元KADOKAWA社長の佐藤辰男氏がエンタメ業界を描く『エンタメ(IP)100年史 創業者のエウレカ、継承者の転換』が本日2月26日に発売されました。
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本書では、昨今盛り上がりを見せるエンタメ業界のなかでも、とくにおもちゃやゲーム、出版などの周辺に目を向け、その発展に寄与してきた時と地、人物を描いています。
そんな本書の“第9章 出版界の苦悩とメディアワークスの設立”より、一部を抜粋してお届けします。章単体としても楽しめることはもちろん、本書全体を通しても興味深い部分となっています。
本記事でピックアップした部分のほかにも、戦後のおもちゃ業界から始まり、それにまつわる会社や人物、テレビゲームの登場と影響、出版業界についてなど……昨今のIP産業隆盛の根源を、著者である元KADOKAWA社長の佐藤辰男氏が自身の視点から探る1冊となっています。
興味を持たれた方は、ぜひお手に取っていただければ幸いです。
『エンタメ(IP)100年史 創業者のエウレカ、継承者の転換』“第9章 出版界の苦悩とメディアワークスの設立”
1990年代半ばのメディアワークスを救った“時”の変化は、1つにソニー・コンピュータエンタテインメント(現SIE)の次世代機『PlayStation(PS1)』発売によるTVゲーム市場のイノベーションだ。『ファミコン』一強の時代から、NECホームエレクトロニクスの『PCエンジン』(1987年)、セガ・エンタープライゼスの『メガドライブ』(1988年)など、他機種並立の時代に入り、出版社もこれに対応して機種別の雑誌を投入したが、1991年の週刊化によって、いち早くどの機種の情報も届ける態勢を取った『ファミコン通信』(現『週刊ファミ通』)が急成長した。任天堂は『スーパーファミコン』(1990年)までは事実上一強だったが、『PS1』(1994年12月)に対抗する次世代機の『NINTENDO64』の投入に1年半のおくれ(1996年6月)を取った。
『PS1』は当時アーケードゲームで実現していたポリゴンの3Dゲームが開発できるということで、有力なサードパーティから歓迎された。次世代機として先行したセガ・エンタープライゼスの『セガサターン』のローンチソフト『バーチャファイター』(1994年11月)に対抗し、『PS1』ではナムコの『リッジレーサー』(1994年12月)がキラーソフトとして投入された。
『PS1』の誕生史を証言でつづった『証言。『革命』はこうして始まった プレイステーション革命とゲームの革命児たち』(赤川良二 著、エンターブレイン)には、「1996年12月に発売された『ファイナルファンタジーVII』がPS1の勝利を決定づけた」と紹介している。「CD-ROMという大容量の媒体を持ち『ユーザーの感性に訴えられるゲーム』の表現ができるマシーンを検討した結果、PS1が最適と判断しました」と、発売前のスクウェア広報のコメントが掲載されている。
『PS1』が着実に市場を拡大するなかで『NINTENDO64』は高性能だったが、ソフトの開発が難しく、ソフト不足で販売台数が伸び悩んだ。その不振のあおりを受けて部数を落としていた徳間書店の『ファミリーコンピュータMagazine』が、『週刊ファミ通』に対抗して全機種対応の週刊化に踏み切り『ファミマガWeekly』を創刊するのが1996年。これは『週刊ファミ通』の猛烈な反撃にあって半年で休刊に至る。
このころの出版界では、類誌が2誌、3誌と共存できる時代が終わろうとしていた。『PlayStation』に対して、徳間書店、ソフトバンク、アスキー、ソニー・マガジンズがそれぞれ専門誌を創刊したなか、メディアワークスも『電撃PlayStation』を創刊した。
『PS1』は当時アーケードゲームで実現していたポリゴンの3Dゲームが開発できるということで、有力なサードパーティから歓迎された。次世代機として先行したセガ・エンタープライゼスの『セガサターン』のローンチソフト『バーチャファイター』(1994年11月)に対抗し、『PS1』ではナムコの『リッジレーサー』(1994年12月)がキラーソフトとして投入された。
『PS1』の誕生史を証言でつづった『証言。『革命』はこうして始まった プレイステーション革命とゲームの革命児たち』(赤川良二 著、エンターブレイン)には、「1996年12月に発売された『ファイナルファンタジーVII』がPS1の勝利を決定づけた」と紹介している。「CD-ROMという大容量の媒体を持ち『ユーザーの感性に訴えられるゲーム』の表現ができるマシーンを検討した結果、PS1が最適と判断しました」と、発売前のスクウェア広報のコメントが掲載されている。
『PS1』が着実に市場を拡大するなかで『NINTENDO64』は高性能だったが、ソフトの開発が難しく、ソフト不足で販売台数が伸び悩んだ。その不振のあおりを受けて部数を落としていた徳間書店の『ファミリーコンピュータMagazine』が、『週刊ファミ通』に対抗して全機種対応の週刊化に踏み切り『ファミマガWeekly』を創刊するのが1996年。これは『週刊ファミ通』の猛烈な反撃にあって半年で休刊に至る。
このころの出版界では、類誌が2誌、3誌と共存できる時代が終わろうとしていた。『PlayStation』に対して、徳間書店、ソフトバンク、アスキー、ソニー・マガジンズがそれぞれ専門誌を創刊したなか、メディアワークスも『電撃PlayStation』を創刊した。
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創刊と言っても『電撃PCエンジン』の別冊で、創刊部数はおそるおそるの7万部だった。この雑誌の方針は、他誌が網羅的なゲーム紹介を当たり前にしていたなか、美少女ゲームのディープな紹介をして異彩を放った。他誌が当時のキラーソフト『リッジレーサー』を表紙にしたのに対し、ガイナックスの赤井孝美による描き下ろしの『プリンセスメーカー』を表紙とし、そのゲームの徹底紹介をした。
その後も、編集部が選んだこだわりのソフトの徹底解析を目玉とした。この徹底ぶりは、他誌と著しく行き方が違った。部数も順調な伸びを見せ、1995年6月に月刊化して18万部、1996年6月には月2回刊化して24万部、1999年2月発売の100号で41万部の最高部数を達成した。
『PS1』のソフト的なトレンドが美少女ゲームから格闘ゲーム、そしてロールプレイングゲームに移るのに合わせて重点を置くゲームも変化したが、いつもディープな内容を心掛けた。これにより、最新情報と網羅主義の『週刊ファミ通』と棲み分け、行き方の違う2強として残り、他誌が休刊に追い込まれるなかで『電撃PlayStation』は90年代のメディアワークスの経営を支えた。
蛇足だが、『PS1』の次世代機戦争での勝利は値下げ作戦によるところも大きかった。発売から5カ月後に100万台を突破し、その2カ月後の1995年7月に1万円の値下げ(2万9800円)をして『セガサターン』を突き放した。1千万台単位で普及させなければならないTVゲームの世界で、トップを取るには価格戦略が非常に重要になってくることを、『ファミコン』の例から学んだのだと思う。
電撃文庫躍進の秘密
電撃文庫の躍進もメディアワークスの経営を助けた。電撃文庫は雑誌やコミックスレーベルと違って、半年の準備期間をとり、1993年の6月に創刊した。当初は水野良、中村うさぎ、あかほりさとる、松枝蔵人、深沢美潮といった角川スニーカー文庫時代の人気作家が、メディアワークスになっても引き続き作品を提供してくれて創刊にこぎ着けた形だが、1994年に新人賞を設定してからは次々に新しい才能が生まれ、電撃文庫がライトノベルの最大のレーベルとなる原動力となった。
電撃文庫の創刊の“時”は、ティーンズ文庫と言われたこのジャンルが一時的に停滞したタイミングだった。業界の動向を伝える『出版月報』1999年3月号の“文庫特集”は、1980年代後半に少女小説のコバルト文庫、マンガ・アニメのノベライズで売った講談社X文庫、ロールプレイングゲームから生まれたファンタジー小説が主流の角川スニーカー文庫、富士見ファンタジア文庫といったティーンズ文庫が、一般文庫を含む文庫全般の市場をけん引したが、1992年ぐらいから停滞が始まり、文庫全体の販売部数は1994年をピークに右肩下がりとなった様子を記している。
そのなかで文庫の新勢力として、成人した団塊ジュニアのまとめ買い需要に支えられたコミック文庫の台頭を伝えている。コミック文庫は1990年代の後半に文庫全体の15%を占めるまで拡大したという。
ついでにその先の話をすると、2000年代に『ハリー・ポッター』ブームがあった。2002年5月号『出版月報』の特集“ファンタジー・ブームを読み解く”は、これまでのライト感覚のファンタジー小説(ここでは角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫のゲーム系ファンタジー小説を指している)と『ハリー・ポッター』を比較して、「ライト感覚のファンタジーがアニメやコミックの様式としても定着したが、事実上ライト・ファンタジーブームは一旦収束している」「90年代半ば以降よりしばらくの間、ライトノベルはSFや学園もの、美少女ものなど、新しい方向性を模索していくことになる」「ライトノベルは多様化し、全貌が見えにくくなった」などと記した。こういう認識はライトノベルを既成のジャンル小説の枠で捉えようとする意図を感じる。
電撃文庫の“時”の話の前に、ライトノベルのぼくの定義を述べておくと、ライトノベルはSFやファンタジー、ミステリー、美少女、百合、ボーイズラブなどすべて包含し、ジャンルを超えて存在する。児童書と文芸の間を埋める中高生のための小説が、これまでなかった。その狭間の豊かな(ジャンルを超えた)市場をライトノベルが創造した。だから当時の「多様化し、全貌が見えにくくなった」という評価は適切ではない。
かつて書評家の斎藤美奈子が講演で次のように語ったことを、KADOKAWAの社史『KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展』で紹介したので引用する。
「おとなの本を読み始めるのが中学2年生の夏休み、中学2年生は、第2次性徴期の真っただ中、“中二病”という言葉もある。一学期と二学期では、生徒の身体も内面も大きく変わる。それまでは児童書を読んでいればよかったが、中学2年生で、急におとなの世界に放り出される。ところが、この時期の移行がうまくいかなくて、“つまずく”子が多い」
なるほど、KADOKAWAはこの市場を切り拓いたのだと思った。さらに、次のように続けている。
「子どもが“つまずく”のは、『これは自分のための本だ』と思えるものになかなか出会えないからではないか。小説の世界では、ジュブナイルと文芸の間を埋める中・高校生のための小説が、いままでなかったと考えるべきではないか。与えられた本に満足できずに、自ら楽しむために手にする最初の入り口としてライトノベルが生まれた。…だとすれば書き手と読み手が言葉を共有している“同時代感覚”がとても大事になる。…さらに言えばゲームやアニメのようなエンタテインメント性が大事。“萌え”や“乙女”やBLなどが重要なキーワードになるのは第二次性徴期の少年少女が直面している体や心の変化を作品が受け止めているからではないか」
さて、電撃文庫の創刊とその成長期には、角川スニーカー文庫と富士見ファンタジア文庫の一時的な停滞があった。角川スニーカー文庫は1996年にスニーカー大賞が創設されて新人が登場するまで一時停滞したし、富士見ファンタジア文庫は大賞を出さない状況が続いて初期の有名作家の長尺作品に頼る時期があった。
電撃文庫の新人賞からは、『クリス・クロス 混沌の魔王』(1994年)と『タイム・リープ あしたはきのう』(1995年)の高畑京一郎、『ブラックロッド』(1996年)と『ある日、爆弾がおちてきて』(2005年)の古橋秀之、『ブギーポップは笑わない』(1998年)の上遠野浩平などの新人が次々に誕生した。電撃小説大賞に入選せずに文庫デビューした例としては、『キノの旅』(2000年)の時雨沢恵一、『イリヤの空、UFOの夏』(2001年)の秋山瑞人などがいた。
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1990年代から2010年代にかけて電撃文庫からは次々に新人が誕生し、電撃小説大賞は日本で最も応募数の多い新人賞となった。電撃文庫は、なかなか大賞が出なかったり、権威を高めるために次点にあたる作品に賞を与えなかったりする多くの小説賞とは違って、積極的に大賞を与え、金賞、銀賞といった次点作への賞も与えた。
何より大事なのは、編集者が応募者のなかからめぼしい才能を見つけたら、賞の色や有無にかかわらずデビュー前から二人三脚の体制を取って、納得いくまで時間をかけて作品に取り組んだことだろう。遅れてきた新レーベルには新作が望まれたのだ。
そのことが、ゲーム系ファンタジーに偏っていた市場に新風を吹き込んだ。SF小説は1992年にハヤカワ・SFコンテストが終了して以来、オワコンのように言われていたものが、『クリス・クロス 混沌の魔王』『ブラックロッド』の受賞で再燃した感があった。『ブギーポップは笑わない』は学園ホラーだが、“セカイ系”と呼ばれ、ライトノベルファンだけでなく一般からも文芸として高く評価された。
セカイ系とは、キャラクターの意識・行動がそのまま世界の命運を左右してしまうようなプロットを指し、『新世紀エヴァンゲリオン』が原点とも言われ、その流れとして『イリヤの空、UFOの夏』なども熱狂的なファンを生んだ。さらにメディアミックスを至上命題としたことで、次々にアニメ化作品が生まれたことも大きかった。
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メディアワークスは2002年に角川書店と合併し、2003年には角川ホールディングス傘下のいち出版社となった。このころ、角川スニーカー文庫からは吉田直の『トリニティ・ブラッド』(2001年)、谷川流の『涼宮ハルヒの憂鬱』(2003年)、富士見ファンタジア文庫からは賀東招二の『フルメタル・パニック!』(1998年)、築地俊彦の『まぶらほ』(2001年)などの新人・新作が生まれ、角川グループがライトノベルという業界唯一の成長ジャンルを占有した、とまで言われるようになった。
この結節点に“電撃文庫”があった。
仕様
- 書名:『エンタメ(IP)100年史 創業者のエウレカ、継承者の転換』
- 著者:佐藤辰男
- 価格:2,000円+税
- 発売日:2026年2月26日
- ページ数:240ページ
- 判型:四六判