大正5年(1916年)に図案屋として創業し、2026年に110周年を迎えた工画堂スタジオ。四代目の代表取締役・谷逸平氏が、会社の歴史と受け継がれてきた考え方を語るインタビューコラムをお届けします。

第5回となる今回は、工画堂スタジオに受け継がれてきた「仕事が仕事を呼ぶ」という考え方を掘り下げます。昭和天皇の海洋生物研究著書の装丁から、リカちゃん人形のパッケージ、人生ゲームのローカライズへ―― 一見するとまったく異なる仕事は、どのような縁でつながっていったのでしょうか。
谷逸平:株式会社工画堂スタジオ四代目代表取締役社長。大正5年(1916年)に図案屋として創業した同社を牽引する。祖父である初代から受け継ぐグラフィックデザインを根幹に据えつつ、ゲームやイラスト制作など時代に合わせた事業を展開。110年続く企業の秘訣を「先人たちの真面目さ」と「人々の人間力」と語る。
――時代ごとに求められる仕事が変化するなかで、工画堂スタジオに受け継がれてきた変わらない考え方はありますか。
谷
工画堂スタジオの歴史は、大正5年に始まった図案屋、デザイン屋の歴史です。現在でも根幹にはデザイン制作事業があり、その考え方と歴史の積み重ねが、工画堂そのものなんですよね。
先代からずっと言われている言葉に、「仕事が仕事を呼ぶ」というものがあります。これが工画堂のDNAになっているんじゃないかなと思います。
二代目は僕の親父で、デザイナーとしてものすごく熱意を持っていた人でした。すべての仕事に情熱を持って打ち込み、精度の高い成果物を作っていました。それが信用の積み重ねになりますし、人とのご縁もものすごく大事にしていました。
先代からずっと言われている言葉に、「仕事が仕事を呼ぶ」というものがあります。これが工画堂のDNAになっているんじゃないかなと思います。
二代目は僕の親父で、デザイナーとしてものすごく熱意を持っていた人でした。すべての仕事に情熱を持って打ち込み、精度の高い成果物を作っていました。それが信用の積み重ねになりますし、人とのご縁もものすごく大事にしていました。
昭和天皇の研究著書を、大判カメラで“一発撮り”
――「仕事が仕事を呼ぶ」なかで、特に印象的だった仕事を教えてください。
谷
どんな仕事が舞い込んできたかというと、昭和天皇のご研究著書です。昭和天皇は海洋生物のご研究者でもいらっしゃって、『相模湾産蟹類』をはじめとするご研究著書が出版されています。その計9冊の装丁・デザインを、うちの親父が手がけました。
『相模湾産貝類』は社内で撮影もしています。宮内庁から届いた貝を社内のスタジオに並べ、当時の専務だったカメラマンが撮影しました。『相模湾産海胆類』では、写真ページのレイアウトにも僕は携わらせていただきました。
貝の撮影に使ったのは、エイト・バイ・テンという非常に大きなフォーマットのカメラです。フィルム一枚が8インチ×10インチで、カメラも数百万円するようなものだったと思います。当時は撮り直してすぐ確認できる時代ではありませんから、丁寧に並べて一発で撮る。もう、どれだけの熱意か、わかるじゃないですか。
そういう仕事をやりきるから、また次の仕事が来る。そして、次の仕事にも一生懸命取り組むから、さらに次へつながっていく。そういう循環を重ねてきたんです。
『相模湾産貝類』は社内で撮影もしています。宮内庁から届いた貝を社内のスタジオに並べ、当時の専務だったカメラマンが撮影しました。『相模湾産海胆類』では、写真ページのレイアウトにも僕は携わらせていただきました。
貝の撮影に使ったのは、エイト・バイ・テンという非常に大きなフォーマットのカメラです。フィルム一枚が8インチ×10インチで、カメラも数百万円するようなものだったと思います。当時は撮り直してすぐ確認できる時代ではありませんから、丁寧に並べて一発で撮る。もう、どれだけの熱意か、わかるじゃないですか。
そういう仕事をやりきるから、また次の仕事が来る。そして、次の仕事にも一生懸命取り組むから、さらに次へつながっていく。そういう循環を重ねてきたんです。
リカちゃんから人生ゲームへ――異なる仕事をつないだ“ご縁”
――その一方で、リカちゃん人形のパッケージデザインも手がけていたそうですね。
谷
それまで工画堂は、専門書の装丁や企業のカタログなど、比較的堅いデザインの仕事を多く手がけていました。そこにご縁があって、リカちゃん人形のパッケージデザインが舞い込んできたんです。
当時、社員として活躍していた僕のいとこは、「女児向け玩具のご縁をいただいたのだから、次は男児向け玩具へ展開しよう」と考えて、タカラさん(当時)へ営業に行きました。すると、「ちょうどアメリカンゲームシリーズを立ち上げようとしている」と言われ、人生ゲーム第1号のローカライズをお手伝いすることになったんです。
人生ゲームがヒットしたことで、タカラさんはオリジナルのボードゲームも数多く展開していきました。工画堂も、その企画・開発・デザインに幅広く携わらせていただきました。
リカちゃん、ボードゲームという二本の柱で成長した会社と一緒に、工画堂も経験を重ねながら成長させていただいた。それが会社の歴史でもあります。当時のキャッチフレーズが「天皇陛下からリカちゃんまで」だったのは、そうした仕事の幅を表していたんですよ(笑)。
工画堂スタジオ110周年連載

一度は断った『デュエル・マスターズ』。Xboxへの営業からつながった、会社の転換点【工画堂スタジオ110周年】

人工無能エミー、布製マップとフィギュアの『覇邪の封印』。ボードゲームからPCゲームへ【工画堂スタジオ110周年】

「幸運と強運は違う」考える力、愛嬌、強運、熱意、誠実、オタク…工画堂が求める6つの人物像【工画堂スタジオ110周年】

版下からPCへ。1980年代当時に100万円のMacを購入した、小さなデザイン会社の冒険とは?【工画堂スタジオ110周年】

「工画堂はCGがいい」はこうして浸透した。16色時代、“デザイン屋”を武器にした広報戦略【工画堂スタジオ110周年】
