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孫策と周瑜が“孫郎”・“周郎”と呼ばれた由来が明らかに!?【三国志 英傑群像出張版#29-2】

文:岡本伸也

公開日時:

 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。

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 英傑群像出張版では、わたしが中国各地で集めた三国志武将の民間伝承の古書から、厳選して文章をまとめて紹介しています。

 前回、【孫策と周瑜】二人の繋がりの深さを紹介分析しました。今回は彼らの民間伝承をご紹介します!

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 なお、前回も紹介しましたが、以前コラムで紹介した周瑜の民間伝承はこちら!

孫郎・周郎の呼び方の由来


 孫策と周瑜を当時の人たちは“孫郎”と“周郎”と呼んだ。それはなぜなのか?

 周瑜の家族は舒城に住んでいた。後漢末、孫堅が混乱から逃れるために家族を舒城に送ったとき、孫家と周家は隣同士に住んでいた。

 二人の子供、孫策と周瑜は毎日外出するたびに顔を合わせ、会えば一緒に遊び、生死を共にする仲に育った。二人は同い年で、孫策は周瑜より2ヶ月だけ年上で、二人ともとても容姿端麗に育った。

 周家は周瑜に学ばせるために教師を雇い、周瑜は師を尊敬していた。孫家も孫策のために教師を雇ったが、孫策の短気で傲慢な振る舞いのため追い払ってしまうので、教師が続かなかった。

 ある日、周瑜は孫策に「なぜ次々と先生を追い払ったのか?」と尋ねた。すると孫策は満面の笑みを浮かべながら、「なぜ先生を追い出さないのか?」と逆に周瑜に尋ねる。

 周瑜は「私の先生は能力のある人で、とても尊敬しています。」と言った。

 孫策は彼の言うことを信じず、実際に師を試してみたかったので「あなたのその有能な先生に習いたい」と言った。周瑜はうなずいて同意し孫策を師匠に会わせた。

 老師は孫策を上下に見て冷たく言った。「私はあまり教えるのが上手ではありません。弟子として受け入れるのは一家族だけで、二家族は認めません。」と。

 孫策はこれを聞いて、心の中で非常に腹を立てたが、初めてであり、詳しいことも知らなかったので、ただ怒りを堪え、「それでは、私はあなたの書僮(しょとう)になります!」と言った。
※書僮とは、富裕層の家庭で主人やその弟子に読書を仕え雑役も行う未成年の僮僕(どうぼく)の事

 ある日、老師は二人を散歩に連れて行き村の外れまで来た。そこにはナツメの木に大きな実がなっていて、赤い提灯の紐のように見えた。

 老師は「孫策、ナツメを摘んで、新しいナツメを食べよう。」と言った。そこで孫策は両手で木に登ろうとした。すると老師は「登るな、その場でナツメを採れ!」と叫んだ。孫策はナツメの木を見て、一番下の枝はまだ頭から二本分の腕の高さで、飛び上がっても届かなかった。

 周瑜は「方法はあります」と答え帯を外し、その帯をナツメの枝に巻きつけてから引っ張るとナツメの枝は下に落ち、もう片方の手でたくさんのナツメを摘んで師の前に差し出した。

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 師は孫策に「師は門を開き、修行は人次第ということだ。君の父、孫堅は偉大な文武両道の人であり、呉の侯爵であるが、師が偉大な人物であるとは聞いたことはないぞ。」と言った。

 それを聞いた孫策は衝撃を受けて頭を下げて「先生、わかりました。私が間違っていました。弟子として受け入れてください!」と言った。

 彼は心を入れ替えたのをみて受け入れることを約束した。そして孫策と周瑜に一握りの土を香にし兄弟になることを許し喜びに満ち溢れこう言った。

 「孫朗と周朗、今日から君たちは義兄弟であり、師弟でありまるで兄弟だ。だから、言葉を学び、武術をよく練習し、将来は互いに助け合って国に尽くしなさい。」

 従って、最初に孫郎と周郎と呼んだのは彼らの名もなき老師であった。


孫郎・周郎の呼び方の由来2


 魯江県出身の喬玄には、大喬と小喬という二人の娘がいた。彼女たちは書物や礼儀作法を心得ており、二輪の花のように美しかった。

 また、二人には奇妙な特徴があり、決して紅を使って着飾ることはなかったが、顔はいつも桃の花のような色をしており、顔を洗う水もピンクがかった桃色だったため、遠くまで有名になった。

 この年、孫策と周瑜はともに18歳になり、学業を終えていた。周家の師は大喜びし、周瑜の両親と話し合った後、二人を喬家に連れてきて結婚を申し込んだ。

 喬玄は周瑜と孫策がとても容姿端麗で、二人の娘ととても相性がいいのを見てとても喜んだが、お茶も飲ませず、なぜか半日音も立てずに中庭に入り、二人を見向きもしなかった。

 師・孫策・周瑜の三人が不思議に思っていると、突然、家族のものが駆け込んできて「村の入口で家の二匹の羊が喧嘩して角がぶつけあい半日が経ちましたが、誰も引き離すことができません。」と言った。

 喬玄は、孫策・周瑜の二人に羊を引き離し連れ戻すように頼んだ。二人は馬鹿馬鹿しいと思ったが、ふと考えてみると何かあると察した。さらには、師匠が自分たちを見て笑っているのを見て理解した。試されているのだと。

 二人はすぐに現地へ出向いた。村の入り口に着くと二匹の羊が激しい戦いの真っ最中で、砂埃が舞い上がり、地面に溝が刻まれていた。

 二人は袖を捲くり上げたが羊を引き離しには行かず、大きな桑の木に行って木から桑の葉の一握りを取りいった。そしてそれぞれが2匹の羊の隣に新鮮な桑の葉を置いた。

 葉をみた羊は戦いを辞めて葉を食い始めた。羊がお腹を満たしたとき、二人は喬家に羊を連れ帰った。

 それを見るやいなや、喬玄に「私たち二人の腕力があれば、引き離すことができたのですが、二匹の羊は興奮していたので放すとまた争ってしまい、時間がかかり羊に怪我をさせてしまいます。そこで半日もケンカしてお腹が空いているだろうと予想し若い桑の実を餌にして引き離しました。お腹がいっぱいになったので、怒りも収まり、素直に私たちと一緒に帰ってきたのです。」と言った。

 喬玄はうなずき、「己を知り、敵を知れば、百戦危うからずだ」と称賛した。

 この時、大喬は湯呑みを持って孫策のところに行き、微笑みながら言った。「孫郎、お茶をどうぞ!」と。

 そして小喬は湯呑みを持ってに周瑜のところに行き、嬉しそうに「周郎、お茶をどうぞ!」と言い、周瑜の前に香ばしいお茶が置かれた。

 その時、喬玄の家族は音楽や太鼓をたくさん鳴らし、鶏や羊を屠り、3人の賓客をもてなした。師匠は喬玄にいつ結婚式をするのかと尋ねた。

 喬玄は微笑みながら「英雄と美女はお似合いです。しかし、この混沌とした世界では、結婚する前に自分の能力を発揮し、英雄にならなければならない。」と言った。

 喬玄はその師の労をねぎらい、大喬は孫策に「孫朗は私の心の中にいます。頑張ってください。」と言い、小喬は周瑜「周郎は私の心の中にいます。頑張ってください!」と言った。

 二人は敬礼してその場を去った。従って、2番目に“郎”と呼んだのは大喬と小喬だった。それ以来、孫朗と周朗の名は世に広まった。


周瑜の訓練


 周瑜に孫策は二人なら世界を征服できると思った。彼は嬉しそうに周瑜に言った、「私と一緒に世界を奪いに行こう!」と。

 周瑜は「瓜は落ちる前に熟し、水は運河に流れ込む。まだ早い!兵馬を訓練しなければならない。兵と馬が強くなったら、隠れ家から飛び立てるだろう。」と言う。

 その後、周瑜は兵馬を訓練する場所を探した。彼は故郷をくまなく旅して、杭埠河から遠くない平野に丘があるのを見つけ、河の向こうには春秋山が見え、山の東側には全く見えない平坦な河があり、西側には果てしなく隆起する大小の山があった。彼はここの地形が軍事訓練に適していると考え、頭山の頂上あたりに城を築いた。

 城には4つの門があり、丘の頂上には井戸があったので、数千頭の兵士と馬がそこに駐屯し、その場で訓練を受けた。後の人々はこの城を“周瑜城”と呼び、この井戸を“周瑜井戸”と呼んだ。

 周瑜は兵士たちを率いて毎日街の外で走って、矢を射させ、彼らは進んで学び、懸命に練習し、やがて彼らは皆、百歩突きができるようになった。皆が「兵士は強い、馬も強い、そろそろ世界に打って出ましよう。」と言う。

 周瑜はこれに反対し言った。「こんな小さな技では、害虫を捕らえ、盗賊を脅すのに十分なだけだ。大きな戦いに耐えようと思うなら、さらに厳しい練習が必要だ。」と。

 さらに周瑜は皆に町から遠く離れた場所に3つの大きな土塁を積み上げるよう指差し「馬に乗り馬から馬へ飛び移れるようになるまで訓練しなければ、戦場に行くに値しない。」と言った。

 それ以来、兵たちは馬の背で成長した。朝起き夕暮れには馬に乗り、冬にも夏にも練習を重ね、一歩一歩成長前進した。

 さらに目標を損ねることなく、最後には皆、鞭を振り上げ、流れ星のように馬を跳ね上げ、馬から馬へと飛び移ることができるようになった。

 そのため、後世で“練馬墩(れんばとん)”あるいは“練三墩(れんさんとん)2と呼ばれるようになった。

 その年、曹操は83万人を率いて揚子江の南へ下り、圧倒的に押し寄せ、風のように速く、遮ることが難しく、電気のように速く、追いつくことができなかった。

 幸いなことに、周瑜の軍隊はすでに訓練が完了しており、彼が命令を下すと、兵士たちは杭埠河と春秋山を飛び越え、川に沿って全力疾走し、あっという間に赤壁山に到着した。そして真正面から突進し、最後に彼らは川上の曹操の船に火を放ち、焼き払った。

 このため、赤壁の戦いの成功は周郎のおかげであり、勝利は彼の軍隊の訓練のおかげであるという地元の伝説が代々伝えられてきた。

 杭埠河のほとりに彼を称える記念碑が建てられ、小赤壁と呼ばれている。

まとめ


 いかがだったでしょうか?

 孫策は“孫郎”、周瑜は“周郎”と呼ばれていました。【郎】とは“美男子”を意味するそうです。

 そのあだ名が付いた民間伝承が2つもあるのはうれしかったですね。二人と二喬の物語があって更にお得な感じです。

 のちに英雄になった二人が二喬を迎えに行ったというストーリーを想像すると更にドラマチックです。
(翻訳後に調べたらこの【郎】の由来は日本でも既に紹介されていました。知らない人もいると思うのでご紹介します。)

 3つ目の周瑜の訓練話は実際に地名として残る場所の伝承。

 楽観的な孫策に、慎重な周瑜という雰囲気が見て取れました。映画『レッドクリフ』でも厳しい訓練を周瑜がしていたのが被って思い出されます。

 孫策が軍事を周瑜に委ねた理由も垣間見れた気がしますね。

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 今回は以上となります。次回もお楽しみに!

桃園の智会イベント 第七回を5/4(土)実施しました!


 三国志交流会【テーマを決めて順に一言発言】により、初参加、恥ずかしがり屋さんでも平等に楽しめる三国志交流会を実施しました! GW、お盆、正月にやっています。早いものでもう7回目。

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 自分の好きな三国志を語る会なので正史、演義などの違いは問題なく、どんなジャンルの三国志が好きでも盛り上がれるように工夫しています。

 今回も他県や小学生からご参加いただきたいへん盛り上がりました。毎回参加者が変わると話題も変わるのでいつも楽しいです。

 今回はとくに“if(もし)”について多く時間を割きました。例えば、孔明が延命していたらどうなった? などですね。

 そして、今回の企画2つ目として、【三国志武将でサッカーチームを作ろう!!】というのをやってみました! 以前のコラムでも紹介した、第五回では1コーナーを使い「野球の打線を三国志で組んでみる」というのを実施し盛り上がりました。

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 今回、三国志に詳しくてもサッカーに詳しい参加者ばかりではなかったのでフォーメーションまでは考慮せずに実施。ざっとポジション毎に役割を紹介して武将を数人ずつあげて貰う形で集計投票し決定しました。

 個人的には孫策はFWだと思っていたのですが、みんながGKだというのでGKになりました。多分そういうギャップも人それぞれ意見が違うと思いますが、それも含め楽しんで結果見て貰えるとうれしいです。

 後日、どのチームが勝つかX(Twitter)で投票を実施しました! 魏が勝利するという意見が圧倒的に多かったです。魏は人材豊富、有名軍師たちも落選する中、優勝とは凄い!

 実は盛り上がりすぎて用意していた企画1つは時間切れで実施できず。次回お盆休みの8/11に持ち越してやろうと思っています。

 自分の三国志を語るので知識レベルは関係ないので初心者も大歓迎です。あなたの好きな三国志を思いっきり話せる場所は意外と少ないですよ! 次回もお気軽にご参加ください!


桃園の智会第8回 開催概要
日時:8/11(日)16時~19時半ごろ
参加費:1000円(お茶、茶菓子付) 要予約
※学割アリ。100円引き
お問い合わせ:三国志ギャラリーまで(078-641-3594)

三国志武将でサッカーチームを作ろう!! 選考結果


 人選はイベント参加者の投票で決定。違うポジションで名前重複する場合は除外。1チーム15名選抜。並び順で前にいる方がレギュラー、フォーメーションは考慮せず、というルールで行いました。

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◆チーム魏 <監督>曹操
FW:夏侯淵、楽進、張郃
MF:李典、徐晃、賈詡、夏侯惇、于禁、許褚
DF:張遼、曹仁、郝昭、典韋、満寵
GK:曹丕

◆チーム蜀 <監督> 劉備
FW:馬超、張飛
MF:関羽、魏延、法正、黄忠、馬謖、馬岱
DF:趙雲、姜維、龐統、王平、馬良、徐庶
GK:諸葛亮

◆チーム呉 <監督>孫権
FW:甘寧、周泰、周瑜、孫堅
MF:太史慈、黄蓋、呂蒙、陸遜
DF:張昭、徐盛、韓当、陸抗、魯粛、諸葛瑾
GK:孫策

◆チーム後漢 <監督>献帝
FW:呂布、華雄、顔良、文醜
MF:公孫瓚、董卓、陳宮、高順、皇甫嵩、袁紹
DF:李儒、田豊、華佗、張任
GK:張角

コラム未公開! 関羽の民間伝承パネル展示中


 春の三国志会で初公開した、本コラムで未公開の関羽の民間伝承が掲載されているパネルですが、こちらは引き続き展示を継続しております。

 7月末位までは展示しておくつもりですので、KOBE鉄人三国志ギャラリーのお近くに来られた際は、ぜひお立ち寄りくださいね!

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岡本伸也英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!

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