃ……)
境界線を感知すれば、簡易エクステが反応を示すようになっている。
フローネたちは恐怖を抑え、紫のノイズに覆われた世界を歩く。
「ここ……?」
しばらくして、簡易エクステが反応を示す。フローネは何もない紫の空間を前に、息を飲む。
理力増幅は一回しかできない。ノイズを切り裂いて外部に出られるチャンスは一回限り。
(悩んでる時間はない……!)
迷いを振り切って、理力増幅を行おうとする。
しかしその時、すぐ後ろで獣のような、おぞましい声が響いた。
「あっ……!」
エネミーだ。こちらに襲い掛かってくる。
とっさにフローネはミナセをかばうように抱きしめたが……
(ダメ……!このままじゃ二人とも……)
たくさんの人を笑顔にしたい。
その願いを叶えてくれたミナセ。
ようやく戻った笑顔を、再び失うわけにはいかない。
(助けたい……!)
フローネは目の前のエネミーをふり返って、強い視線で対峙する。
何ができるのか、どうすればいいのかは分からなかった。足も震えているけれど、フローネは立ち向かおうとした。
(絶対に、守らなくちゃ……!!)
その時、ミナセに抱かれているパティが、突然輝き始めた。
「えっ……?」
パティから、一条の光がエネミーに向かって伸びる。流星のような鋭さで、勢いよく敵を貫いた。
「あっ……!」
そのままエネミーは、地面に倒れて動かなくなる。
(えっ…………何が起こったの……?)
あっけにとられたが、すぐに我に返って、フローネは簡易エクステの理力増幅を再開した。
「ミナセちゃん!絶対に離れちゃダメだよ!」
「うん……!」
紫のノイズを切り裂くと、裂け目から外の世界が見えた。フローネはミナセを抱きしめて、勢いよく飛び出す。
土色の地面に足が着くと、すぐにフローネとミナセは走り出した。
途中、放置された車椅子の横を通り過ぎた時、フローネの手をミナセが強く握る。
ハッとしてフローネがミナセを見やると、少女は少し照れたように、けれど花が咲いたようなとびきりの笑顔を浮かべていた。
※ ※ ※
『エクステは元々、使用者の強い想いに反応するものなの。パティがエネミーを倒してくれたのは、フローネの想いに呼応したからだと思う』
無事に魔影蝕の影響から逃れた後、フローネはルーニにその時の状況をメールで送った。しばらくして届いた返信には、そう書かれていた。
『もしかしたらフローネにも素質があるかもしれない』
(わたしに……守る力がある……?)
フローネは針に糸を通しながら、考える。
雑貨店に置かせてもらった二体目のぬいぐるみにも家族ができたので、また新しいものを作っている最中だ。
(たくさんの人を笑顔にしたい……)
フローネは固い決心をする。
人々を笑顔にするために、想いを込めたぬいぐるみを作り続ける。
そして、人々の笑顔を守るために、自分にできることが増えるのなら……。
『それって、すごくステキなことね』
作りかけのぬいぐるみが、そう言って微笑んでいる気がした。
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