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『SAO』『シャナ』などを手掛けた編集者・三木一馬氏と元KADOKAWA社長・佐藤辰男氏が対談。IPの作り方や作家との向き合い方について語る

文:電撃オンライン

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 2月26日に発売される元KADOKAWA社長・佐藤辰男氏の著作『エンタメ(IP)100年史 創業者のエウレカ、継承者の転換』。

 1970~80年代の日本の出版業界で活躍し、特に玩具やゲーム、キャラクターコンテンツに多く関わった自身の経験をもとに、日本の玩具やゲーム、そして出版などの業界がどう成長・変化していったのかを綴った1冊です。

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 そんな本作の発売を記念して、電撃文庫で『ソードアート・オンライン(SAO)』や『灼眼のシャナ』などの編集を担当し、アニメ化・書籍化を確約した文芸賞“アニメで世界へ!小説大賞(アニセカ小説大賞)”のキーマンでもある三木一馬氏と、佐藤辰男氏の対談をお届けします。

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▲三木一馬氏(写真左)、佐藤辰男氏(写真右)

インターネットの浸透によって大きく変わり始めた出版業界

――さっそくですが、90年代初頭のお話から伺います。メディアワークスが設立され(1992年)、電撃文庫が創刊されたのは1993年のことですが、この時期の出版業界はどういったものだったのでしょうか?

佐藤
出版業界は1996年をピークにその後一貫して右肩下がりの不況を経験するわけですが、メディアワークスの創業はその手前でまだ業界に勢いがあった。その時期に変革せざるを得なかったから、結果的にはラッキーだったと本には書きました。三木さんはもう少しあとくらいの入社だったかな。

三木
僕は96年に大学に入学し、2000年に新卒でメディアワークスに入社しました。就活をしていた当時は、ようやくインターネットが一般に広がりつつあったころで、Yahoo!はまだ登録制でしたし、Googleはサービスが始まったくらいの状況でした。

 ネットのほうが情報が早いなとは感じていた一方で、今ほど市民権を得ていないというか、どこかアングラな雰囲気があって……。それに対して、まだ出版業界は輝きを保っていて憧れの的だったんですよ。

 ただ、「まだ」と書いたようにアンテナをしっかりと張っている就活生は「雑誌が危なくなるんじゃないか?」と感じ始めていて、個人的にもちょっと(出版業界の)将来に不安を感じつつも、漫画やコンテンツ系は別だと考えていたので、出版社を志望していました。

佐藤
メディアワークスに入社して、雑誌も書籍もある中で、始めからライトノベルや漫画、アニメといったコンテンツ系を志向していたんですっけ?

三木
そうでもなかったように思います。そもそも僕がメディアワークスを知ったのは『ガンダム』がきっかけです。角川書店(現KADOKAWA)のイメージが強かったのですが、メディアワークスでも近藤和久さんの一年戦争を扱った『機動戦士ガンダム0079』をやっていたり、アメコミの『スポーン』が個人的に好きだったりしたので、この会社で働きたい! と思いました。

 ただ、新卒の時は「これが絶対にやりたい!」という強い希望はありませんでした。とにかく会社に貢献しなければと思っていて「一番売れているところに行きたいです!」と伝えました。当時は『電撃PlayStation』が一番売れていましたが、そこには配属されず1年目は出版部、2年目から電撃文庫編集部に配属されました。

佐藤
ちょうど出版業界が大きな変化を遂げる激動期のさなかですね。

三木
ええ。僕が入社して3~4年後ぐらいから、雑誌の売上が顕著に右肩下がりになっているなと実感できるようになっていって……コロナ禍のタイミングで電子書籍は数字が上向きになりましたが、雑誌は今もずっと落ち込み続けていっていますね。

――出版業界が不況になっているというお話は『エンタメ(IP)100年史』の中でも触れられていましたが、2000年代の出版業界ではどのような問題が起きていたのでしょうか?

佐藤
三木さんが言ったように、ネットで情報が無料で、しかもリアルタイムで手に入るようになったことによる問題が一番大きいですね。まだSNSが今ほど普及する前だったので、今のように“誰もが情報の発信元になれる環境”ではありませんでしたが、その伝達速度の差は圧倒的でした。

 その中で、『ザテレビジョン』はもちろん『週刊ファミ通』のような雑誌も、次第に部数を減らしていく状況になりました。

――特に情報をメインで扱うタイプの媒体にとって、ネットの登場は根本を揺るがすものだったと。

佐藤
そうですね。だから「時代時代でどんな変化があったのかをちゃんと書き残しておきたい」という思いが、今回の本には込められています。出版界、あるいはもっと広くエンタメ界で何が起きてきたのかを記録しておく価値はあるかなと。

編集者のタレント化が進んでいった理由

――近年、編集者の中で個人のキャラクターが際立っている方が増えているように感じます。特に三木さんは、ライトノベル界隈においてその第一人者というイメージが強いのですが、ご自身のキャラクターを打ち出すことについて、どのような意識があったのでしょうか。

三木
きっかけは『撲殺天使ドクロちゃん』のメディアミックスでご一緒したアニメプロデューサーの川瀬浩平さんです。彼がラジオ出演、台本執筆、イベント登壇までこなしているのを見て、「なぜそこまでやるんですか?」と尋ねたら、「宣伝費がないから。やれることは全部自分でやるしかない」とおっしゃっていました。それがなんか、かっこよかったんですよね。なので、僕も真似しようかなと。

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佐藤
私の視点だと、編集者がタレント化する流れは、80年代や90年代のほうが盛んだったように思いますね。

 なぜなら、当時は雑誌や書籍が情報の源泉で、紙の文化に権威があったからです。景気も良かったら、独立しても仕事がふんだんにあった。昔の人はもっと気楽に独立できたけど、三木さんの時代は、危機感と戦略がないと独立できない環境になっていたように思います。自分の地盤を固めてから辞めていく人が多かったね。

三木
実際そうで、少しずる賢いほうが経営者には向いていると思います(笑)。

佐藤
それに加えて、昔の人は「なんとかなる」とどこか楽観的だったと思いますね。三木さんの前に橘さんと対談したときにもそんな話が出ましたが。実際、なんとかなった人が多いんでしょう。私の周囲もだいたいそうでした。

三木
今回の佐藤さんの本にも、メディアワークス独立時の皆さんの楽観的な考えが書かれていましたよね。大勢の人間を引き連れていた時も「みんな来るだろう」くらいの感覚だったと。それがもうすごいことですよね。

佐藤
あれは……2~3年時期がずれていたら、絶対に失敗したでしょうね(笑)。

三木さんが考える仕事術。“説得力”の高め方とは?

――ご自分の経験を振り返ってみて、仕事で何か新しいことをするうえで、「これをやっておいてよかった」というものはありますでしょうか?

三木
現場時代も今も同じですが、何か新しいことに挑戦したいなら、その前にひとつ“自分の稼ぎ頭”を作っておくことが大事です。

 何の実績もない人間が、いきなり当たるかわからない企画をやりたいと言っても信用がありません。なので、一度結果を出してドル箱を作っておいて、そのうえで「アイツがやるならいいだろう」というような説得力の土台を作っておくんです。優秀な人だけでなく、お金を集め、時間をきちんと確保するには、まずは実績作りが大切だと思います。

――それを三木さんがおっしゃると、ものすごい説得力があると思わされてしまいますが、そうした考え方は、いつごろ身についたのでしょう?

三木
偶然ですが、編集者になってすぐに『灼眼のシャナ』というヒット作を出せたことが大きいです。入社2年目でしたが、社内外を問わず、僕の意見を聞いてくれるようになりました。

佐藤
『灼眼のシャナ』のように、次々と新しいキャラクターが登場するスタイルは、何か先行する例があったのかな?

三木
いえ。そこに関しては富士見書房さんなどでやっていたファンタジー作品と同じだと思います。ただ、異能学園バトルものであったこと、そして何でも挑戦する電撃文庫の環境が大きく作用したと思っています。

 ちょうど2000年ごろ当時は『月姫』や『ブギーポップは笑わない』のような現代伝奇ものが流行っていたので、その波にうまく乗れたことも大きかったんでしょうね。

佐藤
三木さんたちが新しい作品をどんどん作っていた時期は、角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫がゲームファンタジー系に偏り過ぎて、新しい傾向が求められていた変わり目の時期でした。そこで次々に新人を投入する電撃文庫が新しい流れを作れた。

三木
僕が働く前からすでに活躍されていた古橋秀之さんや高畑京一郎さん、上遠野浩平さんなどが、ノンジャンルで多様な作品を作っていたこともあって、ジャンルにとらわれなくていいんだなと感じていました。

佐藤
三木さんの著作である『面白ければなんでもあり 発行累計6000万部――とある編集の仕事目録』のタイトルに“何でもあり”と入っているように、そういう姿勢が、うまくはまったんでしょうね。

三木
経営者の視点から振り返ると、メディアワークスは博打好きだったんだなと思います。売れない可能性のほうが高い企画にGOを出してくれましたし、新人でもおもしろいと思えば企画が通りました。

 成功するかどうかわからない1冊に300万、500万といったお金を投資する覚悟がある会社は、すごいなと。

新人を育てるという志向が強かった

――電撃文庫が創刊された当初、どうだったのかお聞かせいただいてもいいでしょうか?

佐藤
当初は、ゲームに対するアプローチを非常に重視していて、だから創刊のときには“電撃ゲーム小説大賞”と、賞の名前にゲームを入れていました。やがて何でもありになるんだけど(笑)。

 また、こうした賞の中には権威を重んじて大賞作品を出さないケースもありましたが、電撃文庫については新人を育てていかなければいけないということもあって、大賞をしっかりと出して、編集者が次々と新しい才能を発掘し、育てていってくれたんです。

――新人を育てなければいけなかったとのことですが、電撃文庫が生まれた当時は書いてくださる作家さんがあまりいなかったということですか?

佐藤
いえ、もちろん水野良先生や深沢美潮先生をはじめ、初期の電撃文庫を支えてくださった方はいました。ですが、彼らは電撃文庫で書く前からいろいろな場所で活躍されていました。だからレーベルの特色として“電撃が生み出したモノ”が求められていたわけです。

三木
会社の運転資金のこともありますから、刊行点数を増やすために、新しい人たちを投入しなければいけない、ということもあったように思うのですが、そのあたりはどうだったんですか?

佐藤
最初は雑誌5誌を創刊したんですけど、正直な話、非常に厳しかったね……。創業1、2年は雑誌が苦戦する中で、先ほども名前を挙げたような作家さんたちの作品が会社を支えてくれたし、僕らに猶予をくれたんです。その貴重な時間のおかげで新人が育っていくという、うまい循環が作れたんだと思います。

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三木
いち社員からすると、メディアワークスは新人なのに挑戦させてもらえる環境で、そこがとてもうれしかったですね。

佐藤
作家さんはもちろんのこと、編集者も育てたかったという思いもありましたね。

 その方法としてメディアミックスがありました。作家さんの力だけでなく、メディアの力でIPを育てていくという考え方です。だから電撃文庫の編集者には、小説の編集だけでなく、サウンドドラマやアニメ化など、全体のプロデュースができる人材に育ってほしかった。三木さんはそれを特に上手にやってくれた代表的な存在だと思いますね。

三木
レールが敷かれているというより、「庭があるから好きに暴れていいぞ!」と言われていたような感じでした。「ならお言葉に甘えて……」と好き勝手にやっていたら、それがひとつのカルチャーとして認められていった形ですね。

 当時の電撃文庫編集部の上にいた方々が、僕の勝手なやり方をうまく精錬して、後輩たちへカルチャーとして伝えてくれたんだと思います。僕はひたすら魚を獲ってくる漁師のような感じだったかもしれません(笑)。

――新人作家の発掘について続けてお伺いします。今だと“小説家になろう”や“カクヨム”などの小説投稿サイトから商業作家デビューする流れは珍しくありませんが、『SAO』の川原礫先生についてはどうだったのかお聞かせいただいてもよろしいでしょうか? 川原先生は最初、個人サイトで作品を発表されていたとのことですが……。

三木
川原さんは元々『クリス・クロス』を読んで電撃小説大賞に応募しようとしたのですが、規定文字数を超えてしまったため『SAO』では一度断念したんです。それからしばらく経ったあと、気分転換に書いた『アクセル・ワールド』で応募し受賞した形ですね。実は、僕ともう1人が川原さんの担当に立候補していて、結果的に僕が担当に決まったんです。僕はその時、どうしても川原さんを担当したかったので、『アクセル・ワールド』だけにしか担当希望として手を挙げなかったんですよ。

 『SAO』については、最初は知らなくて、ネットで受賞を祝う声などを見ている中で川原さんが『SAO』を書いていると知りました。

――そういう順序だったんですね。

三木
今のような形でネット発の小説が書籍化していく流れについては、橙乃ままれ先生の『まおゆう魔王勇者』や『ログ・ホライズン』あたりで注目され始め、その後に長月達平先生の『Re:ゼロから始める異世界生活』などが続いていった形だと思います。

佐藤
そのトレンドは今も変わらないですか?

三木
ええ、変わりませんね。むしろカクヨムなども増えたことで、スカウト合戦は激化しています。

――電撃小説大賞にも、カクヨムから応募できるようになりましたね。

三木
そうですね。海外なんかでもネット小説は盛り上がっていますね。アメリカで映画化された『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』は、元々『トワイライト』の二次創作でしたし、映画『オデッセイ』の原作である『火星の人(The Martian)』もネット小説です。

――SNSや配信サービスの普及で、メディアミックスが大きく変わった部分と、本質的に変わらない部分はどこだと思われますか?

三木
大きく変わったのは、テレビのパワーがかなり落ちたことです。昔は「地上波で放送すれば勝ち」という時代がありましたが、今は配信が主流ですし、VTuberなど他コンテンツと時間を奪い合っています。

 一方で、本質的に変わらないのは、“原作をいかに誤解なく展開していくかが重要”という点です。ここを見誤れば失敗し、成功すれば続きを求められます。この方程式は変わっていないと思います。

佐藤
映像配信が国際的になり、日本のアニメが海外でも大きくヒットするようになったことがいちばん大きい変化だと感じます。日本国内ではもう成長が見込めないと判断された作品でも、海外での公開や映像配信などを経て復活する。

 国際的な映像配信サービスをやっている企業が、日本のアニメを買い付けたことがこうした変化の要因なんだろうと思います。特にメディアミックスで考えると、昔は原作漫画や小説の連載が終わるとアニメもやがて終わり、そこでIPとしても終わっていきました。それが今では、数年、中には10年以上の時間を経てから劇場版が公開されて復活することもありますし、ネット配信で日本を飛び越え世界に広がっていくようになりました。

三木
当時中高生だったファンが大人になり、ネットミームとして作品を活用し始めたりするので、一度人気を獲得した作品はずっと生き続けるんですよね。任天堂の『スーパーマリオ』や『ゼルダ』もそうですが、昔のレジェンド作品が最新の技術で新たにエンタメ作品として生み出されるのって、非常に強力なんですよ。例えば『スラムダンク』の映画もその流れですね。

時代によって変わっていく新人、そして作品との向き合い方

――佐藤さんが電撃文庫を創刊した当時の話として、新人の発掘や育成に力を入れていたとお話をされていました。現在の新人発掘や育成において、昔と変わっている部分はありますか?

三木
特に現在だと、まずは「私たちが育てます」というスタンスを相手に受け入れてもらえるかどうか、そこから始まります。昔はメディアの出口が限られていたので新人賞が機能しましたが、今は作家さん個人が発表し、成功すればいくらでもスカウトが来る時代です。「私たちが育てます」と言っても「結構です」となりかねません。

 だから、まず自分たちの必要性や貢献できることを伝えなければいけません。編集者やプロデューサーは、コンテンツにどう向き合い、どんなメリットを提供できるかを明確にしないと、必要とされなくなっています。今後もどんどんそうなっていくでしょうね。僕も会社も常に緊張感を抱いています。

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佐藤
作家さんの数はどんどん増えているように見えますけど、どうなんですか?

三木
増えていますが、関わり方はケースバイケースです。全面的にマネジメントすることもあれば、部分的に手伝うだけの関わり方もあります。頼ってはいただけますが、信頼に見合うサービスを提供し、こちらも労力に見合う対価を得るのは簡単ではありません。

 ここでもやはり、我々と一緒に仕事をしてくれてヒットした作家さんがいるおかげで、それが信頼につながって、新しい作家さんのサポートができるようになる。そんな構造になっています。

――先ほどおっしゃっていた「まず稼ぎ頭を作る」という話と通じますね。

三木
はい。やっぱりお金は大事なんですよね……。カツカツだと楽しいことはなかなか考えられませんから。編集者だって、生活のためにバイトをしなければならないような状況だと、おもしろい企画を考える余裕がなかったりします。とにかく稼ぐことは重要なんです。

 実は僕も、佐藤さんに聞いてみたいことがあったんですよ。佐藤さんは70歳を超えても最先端のトレンドを学ぼうとする貪欲さがあります。経営者的なマインドを持つ人は、生存戦略として「変化についていかなければならない」と考えていると思います。そのマインドをどう備えていったのかが気になっています。

佐藤
特に出版不況の時代、僕たちは変化を強いられたけれど、あれは“取り残されるのが怖かったからできた”というのもあるんだろうなと思います。変化した結果、仕事がうまくいかずストレスで病に倒れた人も見ましたし、変化に対応できなかった人たちの切なさも見てきました。正直言って、雑誌が好調で競争相手としのぎを削っていた時代が懐かしかったです。

 だから絶えず新しいものを知りたいという気持ちは、決してかっこいいものではなく、恐怖感から来ているのかもしれないですね。それでも、2010年代以降、電子書籍で再浮上できたのは、出版社にとって非常によかったことだと思っています。

5年後には誰もがすぐに漫画を作れる――そんな時代がやってくる?

――変化という点では、AIについてもお聞きしたいです。昨今では、AIが作った小説が受賞したという話も出てきており、コンテンツ制作と切り離せない存在になっています。5年後、出版業界はどうなっていると思われますか?

三木
現時点だと、問題になるAIの使い方と、ならない使い方があると思っていて、問題にならないのはクリエイターのサポートツールとしての活用などです。

 AIを使うようになった結果、コンテンツの生産速度は飛躍的に向上しています。アイデアを素早く形にし、検証して次につなげるサイクルが、今後はどんどん短くなっていくでしょう。そうなっていくと、膨大なコンテンツが生まれ続ける中で、どう勝ち抜くかが問われるようになるのではないかと思っています。AIを使えることは当然のスキルとなり、いかに有効活用できるかが重要になっていく。

 5年後には、誰もがすぐに小説や漫画だって作れるような時代になっているかと思います。

佐藤
例えば小説家のような個人のクリエイターは、AIをどう使うんでしょう?

三木
アイデア出しや壁打ちには、現時点でもかなり使えます。「こういうアイデアはどう思う?」と聞いたり、複数の展開案について意見を求めたり。編集者に相談する前に、まずAIに聞くんです。今のAIだとゼロから1を生み出すのはまだ難しいですが、1を5や6に広げる際には非常に有効です。

佐藤
現役の作家さんも結構活用しているんですか?

三木
すでに活用している人はいらっしゃると思います。例えば、カッコイイ必殺技の名称を考えるのに、自分で辞書を引いて考えていると1時間かかるところを、AIならものの数秒で50個の候補を出してくれます。そのままだと使えないとしても、それがアイデアのきっかけになるといった具合です。

意外なきっかけで始まった小説の執筆

――急に話は変わるのですが、三木さんが編集をされたということもありますし、佐藤さんの小説家デビュー作『怠惰な俺が謎のJCと出会って副業を株式上場させちゃった話』についてもお話をお伺いしたいです。なぜ小説を書こうと思われたのでしょう?

佐藤
この本を書く前に角川書店の社史『KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展』を2年ほどかけて書いたのですが、その際に「あ。意外と書けるんだな」と思ったことがあって。それまで自分は編集者や社長であって、書き手ではないと思っていたから、それがすごくうれしかったんです。

 そんなとき、会計士をしている息子から、仲間と作った専門書を小説化してくれないかと頼まれたのがきっかけなんですよ。

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――三木さんは、佐藤さんが小説を書かれるというお話を聞いてどう思われましたか?

三木
最初に思ったのは「この人、若いな!!」ですね(笑)。僕にとって佐藤さんは新卒の時の最終面接官で、社長だった方です。KADOKAWAグループの頂点まで登り詰めて、悠々自適の引退生活を送れるはずなのに、「小説を書きたいから担当編集になってくれないか」と、ペーペーの僕に言ってくる。その姿勢が本当に若いと感じました。

 そして佐藤さんは取材の鬼なんです。その本を執筆する際も、僕の知り合いを含め、本当に多くの人に取材されていました。

佐藤
でも、そういうことをやると勉強になるんですよね(笑)。

三木
こうですからね(笑)。僕には多大な恩義がありますから、「僕でよければぜひ。ただし手は抜きませんよ」とお伝えして、お引き受けしました。

 題材は、エンタメ作品として扱うには少々難易度が高く難しいと思いましたが、佐藤さんのお話を聞いていると記念に本を1冊出して終わりではなく、本気で作家として創作に取り組もうとされていると感じ、僕も協力させていただきました。

佐藤
僕は雑誌の編集はやっていたけど、書籍の編集をやった経験がほとんどありません。だから、どんなものか知りたくて三木さんにお願いしたんです。すごく新鮮な体験でしたね。

――三木さんとのやり取りに中で印象的だったものはありますか?

佐藤
ヒロインを中学生の女の子にしてくださいと言われたんですよ。もっと大人びた女性だったのですが、「それだとキャラクターが弱いから」と。

三木
だって、大人の女性から偉そうなこと言われたら、落ち込んじゃうじゃないですか!! 女子中学生からなら、耳に痛い話も受け入れられますよ!!(熱弁)

佐藤
三木さんの言う通りで、ヒロインを中学生の女の子にしたら確かにキャラクターが動き出した感じがあったんです。その手ごたえをしっかりと感じられたので、とても印象に残っています。

――そろそろこの対談も終わりになりますが、最後に、三木さんに『エンタメ(IP)100年史 創業者のエウレカ、継承者の転換』のおもしろかった点を伺いたいと思います。

三木
後半部分は僕自身が編集者として育っていった時期と重なることもあって実感を持って読むことができました。加えてそれ以前の時代を書いた前半部分が非常におもしろかったです。タカラトミーやバンダイが、フラフープのような一過性のヒット商品だけでは経営が不安定だと考え、IP(知的財産)を生み出していくようになった歴史を、流れとともに知ることができました。

 普段何気なく感じていたことの背景がわかりましたし、外国から入ってきた流行に頼らず、自ら文化を創り上げる信念のようなものを感じました。そうした先人の苦悩があったからこそ、日本がソフト大国として世界に認知されるようになったことに繋がっているんだな……と。この国のコンテンツ産業の根幹を知ることで勇気づけられ、自分たちの仕事に誇りを持てるようになりました。今の日本の状況に不安を感じている人たちにこそ、ぜひ読んでもらいたい1冊です!

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『エンタメ(IP)100年史 創業者のエウレカ、継承者の転換』【書籍概要】

著者:佐藤辰男
発売日:2026年2月26日(木)
価格:2,200円(税込)
発行:KADOKAWA Game Linkage

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