2015年2月3日(火)
あの名作の発売から、5年、10年、20年……。そんな名作への感謝を込めた電撃オンライン独自のお祝い企画として展開中の“周年連載”。連載第16回は、1985年1月に日本電気(NEC)から発売されたパーソナルコンピュータ“PC-8801mkIISR”のコラムをお届けします。
当時、PC-88ユーザーだった1968年生まれのYK3とイトヤンに加えて、当時のことを知らないそみん(MSX2ユーザー)の3人による座談会形式で、日本のパソコンゲームの一時代を築いた名機について語っていきます。
▲一世を風靡した88シリーズを代表する“PC-8801mkIISR”。今なお続く、多数の名作を生んだ名機です。 |
※レトロゲーム配信サービス“プロジェクトEGG”を運営するD4エンタープライズが所蔵する機体やソフトを撮影させていただきました。
【座談会参加者】
・YK3:電撃オンラインの編集。PCゲーム雑誌のライターやゲームプログラマー、セガ系ゲーム雑誌の編集などを経て今にいたる。1968年生まれ。
・イトヤン:『コンプティーク』や『電撃王』などで仕事をしてきたライター。特にPCゲームや洋ゲーに詳しい。1968年生まれ。
・そみん:PC-88やPC-98は高くて買えなかったMSX2ユーザー。『電撃セガサターン』のころからライターを始め、今は電撃オンラインの編集を務めている。1976年生まれ。
YK3:会話のしょっぱなから言うのもアレだけどさ、PC-8801mkIISRが発売されたのは1985年の1月だから30周年というのはわかる。でも、PC-8801mkIIは1983年発売で、大元のPC-8801は1981年発売だから、ちょっと周年のお祝いのタイミングからずれてない?
そみん:いろいろな人に話を聞いたところ、PC-8801mkIISRがターニングポイントだったと感じている人が多かったんですよ。そこで、当時のPC事情に詳しいYK3さんとイトヤンに話を聞いてみたいと思ったんです。
YK3:確かにPC-8801mkIISRが名機だったのは間違いないけどね。それまでは実用ツールとして使われていたPCがかなりゲーム寄りになったのはPC-8801mkIISRのころからだったし。それにしても、あれから30年か……。
イトヤン:オレの場合はSRの発売から30周年って言われても、そんなに実感がないんですよね。オレが持ってたのは正確には、約1年後に発売された廉価版のPC-8801mkIIFRだったので。
YK3:えっ、そうなの!? 実は僕も持ってたのはFRだったんだよ。当時の価格だと、SRとFRじゃ6~8万円ぐらい違うからね。この差はやっぱり大きいよ。
そみん:まぁ、その後の型番も含めて“PC-8801mkIISR以降”ということで。ところで、SR以前のPC-8801とSR以降って、そんなに違うものなんですか?
イトヤン:その説明をするにはまず、PC-8001の話からしましょうか。1979年に発売されたNECのPC-8001は、黎明期の日本のパソコンの中でも、特に高い人気を集めたんです。
当時オレはまだ中学生になる直前ぐらいの歳でしたけど、四国の徳島に一軒だけあったマイコンショップの店先に、日曜ごとに通い詰めてPC-8001を触ってましたから。
そみん:えっ? 店先に通い詰めていたんですか?
YK3:昔はパソコンショップの店頭で、けっこう長時間、パソコンを自由に触らせてくれたんだよ。
イトヤン:そうなんです。お店でパソコン雑誌を買って、そこに載っているゲームのプログラムリストをまる1日かけてPC-8001に打ち込んで遊んでましたから(笑)。
PC-8001はなんといっても、当時のパソコン雑誌に掲載されていたゲームが、質量ともに充実してたんですよ。そのおかげでPC-8001は人気機種になって、1981年11月にはより廉価な入門機種と、より高級な上位機種が同時発表されます。
YK3:入門機種というのがPC-6001だね。テレビにつないで使うMSXなんかと似た感じのマシンで、実は僕が最初に買ったのはこのPC-6001だったんだ。
イトヤン:そして上位機種というのが、初代のPC-8801です。でも最初に発表された時は、“オフィスでワープロや経理に使えます”的な感じで、このマシンでゲームを遊ぶなんて考えられなかったですね。
ただ、その1年後の1982年には、ライバル機種となる富士通のFM-7やシャープのX1がホビー用途を前面に打ち出してきたこともあって、PC-88でもだんだんとゲームが期待されるようになってきたんです。
YK3:そこで登場したPC-8801mkIISRでは、まずグラフィック機能が改良された。解像度は640×200ドットのままだけど、同時発色数が原色8色からアナログRGBによる512色中8色となった他、より高速化もされた“V2モード”が搭載されたんだよね。
それに加えてFM音源が標準搭載されて、ゲームで美しいBGMや効果音が鳴らせるようになった。さらに、1つ前のモデルの“PC-8801mkII”に続いて、5インチフロッピーディスクドライブが最大2基、本体に内蔵できるようになったんだ。
イトヤン:“model 10”がフロッピーなし、“model 20”がフロッピー1基、“model 30”がフロッピー2基でしたっけ?
YK3:そうそう。まだデータのセーブはカセットテープが主流の時代だったから、フロッピーの読み書きの速さには驚いたよね。後になるとそれでも遅くなるんだけど(笑)。
それはさておき、グラフィック、サウンド、そしてメディアと、ゲームに直接影響する3つの要素がそろって強化されたことで、PC-8801mkIISRは当時のパソコンユーザーやソフトメーカーに“強力なゲームマシン”として認知されるようになったんだ。
イトヤン:SRが発売されてから約1年後、SRとほぼ同等の性能を持つ廉価版のPC-8801mkIIFRが発売されるころには、“パソコンゲームと言えばまずPC-88”っていう感じになってましたからね。
YK3:それもあって僕は、PC-6001からFRに買い換えたんだよね。当時僕は『ゲームセンターあらし』のすがやみつるさんが書いたパソコンの入門書を読んで、「パソコンでゲームができるんだ!」って思ってPC-6001を買ったんだけど、さすがに非力で(笑)。
そのころのパソコン雑誌の広告を見ると、ゲームはどれもPC-88って感じになっていて。でもSRは高いなぁと思ってたら、FRが発売されて飛びついたってわけだ。
イトヤン:オレの場合はいったん、パソコンから興味が離れた時期があるんです。さっき、ショップの店先でパソコン雑誌を見ながらゲームのプログラムリストを入力してたって話をしましたけど、まだBASICのプログラムならどうやって動くのかなんとなく理解できたんです。
でも雑誌に載ってるゲームが高度な内容になっていくにつれて、機械語の16進数がページいっぱいにビッシリ書かれたものをひたすら入力することになっちゃって、それで「もうやってられんわ」と。この時にゲームを自分で作ろうと思い立ってたら、今ごろはゲームクリエイターになってたんでしょうけど、残念ながらそこで挫折しちゃったので(笑)。
それでいったんパソコンから離れていたら、数年後に実家でパソコンを買うことになって。だからPC-8801mkIIFRを実家で遊ぶようになった時は、“ゲームはお金を出して手に入れるもの”って、意識が完全に切り替わっていましたね。
そみん:それでお2人は、PC-88ではどんなゲームを遊んでいたんですか?
YK3:この時期は日本ファルコムの『ザナドゥ』と、T&Eソフトの『ハイドライド』の人気が高かったよね。特に『ザナドゥ』は、パソコン雑誌の売り上げランキングでも、ずーっと1位で。
▲『ザナドゥ』をはじめ、PC-88シリーズは本当にキラーソフトが多かった思い出があります。 |
イトヤン:調べてみたら、PC-8801mkIISRが発売される直前の1984年10月に『ザナドゥ』の前作となる『ドラゴンスレイヤー』のシリーズ1作目が、1984年12月に『ハイドライド』の1作目が発売されてるんですよ。ハードとソフトの登場が、ぴったりリンクしてるんですよね。
YK3:なるほど。それで僕らがFRを買った1985年の後半に発売されたのが『ザナドゥ』と光栄(現・コーエーテクモゲームス)の『三國志』なのか! どちらも日本のPCゲーム史上で記録的なヒットを遂げた作品だよね。
イトヤン:『三國志』は衝撃的でしたね。パソコンならこんな複雑なゲームが遊べるんだって。
『ザナドゥ』もすごくおもしろくて夢中で遊んでましたけど、今の感覚で言うRPGとはちょっと違うような気がしますね。どちらかというと、パズル要素の強いアクションアドベンチャーというか。
YK3:『ザナドゥ』は敵の数が有限で一度倒すと復活しないから、主人公の成長のさせ方によってはハマってクリアできなくなるんだよ。そのリソース管理がまたパズルっぽいところだよね。
1985年の12月には『ウィザードリィ』の1作目が発売されてるのか。こうして見ると、ホントに名作ぞろいだなぁ。
イトヤン:PC-88版『ウィザードリィ』はゲームのおもしろさもさることながら、日本語の翻訳も味わい深くて(笑)。
YK3:“おおっと!”とか“いしのなかにいる!”とかね(笑)。『ウィザードリィ』は本当によく遊んだなぁ。当時はフロッピーにアクセスする音で特定のモンスターが出てくるかどうかがわかったからね。この長さはマーフィーズ・ゴーストかなとか、ドラゴンゾンビかなとか。
イトヤン:アクセスといえば、ロストした瞬間にフロッピーのイジェクトレバーをバチン! って大急ぎで上げて、フロッピーを引き抜いてパーティを救済してましたよ。
YK3:やったやった(笑)。
そみん:かなり強引なウラワザですね(笑)。
イトヤン:オレの場合は『ウィザードリィ』以外にも、『ウルティマ』とか『ファンタジー』とか『マイト アンド マジック』とか、スタークラフトっていうローカライズ専門のメーカーが移植した海外製のRPGをよくプレイしてましたね。
『マイト アンド マジック2』なんて敵が一度に256匹も出てきたりして、1回の戦闘に平気で1時間ぐらいかかるんですよ。冷静に考えるとおかしいな(笑)。
そみん:イトヤンさんの洋ゲー好きは、このころからのものなんですね。
イトヤン:オレはパソコンゲームと並行してボードゲームやテーブルトークRPGも遊んでいたんですけど、安田均さんがそうしたアナログゲームと一緒にAppleII版の『ウィザードリィ』なんかを紹介していた『SFファンタジィゲームの世界』という本を書いてまして。それが当時のバイブルでしたから。
そみん:安田均さんといえば、後にグループSNEの代表として『ロードス島戦記』のリプレイなどで活躍される方ですね。
イトヤン:安田さんはPC-88でも『ラプラスの魔』っていうホラーRPGを手がけられてるんですけど、これもすごくおもしろかったですね。
それはさておき、ちょうどFRで思いっきりゲームを遊んでた1986年にファミコンで『ドラゴンクエスト』の第1作目が発売された時は、「ほほぅ、ファミコンでもこういうゲームが出るようになりましたか」って完全に上から目線でしたね。田舎の高校生のくせに(笑)。
『ウルティマ』や『ウィザードリィ』のおもしろさを日本のファミコンユーザーが誰でも楽しめる形で伝えた『ドラゴンクエスト』のスゴさっていうのは、当時よりも今のほうが理解できています。
●動画:『ラプラスの魔』(プロジェクトEGG)
YK3:堀井雄二さんといえば、アドベンチャーゲームでコマンド選択を発明したのも堀井さんだよね?
イトヤン:1984年にPC-88で発売された『オホーツクに消ゆ』です。前作にあたる『ポートピア連続殺人事件』は、ファミコン版ではコマンド選択式になってますけど、PC版はまだ文字を直接入力する形式だったようですね。
『ポートピア連続殺人事件』や『軽井沢誘拐案内』もそうですけど、オレ自身としてはエニックス(現スクウェア・エニックス)っていうと、PC-88のアドベンチャーゲームの印象が強いんですよ。『ウイングマン』シリーズとか。
YK3:『ウイングマン』! 懐かしいねぇ。
イトヤン:『ウイングマン』シリーズって、当時のPCゲームの中でもとりわけCGのクオリティが高かったですよね。原作は桂正和さんの漫画でアニメにもなった人気作ですけど、PC版のグラフィックは本当にすごくて! 今でも十分通じるレベルですね。
他にも『ジーザス』とか『アンジェラス』とか、エニックスの作品ではビジュアルと演出にこだわったアドベンチャーゲームがいくつもあって。こういった作品が、現在のアニメ絵系のアドベンチャーゲームの基盤になっている気がします。
YK3:なるほどね。ビジュアルにこだわっていたメーカーで僕が思い浮かぶのは、スクウェア(現スクウェア・エニックス)かな。『WILL -THE DEATH TRAP II-』なんて、タイトル画面の女の子がまばたきするアニメーションだけで、当時はすごく話題になってたからね。
イトヤン:アニメーションといえばやっぱり、『CRUISE CHASER BLASSTY(クルーズ チェイサー ブラスティ)』でしょう! サンライズがデザインしたロボットが美麗なアニメーションで動くSF・RPGで驚きましたね。ゲーム的には、宇宙になぜか壁がある3Dダンジョンになっていて難易度が高かった覚えがありますけど。
●動画:『CRUISE CHASER BLASSTY』(プロジェクトEGG)
YK3:僕がアニメーションで思い出すのは『イースII』のオープニングだね。
そみん:ヒロインのリリアが振り向くシーンが有名なアレですね。
YK3:『イース』は1作目も2作目もゲーム自体がすごくおもしろかったんだけど、『イースII』のオープニングは特にインパクトがあったよね。音楽もカッコよくて。
イトヤン:日本ファルコムの音楽は神がかってましたよね。
YK3:後になって“サウンドボード2”という拡張ボードが発売されたんだよ(PC-8801FA/MA、PC-88VA2/3には相当機能が搭載)。これをつなぐとFM音源が3音から6音になったりして、音がかなり分厚くなるの。
それで『ザ・スキーム』ってゲームでは、サウンドボード2に対応した曲を古代祐三さんが作っていて、僕はほとんどそれを聞くためだけにこのボードを買ったんだよね。
●動画:『The Scheme(ザ・スキーム)』(プロジェクトEGG)
イトヤン:へぇ、それはさすがに知らなかったです。音つながり……というのはちょっとアレですけど、オレがビックリしたのはゲームアーツの『シルフィード』ですね。
今になって振り返ると、PC-88で3Dポリゴンを使ってるのもスゴいんですけど、ゲームのところどころで、敵のボスが音声合成でしゃべるんですよ。
YK3:「はっはっは。お前は弱かった!」って(笑)。ゲームアーツは麻雀ゲームの『ぎゅわんぶらあ自己中心派』でもキャラにしゃべらせていて、楽しかったなあ。
ゲームアーツといえば『Thexder(テグザー)』もPC-88を代表する名作アクションだね。う~ん、ゲームアーツのPC-88作品だけで1本の座談会が成立しちゃうかも(笑)。
そみん:PC-8801用ゲームのタイトルラインナップを見てみると、『イースII』やKONAMIの『スナッチャー』が発売された1988年がピークとなる時期でしょうか。
イトヤン:1988年には飯島多紀哉さんがシナリオを書いた『ラストハルマゲドン』も発売されているんですけど、これはフロッピー7枚組という、かなり無理のある感じになってますね。
YK3:このころになると上位機種であるPC-9801への移行がだいぶ進んできていたからね。
イトヤン:実際、翌年の1989年には同じく飯島多紀哉さんがシナリオを書いた『BURAI』の上巻がPC-88で発売されたんですけど、その翌年に登場した下巻はNECのパソコンだとPC-98だけで、PC-88では発売されてませんね。
YK3:1991年12月には日本ファルコムが『ぽっぷるメイル』のPC-88版を発売するんだけど、その時の広告のキャッチコピーが“急告 88ユーザーは全員かうよーにっ!!”。当時はもうPC-98が主流になっていた時期だったから、逆にインパクトがあったなあ。
●動画:『BURAI 上巻』(プロジェクトEGG)
そみん:ファミコンの影響はどうなんでしょう? 1987年にはファミコンで『ドラゴンクエストII』や『ファイナルファンタジー』の1作目、それから『ウィザードリィ』なんかも発売されて、以前はパソコンでしか遊べなかったRPGがファミコンでも遊べるようになっていますが?
YK3:確かにこの時期には、“ゲームといえばファミコン”という空気が少しずつ強くなってはきてたんだけど、でもそれがPC-88をはじめとするパソコンゲームと衝突していたかというと、またちょっと違っていたっていうのが当時の実感だね。
イトヤン:アーケードの移植などのアクションゲームに関してはファミコンのほうが遊びやすい部分がありましたけど、この当時にPCでゲームを遊んでた人はそことは違うゲームを求めていたところがありましたから。
ファミコンでは不可能な高精細なCGのアドベンチャーゲームや、高度な計算が必要なシミュレーションゲーム、スケールの大きなRPGといった作品が、この時期のPCゲームに期待されていたと思うんですよ。
そみん:なるほど。PC-88の末期と言える1989年に発売されたソフトラインナップを見てみると、『エメラルドドラゴン』『ドラゴンスレイヤー英雄伝説』『キャンペーン版大戦略2』といったタイトルが並んでいて、確かに納得できますね。
YK3:こうしたジャンルのゲームが、PC-88の市場が移行したPC-98で人気を集めたことも一因となって、PC-9801はWindows 95が登場するまでの間、国内のパソコン市場で圧倒的なシェアを獲得することになるわけだからね。
そみん:そろそろまとめましょうか。この30年を振り返って、PC-8801mkIISR以降、さらに言えばPC-8801というマシンは、どういった位置づけの存在なのでしょうか?
YK3:さっきも話に出たように、PC-88を経てPC-98でさらに発展した、高精細なCGのアドベンチャーゲーム、高度な計算のシミュレーションゲーム、スケールの大きなRPGって、今でも日本では人気のゲームジャンルだよね。
そういった意味で、アーケードからファミコンへと至る流れとはまた別の形で、PC-8801もまた日本のゲームの流れを作り上げてきたと思うよ。
イトヤン:クリエイターさんを見てもそうですよね。今回名前の挙がった堀井雄二さんや古代祐三さんをはじめとして、当時のPC-88で活躍されていた方々が今でも現役で、日本のゲームを支え続けているわけですから。
そんなスゴイ方々の名前を出した後で恐縮なんですが、オレ自身もこの当時にPC-88で遊んだ経験があるからこそゲーム系のライターという仕事をやっているので。実はライターを始めた当初、オレはまだFRしか持っていなかったので、PC-88のワープロソフトで原稿を書いてたんですよ。だから本当に、PC-88がなければこの仕事はやれてませんでしたよ。
YK3:あっ、僕もライターを始めてすぐのころはPC-88で原稿を書いていたよ。でもFRだとJIS第二水準の漢字ROMが入ってなくてさぁ、当時アーケードにあった『飛翔鮫』ってゲームの“翔”の字が出なくて困ったんだよね(笑)。
イトヤン:まだまだPCの名作は多いので話し足りませんね。ウルフチームの『アークス』とかマイクロキャビンの『Xak(サーク)』とか、RPGについて思い出すだけでもどんどんゲーム会社や代表作が浮かんでくるし。
YK3:クリスタルソフトの『クリムゾン』とかポプコムソフトの『サバッシュ』とかね。
『メルヘンヴェール』も楽しかったし、パズル系の『Castle EXCELLENT(キャッスル エクセレント)』も歯ごたえがあったなあ。いろいろ思い出してきたぞ!
そみん:お2人の思い出話はまだまだ尽きないようですが、今回はこのへんで。また機会があればPCの思い出話で盛り上がりましょう!
▲PC-88を代表する多くの名作は、今でも“プロジェクトEGG”で遊ぶことができます! |
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