電撃オンライン

ファミコン普及の壁と海賊版の蔓延…謎に包まれたインド家庭用ゲームの歴史【バフィー吉川のインドゲーム通信#2】

文:バフィー吉川

公開日時:

最終更新:

 前回の記事では、モバイルゲームやe-Sportsを中心に急成長を遂げるインドゲーム市場の現状をお伝えした。

 第2回となる今回は、謎に包まれた“インドにおける家庭用ゲームの歴史”をたどっていく。

普及を阻んだ”高すぎる価格”の壁


 インドにおけるゲームの歴史をたどっていくと、初めて完全オリジナルとして開発されたのは、前回触れた『Hanuman: Boy Warrior』だが、それ以前にも何度かインドゲーム市場の動きがあり、ファミコンもスーパーファミコン、ゲームボーイなども流通していたし、テレビCMなども放送されていたが一般的に普及しなかった。

 その要因はいくつかある。例えば電力不足や不安定な地方では安定してプレイすることは困難だろうし、そもそも取り扱い店舗が極端に少ないといった、流通の問題もあった。

 しかし一番の原因は価格が高すぎたことだ。

 海外雑誌やケーブルTVなどを通して、セガや任天堂の存在は認知されていたものの、個人が購入することは、輸入規制や関税の問題があって現実的ではなく、海外に出張するような仕事をしていて、比較的にお金に余裕のある中間層でも少し上の所得がある親や親戚がいたり、富裕層でもない限りは、入手することは夢物語だったといえる。

 例えば日本で1950年代に販売されていたテレビの価格は20万円前後で、これは当時の物価としては一般的な年収に匹敵するほどの価格だったこともあり、テレビを持っている人の家に、みんなで野球を観に行っていた時代を想像してもらいたい。

 インドで80年代にファミコン(NES)やメガドライブ(GENESIS)を持っている友達や知り合いがいたとしたら、この頃の日本と同じように家に集まってプレイできたとしたら、かなり恵まれた環境だったといえるだろう。

熱意が生んだインド版ファミコン“SAMURAI”


 ところが1987年にインドのゲーム市場が少し動いた。サムライ・エレクトロニクスのマヘーシュ(Mahesh Toshniwal)氏は、学生時代の友人を訪ねようと大阪に訪れた際に、人気絶頂期のファミコンに衝撃を受け、衝動買いでインドに持ち帰った。

 そして実際にプレイしてみると、家族みんなで盛り上がれる最高の商品であると痛感。「ファミコンはインド人でも夢中になる、インドでも販売したい」と思いたったことで、一年に渡る交渉の末、未知の市場として見られていたインド販売に全く乗り気ではなかった任天堂を口説き落とし、正式にライセンスを取得して、その名も“SAMURAI”を販売することになったのだ。

 しかし大きな問題が……。インドでは、輸入商品に対して、複数の関税がかかるため、本体自体をインド国内で組み立てるなどの工夫を凝らしてギリギリまでコスト削減したとしても当時の価格で320ドル(米ドル)、1987年の平均ドルレート144円で計算すると、約46,000円で販売することが限界だった。

 ちなみに日本での1987年当時のファミコン価格は14,800円。その約3倍の価格というだけではなく、これはインドにおいては、一般家庭の平均年収と同等の価格で、ソフトも一本70~110ドル前後販売されていたのだから、個人輸入で購入するよりは若干安くなったとはいえ、まだまだ一般的に普及するのは困難だ。

 そうは言っても、熱心なゲームファンは当時から存在しており、発売当初は、月間販売台数で最大3000台を記録している。『スーパーマリオブラザーズ』や『ゼルダの伝説』、『メトロイド』、『ドンキーコング』、ジャッキー・チェン主演映画をゲーム化した『スパルタンX』といった、世界的に知名度の高いタイトルも発売され、超高額というハードルがあったにしては、出だし好調だったといえるだろう。

海賊版『ターミネーター』の蔓延と正規市場の苦戦


 ところがそれは長く続かなかった。1991年の経済危機で外資系企業の進出や輸入規制が緩和化されると、中国から海賊版が入ってくるようになったのだ。これは映画業界などでも起きていたことで、映画のVHSやカセットテープの海賊版も一般に出回っていた。

 その頃はSAMURAIも約250ドルまで価格を下げるが、例えばファミコン、スーパーファミコン、メガドライブのクローンおよびエミュレーター機の『ターミネーター』シリーズは有名で、10~20ドル前後で販売されていた。

 それだけではなく、ほかにも複数の類似機が出回っていたとされている。年収と同じ価格のものが月収と同じ価格で購入できるのだから、少し無理をすれば一般層でも買えなくはない価格だった。

 『ターミネーター』シリーズは、インドのほかにもネパール、ポーランド、セルビア、ケニア、ルーマニアなどの多くの国で流通しており、皮肉なことに、これらの国ではスーパーマリオやソニック・ザ・ヘッジホッグといった人気キャラクターは海賊版で知った(そもそも海賊版であると認知していない)人が圧倒的に多いといえ、キャラクターの知名度向上としては、大きな影響をもたらした代わりに、正規ゲーム市場の成長を妨げることになったといえるだろう。

 「どうして今のタイミング?!」と思うような、海賊版で市場が荒らされていた市場真っただ中の1994年にショー・ウォレス・エレクトロニクスがセガと提携し、メガドライブ2をインドでも販売開始したものの、『SAMURAI』や海賊版よりも出だしがかなり遅れたことで、思うほどの利益を上げられず苦戦したものの、セガ自体のインド進出意欲が前向きだったこともあり、なぜかセガサターンはスルーして、ドリームキャストも進出させていたが、輸入代理会社が定まっておらず、3社から販売されていた。

 一方、サムライ・エレクトロニクスも1994年に日本製品の輸入制限が撤廃されたことで任天堂との業務提携が終了。

 1994年以降は、メディアビデオがスーパーファミコンとゲームボーイを輸入し、2000年代は、アクティブ貿易がゲームキューブとゲームボーイアドバンスを輸入しサムライ・エレクトロニクスも業務提携終了後も2007年頃までWiiを少し輸入していたとされているが、これらの時期に流通していたゲーム機は、正式に提携して販売ルートを確保していたというよりも、個人輸入販売のようなかたちで出回っていたと考えた方がいいだろう。

 とくに2010年代に入ると、インターネットが普及したことで、正規の輸入(正規と言っていても怪しい企業)ルートは明確には存在せず、任天堂製品を購入する場合は、eBayやAmazonを通して購入することができるようになったものの、高額な関税が加算されるため、Wii U以降のゲーム機はほとんど流通しなかったが、全く売っていないわけではなく、コレクター向けのゲームショップでは扱っていたし、メーカーに許可など一切とらずにゲーム機やソフトをレンタルできる店が数店舗だけ存在していたが、どこの地域にもあるわけではないため、こちらも限られた環境だったといえるだろう。

PS2時代の到来とボリウッド映画タイアップ


 少し時代を戻してPlayStationの話をしよう。

 プレステは1999年に少量流通し、2002年に一般販売されたが、任天堂やセガ同様に一般家庭には高すぎる出費。かつて日本にも筐体ファミコンがあったように、インドでもコインを入れて遊べる筐体プレステが設置されていたことで人気を博したが、爆発的というほどではなかった。

 PlayStation2になると、2009年の『Hanuman: Boy Warrior』の記憶も蘇ってくるが、同年にゲームシャストラが、クリケットや凧揚げといった、インドの伝統的人気スポーツを集めたミニゲーム集『Desi Adda: Games of India』をリリースされただけではなく、DQエンターテインメントやトラインゲームズゲーム開発に意欲的な企業が存在感を増していった。

 PS2が発売されたのは2000年ということもあって、コンシューマー開発としては10年近く出遅れてしまっただけではなく、すでに世界では3年前にPlayStation3が発売されていた。

 ハード自体は、すでにヨーロッパなどから輸入されてきてはいたが、インド国産ゲーム開発に活発になったのは、何周も出遅れた後だったといえるだろう。

 ただ、PS2からは、DVD再生機能が付いたことから、家電製品として売り出せる利点を活かし、大掛かりなプロモーションやタイアップ企画が行われるようになった。

 例えばゲームシャストラは、“キング・オブ・ボリウッド”こと、国民的大スターのシャー・ルク・カーン(Shah Rukh Khan)主演映画『闇の帝王DON ベルリン強奪作戦』(2011)をベースとした『Don 2: The Game』をリリースした。

 一方、トラインゲームズでは、同じくシャー・ルクの主演映画『ラ・ワン』の前日譚『Ra One : The Game』を映画と同じ2011年にPS2とPS3版、そして強気な本体同梱版でリリースしただけではなく、モバイル、PC向けにも展開させた。

 映画の内容自体がゲーム世界とリンクする構造となっていたこともあって、シャー・ルク本人を広告塔にしたメディアミックスとしてプロモーションが行われるなど、そこそこ話題になったし、幅広い層に認知されるきっかけとはなったが、トラインゲームズは『Ra One : The Game』を最後にコンシューマーからは撤退し、現在はPCやモバイルゲームの開発を中心とした会社に方向転換を行ってしまった。

 2000年代後半には、「これからインドでオリジナルゲームを開発するぞっ!!」と意気込んでいたゲーム企業は、2010年代後半に差し掛かろうとした頃には、コンシューマーの独自開発からは一旦距離を置き、海外ゲームの販売代理店となったり、トラインゲームズのように、PCやモバイルゲームの開発にシフトした。

 あるいは『グランド・セフト・オート』シリーズで知られるロックスター・ゲームスによって買収されたドゥルヴァ・インタラクティブのように、海外企業の傘下としてゲーム開発サポート企業となったところもある。

 浮き沈みといえるほどの大きな波はなかったにしても、インドでゲーム市場を開拓しようとする動きは、あまり伝わっていないだけで、何度かあったことがわかる。しかし、ここ近年でも一般家庭や低所得者、学生が手を出せるのは、海賊版だ。

 例えばインドの路面電気街やスラム街にあるような小汚いゲームショップに行くと、HDMIをテレビに接続するだけでプレイできるエミュレーター機が10~20ドルで手に入るのだから、ゲームコレクターやオリジナル版にこだわりがない人にとっては、海賊版でこと足りてしまうし、数世代前のゲームであっても我慢できるし、最新ゲームはPCやゲームカフェなどでプレイするという、ある意味、強固といえる、悪循環市場が確立されてしまっていた。

 そんななかでも、ゲームコレクターの層が厚くなっているのは確かで、オリジナル版をプレイしたかったり、コレクションしたいという人が年々増加傾向にある。このネット社会の現代で、紛争地域でもない限り、XboxやPlayStationの最新機種が流通している環境は珍しくはなく、インドにおいてもそれは例外ではないものの、やはりまだまだ一般層には高嶺の花というイメージは変わっていない。

 このように独自の進化と苦難の歴史を歩んできたインドゲーム市場だが、近年、新たな転換期を迎えている。最終回となる次回は、コロナ禍を経て爆発的に進化するインディーズ市場や、注目の最新大型プロジェクト、そして日本企業の参入について触れていきたい。

本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります

この記事を共有

公式SNS