三つ子の魂百までと言われますが、幼少期に限らず、ゲームを遊んだ思い出は脳に深く刻まれるもの。
何年、何十年たっても、「なんでオレ、こんなこと覚えてるんだろ…」と愕然とするような記憶が残りがちでして。
そんな脳のメモリ(記憶・容量)を無駄づかいしている例を語ります! 今回は2005年にPS2で発売され、その圧倒的な再現度でファンを唸らせた『ドラゴンボールZ Sparking!』。格闘ゲームのはずなのに、気づけば解体業者になっていたあの体験を、今こそ語らせてください。
何年、何十年たっても、「なんでオレ、こんなこと覚えてるんだろ…」と愕然とするような記憶が残りがちでして。
そんな脳のメモリ(記憶・容量)を無駄づかいしている例を語ります! 今回は2005年にPS2で発売され、その圧倒的な再現度でファンを唸らせた『ドラゴンボールZ Sparking!』。格闘ゲームのはずなのに、気づけば解体業者になっていたあの体験を、今こそ語らせてください。
思い出コラムを読む格闘ゲーム? またの姿は解体業者シミュレーター
『Sparking!』が画期的だった点はいくつもありますが、当時の少年たちの心を最も掴んだのは、”ステージ上のあらゆるものが壊せる”という点でしょう。
PS2全盛期。3D空間を縦横無尽に飛び回れるだけでも革命だった時代に、ビル群まで崩壊する。岩が砕ける? そんな演出は序の口。ビルに突っ込めば外壁が崩れ、気功波を放てば建物を一掃。
特に廃墟の都はかっこうの破壊展覧会場。本来の目的は敵のHPをゼロにすることですが、そんなことは二の次。
「敵なんてどうでもいい! 俺はこのビルを壊したいんだ!」
コントローラーを握り直し、気を溜めてビルに突っ込んだ瞬間の感触を今でも覚えています。「ズガガガガッ!」という激しい音と共に、コンクリートが爆散し、砂煙が舞い上がる。この瞬間、プレイヤーは悟空でもベジータでもなく、ただの”解体業者”になりきっていました。
ドラゴンボールを探すという最高の大義名分
もちろん、ただやみくもに壊しているだけではありません(建前上は)。このゲームには、ステージ上の破壊可能なオブジェクトの中に”ドラゴンボールが隠されている”という仕様がありました。
7つ集めると神龍を呼び出し、隠しキャラクターやアイテムを開放できる。つまり——我々が街を破壊するのは遊びではない。世界を救うための、崇高な探索活動なのです。
しかし1個1個丁寧に探すのは面倒くさい。プレイヤーに正確な場所などわかるはずもない。
「ええい、面倒だ! この区画ごと吹き飛ばしてやる!」
気功波を乱射し、民家をなぎ払い、岩山を崩落させる。敵のフリーザやセルが後ろから攻撃してきますが、「今忙しいんだよ!」とあしらいながら、ひたすら破壊を繰り返す。
ドラゴンボールが出てきた時の「あった!」という喜びと、その周囲に広がる”何もなくなった荒野”……もはやどちらが悪役かわかりませんね。
目的と手段が完全に入れ替わっていましたが、あの”やってやった感”は格別でした。
勝利画面の背景が更地になっている達成感
激闘(と解体作業)の末、敵を倒してリザルト画面へ。カメラが勝者のポーズを映し出しますが、その背景を見てください。
開始直後はビルが立ち並ぶ都会だったはずが、見渡す限りの地平線。瓦礫の山。文字通りの”更地”です。
「これ、敵がやったんじゃないよな。全部俺がやったんだよな……」
とんでもないことをしてしまった背徳感と、サイヤ人という戦闘民族の力を手にした全能感が、同時に押し寄せてくる。小学生には刺激が強すぎる体験でした。
30代になった今、あの”荒野”をもう一度作りたくなる理由
あれから約20年が経ちました。当時小学生だった私たちは、今や30代。仕事に追われ、責任を背負い、何かを”ぶち壊す衝動”をどこかに仕舞い込んで生きています。
そんな大人になった今、『Sparking! ZERO』として最新作が登場。さらにリアルな物理演算と圧倒的なグラフィックで”破壊”が楽しめるようになりました。進化は本物で、あの頃の夢がそのまま現代技術で実現されたような感動があります。
でも——PS2の粗いポリゴンの中、画面が揺れるたびにコントローラーを握りしめ、ただひたすら街を更地にしていたあの熱量は、技術では再現できないものがある。あれは”ゲームが上手くなりたい”でも”強い技を覚えたい”でもなく、純粋に"壊したい"という原始的な衝動に、最高の舞台を与えてもらえた体験だったのだと思います。
皆さんも、あの“荒野”を一緒に作りに行きませんか?
そんな大人になった今、『Sparking! ZERO』として最新作が登場。さらにリアルな物理演算と圧倒的なグラフィックで”破壊”が楽しめるようになりました。進化は本物で、あの頃の夢がそのまま現代技術で実現されたような感動があります。
でも——PS2の粗いポリゴンの中、画面が揺れるたびにコントローラーを握りしめ、ただひたすら街を更地にしていたあの熱量は、技術では再現できないものがある。あれは”ゲームが上手くなりたい”でも”強い技を覚えたい”でもなく、純粋に"壊したい"という原始的な衝動に、最高の舞台を与えてもらえた体験だったのだと思います。
皆さんも、あの“荒野”を一緒に作りに行きませんか?