2012年11月12日(月)
フランスがアメリカと同盟したことで、イギリスにとって厄介な問題となったのは、それまでは安全だった海上交通がフランス海軍によって脅かされるようになったことです。イギリス本国からの兵員や物資の輸送が難しくなっただけでなく、アメリカ・フランス連合軍による海路からの攻撃にも備えなくてはならなくなったのです。
ハウ将軍からイギリス軍総司令官の地位を引き継いだヘンリー・クリントン将軍は、先に占領していたニューヨークを海上攻撃から守るため、フィラデルフィアを放棄して軍をニューヨークに帰還させました。一方、ワシントンは冬の間、フィラデルフィア近郊の“ヴァレーフォージ”と呼ばれる過酷な土地で大陸軍を鍛え上げます。
ニューヨークに向かうイギリス軍を追撃した“モンマスの戦い”では、大陸軍のチャールズ・リー将軍による不可解な命令のために引き分けに終わったものの、正規軍であるイギリス軍と互角に戦えるようになったことを証明しました。これ以後、アメリカ北部では大きな戦闘が行われなくなり、戦いはアメリカ南部に移ります。
▲モンマスの戦いではチャールズ・リー将軍が不可解な後退を行ったために大陸軍が混乱し、ニューヨークに撤退するイギリス軍を十分に攻撃することができませんでした。 |
イギリス軍は、北アメリカの中でもイギリスに味方する王党派の人々が比較的多く住んでいる、南部で攻勢をかけることにしました。1779年から1780年にかけて、イギリス軍はジョージアのサバンナや、サウスカロライナのチャールストンを次々と占領します。特にチャールストンでは、5,000人ものアメリカ民兵が捕虜となり、アメリカ南部の大陸軍は崩壊の危機に陥ります。
1780年の夏、大陸会議は新たな部隊とともに、サラトガの戦いを指揮したホレイショ・ゲイツ将軍を南部に送りました。しかし、着任早々の8月16日に、ニューヨークに戻ったクリントン将軍に代わって南部のイギリス軍を指揮するチャールズ・コーンウォリス将軍と戦った“キャムデンの戦い”で大敗北を喫します。
ゲイツ将軍に代わって今度は、ジョージ・ワシントン総司令官の右腕であるナサニエル・グリーンが、南部の大陸軍を指揮することになりました。グリーンはコーンウォリスのイギリス軍に対して小さな戦いを積み重ねることで消耗戦を挑み、じわじわとその戦力を削っていきました。ジョージ・ワシントンが北部で同様の戦い方を繰り広げたように、個々の戦闘で敗れても少しずつ敵の戦力を削っていくゲリラ的な戦法こそが、本国から遠く離れたイギリス軍に対しては最も効果的だということを、グリーンは理解していたのです。
これに対しコーンウォリスは、北部と南部の境目ともいえるバージニア地方に進軍し、大陸軍が南部方面に物資を送っている補給路を断つことで、南部での大陸軍の活動を抑えられるのではと考えるようになります。
→アメリカ独立を決定づけた“チェサピーク湾の海戦”(8ページ目)
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