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関羽vs周倉。2人の大男がミニゲームで雌雄を決する!?【三国志 英傑群像出張版#32-2】

文:電撃オンライン

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。

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 英傑群像出張版では、わたしが中国各地で集めた三国志武将の民間伝承の古書から、厳選して文章をまとめて紹介しています。(今回は史書からも引用)

 前回の流れから、【周倉】の民間伝承をご紹介していきます。

①関羽と周倉の出会いその1 三番勝負!

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 関羽が臥牛山を通りかかった時の事である。突然黒い顔の大男が飛び出し大声で叫んだ。

 「通行税を置いて行け!」

 大男は馬上の関羽に打ちかかる。関羽は刀をとって迎え打った。三十回も戦ったが、勝負がつかない。さらに戦うこと十数回、関羽が刀で大男を馬から払い落とした。だがこの男、ヒラリと馬に跳び乗って、また戦い始めた。

 関羽はこの男が気に入り、味方にしたいと考えて声をかけた。

 「豪傑殿、戦うのはやめて、力比べをいたそう」

 大男は大声をあげて笑う。

 「この周倉様が大力の持ち主であるのを知らないな。やってやろう!」

 「藁投げで勝負をいたそう」と<藁投げ対決>を持ちかけた。

 周倉に藁を一本渡すと彼は力を込めて投げたが、ほんの数歩ほどしか飛ばない。関羽がたいして力をいれず薬束を掴んで投げると、何丈も遠くまで飛んだ。

 周倉はそれでも心服しない。

 そこで、関羽は次に<蟻つぶし対決>を提案する。

 周倉は地面をはっているアリに向い、続けざまにゲンコツをふるったが、アリはさっきと同じように動いている。

 関羽はアリを人差し指を使って丁寧に押しつぶした。

 まだ心服しない周倉に、さらに関羽は<卵わり対決>を申し入れた。

 周倉は卵を握ってありったけの力を振り絞ったが殻は割れない。関羽は卵を受け取って、二本の指ではさむとすぐさま割れてしまった。

 周倉は関羽がこのような神力の持ち主と思ってそこに拝跪した。そして「一生の間あなたの馬を引き、刀をささげお側の用を足しとうごさいます。」と仕えることになった。


②関羽・周倉の出会いその2 遠投勝負!


 諸葛亮は西域の反乱を鎮圧するため、関羽を精鋭軍を呼び寄せて派遣した。蜀軍は、岷江に沿って止まることなく西に向かった。

 行く先々で多くの戦いに勝利し、多くの都市を取り戻した。反乱軍は途中で逃げ去り蜀軍はこの勝利に乗じて、反乱軍を雁門峠まで追撃した。

 関羽が雁門峠に到着したことを知った反乱軍の首領は不安になり、重兵を派遣して峠を守らせ他方では兵士に穀物を集めさせた為、不平や不満が生じた。

 ある日、反乱軍の首領が、西門の塀のところまで来ると叫んでいるものを見かけた。

 そこには黒い顔の大男がいて、屠殺したばかりの約300キロ以上のヤク(ウシ科の動物)を両手でつかみ、高さ3尺以上もある城壁に両腕で投げ上げていた。

 衛兵や城壁にいた人々は恐怖で目を大きく見開き褒め称えた。反乱軍の首領が問いただすと、黒人の名は周倉。

 幼い頃に両親を亡くし、渡し船で生計を立てている貧しい男であることがわかった。すぐに反乱軍の首領は軍に引き入れた。

 その頃、蜀の軍隊が近づいてきていたので、反乱軍の首領は周倉に蜀軍を阻止するため、そう遠くないところへ巨石を運んで雁門関を塞ぐように命じた。もし命令に従わなければ、彼は殺され、皮を剥がされる。

 真夜中、周倉は大きな石を背負い何も見えない細い道を這い大変な苦労をして兆面峠にたどり着いた。

 彼はそこに石を置き、移動する前に休息を取るつもりだった。しかし疲れて眠ってしまった。そうして寝ている間に、耳元で鶏の鳴き声が聞こえた。

 目を覚ますとすでに軍隊は過ぎ、機会を逃した事に気づき、戻る勇気がなかったので石を置き渡し場まで戻った。

 夜中に石を運んでいる状況を蜀軍の間者に見られ、その日の夜に関羽に報告がいった。

 関羽は驚き、「西帆の地にこのような巨人がいるのなら、彼は英雄に違いない!」と言い彼を生け捕り味方に引き入れることにした。

 関羽は民に変装して川に行き周倉に「小石と羊毛、どっちが重いだろうか? 羊毛の方が軽いだろう。お前は軽いほうを、俺は重いほうを取る。」と話しかけた。

 関羽は、彼がとても世間知らずであるのを見て言った。「どちらが川の向こうに投げられるかやってみないか?」<遠投対決>

 周倉は腹を抱えて大笑いした。しかしどう羊毛を拾って投げても軽すぎて川向こうに投げることはできなかった。

 関羽は小石を拾い上げ、何の苦労もなく川の向こう側へ投げ飛ばす事ができた。周倉は世の中には自分より大きな男がいることに驚き、一生関羽に仕えるつもりでひざまずいた。

 関羽は大喜びで周倉を部下とした。その後、周倉は蜀軍に大きな功績を残した。

 いまも周倉が靴を脱いで地面に倒れた場所は“周倉脱靴”と名付けられた。周倉が石を担いだという“塞雁塞”もある。


③関羽と周倉の出会いその3


 関羽は赤い顔の大男で、周倉は黒い顔の大男だった。二人の身長も、武術の腕前も互角だった。

 互角でありながら、なぜ周倉は関羽の従者になったのか?

 ある日、二人は山の前の細い道で出会い、二人とも先に行こうとしたが、どちらも譲らず、互いに言葉を交わし喧嘩になった。関羽は大刀、周倉は銀槍。数百合戦うが勝ち負けはきまらず関羽は力を振り絞った。

 関羽は最高の動きを見せ、周倉の首に激しく大刀を当てた。しかし周倉は頭を切り落とされなかったばかりか、大刀を跳ね返したのだ。

 関羽は衝撃を受けた。剣も槍も効かず勝つ望みはないと。一方の周倉も、これほど長い間戦っても赤ら顔の男を倒すことができず驚いていた。

 そして夕暮れになると周倉は「赤ら顔の男、聞いてくれ、私は私の母に会うために急いで戻らなければならない。明日午後にここに来て再戦しよう。」と言って、山のふもとに向かって去っていった。

 関羽は周倉が離れるのを見て、「黒いやつは武術がとても上手く、とても親孝行だ。もし彼を私の側において従者として迎えることができれば、それは素晴らしいことだ。」と思った。

 さらに「どうやったら彼を従わせることができるのか?」と関羽は丘に座って考えていた。

 翌朝、関羽は農民の格好をしていた周倉のことを調べるために道を歩いた。しかし、周倉の能力を知っているのは80歳の母親だけだと皆が言った。

 彼は怖いものなしだが、母親の気性を恐れていることしか人々は知らない。また、祖父は彼に武術を教えたのだという。

 関羽はそれを聞き、周倉の家に来ると、扉の前に座っている白髪の老婆を見た。

 関羽は周倉の場所を尋ねた。老婆は関羽を見て言った。「周倉は朝早く薪を切りに山へ行きました。あなたは昨日、私の息子と戦った人ではないですか? それなら、本当のことを言いますから、負けを認めてください! 私の息子は“金剛盾”と“鉄布服”を持っているので最強です。」と。

 関羽は「あなたの息子は無敵で、誰も倒せないというのですか?」と尋ねた。

 老婆は「彼を倒し方を知るものはすでに天に昇っている。彼の祖父です。<梅花点心槍>を知っていますか? 彼の祖父以外それについて誰も知らない!」と答えた。

 これを聞いた関羽は愕然とした。世の中にはこんな偶然があるんだ! と。

 5年前の事だ。宿屋で、主人が部屋代を払えない病気の老人を追い出した。関羽は怒って宿の主人を殴った。関羽は老人のために宿代を払い老人を背負って別の宿に行った。

 老人は元気になって家に帰ると、関羽に二つの技を教えてくれた。ひとつは<刀を引きずって人を切り刻む技>、もうひとつは<梅花点心槍の使い方>だった。

 関羽はそれ以上何も言わず老婆に別れを告げその場を去った。

 午後、周倉がやって来た。周倉は関羽が今日槍を持ち替えたのを見た。周倉は少し驚いたが、怖わがっていない。

 なぜなら、今の世の中、誰も“梅花点心槍”を使うことができないことを知っていたからだ。

 2人はお互いに槍と槍をぶつけ合ったが10合未満で、戦いは終わった。

関羽から“梅花点心槍”の攻撃が繰り出され、周倉の心臓に直接突き刺さったのだ。周倉は負けを認めた。

 関羽はその時初めて槍をしまい、周倉を手で助け起こし、自分の人生哲学を説明した。周倉はそれを聞き、気に入って関羽に付き従った。

④関羽と周倉 主従大逆転! その1


 ある時、関羽が親戚を訪ねて荊州から故郷の解州に帰ろうとすると、周倉が「私の故郷に寄り道してくれませんか?」と言った。

 関羽は周倉は何十年も大刀を持っているから、その功績に報いて許可することにした。

 周倉はこう付け加えた。「関将軍、私はずっとあなたのために大刀を担いできました。今回、私の故郷を通る時、一度だけ私のために大刀を担いでくれませんか?」と。

 関羽はしばらく考えて、「いいだろう、だが条件がある。」と言うと、周倉は「どんな条件ですか?」と問う。

※ここで上記の民間伝承①<藁投げ対決><蟻潰し対決>、民間伝承②の<遠投対決>を実施。内容は同じなので省略

 三度、周倉はすべて負けて、彼は心の中で考えずにはいられなかった。関将軍は“春秋”を読むのが好きで、本を読む人はたいてい策略を練っている。

 周倉はしばらく考えて言った「関将軍、勝負は4戦目で決めさせてください。最初の3つはあなたのアイデアで4つ目は私のアイデアです。」

 関羽は微笑んで「早く言いなさい。」と言った。周倉は腰に刀を差した。<武器対決>

 関羽は馬上で、周倉は地上で開始することなった。戦いが始まり、二人の激しい戦いは見分けがつかなかった。

 一方、周倉は武器を投げ捨て負けたふりをしようとした。関羽は自分が勝ったと思い、馬を促して追いかけたが、周倉は反転し地面から鞭を拾い上げ、関羽の蹄めがけて、鞭の紐が赤兎馬に巻きつけた。

 周倉は跳躍し、関羽の手から大刀をつかんだ。周倉の勝ちだった! こうして、周倉の故郷を通り過ぎる時、周倉は堂々と馬に乗り、関羽が大刀を持って後に続いた。

 周倉の故郷の人々は驚いて言った! 「黒い顔の周倉が官吏になった!ほら、赤ら顔の関羽が彼のために大刀を担いでいる!」と。


⑤関羽と周倉 主従大逆転! その2


 周倉は関羽の部下になって以来、終日、関羽の青龍偃月刀を持ち、側に付いて走ること十年余り一度として不服をも言わず満足げであった。

 ある日、関羽は多数の人馬を率い周家湾を通りかかった。ところが村の外れにも着かないうちから、周倉はノロノロと馬の後ろに下がり、不機嫌な顔をしている。
実は周家湾は周倉の故郷であったのだ。

 彼は若い頃から武芸に優れ、底なしの大力だったので、きっと大将に任じられ、祖先の名を高くするであろうと、村の皆から言われていた。

 今、はじめて故郷を通るのに、あろうことか人の刀をささげる従卒でしかないとは恥ずかしい。しかし、関羽に本当の事が言いにくかった。

 関羽は周倉のグズグズと精彩を欠いた様子を見て病気かと思い、気遣かって尋ねた。「周倉、どこか悪いのか?」。

 周倉はこれを聞くや、しめたとばかり大刀をとり落とし、両手で腹を押さえて倒れてうなる。関羽はあわてて馬を下り、周倉を助けて馬に乗せると刀を拾って自分でかついだ。

 ところが、関羽の部隊が村に入ったとたん、周倉は元気を取り戻し、いかにも勇ましげな様子で馬を進めるではないか。

 村の人々はこれを見て褒めそやす。「わしらの周倉がえらく出世したぞ。大将軍になったのはもちろん、おまけに立派な武将までついて馬を引き、刀をささげているじゃないか?」。

 関羽はこれを聞いて、やっと周倉のたくらみに気づいたが、知らぬふりをし続けた。

 周家湾を通りすぎると周倉があわてて馬を下り、意気揚々と大刀を掲げたのは言うまでもない。

まとめ


 いかがだったでしょうか? 周倉と関羽の出会いについての民間伝承でした。

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 3つめまでは、周倉と関羽がバトルをするお話になります。

 1つ目の物語。大男の二人が武器バトルから、すごくしょぼいゲーム対決をするのがシュールで可愛いですよね。

 大男同士が指先だけを動かして戦うさまは、想像するだけでも面白くなります。さらにはそれで心服する周倉も周倉。ピュアですね!

 2つ目の物語では、周倉の怪力の話が四川周辺に伝わっています。周倉が来たことがないはずなのに不思議です。

 3つ目の物語。こちらはガチンコの関羽と周倉のバトル。防御最強の周倉が“梅花点心槍”という関羽の技術の前に敗れるという、なかなか面白い話でした。

 4~5つ目は、周倉が故郷に錦を飾ったお話。

 4つ目の物語では、1~3つまでで登場したのと同じゲームで関羽と周倉がバトルをし、そののち刀バトルで周倉が勝ち、故郷に錦を飾れました。

 関羽に勝つとは凄い周倉! 関羽は手を抜いてあげたわけじゃないですよね?

 5つ目の物語。周倉の気持ちを推し量って黙って、嘘に付きあってあげた関羽ってかっこいいですね!

 そういう上司になりたいと思う人もいるだろうと思う逸話でした。

 次回も周倉の民間伝承をご紹介します。お楽しみに!

岡本伸也英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!

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