大正5年(1916年)に図案屋として創業し、2026年に110周年を迎えた工画堂スタジオ。四代目の代表取締役・谷逸平氏が、会社の歴史と受け継がれてきた考え方を語るインタビューコラムをお届けします。

第2回となる今回は、グラフィックデザイナーとして入社した谷氏が、ゲーム部門の広報・宣伝・営業を担うようになった経緯を振り返ります。
デザインの会社であるという外部からの評価を強みに変え、「工画堂はCGがいい」という印象を浸透させた、16色時代の広報戦略とは? 後半では、ゲームソフトウェア開発に特化せず、BtoBとBtoCの両輪で歩んできた工画堂スタジオの特徴にも迫ります。
谷逸平:株式会社工画堂スタジオ四代目代表取締役社長。大正5年(1916年)に図案屋として創業した同社を牽引する。祖父である初代から受け継ぐグラフィックデザインを根幹に据えつつ、ゲームやイラスト制作など時代に合わせた事業を展開。110年続く企業の秘訣を「先人たちの真面目さ」と「人々の人間力」と語る。
グラフィックデザイナーとして入社後、ゲーム部門の広報・宣伝・営業へ
――谷さんご自身は、どのような経緯で工画堂スタジオのゲーム部門に関わるようになったのでしょうか。
谷
僕が入社したのは、『覇邪の封印』が中ヒットしていた頃です。最初は理工学書の装丁などを行うエディトリアル領域のグラフィックデザイナーとして入社したんです。
ところが、すぐに「ソフトウェア開発部のほうを手伝いなさい」ということになり、ゲーム部門へ移りました。僕はプログラムやCGを開発できる人間ではなかったので、広報・宣伝・営業を主軸にすることになったんです。
ところが、すぐに「ソフトウェア開発部のほうを手伝いなさい」ということになり、ゲーム部門へ移りました。僕はプログラムやCGを開発できる人間ではなかったので、広報・宣伝・営業を主軸にすることになったんです。
「御社はデザインの会社ですからね」――16色CGを強みに変えた広報戦略
――当時のゲーム制作では、どのような点を工画堂スタジオの強みとして打ち出していたのでしょうか。
谷
当時のゲームは、16色など限られた色数で描かれたCGが中心でした。そうしたドットで描かれた絵のなかで、いかにリアルで、いい絵を描けているか。そこは、ほかの会社よりも一歩抜きん出ていたと僕は思っています。
僕は営業ですから、「うちはすごいんです」と言っていました(笑)。実際、ほかと比較しても決して見劣りしない絵が描けていたと思うんですね。
僕は営業ですから、「うちはすごいんです」と言っていました(笑)。実際、ほかと比較しても決して見劣りしない絵が描けていたと思うんですね。

それを各出版社さんに伝えると、「やっぱり御社はデザインの会社ですからね」と言われるんです。そう受け止めてもらえるのであれば、「うちはデザイン屋なので、ここが強いんです」と打ち出したほうが分かりやすい。そういう広報戦略でした。
その結果、「工画堂はCGがいいよね」という印象が皆さんに浸透していったのではないかと思います。
ゲームソフトに特化しない、BtoBとBtoCの両輪
――ゲーム黎明期から作品を作るなかで、工画堂スタジオはどのような会社として歩んできたのでしょうか。
谷
当時はゲームソフトそのものが少なく、好きなものを作ればそれなりに売れるという、いわゆる黎明期でした。作れば売れて、そこで得たものをまた次の好きなものへ回していく。そういう体質の会社だったのではないかと思います。
ただ、うちの特徴は、ゲームソフトウェア開発に特化していないことなんです。根っこにはずっとグラフィックデザインがあり、その一方でゲームソフトも作っている。いわゆるBtoBとBtoCの両輪で走ってきた会社なんですよ。
BtoBの仕事では、角川さんと一緒に手がけた『天と地と』や『サイレントメビウス』『魍魎戦記MADARA』、ハドソンさんの『アースライト1・2』などにも携わりました。
最近は「この作品ではCGの一部分だけを担当しました」「プログラムだけを担当しました」という分業も多いと思いますが、当時は作品の規模も今ほど大きくありませんでしたので、マスターまで工画堂スタジオがワンストップで手がけた仕事もあったことは、とても良い経験となりました。
ただ、うちの特徴は、ゲームソフトウェア開発に特化していないことなんです。根っこにはずっとグラフィックデザインがあり、その一方でゲームソフトも作っている。いわゆるBtoBとBtoCの両輪で走ってきた会社なんですよ。
BtoBの仕事では、角川さんと一緒に手がけた『天と地と』や『サイレントメビウス』『魍魎戦記MADARA』、ハドソンさんの『アースライト1・2』などにも携わりました。
最近は「この作品ではCGの一部分だけを担当しました」「プログラムだけを担当しました」という分業も多いと思いますが、当時は作品の規模も今ほど大きくありませんでしたので、マスターまで工画堂スタジオがワンストップで手がけた仕事もあったことは、とても良い経験となりました。