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2012年11月12日(月)

日本人にもよくわかる“インディペンデンス・デイ”の始まり──『アサシン クリードIII』の舞台となるアメリカ独立戦争の開幕と戦いの推移

文:イトヤン

■初の大規模な戦いでイギリス軍が得た勝利とその代償 ~バンカーヒルの戦い~

 ボストンの街を植民地の民兵が包囲したと言っても、港や海上の交通はイギリス軍が支配していたため、増援や補給を送り届けることはできました。とはいえ、ボストンの街から外へ出ることはできず、さりとて撤退することもできないため、しばらくの間はイギリス軍と植民地の民兵の間で、にらみ合うだけの状況が続きました。

 この間に、植民地側は第2回の大陸会議を開催し、12の植民地(第2回大陸会議の途中でジョージアも加わり、13植民地となります)で大陸軍を結成して、イギリス軍と本格的に戦うことを決めたのです。大陸軍を指揮する総司令官には、ジョージ・ワシントンが選ばれました。

『アサシン クリードIII』
▲主人公コナーと、ジョージ・ワシントンが握手。実際の歴史とフィクションの巧みなブレンドが、今回の『アサシン クリードIII』の物語における、大きな見どころとなっています。

 一方、ボストンの街に閉じ込められていたイギリス軍は、本国からの増援を得て、大陸軍の包囲を破るための計画を練り始めます。現在は海が埋め立てられて地形が変わっていますが、当時のボストンは半島として海に突き出しており、大陸軍はボストン半島の付け根を占領することで街を包囲していました。イギリス軍は、海を隔てたチャールズタウン半島に上陸してボストン半島の付け根に回り込めば、包囲を破れると考えたのです。

 この動きを察した大陸軍は、1775年6月16日の夜に、先回りしてチャールズタウン半島を占領しました。占領部隊はチャールズタウン半島のバンカーヒルに陣地を構築するよう命令を受けていましたが、実際はより半島の奥にあるブリーズヒルに陣地を築きました。この後に発生する戦いは、実際にはブリーズヒルで行われていますが、この当初の命令の地名を取って“バンカーヒルの戦い”と呼ばれることになります。

『アサシン クリードIII』

 大陸軍の動きを見たイギリス軍は、急いで反撃することを決めました。翌6月17日、ボストンから帆船で運ばれたイギリス兵たちがチャールズタウン半島に上陸して、ブリーズヒルに築かれた大陸軍陣地の攻撃に向かいます。イギリス軍兵士が横に長い隊列を組んで、陣地に向かって突撃していくと、アメリカの民兵たちはマスケット銃の一斉射撃で応戦し、イギリス軍兵士たちはバタバタと倒れていきます。2度の突撃でイギリス軍は甚大な損害を受けましたが、3度目の突撃では銃弾を撃ち尽くしたアメリカ民兵が後退したため、ついに陣地の占領に成功しました。

『アサシン クリードIII』
▲帆船に乗ってボストンから移動してきたイギリス兵は、チャールズタウンの港町を抜けて、大陸軍の民兵たちが待ち受ける丘に突撃してきます。ゲームでもその光景は、そのまま再現されています。

 イギリス軍はバンカーヒルの戦いに勝利し、チャールズタウン半島の占領に成功したものの、この勝利に費やした犠牲は大きなものでした。実に、大陸軍の約2倍にあたる1,000人以上の兵士が死亡または負傷しました。この戦いに参加したイギリスのヘンリー・クリントン将軍は、「このような勝利を繰り返せば、イギリスのアメリカ支配は終わってしまう」と嘆いたほどです。その後の独立戦争の展開を考える時、この言葉は非常に重要な意味を持っています。

 結局、チャールズタウン半島をイギリス軍が占領してもボストンの包囲を破ることはできず、状況は再び膠着状態に陥ります。そして、バンカーヒルの戦いから半年以上経った1776年3月になって、イギリス軍は海路でボストンから撤退していきました。

→1776年7月4日“アメリカ独立宣言”(5ページ目)

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