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2012年11月12日(月)

日本人にもよくわかる“インディペンデンス・デイ”の始まり──『アサシン クリードIII』の舞台となるアメリカ独立戦争の開幕と戦いの推移

文:イトヤン

■首都フィラデルフィア陥落の危機からの形勢逆転 ~サラトガの戦い~

 1777年にまず動いたのは、前年に大陸軍を押し返した、カナダ駐留のイギリス軍でした。ジョン・バーゴイン将軍が率いるイギリス軍は、カナダとニューヨークの中間にあるオールバニを占領し、大陸軍を分断しようと画策します。1777年6月、バーゴインはニューヨーク州へ向けての進軍を開始しました。

 一方、ニューヨークを占領していたハウ将軍は、大陸会議が開かれている“反乱軍”の首都であるフィラデルフィアの占領を計画します。ニューヨークから陸路でフィラデルフィアに向かうには、途中でワシントンが待ち構えているために、船で部隊を輸送して海上からフィラデルフィアを攻撃する作戦を立てます。このように、イギリス軍の2人の将軍が別々の作戦を計画し、連携した行動を取らなかったことが、独立戦争のその後の行方に多大な影響を与えることになります。

 1777年8月下旬、ハウ将軍の率いるイギリス軍は、フィラデルフィアの南にあるチェサピーク湾北岸に上陸します。ワシントンはハウ軍とフィラデルフィアの間に大陸軍を率いて移動しますが、9月1日に行われたブランディワインの戦いで大陸軍は敗北し、後退を余儀なくされます。9月26日にハウ軍は、大陸会議が逃げ出したフィラデルフィアの街を無抵抗のうちに占領します。ところが、この勝利の陰で大変な事態が起きていました。

『アサシン クリードIII』
▲イギリス軍によるフィラデルフィアの占領から、4年後のチェサピーク湾の海戦までの間、このチェサピーク湾は両軍ともに戦略的に大きな意味を持つ場所となります。

 フィラデルフィア占領作戦と同時期の1777年9月、オールバニの北にあるサラトガまで進軍してきたバーゴイン将軍のイギリス軍を、前年にカナダ侵攻から撤退してきた大陸軍の北部方面部隊が迎え撃ちました。バーゴイン軍は進軍を止め、両軍はしばらく睨み合いを続けます。その間に大陸軍のもとには周辺から民兵部隊が続々と集結し、約1カ月後に起きた2度目の戦いではイギリス軍に大損害を与えます。やがてバーゴインは降伏し、6,000人ものイギリス兵士が捕虜となったのです。

 将軍同士の連携ミスによってサラトガの戦いで大敗北を喫したことから、ハウ将軍はフィラデルフィアを占領したにもかかわらず、総司令官の地位から解任されます。しかし、サラトガの戦いの影響はこれだけでは終わりませんでした。イギリスと長らく対立していたフランスは、サラトガの戦いでのアメリカ側の勝利を知ると、国際社会で初めてアメリカの独立を承認し、アメリカと同盟を結んでイギリスに宣戦布告したのです。イギリスと拮抗するヨーロッパの大国が味方についたことで、戦争の流れは大きくアメリカに傾くことになりました。

『アサシン クリードIII』
▲フランス貴族の青年ラファイエットは、フランスが国家として参戦する以前から、義勇兵として単身アメリカにやってきて大陸軍に加わっていました。その後の彼は、祖国のフランス革命にも参加します。

→大陸軍の戦力を見せつけた“モンマスの戦い”(7ページ目)

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